腐儒論

 腐儒論は侗庵36才の時の論文です。腐儒とは役立たずの儒者といった意味で、侗庵の論文には盛んにでてきます。それだけ海外の情勢に無関心で現在の重要問題を考えようとしない儒者に我慢ならなかったということでしょう。本論文では儒者だけでなく兵学者や役人もやり玉に挙げています。特に役人の御役所仕事ぶりを厳しく非難しています。

 原本は西尾市岩瀬文庫所蔵のものです。これを6つに分けて見ていくことにします。

 

(1)腐儒とは

(漢文)

腐儒之目俗吏武夫詬厲吾儒之言也、使吾儒無腐之實、則斯言也爲誣、吾儒而有腐之實乎、將何以間執其口乎、夫腐者、朽壊潰爛無可用之稱、木之腐也、百囲之木、千尺之名林、其形偉然、其文理灼然、而心先朽腐、一施於大厦之用、立致摧塌、魚介之腐也、肉未餒敗、未至騰悪臭、誠一喫之、使人癢喉澁舌、胸懐作悪、雖則遐方海外之珍異、無不嗚而擲地、故儒之儀観堂々、記誦該博、立論有條緒、而絶無濟乎用者、皆腐之属也、

(読み下し文)

 腐儒(フジュ)の目(モク)、俗吏(ゾクリ)武夫(ブフ)の吾儒を詬厲(コウレイ)するの言なり。使(も)し吾儒に腐(フ)の實(ジツ)無くば、則ち斯の言や誣(ブ)為り。吾儒而(も)し腐の實有らば、將(まさ)に何を以て其の口を間執(カンシュウ)せんか。

 夫れ腐は、朽壊(キュウカイ)潰爛(カイラン)し用ふべきの無きことの稱(よびな)にして、木の腐るや、百囲の木、千尺の名林、其の形偉然(イゼン)として、其の文理灼然(シャクゼン)たるも、心(シン)(ま)ず朽腐(キュウフ)し、一たび大厦(タイカ)の用に施さば立(たちどころ)に摧塌(サイトウ)に致る。魚介の腐るや、肉未だ餒敗(ダイハイ)せず未だ悪臭の騰(あが)るに至らざれども、誠(もし)一たび之を喫(くら)はば、人をして喉を癢(かゆ)からしめ舌を澁(しぶ)からしめ、胸懐(キョウカイ)作悪(サクアク)し遐方(カホウ)海外の珍異と雖則(いへど)も、嗚(むせ)びて地に擲(なげう)たざること無し。

 故に儒の儀観(ギカン)堂々とし、記誦(キショウ)該博(ガイハク)にして、立論に條緒(ジョウショ)有れども、用を濟(な)すこと絶無ならば、皆腐の属(たぐひ)なり。

(語釈)

腐儒(フジュ)(役に立たない儒者) (モク)(名前、表題) 俗吏(ゾクリ)(教養の低い小役人)     武夫(ブフ)(武人 武士) 詬厲(コウレイ)(そしる、悪口を言う) (ブ)(有りもしないことを言うこと)   間執(カンシュウ)(ふさぎ止めること) 朽壊(キュウカイ)(腐って壊れること) 潰爛(カイラン)(崩れただれること) 百囲(周囲が両手を広げた百倍の長さ) 偉然(イゼン)(立派で) 文理(模様 木目)      灼然(シャクゼン)(輝いていること) (シン)(中心部) 大厦(タイカ)(ひさし) 摧塌(サイトウ)(くだけ落ちること) 餒敗(ダイハイ)(腐敗) 胸懐(キョウカイ)(心の中) 作悪(サクアク)(もだえ苦しむ) 遐方(カホウ)(遠方の土地)  儀観(ギカン)(身づくろい、身なり)  記誦(キショウ)(覚えていること)該博(ガイハク)(学識が広い) 條緒(ジョウショ)(筋道が通っていること)

 

(現代語訳)

 腐儒」とは小役人や武人が我々儒者の悪口を言うための言葉である。もし我々儒者に腐の実態がなければその言葉は虚偽であるし、実態があるならばどうすればその口をふさぎ止めることができるだろうか。

 そもそも「腐」とは壊れ崩れて役立たずになったことの呼び名である。木が腐るということは、両手を広げた百倍の大きさの木や、千尺の高さの素晴らしい林であっても、中心部が腐っていれば、その外形が依然として立派で木目も輝いていても、それを庇に用いればたちどころに崩れ落ちるということである。魚介が腐るということは、肉がまだ崩れず悪臭も立っていなくても、それを一たび食べれば喉は辛くなり舌は渋くなり心はもだえ苦しみ、たとえ遠方や海外の珍味であっても咽んで地になげうたずにはいられなくなるということである。

 それゆえ、儒学者の身なりが堂々としていて、学識が広く、言うことに筋道が通っていても、役に立つことが全くなければ、すべて腐儒である。

 

(2)腐儒の歴史

(漢文)

腐儒之来尚矣、如古昔所稱子張氏漆雕氏之賤儒、凡八派、今其行誼設施無可考、而其悉帰於腐、則斷可見矣、漢董江都醇儒也、天人之対策、義利道功之辨、卓矣、而好論説突異、至祈晴禱雨之術、殆類児戯、先賢既議其流於迂、是非腐乎、賈長沙通儒也、治安一策、無不中竅、論君臣之薄、封建尾大之失、尤洞看時弊、然而五餌三表、欲以係單于、無乃大浅露乎、汲々以正朝服色爲言、不達當務之急甚矣、亦腐而已、設使二子躋相位、宰制一世、較之學黄老之曹参汲黯、恐或遜之、二子漢儒之巨擘、且然若此、矧下馬者乎、魏晋迄於唐季、儒先所論、不出於喪祭之儀、冠服名物之末、不獨世待以腐、彼亦甘以腐自居、可悲、趙宋鉅儒輩出、闡發吾道、直上梓洙泗、稱聖学之中興、顧六七鴻碩之外、或議論勝而成功少、或泥古道而昧於時宜、信哉腐之不易醫也、

(読み下し文)

 腐儒の来りて尚(ひさ)しきこと、古昔(コセキ)の子張氏漆雕氏の賤儒と稱せらるが如し。凡(およ)そ八派、今其の行誼(コウギ)設施(セツシ)に考ふべきこと無くて其れ悉(ことごと)く腐に帰せば、則ち斷じて見るべきなり。

 漢董江都の醇儒(シュンジュ)なり。天人の対策、義利道功の辨卓(すぐ)るなり。而(しか)し突異を論説するを好み、晴を祈り雨を禱(いの)るの術に至れば、殆ど児戯(じぎ)に類(に)る。先賢既に其の迂(まちがひ)に流るるを議(あげつら)ふ。是れ腐に非ざるや。

 賈長沙(カチョウサ)通儒(ツウジュ)なり。治安一策、竅(あな)に中(あた)らざる無し。君臣の薄きこと、封建の尾大(ビダイ)の失(シツ)を論ず。尤(もっとも)時弊を洞看(ドウカン)す。然り而(しこう)して五餌三表、單于(ゼンウ)を係(つな)ぐを以てせんと欲し、無乃(むしろ)大いに浅露(センロ)なり。汲々(キュウキュウ)として正朝、服色を以て言を為す。當務の急に達せざること甚しきや、亦(また)腐なるのみ。

 設使(もし)二子相位(ショウイ)に躋(のぼ)り一世を宰制(サイセイ)し、之を黄老(オウロウ)に學ぶ曹参(ソウサン)汲黯(キュウアン)と較ぶれば、恐らく或ひは之(これ)に遜(ゆず)る。二子漢儒の巨擘(キョハク)にして且つ然り此(かく)の若(ごと)し。矧(いは)んや下馬の者をや。

 魏晋から唐季(すゑ)に迄(いた)り、儒先の論ずる所、喪祭(ソウサイ)の儀、冠服名物の末を出ず。獨(た)だ世の腐を以て待つのみならず、彼亦(また)腐を以て甘んじ自居(ジキョ)す。悲しむべし。

 趙宋鉅儒(キョジュ)輩出し吾道を闡發(センパツ)し、直ちに洙泗(シュシ)を上梓(ジョウシ)し聖学の中興と稱(たた)ふ。顧(かへりみ)れば、六・七の鴻碩(コウセキ)の外、或ひは議論勝(まさ)りてして功成ること少なく、或ひは古道に泥(なづ)みて時宜に昧(くら)し。信哉(まことにや)腐の醫(すく)ふこと易(やす)からざるなり。

(語釈)

子張(しちょう)氏 孔子の弟子。「過ぎたるは及ばざるが如し」と孔子が言うほか,「辟(誠実さに欠ける)」という評価も見える  漆雕(しつちょう)氏 孔子の弟子.《論語》に,孔子に仕官を勧められた際,まだ自信がないと答えたという.賤儒(くだらない学者) 八派(戦国時代の儒教八派) 行誼(コウギ)(行為) 設施(セツシ)(計画施行したこと)

漢董董仲舒)[前176ころ~前104ころ]中国、前漢儒学者。広川(河北省)の人。「春秋公羊(くよう)伝」を学び、武帝のとき文教政策を建言、儒学を正統な官学とさせ、その隆盛をもたらした。

醇儒(シュンジュ)(儒教に専心する学者) 天人の対策武帝の諮問に対する董仲舒の献策)  義利道功の辨(道義を功利より尊重すること「夫れ仁はその義を正して其の利を謀らず、其の道を明らかにして其の功を計らず」 突異(際立って異なること)

賈長沙(カチョウサ)[前200~前168]中国、前漢の学者・政治家。洛陽(河南省)の人。文帝に信任されたが、重臣らの反対にあって長沙王の太傅に左遷された。文章家・思想家としても有名。

通儒(ツウジュ)(広く書物や物事に通じた学者) 治安一策(賈長沙が漢の文帝の時に上げた時局匡救策)

尾大(ビダイ)の失(獣の尾が大きすぎて自由に動かせないこと、諸候の力が強すぎ君主が統治できないこと) 

五餌三表(賈長沙の献策した匈奴対策。中華思想に基づき匈奴を武力ではなく文化と経済により懐柔しようとするもの 五餌とは、匈奴を豪華な衣服で着飾らせ豪奢な車を乗り回させること、珍味を饗応すること、妙なる音楽を聞かせること、豪奢な家屋を与えること、官職を与え君則に侍らせること。三表とは匈奴に対して漢帝が信、愛、好の三者を表明し周知徹底させること)

單于(ゼンウ)(匈奴の王) 浅露(センロ)(浅薄で深みがない) 正朝(天子が家臣を謁見する所)服色(衣服や車馬の色) 當務の急(当面の急務) 相位(ショウイ)(宰相の位) 宰制(サイセイ)(支配) 黄老(オウロウ)(老荘思想) 曹参(ソウサン) 漢の高祖の功臣。その政治は,道家の精神により清静無為を尊び,言辞は正道,人民は休息を得て,賢相とたたえられた。 汲黯(キュウアン)※ 前漢の諫臣。黄老の言を学び、其の政、清静を以て聞こえ、しばしば朝廷に直諫し、武帝に「社稷の臣」といわせた。 巨擘(キョハク)(傑出した人物)喪祭(ソウサイ)(喪に服するときの祭祀) 自居(ジキョ)(自らその位置にいる) 鉅儒(キョジュ)(大学者) 闡發(センパツ)(明らかにする) 洙泗(シュシ)(孔子の学問) 上梓(ジョウシ)(出版) 聖学儒学

 

(現代語訳)

 腐儒の歴史は、昔、孔子の弟子の子張氏や漆雕氏が浅はかな儒者だと言われた時と同じぐらい古い。戦国時代の儒教八派については今はその行為やその効果について考えることができなくて、すべて役立たずということになっているので、必ずしっかり見るべきである。

 前漢時代の董仲舒は江都国の優れた儒者であり、武帝の策問に応じて著した「天人の対策」や道義を功利に優先すべきとした「義利道功の辨」は優れたものである。しかし突飛な論説を好み、晴れを祈り雨を祷る術ともなれば殆ど子供だましである。すでに古くから賢者がそのあやまちを指摘している。こうしたことも「腐」であろう。

 賈長沙も広く物事に通じた儒者である。前漢文帝の時に献策した「治安一策」は当を得たものであり、君臣の関係が薄いことや諸侯の力が強すぎて君主の統制が及ばないことの誤りを論じて、とりわけ当時の弊害を良く見通していた。しかし匈奴対策である「五餌三表」の政策は匈奴の王である単于を懐柔して繋ぎ止めようとするものだが、むしろ浅はかなものだった。ひたすら謁見所や服装や車の色についてあれこれ言う。こんなことは当面の急務に全く役立たず「腐」でしかない。

 もしこの二人が宰相の位につき同じ時代を支配したとして、これを老荘思想を学んだ曹参・汲黯と比べれば、おそらくこれより劣るであろう。二人は漢の儒者の傑出した人物ではあるが、それでもこの程度である。ましてやその他の儒者など言うまでもない。

 漢以後の魏や晋から唐末までの時代は、儒者が論ずるのは、喪に服するときの祭祀のこととか、冠や服装の細かなどうでもよい事ばかりであった。世の中が古びていくのを待っているだけでなく、儒者自身も古びて役立たずになっていった。悲しむべきことである。

 宋の時代になると大学者が次々に出て儒学の道を明らかにし、孔子の学問について出版するなど儒学の中興と称えられた。しかし顧みれば六・七の大学者以外は、あるいは議論ばかりで結果が伴わず、あるいは昔のやり方にこだわって現在の情勢に暗かった。まことに役立たずである「腐」を治すことは容易ではない。

 

(3)歴史上の様々な腐

(漢文)

漢唐群儒、拘泥訓詁、刻鉉抱柱、不達時変、不可施于政、此儒之腐于狭陋者也、六代儒生、風流都雅、胸無定見、附勲業於不問、甘終老于對白抽黄之間、此儒之腐于浮靡者也、宋代諸賢、精於析理、而短於成務、行不能酬其言、此儒之腐於虚遠者也、悠々歴代、如諸葛武侯韓魏公之超絶不群、益僅々而見耳、腐之極也、有請讀孝経以散反賊者、有弔喪而匍匐入門者、有行二里餘、知其爲径、而旋馬還由大道者、此等迂謬、獨吾儒有之、而他人莫與、叉何以逃腐儒之誚哉、世叉有一種儒先、放浪無頼、沈酣花柳、務自異於拘儒者、及責以錯節盤根之用、茫不知所下手、由識者観之、鈞歸於腐、譬之肉、彼拘泥之儒、是脯之浩之、𦁑久味失者、至於放浪無行之儒、則無異於盛夏収蔵累旬、爛潰蟲出、不可近口、其可斁何如也、

(読み下し文)

 漢唐の群儒、訓詁に拘泥し、鉉(ふなばた)を刻(きざ)柱を抱く。時変に達せず、政(まつりごと)に施すべからず。此の儒之(これ)狭陋(キョウロウ)たるに于(おい)て腐たる者なり。

 六代の儒生、風流都雅(トガ)にして、胸に定見無く、勲業(クンギョウ)を不問に附す。對白抽黄(タイハクチュウコウ)の間に終老(シュウロウ)するに甘んず。此の儒之(これ)浮靡(フビ)たるに于(おい)て腐たる者なり。

 宋代の諸賢、析理(セキリ)に精(くは)しく、而(しこう)して成務に短(おと)り、行(おこな)ひ其の言に酬(こた)ふること能はず。此の儒之(これ)虚遠(キョエン)たるに於て腐たる者なり。

 悠々歴代、諸葛武侯(ショカツブコウ)韓魏公の如きの超絶して群れざるは益(ますます)僅々(キンキン)に見るのみ。

 腐の極まるや、孝経を讀み以て反賊を散らすを請ふ者有り、弔喪して匍匐(ホフク)入門する者有り、二里餘りを行き其の径(ちかみち)爲るを知りて旋馬(センバ)し大道より還(かへ)る者有り、此等(これら)迂謬(ウビュウ)、獨(ひと)り吾儒のみ之(これ)有り他の人莫(な)きか、叉何を以て腐儒の誚(せめ)を逃る哉。

 世に叉一種の儒先有り。放浪無頼、花柳に沈酣(チンカン)し、務めて自ら拘儒(コウジュ)に異ならんとする者、錯節盤根(サクセツバンコン)の用を以て責むるに及べば、茫(ボウ)として手を下す所を知らず。

 識者之を観るに由(よ)れば鈞(ひと)しく腐に帰す。之(これ)を肉に譬(たと)ふれば、彼の拘泥の儒、是れは之(これ)を脯(ほじし)にし之(これ)を腊(ひもの)にし、𦂡(つづ)けて久しく失(あやまち)を味はふなり。放浪無行の儒に至れば、則ち盛夏に収蔵すること累旬(ルイジュン)にして爛潰(ランカイ)蟲出(チュウシュツ)し、口を近づくべからざるに異ならず。其れ何如(いかが)(えら)ぶべきや。

 

訓詁(古い文字や言葉の意味を解釈すること) 

鉉(ふなばた)を刻(きざ)む(時勢の移ることを知らず、いたずらに古いしきたりを守ることのたとえ。舟の上から川の中に剣を落とした者が、舟の流れ動くことを考えず、落ちた位置の印を舟ばたにつけて、岸についてから印の下を探そうとしたという「呂氏春秋‐慎大覧・察今」の故事による) 

柱を抱く(馬鹿正直で、融通のきかないことのたとえ。中国、春秋時代、魯の尾生という男が女と橋の下で会う約束をして待っていたが、女は来ず、大雨で河が増水してもなお約束を守って橋の下を去らなかったために、ついに溺死したという「荘子‐盗跖」「戦国策‐燕策・昭王」「史記蘇秦伝」などに見える故事による) 狭陋(キョウロウ)(見識が狭く融通がきかないこと) 都雅(トガ)(みやびやか) 勲業(クンギョウ)(国や君主に尽くす働き) 對白抽黄(タイハクチュウコウ)(美しい文章を作ること) 終老(シュウロウ)(余生を送る) 浮靡(フビ)(表面上のみ華やかだが実質が伴っていないこと) 析理(セキリ)(道理を細かに説き明かすこと) 成務(仕事を成し遂げること) 虚遠(キョエン)(現実離れしていること)

悠々歴代(何代も続く長い歴史の中で)諸葛武侯(ショカツブコウ)(諸葛孔明) 韓魏公北宋の政治家、王安石の新法に反対したことで有名) 僅々(キンキン)(わずか) 

弔喪して匍匐入門する者 (陳烈が蔡君謨の葬式に行ったとき、その門前まで来ると弟子たちを引き連れて匍匐(四つん這い)して門に入った。人が訳を尋ねると、「凡そ民の喪有る、匍匐してこれを救う、と申すからじゃ」と答えた。この場合の匍匐は力を尽くすという意味で、「匍匐之救」とは他人の喪に際して力を尽くして援助することであるが、陳烈は匍匐をはらばうの意味に解した。物の理に通じない腐儒はこれほどまでになるという例。(『五雑組 七』 二七頁 東洋文庫) 

旋馬(センバ)(馬の向きをかえる) 迂謬(ウビュウ)(間違いだらけであること)花柳(遊女) 沈酣(チンカン)(心酔) 拘儒(コウジュ)(視野の狭い学者) 錯節盤根(サクセツバンコン)(複雑で処理困難な事柄) (ほじし)(乾肉) 累旬(ルイジュン)(数十日) 爛潰(ランカイ)(腐ってつぶれる) 蟲出(チュウシュツ)(死体からウジ虫が出ること)

 

(現代語訳)

 漢や唐の多くの儒者は古い文字や言葉の解釈である訓詁に拘泥した。舷を刻み、柱を抱くようなもので、時代の変化に対応できず政治には使い物にならなかった。これは儒者が見識が狭く融通がきかないという意味で「腐」であった。

 魏晋南北朝時代である六代の儒学者は風流みやびやかで、胸には定見が無く、国や君主に尽くすことを無視して、美しい文章を作って余生を過ごすことに甘んじていた。これらの儒者は表面上のみ華やかで実質が伴っていないという意味で「腐」であった。

 宋の時代の多くの賢者は道理を細かに解き明かすことには長けていたが、実務に疎く、言葉に実行が伴わなかった。こうした儒者は現実離れしているという意味で「腐」であった。

 何代も続く長い歴史の中で諸葛武侯や韓魏公のような超絶して群れない人はますますわずかに見られるだけとなった。

 「腐」が極まると、孝経を読んで謀反人が退散するように願う者が出てきたり、葬式の時に四つん這いになって門に入る者がいたり、二里餘りの道を行ってからそれが近道であったことを知ると馬の向きを変えて大道にもどる者もいた。こうした世間の事情にくらくて、誤りが多いことは儒者だけにあって、他には無いものだろうか。またどうしたら腐儒の非難を免れるだろうか。

 世の中にまた一種の儒者がいて、放蕩無頼、遊女に夢中で、務めて自ら視野の狭い儒者とは異なろうとしていたが、複雑で困難な仕事を与えたら、茫然としてどこから手を付けてよいかわからなかった。識者がこれを見ればやはり同じような「腐」ということになる。これを肉に例えれば、古いことに拘泥する儒者は肉を干物にして長く過ちを味わい続けることを良しとする者で、放蕩無頼の儒者は肉を夏の暑い盛りに数十日も保存して、腐ってウジ虫が出て口を近づけることもできなくなっているのと同じである。そのどちらを選ぶべきだろうか。

 

(4)役人と兵学者の腐

(漢文)

顧昇平二百載、人気惰偸、其迂腐者、滔々而是、非獨儒爲爾也、俗吏以期會簿書爲要務、拘條例、繁儀文、好訐人小疵摘文書徴瑕、以自呈能、於宗社大計、士民休戚、未始経心、即使古之名臣細川頼之井伊直孝之倫、生于今、與之騈肩、必為其所疵瑕、是吏不免於腐也、兵家者流、泥陳編守成迹、雄辯懸河、源平甲越戦争之状、昭在目前、及審察之、宛然馬服子之不知應變、使之登壇禦侮、亦龍鍾輿尸耳、是兵家亦不免於腐也、俗吏武夫、皆咲儒之腐者、而流為目論、天下之大克不流於腐者、幾人耶、

 

(読み下し文)

 顧(かへりみ)て昇平二百載、人気惰偸(ダトウ)、其の迂腐(ウフ)たる者、滔々(トウトウ)として而(しか)も是、獨(ひと)り儒のみ爾(これ)を爲すに非ざるなり。

 俗吏期會(キカイ)簿書を以て要務と爲し、條例に拘(こだは)り、儀文に繁(しげ)く、人の小疵(ショウシ)を訐(そし)り文書を摘(あば)き瑕(あやまち)を徴(とひただ)すを好み、以て自ら能(ちから)を呈(しめ)す。宗社の大計、士民の休戚(キュウセキ)に於て、未だ始めから経心(ケイシン)せず。即使(たとひもし)(いにしへ)の名臣細川頼之井伊直孝の倫(ともがら)、今に生くとも、之(これ)と騈肩(ヘイケン)し、必ず其の疵瑕(カシ)とする所を為さん。是(ここ)に吏、腐を免れざるなり。

 兵家者流、陳編(チンペン)に泥(なづ)み迹(あと)を守成(シュセイ)す。雄辯懸河(ユウベンケンガ)、源平甲越戦争の状(ありさま)、昭(あきらか)に目前に在り。之を審察(シンサツ)に及べば、宛然(エンゼン)馬服子の應變(オウヘン)を知らざるがごとし。使(も)し之(これ)を登壇(トウダン)禦侮(ギョブ)せしめば、亦(また)龍鍾輿尸(リョウショウヨシ)するのみ。是(ここ)に兵家亦腐を免れざるなり。

 俗吏武夫、皆、儒の腐なるを咲(わら)ふ者は而(しこう)して目論(モクロン)を為すに流る。天下の大なるに克(よ)く腐に流れざる者幾人か。

(語釈)

昇平(太平 平和) 惰偸(ダトウ)(怠惰で軽薄) 迂腐(ウフ)(まわりくどくて役に立たない)     滔々(トウトウ)(往来している 歩き回っている) 期會(キカイ)簿書(会計帳簿) 儀文(儀式の作法やきまり) 小疵(ショウシ)(小さな欠点) 宗社(国家) 休戚(キュウセキ)(喜びと悲しみ、幸と不幸) 経心(ケイシン)(注意 留意) 細川頼之[1329~1392]南北朝時代の武将。室町幕府管領として足利義満を助け、幕政の安定をはかった。のち、一時失脚したが、中国・四国地方の平定に活躍して、再び幕政に参加) 井伊直孝([1590~1659]江戸初期の武将。直政の次子。近江国彦根藩主。大坂夏の陣に功を立て、徳川秀忠・家光・家綱3代に仕えた)  騈肩(ヘイケン)(肩を並べる)疵瑕(カシ)(欠点) (役人) 兵家者(兵学者)陳編(チンペン)(古臭い書物) 泥(なづ)む(こだわる) 迹(あと)(これまでのやり方) 守成(シュセイ)(すでに出来上がったものを守る) 雄辯懸河(ユウベンケンガ)(流れるような弁舌) 審察(シンサツ)(よく考えること) 宛然(エンゼン)(あたかも) 

馬服子 中国戦国時代の政治家.趙の人.若くして兵法を学び,天下一と自任していた.趙と秦の長平の戦いで,趙の将軍の廉頗は持久戦をとり秦軍は苦しんだ が、秦は馬服子が将軍になることを恐れていると噂を流し,これにより趙の孝成王は,廉頗を罷免して馬服子を将軍とした.馬服子は秦軍に攻勢に出て大敗,包囲され,ついに戦死した.趙軍は秦に降伏し,その兵士40万人は穴埋めとなった  .

應變(オウヘン)(変化に応じて適切な処置をとること) 登壇(トウダン)(大将や諸侯になること) 禦侮(ギョブ)(敵の攻撃を防ぐこと) 龍鍾輿尸(リョウショウヨシ)(敗戦し失意のうちに死体を載せて帰る)

目論(モクロン)(目は自分のまつ毛が見えないように、他人の欠点はわかるが自分の欠点はわからないこと)

 

(現代語訳)

 天下泰平の二百年を振り返ってみれば、人々の精神は怠惰で軽薄であり、回りくどくて役に立たない者が歩き回っており、しかもそれは儒者だけではない。

 役人は会計帳簿を重要任務と考え、法令に拘り、儀式の作法やきまりに忙しく、人の小さな欠点を非難し、文書をあばいてあやまちを問いただすのを好み、それで自分の能力を示そうとする。国家の大計や士民の喜びや悲しみ、幸不幸については全く留意しない。たとえ古の名臣である細川頼之井伊直孝のような人が今生きていたとしても、彼らと肩を並べ同じ過ちを犯すだろう。こうして役人も「腐」であることを免れない。

 兵学者は古臭い書物にこだわり、従前のやり方を守る。流れるような弁舌で、源平合戦川中島の合戦ありさまが目の前に浮かぶように語る。このことをよく考えてみるとあたかも中国の戦国時代の兵法家である馬服子が変化に応じた適宜の処置をとることができなかったのと同じで、彼らを採用して敵の攻撃を防がせれば、また敗戦して失意のうちに帰ってくるのみだろう。このため兵学者も「腐」であることを免れない。

 役人も武士も儒者の「腐」であることを笑うが、他人のまつ毛は見えても自分のまつ毛は見えないように、他人の欠点はわかっても自分の欠点をわかっていないだけのことだ。天下に「腐」に流れないでいられる者がどれほどいようか。

 

(5)清と西洋諸国 侵略に務め腐に陥らず

(漢文)

宋明之季、文過生弊、経畫悉趦於迂腐、馴致戎虜之祻、此殷鑒之章々者也、清既代明、雖多虐政、百七十祀、冨強如一日、兼弱併小、幅員日廣、在西土、是稱亘古靡亢、泰西諸國、富國闢土是事、不顧理義、國之強大者、畏而求媚、其極小弱、或無主者、亟圖呑噬、数百年前、風気尚鬱、人欲未大滋、地形多所未悉、各國其國、不甚相陵虐、数百年来、智巧紛起、慾日轉熾、地圖、靡不詳晰、清既悉殄殲、西北諸戎、羅叉亦呑併隣邦無数、自他諸国、多類此、故清之暴残、泰西之貪惏可悪、其務牟實利、不陥於腐、則不可不畏也、

 

(読み下し文)

 宋明の季(すゑ)、文過ぎ弊(ヘイ)を生み、経畫(ケイカク)(ことごと)く迂腐(ウフ)に趦(とどこほ)り、戎虜の祻(わざはひ)に馴致(ジュンチ)す。此れ殷鑒(インカン)の章々(ショウショウ)たる者なり。

 清既に明に代り、虐政(ギャクセイ)多しと雖も百七十祀、冨強一日の如し。弱きを兼ね、小さきを併せ、幅員(フクイン)(ひび)廣ぐ。西土に在りて、是れを亘古(コウコ)靡亢(ビコウ)と稱(たた)ふ。

 泰西諸國、富國闢土(ヘキド)是れを事とし、理義を顧(かへりみ)ず。國之(これ)強大なれば、畏(おそれ)て媚(こび)を求め、其れ極めて小弱にして或(あるい)は主(あるじ)無ければ亟(すみやか)に呑噬(ドンゼイ)を圖(はか)る。数百年前、風気(フウキ)尚ほ鬱(ウツ)として、人未だ大いに滋(ふえ)ざらんと欲し、地形未だ悉(つく)さざる所多し。各國其國、相(たがい)に陵虐(リョウギャク)すること甚しからず。数百年来、智巧(チコウ)紛起(フンキ)し、日(ひび)(いよいよ)(さかん)ならんと慾す。地圖の詳晰(ショウセキ)ならざるは靡(な)し。

 清既に悉(ことごと)く西北諸戎を殄殲(テンセン)し、羅叉(ロシア)(また)隣邦の無数を呑併(ドンペイ)す。自他諸国の多く此れに類(に)る。故に清の暴残、泰西の貪惏(タンラン)(にく)むべし。其れ實利を牟(むさぼ)り腐に陥らざるに務(つと)む。則ち畏れざるべからざるなり。

(語釈)

経畫(ケイカク)(企画)  迂腐(ウフ)(まわりくどくて役立たないこと 御役所仕事) 戎虜の祻(わざはひ)(異民族による侵略) 殷鑒(インカン)(戒めとすべき失敗の前例) 章々(ショウショウ)(明らか) 虐政(ギャクセイ)(人民を苦しめる政治) 兼ぬ(併呑する) 併す(併呑する) 幅員(フクイン)(面積) 西土(中国) 亘古(コウコ)(昔から今まで) 靡亢(ビコウ)(類の無いこと)富國闢土(フコクヘキド)(国を富ませ土地を開くこと) 事(こと)とす(専念する) 理義(道理と正義) 風気(フウキ)(気風) 陵虐(リョウギャク)(いためつけること しいたげること) 巧(チコウ)(知恵と技巧) 紛起(フンキ)(盛んに起こる)詳晰(ショウセキ)(詳細で明らかなこと) 殄殲(テンセン)(滅ぼしつくす) 貪惏(タンラン)(強欲)

 

(現代語訳)

 宋や明の末期には文化が行き過ぎて弊害を生み、国家の計画はすべて回りくどく役立たない御役所仕事のようなものなり、異民族による侵略を次第に受けるようになった。これは戒めとすべき明らかな失敗の前例である。

 明に代わって清となり、人民を苦しめる政治が多いとはいえ、百七十年間常に富強であった。弱国小国を兼併し、領土を日々広げた。これは中国では昔から今までにたぐいの無いことだと称えられている。

 西洋諸国は国を富ませ領土を広げることに専念し、道理や正義を顧みない。国が強大であれば恐れて媚びへつらい、弱小であったり主が無ければ速やかに侵略する。数百年前はまだ鬱然とした気風で人はそれほど増えることを望んでいなかったし地形もよくわからない所が多かった。各国は互いに痛めつけることも多くなかった。数百年の間に知恵と技巧が起こり、それが日々盛んになっていった。地図で明らかになっていない所はなくなった。

 清は既に西北の異民族をすべて滅ぼし、ロシアもまた多数の隣国を併呑した。その他の多くの諸国もこれと似たようなことをしている。故に清の暴虐や西洋諸国の強欲ぶりは憎むべきものである。彼らは実利をむさぼり「腐」に陥らないように務めている。だからこそ恐れないわけにいかないのだ。

 

(6)腐を避ける方法

(漢文)

本邦治教休美、士風純良勇鷙、洵甲于萬国、上古以還、所攻者必服、来侵者必虀粉、威稜震耀乎六洲、雖有狡焉之虜、決不敢撊然以兵相抗、雖然智士當事、貴及其未萌而制之、吾邦果擧世流於迂腐、間失撫御之方、烏知其不啓戒心耶、祛迂腐無他術、滌煩文、期實效、下情無有壅隔、百官四民、各盡其職、内之有以全中古剛武之俗、外之有以晰萬國之情形、如斯而已、此固馭外夷之良策、抑亦濟時之上計也、予也儒而腐、深自愧悪、顧世之同病者、亦不尠、願上為國、下為己相與勗而改之、

 

(読み下し文)

本邦治教(チキョウ)休美(キュウビ)にして、士風純良勇鷙(ユウシ)。洵(まこと)に萬国に甲(まさ)る。上古以還、攻むる所の者は必ず服し、来侵する者は必ず虀粉(セイフン)し、威稜(イリョウ)六洲に震耀(シンヨウ)す。狡焉(コウエン)の虜(えびす)有りと雖(いへど)も、決して敢(あへ)て撊然(カンゼン)兵を以て相抗(あらが)はず、然りと雖(いへど)も智士事に當り、其の未だ萌(きざ)さずして之を制するに及ぶを貴(たっと)ぶ。吾邦果して世を擧げ迂腐(ウフ)に流るれば間(このごろ)撫御(ブギョ)の方(てだて)を失ふ。烏(いづくん)ぞ其れ戒心(カイシン)を啓(ひら)かざるを知るや。

 迂腐を祛(はら)ふに他に術(すべ)無し。煩文を滌(のぞ)き實效(ジッコウ)を期す。下情に壅隔(ヨウカク)有ること無し。百官四民各其の職を盡(つく)す。内には之(これ)中古の剛武の俗(ならはし)を全うする以て有り、外には之(これ)萬國の情形を晰(あきらか)にするを以て有る。斯(かく)の如くのみ。此れ固(もと)より外夷を馭(ギョ)するの良策にして抑(そもそも)(また)濟時(セイジ)の上計なり。

 予也(や)儒にして腐なり。深く自ら愧(は)じ悪(にく)む。顧(かへりみ)て世の同病者亦(また)(すくな)からず。願はくば、上は國の為、下は己の為、相與(とも)に勗(つと)めて之を改むことを。

(語釈)

治教(チキョウ)(政治と教化) 休美(キュウビ)(うるわしい) 虀粉(セイフン)(粉みじんに砕く)    威稜(イリョウ)(天子の威光) 震耀(シンヨウ)(ふるい輝く) 狡焉(コウエン)(狡猾)撊然(カンゼン)(怒って) 撫御(ブギョ)(人をいたわってよく統治すること) 戒心(カイシン)(用心すること、油断しないこと) 煩文(煩わしい形式的な儀式) 實效(ジッコウ)(実際の効力) 下情(一般庶民のようす)    壅隔(ヨウカク)(ふさぎへだてること) 濟時(セイジ)(世の困難を救うこと)

 

(現代語訳)

 わが国の政治や教化はうるわしく、武士の気風は純良で勇ましい。これはまことに万国に優ることだ。古代から攻めれば相手は必ず降伏し、侵略者は必ず撃退し、国家の威光は世界に輝いた。狡猾な敵がいてもあえて武力で争うことはしなかった。知恵の有る者は問題が起こる前にこれを抑えることを重視した。

 わが国もとうとう世を挙げて、回りくどく役立たずの御役所仕事的傾向に流れてしまったので、人をいたわって統治する方法を失った。それは用心をしなくなることだと知っているだろうか。

 御役所仕事を避ける方法は他でもない。煩わしい形式的な儀式を廃止し、実効が上がるようにすること。庶民の実情をよく知ること。各人がすべてその職務を尽くし、内には中世以来の剛勇の気風を保ち、外には万国の情勢をよく調べること。これだけだ。これは当然外敵を制する良策であり、また世の困難を救う方法でもある。

 自分も儒者であり「腐」である。自ら深く恥じ入るが、顧みれば世の中に同病者も少なくない。願わくば、上は国のため下は自分自身のために、共につとめてこれを改めたいものだ。

窮理説

 窮理説は侗庵の思想を知る上で重要な論文です。ここで予め「窮理」について解説します。朱子学ではあらゆる物や事にその存在原理・存在根拠があると考えられており、これを「理」といいます。理を追究していくことを「窮理」といいます。

 ここで動植物や物質や天体について窮理を行っていけば自然科学や物理学・天文学などの発展につながっていたとも思えますが、中国ではそうはなりませんでした。窮理は専ら道徳的な方面、形而上学的方面で行われました。

 朱子学ではあらゆる方面(といっても道徳的方面)で窮理を行ない(これを格物窮理といいます)、自分自身や宇宙全体の理を知る。そうすることが自分の心の発動である「意」をまことにすることになる(誠意)。ひいては心そのものを正しくすることができ(正心)、身を修めることにつながる(修身)。そうすれば家をととのえ(斉家)、国を治め(治国)、ついには天下を平かにする(平天下)ことができる、と考えたのです。

 こうした朱子学流の窮理のことを侗庵は「仁義道徳の窮理」と呼んでいます。これに対して動植物や物質、天体について行う窮理のことを「名物器数の窮理」と呼んでいるのです(名物とは物の名前と形状・性質。器数とは器械と歴法)。

 ここでは窮理説を6つの部分に分けて見ていきます。なお原本は西尾市岩瀬文庫所蔵のものによります。

 

(1)仁義道徳の窮理とは

(漢文)

窮理者問学之至要務也、而其中自析二道、有仁義道徳之窮理、有名物器数之窮理、二者劃然不同、有君父之倫、必思全達孝精忠之行、有民人宗社之責、即思卹隠之政承祀之禮靡瑕闕、有飛走蟲豸奇木、輒思参賛化育之方各協厥宜、乃至天道之浩々神鬼之不測、未始不窮格、然皆参省諸已、絶不驚心於玄虚、此仁義道徳之窮理也、

(読み下し文)

窮理は問学の至要の務なり。而して其の中自(おのづ)から二道に析(わか)る。仁義道徳の窮理有り、名物器数の窮理有り。二者劃然(カクゼン)と同じからず。

君父の倫(みち)有れば、必ず達孝(タツコウ)、精忠の行(おこな)ひを全(まった)うするを思ひ、民人、宗社の責(つとめ)有れば、即ち卹隠(ジュツイン)の政(まつりごと)、承祀(ショウシ)の禮に瑕闕(カケツ)(な)きを思ふ。飛走(ヒソウ)蟲豸(チュウチ)奇木有れば、輒(すなはち)化育(カイク)の方(てだて)を参賛(サンサン)し各(おのおの)(その)(よろし)きを協(たす)くを思ふ。乃至(ないし)天道の浩々(コウコウ)、神鬼の不測(フソク)、未だ始めから窮格(キュウカク)せざるにあらず。然れば皆諸(これ)を参省(サンセイ)する已(なり)。絶へて玄虚(ゲンキョ)に驚心せず。此れ仁義道徳の窮理なり。

 (語釈)

 君父(主君と父親) 達孝(タツコウ)(優れた孝行) 精忠(純粋な忠義) 民人(人民) 宗社(国家) 卹隠(ジュツイン)(民の憂苦をあわれむこと) 承祀(ショウシ)(受け継いでまつること) 瑕闕(カケツ)(玉のきず) 飛走(ヒソウ)(鳥獣) 蟲豸(チュウチ)(虫類) 化育(カイク)(天地自然が万物を育てること) 参賛(サンサン)(賛助) 乃至(ないし)(あるいはまた) 浩々(コウコウ)(広々としていること) 神鬼(人間を超えた霊力あるもの) 不測(フソク)(計り知れないこと) 窮格(キュウカク)(研究) 参省(サンセイ)する(何度も反省する) 玄虚(ゲンキョ)(老荘の説)

 

(現代語訳)

 窮理は学問の極めて重要な務めである。窮理は自然に二つの道に分かれる。仁義道徳の窮理と名物器数の窮理である。この二つは明確に異なる。

 主君と親に対する倫(みち)が有るので、必ず優れた孝行と純粋な忠義を全うしようと考えること。人民と国家に対する責任が有るので、民の苦労を憐れむ政治と受け継いできた制度に欠陥がないようにしようと考えること。鳥獣や虫類、植物が有るので、天地自然が万物を適切に育てるのを助けようと考えること。あるいは広々とした天道や計り知れない神鬼のようなものであっても、始めから研究を放棄することなく、軽々しく老荘思想などに驚いたりしないこと。こうしたことが仁義道徳の窮理である。

 

(2)名物器数の窮理とは   

( 漢文)
有一器械、則審其濟人之本呈用之宜、極其利便所届然後已、有一蟲獣薬物、斯察其性味、晰其気血能毒、不失錙銖、暦象所以推註察来、而測度之基其密、来茲之日月蝕、可以今稔豫知而毫無差忒、千歳後之日至、可以晏坐而致月與五星、各爲一世界、可以考推而悟、此名物器数之窮理也、

 

(読み下し文)

一つ器械有れば則ち其の濟人の本(もと)、呈用の宜(よろし)きを審(つまびらか)にし、其の利便の届く所を極め然る後(のち)(や)む。一つ蟲獣薬物有れば、斯(ここ)に其の性味を察(つまびらか)にし、其(そ)の気血能毒を晰(あきらか)にし、錙銖(シシュ)も失はず。暦象の推註、察来の所以(ゆゑん)、而(すなは)ち測度(ソクタク)の其(そ)の密なるに基く。来茲(ライジ)の日月蝕、今稔豫知(ヨチ)して毫も差忒(サトク)無きを以てすべし。千歳後の日至(ニッシ)、晏坐(アンザ)して致すを以てすべし。月と五星を各一世界と爲し、考推して悟るを以てすべし。此れ名物器数の窮理なり。

 

(語釈)
濟人(人をたすけること) 呈用(はたらきをしめすこと) 性味(性質、味わい) 気血(体内の生気と血液) 能毒(効能と毒性) 錙銖(シシュ)(わずかなもの) 暦象(天文現象) 推註(推し測り解き明かすこと) 察来(未来を審らかにすること) 測度(ソクタク)(おし測ること) (精密) 来茲(ライジ)(来年) 今稔(今年) 差忒(サトク)(差異) 千歳(千年) 日至(ニッシ)(冬至または夏至) 致す(予知する) 考推(推考) 名物(物の名前と性質・形状) 器数(器械と歴法)

 

(現代語訳)
器械が有ればその原理や作用を明らかにし、効用を限界まで究明すること。虫や獣や薬物が有ればその性質と味わいを詳しく調べ、体内の生気と血液、効能と毒性を明らかにし、少しも不明な所を残さないこと。天文現象の解明や予測が精密な観測に基づいてなされ、来年の日蝕月食を今年少しの差異もなく予想できるし、千年後の冬至夏至も座して予測ができること。月と火水木金の五つの星とはそれぞれ別の世界であると考えることでよく理解できること。こうしたことが名物器数の窮理である。

 

(3)朱子学における窮理

(漢文)

窮仁義道徳之理而極其至、可以進于賢于聖、窮名物器数之理、而研其精、究止於識近之不賢者、斯其軽重崇卑、固以穹淵判、人不可不審所祈嚮也、大學之教、自格致而誠正修斉治平、格致所以資誠正修斉治平、可見其一一本諸身、而非泛然格一草一木也、

 

仁義道徳の理を窮めて其の至るを極むれば、以て賢に聖に進むべし。名物器数の理を窮めて其の精(くはし)きを研(みが)けど、識小の賢者に究(をは)り止(とど)まる。斯(ここ)に其の軽重崇卑、固(もと)より穹淵を以て判(わ)かれ、人祈嚮(キキョウ)する所を審(つまび)らかにせざるべからざるなり。

大學の教へ、格致によりて誠正修斉治平をなす。格致の誠正修斉治平を資(たす)く所以(ゆゑん)は其の一一(いちいち)(これ)を身に本づき見るべくして、泛然(ハンゼン)として、一草一木を格(きは)むるに非ざるなり。

(語釈)

穹淵(天と地、天と地ほどの違い) 祈嚮(キキョウ)(求めて心をよせる) 格致格物致知) 誠正修斉治平(誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下) (自分自身、自分の心) 見る(理解する、悟る) 泛然(ハンゼン)(ぼんやりと、漠然と、あいまいに)

 

(現代語訳)

 仁義道徳の理を徹底的に窮めれば賢人や聖人になれるだろう。名物器数の理を窮めて事物にくわしくなっても見識の狭い不賢者になるに止まる。その軽重尊卑は当然天と地ほどもかけ離れているが、人は求めて心を寄せる所を明らかにせざるを得ない。

 (朱子学聖典である)「大学」の教えでは「格物致知」により「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国家」「平天下」をなす。「格物致知」が「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国家」「平天下」に資する理由は、それら一つ一つを自分の心に基づいて理解できるようになるからであって、漠然と一木一草について探究するからではない。

 

(4)聖賢の窮理

(漢文)

武王既受師尚父丹書之訓、退而於机鑑盥盤楹杖之属咸有銘、取其效用之義以自警焉、即仁義道徳之窮理也、孔夫子甞曰、驥不称其力、稱其徳也、借驥以評君子之徳也、歳寒然後知松柏之後彫、借松柏以彰志士之操也、屡称乎水曰、水哉水哉、借水以形容行之有本也、孟子論牛山之木、論桐梓稊稗之理、皆所以発明人之心性也、易六十四卦、莫非把物理以反求諸己、凡経傳中聖賢之窮理、類斯理也、

 

(読み下し文)

武王既に師尚父に丹書の訓(をしへ)を受け、退きて机鑑盥盤楹杖の属(たぐひ)に咸(みな)銘を有す。其の效用の義を取り以て自警す。即ち仁義道徳の窮理なり。孔夫子甞て曰く、驥(キ)其の力を称(たた)へず、其の徳を称(たた)ふなりと[i]。驥を借り以て君子の徳を評すなり。歳(とし)寒く然る後松柏の彫(しぼ)むに後るるを知ると、松柏を借り以て志士の操(みさお)を彰(あらは)すなり。屡(しばしば)水を称(たた)へて曰く、水なる哉(かな)水なる哉(かな)と。水を借り以て行(おこな)ひの本有るを形容するなり。孟子牛山之木(ギュウザンシボク)※1を論じ、桐梓稊稗(ドウシテイハイ)の理※2を論ず。皆人の心性を発明する所以(ゆゑん)なり。易六十四卦、物理を把(にぎ)り以て諸(これ)を己(おのれ)に反求するに非ざるは莫し。凡(およ)そ経傳中、聖賢の窮理、類(おほむね)(こ)の理なり。

 

(語釈)

師尚父(文王の師である太公望呂尚) 丹書(上古の道を記した書) (意味) 取る(理解する) 自警(自戒) 孔夫子孔子) (キ)(名馬の名) 借る(仮託する) 発明(よくわからなかったことを明らかにすること) 物理(物事の道理、性質) 反求(事の原因を自分の側に求めること) 経傳(経書とその注釈書)

 

(現代語訳)

 武王は太公望から上古の道を記した丹書の教えを受け、退出してから机、鑑、盥盤(手洗いの器)楹(柱)、杖などにすべてこれを刻み、その意味を理解し自らの戒めとした。これが仁義道徳の窮理である。

 孔子は嘗てこのようにおっしゃった「驥(キ)という名馬はその脚力を賞賛されているのではない。その徳や気品を賞賛されているのだ」と。驥(キ)に仮託して君子の徳を説明しているのだ。「寒さの厳しい年にはじめて松と柏の葉が他の樹木よりも遅れて枯れ落ちることがわかるのだ」と。松や柏に仮託して志ある者の決心の固さ表しているのだ。しばしば水を称えてこのようにおっしゃる「水なるかな、水なるかな」と。水に仮託して行為に根源があることのすばらしさを説明しているのだ。孟子は牛山之木※1を論ずる。また桐梓稊(ドウシテイハイ)稗(ハイ)※2の理を論ずる。

 これらは皆人の心性を明らかにするためのものである。 易経の六十四卦は物の道理をすべてわが身に求めてつかむ。すべて経書とその注釈書の中の聖賢の窮理はほぼこの理である。

 

※1 牛山之木孟子‐告子章句上編より)

牛山は、都の近くにあることから、樹木が伐採され、さらに牛羊を放牧したことで、ハゲ山になり、植物を育む力を失ったかのように見える。しかし、静かな夜気の中で、山に植物は芽生えている。 このように、人間の善なる本性、それ自体も、後天的な要素によって覆い隠され、まるで、初めから無いように感じられることがあっても、それは、一時的な現象で、本質そのものは、決して損なわれたり、失われたりすることはない。本性は、完全無欠なるものとして、厳然と存在し続ける、

 

※2 桐梓孟子 告子章句上編より)

孟子は言う。
「一抱えの桐(きり)や梓(あずさ)の苗がある。人はこれを生長させようと思ったならば、誰でもその育て方を知っている。しかし自分の身になると、その育

て方を知らない。まさか自分の身が桐や梓よりも大事でないはずがないだろう。思慮がないにも、程がある。」

 

(5)名物器数の窮理軽視による弊害

(漢文)

獨醫卜工匠之輩、則規規於名物器数之末、以畢一生、彼其術之賤、固不得以此為恥也、太西人之窮理、亦復外心身家國、而務苦索事物之理、臻其穾奥、是以其人大都頑獷猾、牟利忘義、君子之所不韙也、顧古昔聖王之窮理、重仁義道徳、而亦未始外名物器数、尭命羲和暦象日月星辰、夔典楽、益掌山澤草木、皆因其所長而任之、降乎周猶存斯意、司天之官以至輪輿鳬栗廛倉龜筮、咸世其職、疇其禄、欲其専而精也、君相機務之殷、固不暇窮究事理器数、故聖王不過己洞其大旨必選才力克堪者任之、是以其事修擧、自濟世大用、唐虞三代皞皞之俗、而百度整飭無滲漏者、職是故也、魏晋以降、夫人識見日馳乎虚遠、不屑究名物之末、宋代理学大明、而後斯風滋熾、尚理道而鄙事務、主形而上而斥形而下、其君子唱率斯説、下民靡然従風、斯其意固在恪遵先王之遺意、而不自覚流乎一偏、滋弊不尠、於是乎遂至目本邦爲専張主理道之邦、而暦数名物甘遜太西、可概也已、

 

(読み下し文)

獨り醫卜工匠の輩(やから)のみ名物器数の末の規規に則(のっと)り、以て一生を畢(をは)る。彼の其の術賤しけれど、固(もと)より此れを以て恥と為すを得ざるなり。太西人の窮理、亦復(また)心身家國を外(はず)れ、事物の理を苦索するに務め、其の穾奥(ヨウオク)に臻(いた)る。是以(このゆゑ)に其の人大都(タイト)頑獷(ガンコウ)、猾(カツケツ)、牟利(ボウリ)、忘義にして、君子の韙(よし)とせざる所なり。古昔(コセキ)の聖王の窮理を顧みれば、仁義道徳を重んずれども、亦未だ始めから名物器数を外さず。尭、羲和(ギワ)に暦象日月星辰を、夔(キ)に典楽を、益(エキ)に山澤草木を掌(つかさど)ることを命ず。皆其の長ずる所に因りて之を任せ、周に降(くだ)り猶ほ斯の意を存(たも)つ。司天の官より輪輿、鳬栗、廛倉、龜筮(キゼイ)に至り、咸(みな)其の職を世(よよ)にし、其の禄に疇(むく)ひ、其の専(もっぱ)らにして精(くは)しからんと欲するなり。君相の機務(キム)(おほ)く、固(もと)より事理器数を窮究する暇(いとま)あらず。故(ゆゑ)に聖王己(おのれ)は其の大旨を洞(みとほ)すに過ぎず必ず才力(サイリョク)(よ)く堪(た)ふ者を選び之を任(まか)す。是以(これゆゑ)其の事修擧(シュウキョ)す。濟世の大用に自(よ)り、唐虞三代皞皞(コウコウ)の俗(ならはし)、而して百度整飭(セイチョク)し滲漏(シンロウ)無きは、職(もっぱ)ら是の故(ゆゑ)なり。魏晋以降、夫れ人の識見(シキケン)(ひび)虚遠に馳せ、名物の末を究むるを屑(いさぎよし)とせず。宋代の理学、大ひに明らかになりて後、斯の風滋(ますます)(さかん)にして、理道を尚(たっと)びて事務を鄙(いやし)み、形而上を主(たっと)びて形而下を斥(しりぞ)く。其れ君子斯の説を唱(とな)へ率(ひき)ひ、下民靡然(ビゼン)として風に従ふ。斯れ其の意(こころ)(もと)より先王の遺意を恪遵(カクジュン)するに在り。而して一偏(イッペン)に流るるを自覚せず、滋(ますます)(ヘイ)(すく)なからず。是に於て遂に本邦を目するに専ら理道を張主するの邦と爲るに至る。而して暦数名物太西に甘んじて遜(ゆず)る。概(なげ)くべきなるのみ。

(語釈)

規規(細かい物のさま) 穾奥(ヨウオク)(深遠な境地) 大都(タイト)(おおむね) 頑獷(ガンコウ)(かたくなで手ごわい) 猾(カツケツ)(悪賢い) 牟利(ボウリ)(欲張り) 世(よよ)にし(代々受け継ぎ)  君相(君主と宰相) 機務(キム)(重要な政務) 才力(サイリョク)(知恵の働き 才能)         修擧(シュウキョ)(立派におさまること) 濟世(世を救う) 大用(大いなる任用) 唐虞尭・舜)          三代(夏・殷・周の三王朝) 皞皞(コウコウ)(心が広くゆったりしている) 百度(種々の制度)    整飭(セイチョク)(整う) 滲漏(シンロウ)(手ぬかり) 名物(物の名前と形状) 靡然(ビゼン)(靡くように) 恪遵(カクジュン)(つつしみ従う) 一偏(イッペン)(一方に偏っていること) 暦数名物天文学、物理学)

 

(現代語訳)

 ただ医者、占師、大工、職人らは名物器数の細かなことにこだわり、それで一生を終わる。彼らの技術は卑しいとされるが、もちろんそれを恥と考える必要はない。西洋人の窮理も正心、終身、斉家、治国という聖人への道とは関係なく事物の理を苦労して追求し、その深遠な境地に至るのである。このためこれらの人はおおむね、かたくなで手ごわく、悪賢く欲張りで亡義であるとして、儒教的君子の見地からは良く見られないのである。

 昔の聖王の窮理を見てみると仁義道徳の窮理を重んじていたが、また名物器数の窮理も外してはいない。古代中国の聖王尭は義和(ギワ)に天文を、夔(キ)に音楽を、益(エキ)に鉱物や植物を管理することを命じた。それぞれの得意とするところに任せ、周王朝になってもそれは変わらなかった。天文を司る役人から物作りの職人や占師に至るまで、皆その職を代々受け継ぎ、その俸給に報いようと専門性を高めることに努めた。君主や宰相には重要な政務が多く、こうした事物の道理や器械や歴法を研究する余裕はなかった。このため聖王自身は概略を見るだけで、必ず才能の有る者を選び任せた。このためこれらの事柄は立派に修まった。こうした世を救う大いなる任用による尭・舜や夏・殷・周王朝の寛容な文化には、種々の制度が整っていて手抜かりがなかったが、それはもっぱらこのためだった。

後漢滅亡後の)魏や晋の時代以降は人々の思想は次第に空虚な方向に向かい、事物の細々したことの研究を重視しなくなっていった。宋代に朱子学が完成した後はこの傾向はますます強まり、道理を尊重するけれど事務は軽視する、抽象的な形而上のことは重視するが、具体的な形而下のことは斥けるようになった。君子がこの説を主導して、下々の民は靡くようにこれに従った。その趣旨は古代の聖王の意思を尊重することにあったが、一方に偏っていることを自覚していなかったので、弊害が大きかった。このため中国は専ら道理ばかりを主張する国と見られるようになった。一方で天文学や物理学では西洋に後れを取った。嘆かわしいことだ。

 

(6)名物器数の研究は朱子学流の窮理にもつらなり、武器の研究ともなれば最優先事項である

輓近太西船艦之制益堅大、銃礮之術滋錬習、国勢由是日盛強、就中英機黎俄羅斯爲最陸梁、呑噬四代洲、遂及亜細亜諸国、至與満漢交鋒鏑、駸々乎有舐糠及米之勢、夫太西人焦神役智、製奇器珍玩、以悦人心目、洵可鄙、至船銃諸軍器極其精妙、則奚可不倣傚、矧本邦人物智勇甲於萬國、特以其棄而不講、致效先我著鞭、衡行乎六大洲、可恥之極也、人主君臨一国、必蔽遮其民、使不罹芟夷之懆、方称民之父母、今天竺呂宋及海南諸国王、任太西人蹂躙、而夷之抑遏、與自斬伐之、相距一間、不仁甚矣、殷鑒不遠、其韋而未遭太西之𧙥者、當亟議防禦之方、防禦之利器、船銃爲最、則船銃不可不務研究也、名物器數爲窮理之末固也、至於船銃諸軍器、則衛民之具、君之仁不仁所由判、當上下一意講明如忠孝之大節、然後始可以扞國庇民矣、世之俗吏武夫、類乏遠識、儒先動流於拘迂、無是與語、嗟嗟今代誰能晰達天人之際者、而與之論窮理之至要哉、

 

 

(読み下し文)

輓近(バンキン)太西、船艦の制(つくり)(ますます)堅大にして、銃礮(ジュウホウ)の術滋(ますます)錬習し、国勢是れに由り日(ひび)盛強なり。就中(なかんずく)英機黎(イギリス)・俄羅斯(オロシャ)最も陸梁(リクリョウ)爲り。四代洲を呑噬(ドンゼイ)し、遂に亜細亜(アジア)諸国に及び、満漢と鋒鏑(ホウテキ)を交(まじ)ふるに至る。駸々(シンシン)と舐糠及米(シコウキュウマイ)の勢ひ有り、夫れ太西人焦神(ショウシン)し智を役(つか)ひ、奇器珍玩を製(つく)り、以て人の心目を悦(よろこ)ばす。洵(まこと)に鄙(いやし)むべし。船銃諸軍器に至り其の精妙を極むれば、則ち奚(なん)ぞ倣傚(ホウコウ)せざるべし。矧(いはん)や本邦人物智勇萬國に甲(まさ)る。特(ただ)其の棄(うとんじ)て講(なら)はざるを以て彼、我に先んじ著鞭(チャクベン)するに致り、六大洲を衡行(コウコウ)す。恥ずべきの極(きはみ)なり。人主一国に君臨し、必ず其の民を蔽遮し芟夷(サンイ)の懆(うれひ)に罹(かか)ざらしめば、方(まさ)に民の父母と称(たた)ふべし。今天竺・呂宋(ルソン)及び海南諸国王、太西に人の蹂躙を任す。而して夷(えびす)の抑遏(ヨクアツ)と自ら之を斬伐(ザンバツ)することと相距(へだ)つること一間(イッケン)。不仁なること甚(はなはだ)しきかな。殷鑒(インカン)遠からず。其れ幸(さいはひ)に未だ太西の(トウ)に遭はざる者は、當(まさ)に亟(すみやか)に防禦の方(てだて)を議し、防禦の利器、船銃を最(もっと)もと爲すべし。則ち船銃研究に務めざるべからざるなり。名物器數窮理の末を爲すこと固(もと)よりなり。船銃諸軍器に至れば、則ち衛民の具、君の仁不仁を判(わ)く所由(ショユウ)にして、當(まさ)に上下一意講明すべきこと忠孝の大節(タイセツ)の如し。然る後始めて國を扞(ふせ)ぎ民を庇(かば)ふことを以てすべきなり。世の俗吏(ゾクリ)武夫(ブフ)、類(みな)遠識(エンシキ)に乏しく、儒先、拘迂に動流し、與(とも)に語ること是れ無し。嗟嗟(ああ)今代誰か能く天人の際を晰達せば、之と窮理の至要を論ずるかな。

(語釈)

輓近(バンキン)(最近) 堅大(強く大きい)  銃礮(ジュウホウ)(銃や大砲)  陸梁(リクリョウ)(暴れまわる様) 鋒鏑(ホウテキ)(武器) 駸々(シンシン)(早々と どんどんと) 舐糠及米(シコウキュウマイ)(糠を舐め尽くせば米を食うに至る、次第次第に害が及ぶこと)焦神(ショウシン)(苦心) 奇器珍玩(珍しい器具やおもちゃ) 倣傚(ホウコウ)(習いまねる) 著鞭(チャクベン)(着手) 衡行(コウコウ)(勝手気ままに振る舞う) 蔽遮(守る) 芟夷(サンイ)(刈り除くこと) 殷鑒(インカン)(戒めとすべき失敗の前例) (トウ)(短い袖の衣) 所由(ショユウ)(根拠) 大節(タイセツ)(重要な事項) 俗吏(ゾクリ)(役人) 武夫(ブフ)(軍人)、遠識(エンシキ)(優れた見識) 儒先(年長の学者 儒者) 拘迂(偏狭で実情を知らず役立たず) 天人の際(天道と人道の関係) 晰達(理解)

 

 

(現代語訳)

 最近、西洋諸国は艦船の構造がますます強く大きくなり、銃や大砲の技術もますます向上し、国勢はこれによって日々強くなっている。特にイギリスとロシアが最も暴れまわり、四大陸を侵略し、遂にアジアにも及び、清と交戦するに至っている。じりじりと侵略の範囲を広げるような勢いがある。

 そもそも西洋人は苦心して知力を使い、珍しい器具やおもちゃを作って人の目を喜ばそうとする。こんなことは下らないことだが、船や銃器などの武器については極めて精巧であり、これは是非習いまねるべきである。わが国は人や物や知力や勇気では万国に優っているのに、こうした技術を軽視して学ばなかったために、西洋諸国が我々に先んじて着手し、世界中で勝手気ままに振る舞うようになった。極めて恥ずべきことである。

 君主が一国に君臨して、必ずその国の民を侵略から守り心配のないようにすれば、まさに民の父母として称えられるだろう。しかし現在、インド、ルソンや海南諸国の王は西洋が人民を蹂躙するに任せている。外国が民を抑圧することと国王自らが民を切り殺すこととはほとんど同じで、甚だしく不仁である。教訓とすべき失敗の前例がこのように身近にある。

 幸いにも未だ西洋人と遭遇していないのであれば速やかに防禦手段を議論し防禦の武器、船や銃の準備を最優先にすべきである。つまり船や銃の研究に務めなければならない。こうした名物器数の研究が朱子学流の窮理につらなることはもちろんであるし、ましてや船や銃や武器ともなれば民を守る道具であり、君主の仁と不仁とを分けるものであり、まさに上も下も一心にこれを研究すべきであることは忠孝のような朱子学の重要事項と同じである。世の中の小役人や軍人は皆見識に乏しく、儒者は偏狭であったり世間知らずの役立たずであったりして、共に語れるような人間がいない。ああ、現在誰か天道と人道の関係を理解できている者がいれば、この人と窮理の重要性について議論するのに。

 

 

海防臆測 後編(31~56)

 

其三十一(外国事情に暗く無関心な為政者にはせめて毎日世界地図を見せて教育すべし)

人之宰事、必先審其首尾悉其曲折、然後可注措之協宜、若乃黯々黮々、不炳照、而任意設施、尟不事、矧戎虜地勢、極其荒遐、而人情詭幻、變動叵測度乎、西洋諸國之彊域風尚、本邦人絶不之悉、殆如痴人之談一ㇾ夢然、此固其地之遼隔、政俗之殊趨、以至此、亦吾禁令自使之然也、予観今代所目以才諝幹蠱之臣、其値盤錯難處之事、順利駿快、莫悉中窾會、至外夷情形、則迂謬舛乖、不隔靴而爬上ㇾ痒、以斯心處修攘大計、幾何不於決裂崩潰也、世有忠猷爲之士、不坐視其錯乱、爲之反覆開譬、方且流涕長大息、而褎若聞知、可哀也已、予謂欲華夷形勢、莫地圖、今之握枢軸者、夫人掲萬國全圖稍詳確者於坐側、昕夕観翫、間詢諸群下頗洞外國概略、以窺遠夷風土之彷彿、於是乎、見西洋諸國封域咸大於漢唐宋明、勝兵百萬、綱紀整飭、屹然克自樹立、則必知外國之不上ㇾ侮蔑矣、聞西洋諸國不自安於欧邏巴、以漸蠺食四大洲、服屬海南諸島、侵支那、則自覺外夷之姦狡貪惏眞可上ㇾ疾矣、如是可以動其慎畏之心、乃人之昌言易入、而謬擧亦漸可革也。夫圝風七月無逸之圖、以儆悟人主、洵良臣之苦心也、今以地圖迪顕貴人、術類苯浅、而其裨補自有誣者焉、

 

(読み下し文)

人の事を宰(つかさどる)には、必ず先づ其の首尾を審(つまびらか)にし悉(ことごと)く其の曲折を洞(みとほ)し、然(しか)る後、注措(チュウソ)の宜(よろ)しきに協(かな)ふを望むべし。若乃(もしすははち)黯々黮々(アンアンタンタン)として炳照(ヘイショウ)(あた)はずして、意に任せ設施(セッシ)せば、事の僨(たふ)れざること尟(すくな)し。矧(いはんや)、戎虜(ジュウリョ)の地勢、其の荒遐(コウカ)を極(きは)む。而(しか)して人情詭幻(キゲン)にして變動測度(ソクタク)すべからず。西洋諸國の彊域(キョウイキ)風尚(フウショウ)、本邦人絶へて之(これ)を悉(つく)さず、殆(ほとん)ど痴人の夢を談ずるが如し。此(これ)(もと)より其の地の遼隔(リョウカク)にして、政俗の殊趨(シュスウ)なるを以て此(ここ)に至る。亦吾(わが)禁令自(おのづ)から之(これ)を然(しか)らしむなり。予、今代(コンダイ)の才諝幹蠱(サイショカンコ)の臣を以って目(モク)する所の者を観れば、其の盤錯(バンサク)(ショ)し難きの事に値(あた)り、順利駿快(ジュンリシュンカイ)、悉く窾會(カンカイ)に中(あた)らざるなし。外夷情形を論ずるに至れば、則ち迂謬(ウビュウ)舛乖(センカイ)にして、啻(ただ)靴を隔(へだ)てて痒(かゆ)きを爬(か)くのみならず、斯(かか)る心を以て修攘(シュウジョウ)の大計を區處(クショ)せば、幾何(いくばく)ぞ決裂崩潰(ホウカイ)に至らざるや。世に忠藎猷爲(チュウジンユウイ)の士有り、其の錯乱を坐視するに忍びず、之(これ)が爲(ため)反覆開譬(ハンプクカイヒ)し、方(まさ)に且(まさ)に流涕(リュウテイ)長大息(チョウタイソク)す。而(しか)して褎(ユウ)として聞知(ブンチ)せざるが若(ごと)し。哀れむべきなるのみ。予謂(おも)へらく、華夷形勢を瀏覧(リュウラン)せんと欲すれど、地圖の如きは莫(な)し。今の枢軸(スウジク)を握る者、夫の人、萬國全圖の稍詳しく確かなるを坐側に掲げ、昕夕(キンセキ)観翫(カンガン)する間、諸群下(グンカ)の頗る外國概略を洞(みとほ)す者に詢(はか)り、以て遠夷風土の彷彿(ホウフツ)を窺(うかが)ひ、是に於て、西洋諸國封域咸(みな)、漢、唐、宋、明より大にして、勝兵百萬、綱紀整飭(セイチョク)、屹然(キツゼン)(よ)く自(みづか)ら樹立するを見れば、則ち必ず外國、之(これ)侮蔑すべからざるを知るなり。西洋諸國、欧邏巴一洲に自(みづか)ら安(やす)んぜず、以て漸(やうや)く四大洲を蠺食(サンショク)し、海南諸島を服屬(フクゾク)させ、支那に侵逼(シンピツ)するを聞かば、則ち自(おのづ)から外夷之(これ)姦狡(カンコウ)貪惏(タンラン)にして、眞(まこと)に疾(にく)むべきを覺ゆるなり。是(かく)の如くして以て其の慎畏(シンイ)の心を動かすべし。乃(すなはち)人の昌言(ショウゲン)入り易(やす)く、而(しかう)して謬擧(ビュウキョ)亦漸(やうや)く革(あら)むべきなり。夫れ豳風(ヒンプウ)七月無逸(ムイツ)の圖、以(おも)ふに人主を儆悟(ケイゴ)すること、洵(まこと)に良臣の苦心なり。今地圖を以て顕貴人を誘迪(ユウテキ)する術(わざ)、笨浅(ホンセン)に類(に)る。而(しか)れども其の裨補(ヒホ)(おのづ)から誣(いつは)るべからざる者有り。

首尾(シュビ)(初めから終わりまで) ・曲折(キョクセツ)(込み入った事情) ・注措(チュウソ)(措置) ・黯々黮々(アンアンタンタン)(暗いこと) ・炳照(ヘイショウ)(明らかに照らすこと) ・設施(セッシ)(計画を実行すること) ・荒遐(コウカ)(はてしなく遠い 遠く寂しい) ・詭幻(キゲン)(不可思議) ・測度(ソクタク)(推し量ること) ・彊域(キョウイキ)(領域) ・風尚(フウショウ)(人々の好み)  ・遼隔(リョウカク)(はるかにへだたっていること) ・政俗(政治と文化) ・殊趨(シュスウ)(異なること) ・今代(コンダイ)(今の世の中) ・才諝幹蠱(サイショカンコ)(才能があり賢い) ・目(モク)する(自称する) ・盤錯(バンサク)(錯綜し困難なこと) ・順利駿快(ジュンリシュンカイ)(すらすらと)・窾會(カンカイ)に中(あた)る(穴とふたが全部ぴったりと合うこと 適切な処置をしていること)・迂謬(ウビュウ)(誤りが多い まちがいだらけ) ・舛乖(センカイ)(的外れ) ・修攘(シュウジョウ)(防衛の準備) ・區處(クショ)(対処) ・忠藎猷爲(チュウジンユウイ)(忠義の心が厚く思慮深い) ・反覆開譬(ハンプクカイヒ)(繰り返したとえを説くこと) ・(ユウ)(笑って) ・瀏覧(リュウラン)(目を見張って見る) ・枢軸(スウジク)(物事のたいせつなところ。要点。中心となって他を動かす勢力) 昕夕(キンセキ)(朝夕) ・観翫(カンガン)(見て楽しむ)・諸群下(グンカ)(家臣) ・彷彿(ホウフツ)(おおよその姿) ・封域(領域)・整飭(セイチョク)(整うこと) ・侵逼(シンピツ)(侵略しようと迫っていること) ・姦狡(カンコウ)(悪賢い) ・貪惏(タンラン)(強欲) ・慎畏(シンイ)の心(つつしみおそれる心) ・昌言(ショウゲン)(道理にかなった良い言葉) ・謬擧(ビュウキョ)(誤った行い) ・豳風(ヒンプウ)七月詩経の中に在る周公旦が先祖時代に農事に励んだことを偲んで作った詩。朝夕諷誦させて農業、勤労の事を教えた)・無逸の圖(無逸は書経の中で周公旦が成王に対して君子は勤めるべきで安逸にふけるべきではないことを教えている一節。無逸の圖は宋の孫奭(ソンセキ)の描いた絵画)・儆悟(ケイゴ)(いましめる) ・顕貴人(高位の人)・誘迪(ユウテキ)(誘いみちびくこと) ・笨浅(ホンセン)(おろかであさはか) ・裨補(ヒホ)(助け補うこと) ・誣(し)ふ(欺く、だます)

 

(現代語訳)

 人が物事を行うには、まずその事の始めから終わりまでを明らかにして、込み入った事情もすべて見通すことが必要で、そうすれば適切な措置の実現が期待できる。それなのに事情に暗く先も見通せないのに思うにまかせて計画を実行すれば失敗しないほうが少ない。ましてや外国についてはその国土は果てしなく遠く、その考えは不可思議でどのように変動するのか推し測ることができない。西洋諸国の国土や人々の好みについて日本人は全く知らずほとんど痴人が夢を語っているようなものだ。これはもともと西洋の地がはるかに遠く政治・文化も異なっているためだ。またわが国の禁令のせいでもある。現在最も才能があり賢い家臣であると自称する人を見ると、確かに複雑で困難な問題をすらすらと適切に解決している。しかし外国の情勢を論ずることになると事情に暗く間違いだらけで的外れだ。靴の上からかゆみを掻いているようにもどかしいだけでなく、こんな心がけで防衛の準備という大計画に対処しようとすれば必ず大失敗に至る。世の中に忠義の心が厚く思慮深い人がいて、その錯乱ぶりを座視するのに耐えられずこの人のために涙を流しため息をつきながら、くり返したとえ話を説いたことがあったが、この人はただ笑っているばかりでまるで聞いていないかのようだった。哀れなことだ。

 私が思うには、外国の情勢をよく見たいと思っても地図のようなものがない。今の為政者は、世界地図のやや詳しく確かなものを座席の横に掲げて朝夕見て楽しみ、家臣の中で外国事情に詳しい者に聞いて外国の風土のおおよその姿を知る。そうして西洋諸国の領域が漢や唐、宋、明よりも大きく、多数の兵力を有し、規律が整い孤高を保って自立しているのを知れば、必ず外国はあなどれない存在であることを知ることになろう。西洋諸国はヨーロッパ大陸だけに安住せず次第に四大大陸を侵略し、海南諸島を服属させ中国を侵略しようと迫っていると聞けば、おのずから外国というのは悪賢く強欲で憎むべきものであることに気づくだろう。このようにすれば為政者の慎みおそれる心を動かせる。そうすれば人の道理に合った言葉が理解しやすくなり、誤った行為も次第に改められるだろう。周公旦が先祖時代に農事に励んたことを偲んで作った書経の豳風七月の詩や、周公旦が成王に対して君子は勤めるべきで安楽にふけるべきではないことを教える書経の一節の場面を描いた無逸の圖に見られるように、君主をいましめることはまことに良き家臣の苦心するところである。地図で高位の人を教え導くことはおろかなことのようにも思えるが、それが助けになることは偽りようのないことである。

 

其三十二(病気を直視するように西洋も直視しなければ対策の立てようもないが、現状は余りにも無関心だ)

方今大吏重臣、間有深悪羅刹英機黎之貪狡、已絶不其政俗及防禦之宜、又不他人之道一ㇾ之者、是其悪二国則固當、至已不敢言、且禁人之言、則失得竟何如也、夫所於西洋諸國者、以其懐侵削吞噬之心也、果悪其侵噬、當以遏絶之之方、吾竭我心思、揆時之宜而詳論之、又博釆輿人之議、参證考覈、以定虜之長策、方爲好悪之當、故雖韋布之綦賎、而丁寧謐之代豫慮外夷之患、克審考其國俗兵力、以資海防之用、咸士之有志者也、若乃外夷之治忽彊弱概措之膜外、吾既絶不討究、又尼人使熟議、以馴致海防兵備壊隳弗一ㇾ修、異日侵擾之禍、有言者、斯與於外夷之甚者也、今有篤痾而酷悪死者、當力自摂養、其於食色痛警己、曰乎此則必死、不乎彼則必死、又當病顛末、明告良醫、以詢死之方、昕夕反覆、以死字身、方可乎死、世乃多疾忌醫、甚且諱死字、袖手無作、以冀其自愈、必不救、如秦政嬰疢悪上ㇾ死事是已、嗚呼謀國而甘踏秦皇之覆轍、可鄙之極、予將如之何哉、

 

(読み下し文)

方今大吏(ダイリ)重臣、間(このごろ)深く羅刹(ロシア)、英機黎(イギリス)の貪狡(タンコウ)を悪(にく)み、已(すで)に絶へて其の政俗及び防禦の宜(よろし)きを道(い)はず、又他人の之(これ)を道(い)ふを喜ばざる者有り。是れ其の二国を悪むこと則ち固(もと)より當(しか)り。己(おのれ)敢て言はず、且(かつ)人の言ふを禁ずるに至れば、則ち失得竟(つひ)に何如(いかが)なるや。夫れ西洋諸國を悪(にく)む所の者、其の侵削吞噬(シンサクドンゼイ)の心を懐(いだ)くを以てなり。果して其の侵噬(シンゼイ)を悪(にく)まば、當(まさ)に以て之(これ)を遏絶(アツゼツ)する所の方(てだて)を思ふべし。吾(われ)我心思(シンシ)を竭(つく)し、時の宜(よろし)きを揆(はか)りて之(これ)を詳論し、又博(ひろ)く輿人(ヨジン)の議を采(と)り、参證(サンショウ)考覈(コウカク)し、以て虜(てき)を防ぐの長策を定め、方(まさ)に好悪の當(トウ)を得させんとすべし。故に韋布(イフ)の綦(きはめ)て賎(いや)しきと雖(いへど)も、寧謐(ネイヒツ)の代に丁(あた)り、豫(あらかじ)め外夷の患(わづらひ)を慮(おもんばか)り、克(よ)く其の國俗兵力を審考(シンコウ)せば、以て海防の用を資(たす)くべし。咸(みな)士の志(こころざし)有る者なり。若乃(もしすなはち)外夷の治忽(チコツ)彊弱(キョウジャク)(おほむ)ね之(これ)を膜外(バクガイ)に措き、吾既(すで)に絶へて討究せず。又、人を尼(とど)め、熟議を得ざらしめ、以て海防兵備壊隳(カイキ)し修まらざるに馴致(ジュンチ)すれば、異日侵擾(シンジョウ)の禍(わざはい)、言ふに勝(た)ふべからざる者あり。斯(これ)外夷に與(くみ)するの甚(はなはだ)しき者なり。今篤痾(トクア)に罹(かか)りて酷(ひど)く死を悪(おそ)る者有らば、當に力(つと)めて自(みづか)ら摂養(セツヨウ)し、其の食色(ショクショク)に於て痛く己(おのれ)を警(いまし)め、此(これ)を戒(いまし)めざれば則ち必ず死に、彼(か)を慎まざれば則ち必ず死ぬと曰(い)ふべし。又當(まさ)に病(やまひ)の顛末を具(そな)へ、良醫に明告し、以て死を免(まぬか)るるの方(てだて)を詢(と)ふべし。昕夕(キンセキ)反覆し死字を以て身を切(つつし)めば、方(まさ)に死を脱すべし。世乃(すなは)ち、疾(やまひ)を護(まも)り醫を忌(い)み、甚しきは且(まさ)に死字を擧ぐるを諱(い)み、袖手無作(シュウシュムサク)、以て其の自(おのづ)から愈(い)ゆるを冀(こひねが)ふ者多し。必ず救ふべからず。秦政疢(チン)に嬰(かか)り、死事を言ふを悪(にく)むが如き是(これ)なり。嗚呼(ああ)國を謀(はか)り而(しか)して甘んじて秦皇の覆轍を踏む、鄙(いやし)むべきの極(きはみ)なり。予將(まさ)に之(これ)を如何(いかが)すべきかな。

大吏(ダイリ)(高官) ・貪狡(タンコウ)(貪欲で狡猾なこと) ・政俗(政治と文化)・遏絶(アツゼツ)(断ち切ること) ・心思(シンシ)(考え) ・輿人(ヨジン)(多くの人) ・采(と)る(採用する) ・参證(サンショウ)(証拠とする) ・考覈(コウカク)(厳しく調べる) ・長策(遠大なはかりごと)・韋布(イフ)(平民) ・寧謐(ネイヒツ)の代(穏やかに治まった世の中)・若乃(もしすなはち)(ところが) ・治忽(チコツ)(治と乱)・膜外(バクガイ)に措く(気にしない)・討究(深い研究)・壊隳(カイキ)(破綻)・ 馴致(ジュンチ)(次第に馴れること)・侵擾(シンジョウ)(侵略して乱すこと) ・篤痾(トクア)(重病) ・摂養(セツヨウ)(身体を養うこと) ・食色(ショクショク)(食欲と性欲) ・昕夕(キンセキ)(朝夕) ・袖手無作(シュウシュムサク)(袖に手を入れて何もしないこと) ・秦政(秦の始皇帝)・(チン)(熱病) ・覆轍を踏む(前者の失敗を繰り返す)・(いやしむ)(見下げる)

 

(現代語訳)

 このごろ交官や重臣は深くロシアやイギリスの貪欲、狡猾ぶりを憎み、その政治と文化および防禦の優れていることを全く言わない。また他人がこれを言うことも喜ばない。この二国を憎むことは当然のことではあるが、優れている点について自分はあえて言わず、他人にも言うことを禁止するとすればその得失はどうであろうか。西洋諸国を憎むのは彼らが侵略の心を懐いているからである。もし本当にその侵略を憎むのであれば、これを防ぐ方法を考えるべきである。我々は考え抜いてその時々に最も適合した方法を考えこれを詳しく論じ、また多くの人の意見を採用し照らし合わせて考え、これにより敵の侵略を防ぐ遠大な計画を定めて、まさに道理の通った議論をすべきである。ゆえに身分の低い平民であっても平和な時代に予め侵略の害を考えて、その国の文化や兵力を考察していれば海防の役に立つだろう。このような者は皆、士の志を持つ者である。

 ところが外国の治乱・強弱について我々は殆ど気にしておらず全く深い研究をしていない。また人を止めて熟議できないようにしている。海防や兵備が破綻し整備もされていない状態に慣れてしまっているので、将来の侵略の被害は言うにたえないほどひどいだろう。これでは外国に味方するのと同様なことだ。仮に重病にかかってひどく死を恐れる者があれば、まさに自ら体を養うことに努め、食欲と性欲について厳しくおのれをいましめ、これをやめなければ必ず死に、あれを慎まなければ必ず死ぬと思うべきだ。また病気の顛末を良醫に報告し、死を免れる方法を相談すべきだ。朝夕くり返して「死」の字を見て身をつつしめば死を脱するだろう。ところが世間では病気をそのままにして医者を嫌い、甚だしきは「死」の字を嫌い、袖に手を入れて何もせず自然に治るのをこいねがう者が多い。必ず助からないだろう。秦の始皇帝が熱病にかかり死について口にするのを禁止したのと同じである。ああ国の政治をつかさどりながら甘んじて秦の始皇帝の失敗を繰り返すとは全く見下げたことである。私はいったいこれをどうすべきであろうか。

 

其三十三(実力の拮抗した西洋諸国同士は侵略せず、弱いところが狙われる。わが国も西洋の技量、狙いを知らなければ危い)

太西欧邏巴、列國十餘、星羅麻列、行三百年而形勢自若也、伊須把尼亜俄羅斯英機黎等國、相継浡興、咸有大志、専圖侵噬、然其所併有、類在亜墨利加亜弗利加亜細亜、而不呑於本洲、邇年俄羅斯斯日滋彊大、始能克波羅尼亜小韃靼、以爲己有、然其用力洵苦而久矣、乃若孛漏生波留杜瓦爾第那瑪爾加諸國、其在欧邏巴中、蕞乎如邾莒之於齊楚、而能嶽然樹立、不甚屈伏、孛漏生方且與俄羅斯波羅尼亜而有之、雄威可想、太西諸大國呑噬之術、能施於大、不於小、不乎邇、而翻行乎遐者、獨何也、蓋亞墨利加亞弗利加諸國、地雖闊、民雖夥够、而兵力萎苶不振、又況不瀕海之備禦敵之防、無ㇾ異於慢藏来一ㇾ盗、間有風習獷悍好鬨争隣邦殊異者、而武備不整飭則與孱夫歸、太西乗其虚、襲其不虞、闔國惶駭、不手、洞然如無人之域、此太西所以數々得一ㇾ志也、欧邏巴諸國則不然、既已爲隣並之邦、彼狼狐之性、谿壑之欲、與我同調、則夙稔知之、將卒之勇略相上下、武技之精錬正相當、彼欲来為一ㇾ難、吾固有以待一ㇾ之、其不於此、職是故也、然則太西人伎倆、亦可知已、夫與虜對、而輕生慢侮之心、固爲不可、然虜之智思兵勢、則不其所底止、不然區処斷不厥宜矣、嗚呼以吾邦生歯之殷壌地之肥美、士風之勇而尚一ㇾ義、苟化導得方海防無瑕隙、足制外夷一、而勿之抗一、迺茫附之不問、可哉、

 

注:※国立国会図書館デジタルコレクション(日高誠実 編)では「唉」となっている。山口県立山口図書館所蔵版(山田亦介重刻)では「嘆」でありこれを採用した。

 

(読み下し文)

太西欧邏巴(ヨーロッパ)、列國十餘、星羅麻列(セイラマレツ)、三百年行きて形勢自若(ジジャク)なり。伊須把尼亜(イスパニア)、俄羅斯(オロシャ)、英機黎(イギリス)等の國、相継ぎ浡興(ボッコウ)す。咸(みな)大志有り。専ら侵噬(シンゼイ)を圖(はか)る。然るに其の併有する所、類(おほむ)ね亜墨利加(アメリカ)、亜弗利加(アフリカ)亜細亜(アジア)中に在りて、本洲の狼呑(ロウドン)有る能はず。邇年(ジネン)俄羅斯(オロシャ)日に滋(ますます)彊大(キョウダイ)なり。始めて能(よ)く波羅尼亜(ポーラニア)、小韃靼に克(か)ち、以て己有(コウ)と爲す。然るに其の力を用ふること洵(まこと)に苦しみて久し。乃(すなは)ち孛漏生(プロイセン)、波留杜瓦爾(ポルトガル)、第那瑪爾加(デンマーク)諸國の若(ごと)き、其れ欧邏巴(ヨーロッパ)中に在り。蕞(サイ)なること邾(チュ)・莒(キョ)の齊(セイ)・楚(ソ)に於けるが如し。而(しか)して能(よ)く嶽然(ガクゼン)と樹立し甚(はなは)だ屈伏せず。孛漏生(プロイセン)(まさ)に且(まさ)に俄羅斯(オロシャ)と波羅尼亜(ポーラニア)を割りて之(これ)を有す。雄威(ユウイ)想(おも)ふべし。太西諸大國呑噬(ドンゼイ)の術、能(よ)く大に施し、小に施す能(あた)はず。邇(ちかき)に行はず、而(しか)して翻(ひるがへ)りて遐(とほ)くに行ふは獨(それ)何ぞや。蓋(けだ)し亞墨利加(アメリカ)、亞弗利加(アフリカ)諸國、地闊(ひろ)しと雖(いへど)も、民夥够(カコウ)と雖(いへど)も、兵力萎苶(イデツ)にて振はず。又況(いは)んや瀕海(ヒンカイ)の備禦(ビギョ)敵の防(ふせぎ)を修めざるをや。藏を慢(おこた)りて盗(トウ)の来(きた)るに異ならず。間(ちかごろ)風習獷悍(コウカン)にして鬨争(コウソウ)を好み、隣邦と殊(こと)に異なる者有り。而(しか)して武備整飭(セイチョク)せざれば則ち孱夫(センプ)と歸すところは同じなり。太西其の虚(キョ)に乗じ、其の不虞(フグ)を襲ふ。闔國(コウコク)惶駭(コウガイ)し、手を措(お)く所を知らず。洞然(ドウゼン)無人の域に入るが如し。此れ太西の數々志を得る所以(ゆゑん)なり。欧邏巴(ヨーロッパ)諸國則ち然(しか)らず。既已(キイ)隣並の邦爲れば、彼の狼狐(ロウコ)の性、谿壑(ケイガク)の欲、我と同調す。則ち夙稔(シュクネン)之を知る。將卒(ショウソツ)の勇略相上下し、武技の精錬正に相當(あた)る。彼来(きた)りて難(いくさ)を為さんと欲さば、吾固(もと)より以て之(これ)への待(そなへ)有り。其れ此(ここ)に於て逞(ほしいまま)に獲らざるは、是(これ)を職(し)る故(ゆゑ)なり。然(しか)れば則ち太西の人の伎倆、亦知るべきなり。夫れ虜(えびす)に對(むか)ひて輕(かるがる)しく慢侮(マンブ)の心を生ずるは固(もと)より不可(フカ)と爲す。然れば虜(えびす)の智思(チシ)兵勢、則ち其の底止(テイシ)する所を審(つまびらか)にせざるべからず。然らざれば區処(クショ)斷じて厥(その)(よろし)きを盡(つく)す能はざるなり。嗚呼(ああ)吾邦(わがくに)生歯(セイシ)(これ)(おほ)く壌地(ジョウチ)(これ)肥美(ヒビ)、士風之(これ)勇にして義を尚(たっと)ぶを以ってす。苟(いやしく)も化導し方(みち)を得て海防に瑕隙(カゲキ)無くせば、以て外夷を威制するに足る。而して之(この)(ふせぎ)(な)ければ、迺(すなはち)ち茫(ボウ)(これ)を不問に附す。嘆くに勝(た)ふべき哉(かな)

 

星羅麻列(セイラマレツ)(星のように連なり、麻のように列をなす) ・自若(ジジャク)(落ち着いている) ・浡興(ボッコウ)(勃興) ・侵噬(シンゼイ)(侵略と併合) ・狼呑(ロウドン)(ほしいままに取ること) ・邇年(ジネン)(近年) ・小韃靼(クリミアハン国)・(サイ)(小さい) ・邾(チュ)莒(キョ)(両者とも周代の国)・嶽然(ガクゼン)(高く聳えるように) ・雄威(ユウイ)(雄々しく威厳があること) ・夥够(カコウ)(多い) ・萎苶(イデツ)(疲れていて) ・瀕海(ヒンカイ)(臨海) ・備禦(ビギョ)(防禦設備) ・防(ふせぎ)(守り、備え 防御施設) ・獷悍(コウカン)(荒々しく凶暴) ・鬨争(コウソウ)(戦い) ・整飭(セイチョク)(整備) ・孱夫(センプ)(弱い男) ・(キョ)(油断) ・不虞(フグ)(不意、予期していないところ) ・闔國(コウコク)(国中) ・惶駭(コウガイ)(あわてふためくこと) ・洞然(ドウゼン)(遮るものがなく) ・既已(キイ)(すでに) ・谿壑(ケイガク)(飽くことのない) ・夙稔(シュクネン)(昔から) ・將卒(ショウソツ)(将軍と兵士、軍隊) ・勇略(勇気と知恵)・相上下し(優劣がなく)・相當(あた)る(互いにつりあう)・(えびす)(敵) ・慢侮(マンブ)(あなどり軽んずる)・智思(チシ)(智慧) ・底止(テイシ)(至りとどまる) ・區処(クショ)(処置) ・生歯(セイシ)(人民) ・壌地(ジョウチ)(国土) ・肥美(ヒビ)(よく肥えている) ・化導(カドウ)(徳をもって人を導くこと) ・〈みち〉(法則。方法。道理) ・瑕隙(カゲキ)(すきま) ・威制(おどしおさえる)・(ボウ)(時務 その時の急務) ・勝(た)ふ(耐える、こらえる)

 

(現代語訳)

 ヨーロッパでは十余りの大国が星のように連なり、三百年経過して形勢は落ち着いている。スペイン、ロシア、イギリス等の国が相次ぎ勃興し、皆大志があって、専ら侵略と併合をしてきた。しかしその併合した所はおおむねアメリカ、アフリカ、アジアにあって欧州ではほしいままに併合することはできなかった。近年ロシアがますます強大になり、欧州では始めてポーランド、クリミアハン国に勝ち自分のものとしたが、その力を用いるのに長年苦しんできた。一方でプロイセンポルトガルデンマーク等の国はヨーロッパにあっては小国で、その小さいことは中国春秋時代の大国である齊や楚に対する邾や莒などの小国に例えられるほどだが、しかし高く聳えるように独立していて全く屈服しない。プロイセンはロシアと共にポーランドを分割して所有しており、雄々しく威厳があることを考えてみてほしい。

 ヨーロッパ諸大国の併呑の技術は大国に対して行うことができても小国に対してはできていないし、近隣では行っておらず、遠方で行っているのは何故だろうか。思うにアメリカ、アフリカ諸国は国土が広く人口も多いとはいえ兵力は弱く振るわず、その上臨海の防禦や敵への防衛設備が整っていない。蔵の戸締りをおこたったために盗賊が来たのと異ならない。近ごろでは風習が荒々しく戦いを好み近隣の国と特に異なる国もあるが、しかし武備が整っていないので弱い国と結果は同じである。西欧は油断に乗じて不意に襲うので、国中があわてふためきどうしてよいかわからなくなり、遮るものがない無人の領域に入るような状態になる。これが西欧が数々の併呑をできた理由である。しかしヨーロッパ諸国はそうはいかない。すでに近隣の国なのでその狼や狐のような性格と飽くことのない欲望が自分と同じであることを昔から知っている。軍隊の勇気と知恵には優劣がなく、武術の技の練度は互いに拮抗している。先方が戦争を仕掛けてくれば、こちらにはそれへの備えがある。この場所でほしいままに侵略をしないのはこれらを知っているからである。

 そうであれば西欧人の技量を知るべきであり、敵に向かって軽々しくあなどり軽んずる心を生じさせるのはとんでもないことだ。むしろ敵の考えていることや軍の勢いがどこまで至ろうとしているのかをよく考えなければならない。そうしなければ適切な対処など絶対にできない。ああ、わが国は人口が多く国土は豊かで武士の気風は勇ましく義をたっとぶのだから、もし人々を感化して道理を理解させ海防にすきが無いようにすれば敵を抑制するには十分である。しかしこのような防衛策も無いということはつまりは時の急務を不問に付しているということだ。嘆かずにはいられない。

 

其三十四(侵略するだけの実力があってはじめて国は守れる。家康公が長生きしていれば海南諸島、ルソン島を併合していただろう。)

乎今日、修攘之計、必也有制外夷之形、然後可以得上下奠枕無一ㇾ患、有伐海南諸島之力、然後可以免沿海鈔掠之害、此天然之大勢也、西

人有智慮者、論防禦之方、以爲力能経略河南北、而淮南可守、淮南防備完堅、而江南可保、形勢正相同也、烈祖居平慎静自守、不輕試干戈、萬不已、而后従事乎征討、故論者類以爲使烈祖出于今、只當確然固守、飭沿海防禦、以絶虜窺伺、斷不進取事而務遠略焉、斯論未必中一ㇾ窾也、予観烈祖時、海畔晏然無警、非今日之夷舶數數出没、而烈祖防遏之心不少弭忘、時時召和蘭耶揚須諳厄利亜安志、諮外國治忽隆替甞云、吾今爲日本主、則不外國動静上ㇾ慮、常欲知之、又甞令御勘定某、與喎蘭人、往南亜墨利加、熟察地形風尚、其遠圖非庸衆所克測也、烈祖年七十有四、始殄平攝城餘蘖、次年違世、未厥経綸、可惜已、夫明辟所以不上ㇾ於進取者、以其或招士民之困悴也、至國家安危所一ㇾ關、則沛然果決而行之、一労以貽百代之佚、予意使烈祖更數十載馭一ㇾ世、必當百勝之鋒、呑滅海南呂宋渤泥等國、以張皇本邦之威、決不瑣々苟自保而已、特不豊太閤征韓之擧、無謀強戦、死者如乱麻、以貽黷武之誚耳、

 

(読み下し文)

今日に在りて、修攘(シュウジョウ)の計、必ずや外夷を威制するの形有りて、然(しか)る後、以て上下奠枕(テンチン)(うれ)ひ無きを得るべし。海南諸島を侵伐(シンバツ)するの力有りて、然(しか)る後以て沿海鈔掠(ショウリャク)の害を免(まぬが)るべし。此(これ)天然の大勢なり。西人智慮有る者、防禦の方(てだて)を論じ、以爲(おもへらく)「力(つと)めて能(よ)く河南北を経略(ケイリャク)せば、淮南を守るべし、淮南の防備完堅ならば江南を保つべし」と。形勢正(まさ)に相同じなり。烈祖、居平(キョヘイ)慎静(シンセイ)を自守(ジシュ)す。輕(かるがる)しく干戈(カンカ)を試さず。萬(バン)(や)むを得ず、后(のち)に征討に従事す。故(ゆゑ)に論者類(おほむね)以爲(おもへらく)、使(も)し烈祖今に出(い)でしめば、只(ただ)(まさ)に確然(カクゼン)固守し、沿海防禦を飭(ととの)へ以て虜(えびす)の窺伺(キシ)を絶つべし。斷じて進取を以て事を爲し遠略(エンリャク)を務(つと)めざるなり。斯(かか)る論未だ必ずしも窾(あな)に中(あた)らざるなり。予、烈祖の時を観るに、海畔(カイハン)晏然(アンゼン)にして警(ケイ)無く、今日の夷舶(イハク)數數出没の如くにあらず。而(しか)して烈祖防遏(ボウアツ)の心少しも弭忘(ビボウ)せず。時時和蘭(オランダ)の耶揚須(ヤンヨーステン)、諳厄利亜(アンゲリア)の安志(アンジン)を召し、外國治忽(チコツ)隆替(リュウタイ)を諮(と)ふ。甞(かつ)て云(いは)く「吾(われ)今日本の主(あるじ)爲(た)れば、則ち外國動静を以て罣慮(カイリョ)せざるを得ず、常に之(これ)を洞知(トウチ)せんと欲す」と。又甞て御勘定某(なにがし)に、喎蘭(オランダ)人と與(とも)に南亜墨利加(アメリカ)に往(ゆ)かせ、地形風尚(フウショウ)を熟察せしむ。其の遠圖(エント)、庸衆(ヨウシュウ)の克(よ)く測(はか)る所にあらざるなり。烈祖年七十有四にして、始めて攝城餘蘖(ヨゲツ)を殄平(テンペイ)し、次年違世(イセイ)す。未だ厥(その)経綸(ケイリン)を究(きは)むるに及ばず、惜しむべきなり。夫(そ)れ明辟(メイヘキ)進取を輕(かるがる)しくせざる所以(ゆゑん)は、其れ或(ある)ひは士民の困悴(コンスイ)を招かんを以ってなり。國家安危に關(カン)する所に至れば、則ち沛然(ハイゼン)果決(カケツ)に之(これ)を行ひ一労を以て百代の佚(イツ)を(のこ)さんとす。予意(おもふ)に烈祖更に數十載世を馭(ギョ)せしめば、必ず當(まさ)に百勝の鋒(ホウ)に乗り、海南、呂宋(ルソン)渤泥(ボルネオ)等國を呑滅(ドンメツ)し、以て本邦の威を張皇すべし。決して瑣々(ササ)として苟(かりそめ)にも自保(ジホ)而已(のみ)ならず。特(ただ)豊太閤征韓の擧の無謀なる強戦にて死者乱麻の如くして以て黷武(トクブ)の誚(そしり)を貽(のこ)すに似ざるのみ。

修攘(シュウジョウ)の計(防衛計画)・奠枕(テンチン)(枕を定めること、落ち着くこと)・鈔掠(ショウリャク)(かすめ取ること) ・河南北(中国北部にある黄河の南と北)・経略(ケイリャク)(統治) ・淮南(中国中部にある淮河の南)・江南(中国南部にある揚子江の南)・居平(キョヘイ)平和な境遇に居ること ・慎静(シンセイ)(静かなこと) ・自守(ジシュ)(自力で守ること) ・干戈(カンカ)(戦闘) ・窺伺(キシ)(人の様子を窺って隙あらば事を試そうとすること)・遠略(エンリャク)(遠くの国を攻める計略) ・窾(あな)に中(あた)る(的を得る 的確である)・晏然(アンゼン)(やすらか) ・(ケイ)(警戒を要する状況) ・夷舶(イハク)(外国の大型船) ・烈祖(家康)・弭忘(ビボウ)(忘れること) ・治忽(チコツ)(治と乱) ・隆替(リュウタイ)(盛衰) ・罣慮(カイリョ)(心配) ・洞知(トウチ)(熟知) ・風尚(フウショウ)(人々の好み) ・遠圖(エント)(遠大な計画) ・庸衆(ヨウシュウ)(平凡な一般人) ・攝城大阪城)・餘蘖(ヨゲツ)(残り物 残党) ・殄平(テンペイ)(亡ぼし平らげること) ・違世(イセイ)(俗世を去ること) ・経綸(ケイリン)(国家を治めること) ・明辟(メイヘキ)(明君) ・困悴(コンスイ)(疲れ果てること ・沛然(ハイゼン)(盛大に) ・果決(カケツ)(思い切って) ・(イツ)(安楽) ・(ホウ)(軍隊の最前列)・張皇(広げる)・瑣々(ササ)(こまごましていること) ・自保(ジホ)(自身の身を守ること) ・黷武(トクブ)(道理に外れた戦争で武徳を汚すこと) 

 

(現代語訳)

 今日にあっては防衛計画に必ず外敵を抑制する形があってはじめて上も下も安心していられる。海南諸島を侵略するだけの実力があってはじめて沿海を侵略される被害を免れることができる。これが天然の大勢である。中国人の智慧ある者が防衛の方法を論じて言うには、「中国北部にある黄河地帯を統治することができれば、中国中部の淮河地帯を守ることができる。淮河地帯の防備が完璧ならば中国南部の揚子江地帯を守ることができる」と。形勢はまさにこれと同じである。

 家康公は平和な環境を自力で守って軽々しく戦闘を試さず、やむを得ないばあいにはじめて征討に従事した。このため論者はおおむね次のように考える「もし家康公が今世に出てきたら、しっかりと守り沿岸の防禦を整えて外国がすきを狙ってくるようなことを絶つだろう。決して積極的に遠国を侵略するようなことはしないだろう」と。こうした論は必ずしも的を得ていない。私が家康公の時代を見てみると、沿岸は安全で警戒するような状況ではなく、現在のように外国の大型船が多く出没するようなことはなかった。しかし家康公は防禦の心を少しも忘れなかった。時々オランダのヤンヨーステン、イギリスの三浦按針を召して外国の情勢を聞いた。かつて「私は日本の君主なので外国の情勢に気を配らざるを得ないし、常にこれを熟知していたいと思う」と言われた。またかつて御勘定の某にオランダ人と共に南アメリカに往かせ、地形や人々の好みを視察させた。その遠大な計画は平凡な一般人の考えの及ぶ所ではない。家康公は七十四歳で大阪城の残党を滅ぼし、翌年この世を去られたが、まだその政治について構想のすべてをなすには至らなかった。惜しいことだ。そもそも明君が軽々しく海外進出をしないのは人民の困窮を招くようなことがあってはならないと考えるからだが、国家の安全がかかっているような事態に至れば思い切ってこれを行い、百代安泰にしようとするだろう。私が思うには家康公がさらに数十年世を治めていれば必ず軍隊を率いて海南諸島、ルソン島などを併呑してわが国の影響力を広げ、決して小さく自分の身を守るだけのことはしなかっただろう。これは秀吉公が無謀な朝鮮出兵で多数の死者を出し武徳を汚したのとは異なるものだ。

 

其三十五(タタール人は勇敢だが熟慮や忍耐が足らず恐るに足らない。タタール人種のトルコや清には危機がせまる)

両間建國、莫韃、今之満清及莫臥兒都兒格、凡據肥沃富饒之域、肆然称帝者、擧皆韃種也、更遡満清而前、遼之入中州、金之有天下一半、元之統支那、咸屬韃種、韃之憑陵西土、非乎清、特清獨盛大而久耳、韃俗虓鷙、耐寒苦、輕戦闘、視死如生、是以侵畧隣國、如狼之敵羊、勁飈之摧霜葉、敵莫敢攖我鋒、奏勲之速、有人所克測度焉、惟其悍獷之性、一意直遂、無顧避、故足以陥堅挫一ㇾ鋭、而艱於持重、遭彼反覆十思以耐久曠日制之者、或爲折伏又況人之猛闞者、洎其蠱於紅翠漬於奢侈、則迷溺翻甚於治蕩敗撿之輩、元魏金元之季可見也已、邇者莫臥兒兵力弗競、至於國主爲一ㇾ俘、都府多見侵奪、都兒格雖強大、較諸二百年前邈然弗逮、今也盡喪小韃靼莫爾太皮亜等地、羅叉兵漸逼近帝都、獨清距開創甚久、又世以韃地古俗戒、故降乎今、威風未墜、然観緬甸述略戡靖教匪述編等書、兵力殊覚綿弱、異日外寇有拓跋圭完顔阿骨打、内乱有朱元璋陳友諒李自成、斷不天下矣、本邦風習、勁而直、重義而尚武、韃虜之勇、不懾憚也、而剽悍之資、飈發雷厲不其久、亦少犯韃種之短、在上者克知悉斯情、懇々誡告、使闔天下之人、咸能不古昔勇鷙之風、又能遠圖長思、不上ㇾ躁急之習、則彊虜遍於宇内究奚足畏乎、

 

(読み下し文)

両間に國を建つるに韃より彊(つよ)きは莫(な)し。今の満清及び莫臥兒(ムガール)、都兒格(トルコ)、凡(およ)そ肥沃富饒(ヒヨクフジョウ)の域に據(よ)り、肆然(シゼン)帝と称するは、擧げて皆韃種なり。更に満清の前に遡れば、遼(リョウ)之(これ)中州に入り、金(キン)(これ)天下の一半を有し、元(ゲン)(これ)支那を統一す。咸(みな)韃種に屬す。韃の西土に憑陵(ヒョウリョウ)すること、清昉(はじめ)てに非ず。特(ただ)清獨(ひと)り盛大にして久しきのみ。韃の俗(ならはし)、虓鷙(コウシ)にして、寒苦に耐へ、戦闘に輕(はや)り、死を視ること生の如し。是以(これゆゑ)に隣國を侵畧すること、狼の羊に敵(あた)り、勁飈(ケイヒョウ)の霜葉を摧(くだ)くが如し。、敵敢(あへ)て我鋒(ガホウ)に攖(せま)ること莫(な)し。勲(いさを)を奏(な)すこと之(これ)速く、人の克(よ)く測度(ソクタク)する所に非ざる者有り。惟(ただ)其の悍獷(カンコウ)の性(さが)、一意直(ただ)ちに遂げ、顧避(コヒ)する所無し。故(ゆゑ)に陥堅(カンケン)挫鋭(ザエイ)を以て足(た)りて、持重(ジチョウ)に艱(かた)し。彼の反覆十思(ジッシ)し以て耐久曠日(コウジツ)(これ)を制する者に遭(あ)はば、或(ある)ひは折伏(セップク)せらるる所と爲る。又況(いはん)や人の猛闞(モウカン)なるは、其れ紅翠(コウスイ)に蠱(まど)ひ、奢侈(シャシ)に浸漬(シンシ)するに洎(およ)べば、則ち迷溺(メイデキ)翻(かへっ)て怡蕩(イトウ)敗撿の輩より甚(はなはだ)きこと元魏、金、元の季(すゑ)に見るべきなり。邇(ちか)きは莫臥兒(ムガール)、兵力競(つよ)からず、國主俘(とりこ)と爲るに至り、都府多くは侵奪さる。都兒格(トルコ)、強大を称すると雖(いへど)も、諸(これ)を二百年前と較(くら)ぶれば、邈然(バクゼン)逮(とど)かず、今也(いまや)(ことごと)く小韃靼、莫爾太皮亜(モルダビア)等の地を喪(うしな)ひ、羅叉(ロシア)兵漸(やうや)く帝都に逼近(ヒッキン)す。獨(ひと)り清、開創を距(へだ)つること甚(はなは)だ久しからず、又世に韃地の古俗を忘れざるを以て戒(いましめ)と爲す。故(ゆゑ)に今に降(くだ)り、威風未だ墜(お)ちず。然(しか)れども緬甸(ビルマ)述略、戡靖教匪(カンセイキョウヒ)述編等の書を観(み)るに、兵力殊(こと)に綿弱(メンジャク)と覚(おぼ)ゆ。異日外寇(ガイコウ)に拓跋圭(タクバツケイ)完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)の若(ごと)き有り、内乱に朱元璋(シュゲンショウ)陳友諒(チンユウリョウ)李自成(リジセイ)の若(ごと)き有らば、斷じて天下を保(たも)つ能(あた)はず。本邦風習、勁(ケイ)にして直(チョク)、義を重んじ武を尚(たっと)ぶ。韃虜(ダツリョ)の勇、懾憚(ショウタン)に足らざるなり。而(しか)も剽悍(ヒョウカン)(これ)飈發(ヒョウハツ)雷厲(ライレイ)に資するも、其の久しきを忍ぶこと能はず。亦少(わかもの)韃種の短(あやまち)を犯さば、上に在る者克(よ)く斯(こ)の情を知悉(チシツ)し、懇々(コンコン)誡告(カイコク)すべし。使(も)し闔(コウ)天下の人、咸(みな)(よ)く古昔(コセキ)勇鷙の風を墜(うしな)はず、又能(よ)く遠圖(エント)長思(チョウシ)し、躁急(ソウキュウ)の習ひに流れざらしめば、則ち彊虜(キョウリョ)宇内(ウダイ)に遍(あまね)けれど、究(きは)むれば奚(なん)ぞ畏(おそ)るに足るや。

 

両間(天と地の間、世界)・タタール)・肥沃富饒(ヒヨクフジョウ)(土地が肥えて富んで豊か) ・肆然(シゼン)(ほしいままに) ・憑陵(ヒョウリョウ)(攻め寄せ土地を侵すこと) ・虓鷙(コウシ)(勇猛で荒々しい) ・勁飈(ケイヒョウ)(強いつむじ風) ・霜葉(ソウヨウ)(霜のために黄や紅などに変色した葉。もみじ。紅葉)・(いさを)(武功) ・測度(ソクタク)(推しはかる) ・悍獷(カンコウ)(荒々しく凶暴)・一意(一心に)・顧避(コヒ)(気遣う 遠慮する)・陥堅(カンケン)(堅固な城を陥れること) ・挫鋭(ザエイ)(強い軍隊を打ち負かすこと)・持重(ジチョウ)(慎重にすること)・耐久曠日(タイキュウコウジツ)(長い間持ちこたえて)・折伏(セップク)(打ち負かし従わせること)・紅翠(コウスイ)(色香)・奢侈(シャシ)(贅沢)・浸漬(シンシ)(浸かること)・迷溺(メイデキ)(夢中になって本心を失うこと)・怡蕩(イトウ)(楽しんでほしいままにすること)・元魏北魏)・(すゑ)(末期)・(とりこ)(捕虜)・邈然(バクゼン)(はるかに)・小韃靼(クリミア)・逼近(ヒッキン)(接近)・開創(創業)・戡靖教匪(カンセイキョウヒ)述編(白蓮教徒の乱の記録書)・綿弱(メンジャク)(弱弱しい)・外寇(ガイコウ)(外国による攻撃)・拓跋圭(タクバツケイ)(北魏の初代皇帝)・完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)(金の初代皇帝)・朱元璋(シュゲンショウ)(元を滅亡させた明王朝の始祖) ・陳友諒(チンユウリョウ)(元末の群雄の一人) 李自成(リジセイ)(明を滅亡させた農民反乱の指導者)・勁(ケイ)(強い)・(チョク)(すなお)・懾憚(ショウタン)(おそれはばかること)・剽悍(ヒョウカン)(動きが早く荒々しい性質)・飈發(ヒョウハツ)(つむじ風のようににわかに起きること 激しく起きること)・雷厲(ライレイ)(雷が激しいこと 事を成すのに猛進して止まないこと)・(わかもの)・(あやまち) ・懇々(コンコン)心を込めて丁寧に・誡告(カイコク)(教え導くこと)・古昔(コセキ)勇鷙の風(昔からの勇敢な気風)・遠圖長思(エントチョウシ) (遠大な計画をじっくり考える) ・躁急(ソウキュウ)の習ひ(せっかちで落ち着きのない風潮) ・(キョウリョ)(強敵)・宇内(ウダイ)(世界中)

 

(現代語訳)

 世界に建国している民族のなかでタタールほど強いものはない。今の清およびムガール、トルコなどおよそ土地が肥えて豊かな所にいてほしいままに皇帝と称しているのはすべてタタールの種族である。さらに清の前に遡れば遼が中国に入り、金が天下の半分を有し、元が中国を統一した。皆タタールの種族に属す。タタールが中国に侵攻したのは清がはじめてではない。ただ清だけが長く栄えている。タタールの気風は勇猛で荒々しく、寒苦に耐え、戦闘に勇みたち、死を見ること生の如し。このため隣国を侵略するときはまるで狼が羊に襲い掛かり、強いつむじ風が紅葉を散らすかのようだ。敵はあえて向かってこようとはしない。武功を挙げることは早く、人が推し測ることができないほどだ。ただその荒々しく凶暴な性格はひたすら直ちに実行し、遠慮することがない。それゆえ堅固な城を落としたり強い軍隊を打ち負かしたりすることで満足し、慎重に振る舞うことができない。熟慮を繰り返し長い間持ちこたえて打ち勝つような者に会うと、あるいは打ち負かされることもある。その上猛々しく勇敢な人間は、色香に惑い贅沢に浸れば夢中になって正気を失ってしまうことが、かえって軽薄な連中よりもひどいことは北魏や金、元王朝の末期に見られたことだ。

 近年ではムガール帝国の兵力が弱く国王が捕虜になってしまい、都市の多くが侵略された。トルコは強大であることを自称しているが二百年前と比べればはるかに劣り、今やクリミア、モルダビア等の地を失いロシアが次第に首都に迫っている。清だけは創業からまだそれほど経っておらず、時々タタールの地の古い文化を忘れないように戒めているため今に至っても威風が落ちていない。しかし「ビルマ述略」や白蓮教徒の乱の記録書などの書を見ると、兵力は特に弱々しく思える。将来外国からの攻撃に北魏の初代皇帝の拓跋圭や金の初代皇帝の完顔阿骨打のような者がいたり、内乱に元を滅亡させた朱元璋や元末の群雄の陳友諒、明を滅亡させた李自成のような人物がいれば、絶対に天下を保つことはできないだろう。

 わが国の風習は強く素直で義を重んじ武をたっとぶ。タタール人の勇猛さは恐れるに足らない。しかも剽悍な性質はつむじ風や雷のように急激に動くことには役立つが、長続きさせることができない。また若者がタタール人のようなあやまちを犯すことがあれば、上に在る者がその事情をよく知り丁寧に教え導くべきである。もし天下の人が皆昔からの勇敢な気風を失わず、また遠大な計画をじっくり考え、せっかちで落ち着きのない風潮に流れてしまわなければ、強敵が世界中にあっても良く研究すれば恐れるに足らない。

 

其三十六(恥知らずな蘭学者

本邦支那政教之體、以使人知廉恥至重、故士民崇恥則國家又寧、衆忘恥尚則危顛立至、而西洋諸國似必然、斯風尚之夐不侔也、予観今代之蘭学者、往々不恥之爲一ㇾ恥、即其人稍以操行聞、而淫貪饕、忍爲士大夫之所一ㇾ敢、亦可慨也、或謂蘭学者之詬寡恥、此自其人之諐失、非和蘭政俗、是斷不然、乃父報仇、其子必剽刧、世人失道之行、必有淵源、西洋人趨利、如鷹鸇之駆一ㇾ雀、萬方必獲然後已、故二國互市於他邦、則必蝎譛妨碍其一一、使通、而已擅其利、與隣邦好、不啻膠漆之固、彼少有釁隙、直乗之以侵伐、不復顧齊盟、西洋所以富彊、咸率由斯術蘭学之源、眞可畏也、顧今俗吏役々於期會賬簿、而抛武備於局外、拘儒専談三代之英、漢唐之成彠、絶不今日外夷情形、今欲海防之制、以攘遏外寇、非諮於蘭学者、必不其窾綮也、予於蘭学者、節取其長、而棄其短、不貪惏無恥之風於政、其咸庶幾乎、

 

(読み下し文)

本邦支那政教の體(もと)、人に廉恥(レンチ)を知らしむを以て至重(シチョウ)と爲(な)す。故に士民恥を崇(たっと)びて則ち國家又寧(やす)し。衆が恥の尚(たっと)きを忘れば、則ち危顛(キテン)(たちどころ)に至る。而(しか)して西洋諸國未だ必ずしも然(しか)らずに似たり。斯かる風尚(フウショウ)(これ)(はるか)に侔(ひとし)からざるなり。予、今代の蘭学者の往々にして恥の恥爲(た)るを知らざるを観る。即ち其の人、操行(ソウコウ)を持(たも)つを以てすること稍(すくな)しと聞こえ、而(しか)も淫醟(インエイ)にして貪饕(タントウ)、忍びて士大夫の敢へてせざる所を爲(な)す。亦慨(なげ)くべきなり。或(あるひと)謂はく「蘭学者の奊詬(ケツコウ)にして恥づること寡(すくな)きは、此れ自(おのづ)から其の人の諐失(ケンシツ)にして、和蘭(オランダ)政俗)に原(もとづ)かず」と。是(これ)斷じて然らず。乃(すなは)ち父仇を報(かへ)さば、其の子必ず剽刧(ヒョウコウ)す。世人の失道(シツドウ)の行なひ、必ず淵源(エンゲン)有り。西洋人の利に趨(おもむ)くこと、鷹鸇(ヨウセン)の雀を駆るが如し。萬方(バンポウ)に必ず獲て、然(しか)る後に已む。故(ゆゑ)に二國、他邦に於て互市せば、則ち必ず蝎譛(カツシン)し其の一つを妨碍(ボウガイ)し、通(かよ)ひを得ざらしめて己に其の利を擅(ほしいまま)にす。隣邦と好(よしみ)を締(むす)び、啻(ただ)に膠漆(コウシツ)(これ)を固むるのみならず、彼(かしこ)に少し釁隙(キンゲキ)有らば、直ちに之(これ)に乗じ以て侵伐し、復(ふたたび)齊盟(サイメイ)を顧(かへり)みず。西洋富彊(フキョウ)たる所以(ゆゑん)、咸(みな)斯かる術に率由(ソツユ)す。蘭学の源(みなもと)、眞(まこと)に畏(おそ)るべきなり。顧(かへりみ)て今、俗吏(ゾクリ)期會賬簿(キカイチョウボ)に役々(エキエキ)たりて、武備を局外に抛(なげう)つ。拘儒(コウジュ)専ら三代の英、漢唐の成彠(セイカク)を談じ、絶へて今日外夷情形を諳(そらん)ぜず。今海防の制を定め、以て外寇を攘遏(ジョウアツ)せんと欲すれば、蘭学者に詢諮(ジュンシ)するに非ず。必ず其の窾綮(カンケイ)獲る能はざるなり。予、蘭学者(よ)り、其の長を節取(セッシュ)して、其の短を棄つれば、貪惏(ドンラン)にして恥無きの風を以て政に施すに至らざらん。其れ咸(みな)庶幾(ショキ)なり。

廉恥(レンチ)(心正しく、不正を恥じること)・至重(シチョウ)(こよなく重要)・危顛(キテン)(傾き倒れること)・風尚(フウショウ)(人々の好み)・操行(ソウコウ)(品行)・淫醟(インエイ)(淫らで酒乱)・貪饕(タントウ)(強欲)・奊詬(ケツコウ)(節操が無い)・諐失(ケンシツ)(あやまち)・政俗(政治と風俗)・剽刧(ヒョウコウ)(おびやかす 脅迫)・失道(シツドウ)(道義に背くこと)・淵源(エンゲン)(根源、はじまり)・鷹鸇(ヨウセン)(たかとはやぶさ)・萬方(バンポウ)(あらゆる方面)・互市(貿易)・蝎譛(カツシン)(木食い虫のように内から蝕む讒言を行うこと)・(よしみ)(親善)・膠漆(コウシツ)(親しく固い交わり)・釁隙(キンゲキ)(すき)・齊盟(サイメイ)(同盟)・率由(ソツユ)(拠る)・俗吏(ゾクリ)(教養の低い小役人)・期會賬簿(キカイチョウボ)(会計帳簿)・役々(エキエキ)(苦心して務めるさま)・拘儒(コウジュ)(融通のきかない儒学者、偏狭な学者)・三代(古代中国の三王朝、夏・殷・周)・(優れた人物)・成彠(セイカク)(きまり、前例)・攘遏(ジョウアツ)(防止)・詢諮(ジュンシ)(相談)・窾綮(カンケイ)(見聞の狭いこと)・貪惏(ドンラン)(強欲)・庶幾(ショキ)(心から願うこと)

 

(現代語訳)

 わが国や中国の政治と教化の根本、それは恥を知ることを何より重要と考えることだ。それゆえ皆が恥を知ることを尊べば国家は安泰であるし、これを忘れるとたちどころに危うくなる。しかし西洋諸国は必ずしもそうではないようで、人々の好みは大きく異なる。

 私は今の蘭学者が往々にして恥を知らないのを見ることがある。その人は品行が良くないとの評判で、淫らで酒乱、強欲で、こっそり知識階級の人間ならやらないようなことをする(注1)。何とも嘆かわしい。ある人が言うには蘭学者が節操が無くて恥じないのはその人のあやまちであってオランダの政治や風俗に基づくものではないとのことだが、これは断じて違う。つまり父が復讐すればその子は脅迫するようになるように、世の人の道義に背いた行いには必ず根源がある。西洋人が利益を追求するのは鷹や隼が雀を追いかけるようなもので、あらゆる方面で必ず獲得するまで終わらない。このため二国が他の国で貿易を始めれば必ず一方を讒言して妨害し、交流ができないようにして自分が利益を独占する(注2)。隣国と親善関係を結んでもあちらに少しでも隙があれば直ちにこれに乗じて攻撃し、全く同盟を顧みない。西洋が強くて豊かなのはこうした術による。蘭学の根源は恐るべきものだ。

 現在小役人は会計帳簿に四苦八苦して武備のことは放り出している。融通のきかない儒学者は専ら中国古代の三王朝の王様、漢や唐の前例のことばかり論じていて、今日の外国の情勢について全く知らない(注3)。もし海防の制度を定め外国の侵略を防止しようとするなら蘭学者に相談するのはよろしくない。その見聞の狭さは採用できない。私は蘭学者からその長所を取り入れて短所は捨てれば、強欲で恥知らずの気風を政治にもたらすことにはならないと思う(注4)。これを心から願う。

(注1)高野長英あたりを指すのか?後世蘭学者大槻玄沢の孫大槻文彦言語学者)は長英が仲間からどう見られていたかを「高野長英行状逸話」に記しており、それによれば長英は長崎留学から江戸に帰ったのちも長崎時代の同輩を呼び捨てにし、金に困れば旧友の宅におしかけ強奪同然に金を借りたという。また彼の酒好き女好きは有名で、地下潜行中の長英を一時匿ったことの有る宇和島藩士松根図書はのちに「長英は女と酒となくては一日もいられぬ性」であったと語っている(佐藤昌介『高野長英』P63~64 岩波書店1997年)

(注2)江戸時代初期、オランダとイギリスは日本に対して相互に相手を讒言して貿易の独占を図ろうとした。

(注3)侗庵と昌平黌の同僚であった儒学者佐藤一斉はまさしく海外情勢に無頓着であった。

(注4)侗庵は蘭学者大槻玄沢渡辺崋山とは親交があり海外事情を学ぶなど大きな影響を受けている。蘭学者すべてに批判的であったわけではない。

 

其三十七(現状の外国船や帰国者への対処は不適切、特に一律の打払いは国の危機を招く)

吾邦巋然雄峙乎巨海中、民風醇懿、守信尚義、在両間其比西洋諸國間有虎狼之志、未必不一ㇾ加乎我、而我理直義正、無瑕可指擿、則彼恧然内愧、無辞以使其下、而衆咸有隴種瑟縮之気、不用也、獨我邦於外國、過於畏慎、區處動失其中、今有外國而歸者、視如重犯之徒、不其再航海、或禁錮以畢生、夷舶之来海上者、無其情偽、概待以侵掠之賊、必殄殲然後已、夫漂到外國堅請而歸者、咸顧戀本邦、其情可憫、當厚撫之而加贍恤、其或萬有一二浸染祅教而欲愚俗嚴加之刑、不玉石而悉行罪僇也、夷舶之出海上者、不姦蔵匿之輩、然當覈其是非曲直而區處之、今一切以梗邊襲塞之虜之、欲獮薙以自快、其必無冤者、而適自處孱愞怯敵之甚、非策之上者也、本邦寛宏之政、虓勇之俗、万方所曹仰、獨於外夷情實、有猶未曉悉、故注措間有刺謬、致使外夷目我邦悍戻無道之邦、夫人思死乎我、是可懼也已、

 

(読み下し文)

吾邦巋然(キゼン)として巨海中に雄峙す。民風醇懿(ジュンイ)、信を守り義を尚(たっと)ぶこと、両間に在りて未だ其れに比(くら)ぶるを見ず。西洋諸國間(このごろ)虎狼(コロウ)の志を懐(いだ)く者有り。未だ必ずしも我に侵加(シンカ)せんと欲せざるにあらず。而(しか)して我、理に直(なほ)く、義に正しく、瑕(あやまり)の指擿(シテキ)すべきもの無ければ則ち彼恧然(ジクゼン)として内に愧(は)じ、辞(ことば)の以て其れに下せしむもの無く、而(しか)れば衆咸(みな)、隴種瑟縮(ロウシュシツシュク)の気有り、用ひる所と爲すを肯(がへん)ぜざるなり。獨(ひと)り我邦外國に畏慎(イシン)するに過ぐるのみならず、區處(クショ)(やや)もすれば其のの中(あたる)を失なふ。今外國を漂(ただよ)ひて歸る者有らば、視ること重犯の徒の如くして、其の再航海を許さず、或(ある)ひは禁錮し以て生を畢(をは)る。夷舶(イハク)海上に来去(ライキョ)すれば、其の情偽(ジョウギ)を間ふこと無く、概(おほむ)ね待つに侵掠の賊を以てし、必ず殄殲(テンセン)し然(しか)る後已(や)む。夫れ外國に漂(ただよ)ひ到り堅請(ケンセイ)して歸る者は、咸(みな)本邦を顧戀(コレン)す。其の情憫(あはれ)むべし。當(まさ)に厚く之(これ)を撫(やすん)じ贍恤(センジュツ)を加ふべし。其れ或ひは萬に一・二祅教に浸染(シンセン)して愚俗を誘はんと欲する者有れば、當(まさ)に嚴(きび)しく之(これ)に刑を加ふべし。玉石(ギョクセキ)を判(わけ)ずして悉(ことごと)く罪僇(ザイリク)を行なふべからざるなり。夷舶之(これ)海上に出没する者には、挟姦(キョウカン)蔵匿(ゾウトク)の輩(やから)無しとせず。然(しか)れば當(まさ)に其の是非曲直を審覈(シンカク)して之(これ)を區處(クショ)すべし。今一切梗邊襲塞(コウヘンシュウサイ)の虜(えびす)を以て之を視(み)、獮薙(センテイ)し以て自快(ジカイ)せんと欲さば、其の中に未だ必ずしも冤(エン)を銜(ふく)む者無しとせず。而(しか)して適(まさ)に自(みづ)から孱愞(センゼン)にて敵を怯(おそ)るること之(これ)甚(はなはだ)しきに處(を)るは、策の上なる者に非ざるなり。本邦寛宏(カンコウ)の政(まつりごと)、虓勇(コウユウ)の俗(ならはし)、万方(バンポウ)曹仰(ソウギョウ)する所なり。獨り外夷情實に於て、猶ほ未だ曉悉(ギョウシツ)せざる所有るのみ。故(もと)より注措(チュウソ)(ちかごろ)刺謬(シビュウ)有り。外夷をして我邦を目(モク)するに、悍戻無道(カンレイムドウ)の邦と爲さしむに致らば、夫(それ

人、我を死に致さんと思ふ。是れ懼(おそ)るべきなり。

 

巋然(キゼン)(独立自足して)・雄峙(雄々しくそびえている)・民風(民の気風)・醇懿(ジュンイ)(純粋でうるわしい)・両間(世界)・侵加(シンカ)(侵し加わること)・恧然(ジクゼン)(おずおずと恥じて)・隴種瑟縮(ロウシュシツシュク)(打ちのめされて萎縮する)・畏慎(イシン)(相手を尊んでかしこまること)・區處(クショ)(とりはからう 処理する)・中(あたる)を失(うしな)ふ(適切な度合いを失う)・夷舶(イハク)(外国の大型船)・情偽(ジョウギ)(誠と偽り)・殄殲(テンセン)(打払う)・堅請(ケンセイ)(無理やり頼む)・顧戀(コレン)(想い焦がれる)・贍恤(センジュツ)(恵んで豊かにしてやる)・愚俗(愚かな俗人)・罪僇(ザイリク)(刑の執行)・挟姦(キョウカン)(悪人を仲間とすること)・蔵匿(ゾウトク)(財物や犯人を隠し、かくまうこと)・審覈(シンカク)(詳しく調べる)・梗邊襲塞(コウヘンシュウサイ)(辺境・国境を侵し砦を襲う)・獮薙(センテイ)(打払うこと)・自快(ジカイ)(みずから心地よくすること)・冤(エン)(無実の罪)・孱愞(センゼン)(弱い)・寛宏(カンコウ)(寛大)・虓勇(コウユウ)(勇猛)・万方(バンポウ)(あらゆる方面で)・曹仰(ソウギョウ)(衆人が仰ぐ)・曉悉(ギョウシツ)(熟知)・注措(チュウソ)(処置)・刺謬(シビュウ)(責められるべき誤り)・悍戻無道(カンレイムドウ)(荒々しく心が拗(ねじ)けていて道義がない)

 

(現代語訳)

 わが国は独立自足して大海中に雄々しくそびえている。民の気風は純粋でうるわしく、信を守り義をたっとぶことでは世界の中で比べるものが無い。西洋諸国は近ごろ虎や狼のような侵略の志を抱く者があり、わが国をも侵略しようと考えないわけではない。しかし我々が道理に合っていて義に正しく誤りを指摘されるようなこともなければ、先方は恥じ入って言うべきことも無く、皆打ちのめされて萎縮した気分となり、侵略しようという気にならないだろう。

 ただわが国は外国を恐れ過ぎるのみならず、その取扱いもとかく適切さを欠きがちである。外国を漂流して帰ってくる者がいると、その者を重大な犯罪人のように見て再渡航を許さず、あるいは閉じ込めて外出を禁じ一生を終わらせる。外国の大型船が海上に来ればそれに真偽を問うこともなく、たいていは侵略船として取り扱い、必ず打払って終わる。外国に漂着して無理やり頼んで帰国する者は日本を思いこがれてきた。その情はあわれむべきで、厚くいたわり恵みを加えてやるべきである。万一キリスト教に染まって他人を勧誘しようとする者があれば厳しく処罰すべきだが、玉石を分けずにすべていっしょにして刑罰を与えるべきではない。

 海上に出没する外国船の中には悪人を助けたり匿ったりする者もいなくはない。したがってその是非を詳しく調べて対処すべきである。もし渡来する外国船すべてを国境を侵し砦を襲うものとみなして打払いそれで自分は良い気分になっても、その中には無実の罪の者を含むこともあり得る。自らを臆病で気が弱く敵を甚だしく恐れる状態にしておくのは上策とは言えない。

 わが国の寛大な政治、勇猛な文化はあらゆる方面で多くの人から仰ぎ見られるものである。ただ外国の情勢についてまだ熟知していないところがある。もともとこのごろの処置に責められるべき誤りがあるので、もし外国人がわが国を乱暴で道義の無い国と見るようになったなら、そもそも人は我々を殺したいと思うようになるだろう。これは恐るべきことである。

 

其三十八(中国は海防が不十分でも現状は安泰、だからと言って条件の異なるわが国が同じで良いわけはない)

西土明季而來、憑城禦敵、専頼炮銃以奏捷、然而其術之精巧、似於我焉、船艦之制、覚亦遜乎我、往歳清商之漂來清水湊也、予門生某蒙縣令嘱、護送達崎奥、爾時得観清舶之制、迥不本邦所造之巧緻、此賈舶耳、而戦艦可推也、夫船銃海防之大者、清無斯備、而能不侮於外夷者何、蓋以其國之形勢有一ㇾ殊也、清西北與回々蒙古俄羅斯壌界、獨東南瀕海、而南又惟廣東一省臨海、其他以安南緬甸等國藩、以自屏蔽、東方一帯、南自福健北抵青齊、爲沿海之境、不長、然而以清殆方二万里之大國之、特不一面受一ㇾ海、非本邦地形狭而長環海以立一ㇾ國也、清世以武爲大訓、海防亦稍修擧、不明代之全然隤弛、固足以伏海冦、而海防止於東方一帯、極易於措畫、斯清人之至幸也、清既綦其彊大、附近戎虜咸役屬、與西洋所據之地、犬牙錯、其威足以震憺之、一

清所奰怒、必不乎彼、故西洋諸國、惕息不敢違忤、清之免於海冦、固自有以也、若乃本邦見西土疎於海防而克免於侵擾、謂吾亦然、以怠於沿海之備、是闊於物情事理之甚者也、

 

(読み下し文)

西土、明の季(すゑ)而來(ジライ)、城に憑(よ)り敵を禦ぐ。専ら炮銃を頼み以て捷(かち)を奏(な)す。然(しか)るに其の術の精巧、我より尚(うへ)なること能はざるに似たり。船艦の制(つくり)、亦我に遜(ゆづ)ると覚ゆ。往歳(オウサイ)清商(シンショウ)(これ)清水湊に漂來するや、予の門生某縣令に嘱(たの)まるるを蒙(かうむ)り、護送し崎奥に達す。爾時(そのとき)清舶の制(つくり)を諦観(テイカン)するを得。迥(はるか)に本邦の造る所の巧緻(コウチ)に如(し)かず。此れ賈舶(コハク)のみ。而(しか)して戦艦推すべきなり。夫れ船銃海防の大なる者、清に斯(かか)る備(そな)へ無し。而(しか)して能く侮(あなど)りを外夷より招かざるは何ぞや。蓋(けだ)し其の國の形勢殊(こと)なること有るを以てなり。清の西北、回々、蒙古、俄羅斯(オロシャ)と壌界(ジョウカイ)し、獨り東南のみ海に瀕する。而(しか)して南又惟(ただ)廣東(カントン)一省のみ海に臨む。其他安南(アンナン)緬甸(ビルマ)等の國を以て藩と爲し、以て自(みづか)ら屏蔽(ヘイヘイ)す。東方一帯、南は福健より北は青齊(セイセイ)に抵(いた)るを沿海の境と爲す。長からずと爲さず。然(しか)り而(しこう)して清殆んど方(まさ)に二万里の大國たるを以て之(これ)を計れば、特(ただ)一面のみ海を受くるに過ぎず、本邦地形の狭くて長く、環海(カンカイ)なるを以て國を立つるが如くには非ざるなり。清の世、武を忘れざるを以て大訓(ダイクン)と爲す。海防亦修擧(シュウキョ)(すくな)けれど、明代の全然隤弛(タイシ)の如くには至らず。固(もと)より海冦(カイコウ)を讋伏(シュウフク)するを以て足り、而(しか)して海防、東方一帯に止まり、極めて措畫(ソカク)に易(やす)し。斯れ清人の至幸なり。清既に其の彊大(キョウダイ)を綦(きは)む。附近の戎虜(ジュウリョ)(みな)役屬(エキゾク)し、西洋の據(よ)る所の地と犬牙錯(ケンガサク)にて、其の威、以て之(これ)を震憺(シンタン)するに足る。一たび清の奰怒(ビド)する所と爲さば、必ず彼に利たらず。故(ゆゑ)に西洋諸國、惕息(テキソク)し敢て違忤(イゴ)せず。清の海冦を免るは、固(もと)より自(おのづ)から以(ゆゑ)有るなり。若乃(もしすなはち)本邦、西土の海防に疎(うと)くして克(よ)く侵擾(シンジョウ)を免がるるを見、吾も亦然(しかり)と謂ひ、以て沿海の備(そなへ)を怠らば、是れ物情事理に闊(はるか)なること甚しき者なり。

西土(中国、侗庵は中国を世界の中心とは見ず単にわが国の西にある土地としてこのように表記する) ・(かち)(勝利)・往歳(オウサイ)(往年)・清商(シンショウ)(清の商人)・崎奥(キオウ)(長崎) ・諦観(テイカン)(はっきり見極めること)・賈舶(コハク)(商船)・推す(推測する)・回々ペルシャやトルキシタン地方のイスラム教徒)・壌界(ジョウカイ)(境界を接すること)・(王家を守る諸侯)・屏蔽(ヘイヘイ)(屏風のように遮る)・青齊(セイセイ)(山東省地方)・然(しか)り而(しこう)して(それにもかかわらず)・環海(カンカイ)(四方を海に囲まれていること)・大訓(ダイクン)(大切な教訓)・修擧(シュウキョ)(立派に成し遂げること)・隤弛(タイシ)(崩れ緩んだ状態)・讋伏(シュウフク)(おそれひれふす)・措畫(ソカク)(とりはからい)・戎虜(ジュウリョ)(未開の野蛮人)・役屬(エキゾク)(従うこと 従属)・犬牙錯(ケンガサク)(犬の牙のように入り組んでいる)・震憺(シンタン)する(震え動かす・奰怒(ビド)(怒る)・惕息(テキソク)(恐れて息がはずむ)・違忤(イゴ)(逆らうこと)

 

(現代語訳)

 中国は明王朝末以来、城によって敵を防ぎ、専ら銃砲によって勝利を得てきた。しかしその技術はわが国よりも上とは言えないし、艦船の構造もわが国より劣ると思える。過去に清の商人が清水港に来た時に私の門下生が奉行からの依頼を受けこれを長崎まで護送した。その時に清の船の構造をはっきり見ることができたが、わが国の船の精巧さにはるかに及ばなかった。これは商船のみのことであるが戦艦についても推して知るべしであろう。

 清には船も銃も海防にたいしたものはない。それなのに外国から侮りを受けないのは何故だろう。それは中国の地形が特殊であるためである。清の西北はペルシャやトルキシタン地方のイスラム教徒やモンゴル、ロシアと境界を接し、ただ東南だけが海に臨んでいる。しかも南は広東省の一省のみが海に臨んでおり、その他の場所はベトナムビルマ等の国を属国として屏風のように遮っている。東方の一帯は南は福健省から北は山東省までが沿海の国境であるがかなり長い。しかし清が二万里の大国であることを考えればただ一面だけが海に面しているに過ぎないのであって、わが国のように四方を海に囲まれているわけではない。清の治世では武を忘れないことを大切な教訓としてきた。海防はあまり立派とは言えないけれど明代のように全く崩れ緩んだ状態にはなっていない。元々外敵を恐れさせ、ひれ伏させるだけで十分であり、しかも海の守りは東方一帯に限られ極めて対処しやすい。これは清の幸運なところである。清は強大さを極め付近の国はみな従属し、西洋が占領している所とは犬の牙のように入り組んでおり、その威厳は西洋を震え上がらせるに十分である。一たび清を怒らせれば必ず彼らには不利になる。したがって西洋諸国は恐れて敢えて逆らうことはしない。清が海からの侵略を免れているのはもともと理由があるのだ。

 しかし中国が海防をおろそかにしていても侵略を免れているのを見て自分もそうすると言って、わが国が沿海の備えを怠るとすればそれは事情や道理に甚だしく疎いということになる。

 

其三十九(日本は気候・風土・文化に恵まれ人口も世界有数だが、これに安住し外国を見下しているようではかえって侵略の危機を招く。英国の士気を見習うべし。)

泰西人歴選海國之大者、躋渤泥第一、麻太加須曷爾居ㇾ二、蘇門答刺在三、而擯本邦於第四蘭学者流、據以斥本邦之小、而驕稚庸俗、夫國之強弱盛否、非大小、當風気之固脆、民庶穀物之多寡以判上ㇾ之、若徒地之大是尚、則是狄之廣莫於晋、而鄭不宋之強也、而爲可乎、渤泥麻太加須曷爾蘇門答刺諸國、大都在赤道前後、毒熱異常、人之居此者、昏憒遳陋、蠢如禽獣蟲豸然、故其國久已爲外夷所蹂躙、無歯數、若乃本邦、則在北極出地三四十度之間、寒喧得中、万彙蕃庶、聖賢英傑之所産、是以風尚規制、亡渤泥諸國爲穹淵之懸、万邦亦未其倫匹、乃至戸口之夥、其實非吾儕所二ㇾ得與聞、然以臆度之、應五千萬、是特較清乾隆之盛則遜耳、其於漢唐宋明郅隆之際及欧邏巴都兒格俄羅斯目今之彊大、正相頡、猗乎昌矣、據此之地、足下ㇾ以雄視百蛮衆狄而勿之确乃来外國慢侮、鰓鰓然常有侵軼之懼、蓋經畫未其宜故也、如諳厄利亜亦爲海國、而邈不本邦之大、地又寒沍荒瘠、尠生聚、而以其志気卓犖務恢遠畧也、威稜震疊於五大洲、邦人見之、亦可以少知愧勵矣、

 

(読み下し文)

泰西人、海國の大なる者を歴選(レキセン)す。渤泥(ボルネオ)を躋(のぼ)せ第一と爲す。麻太加須曷爾(マダガスカル)を二に居(す)う。蘇門答刺(スマトラ)、三に在り。而(しか)して本邦第四に擯(しりぞ)く。蘭学者流、據(よっ)て以て本邦之(これ)小なりと斥(さ)す。而して庸俗(ヨウゾク)を驕稚(キョウチ)せば、夫れ國の強弱盛否、大小を以て斷ずべきにあらず。當(まさ)に風気の固脆(コゼイ)、民庶、穀物の多寡に就き以て之を判ずべし。若(も)し徒(いたづら)に地の大なるを是れ尚(たっと)しとせば、則ち是れ狄(テキ)(これ)廣けれど晋に勝つること莫(な)くて、鄭は宋の強さに及ばざるなり。而して可と爲すや。渤泥(ボルネオ)、麻太加須曷爾(マダガスカル)、蘇門答刺(スマトラ)諸國、大都(タイト)赤道前後に在り。毒熱異常。人の此(ここ)に居る者は、昏憒(コンカイ)遳陋(サロウ)にして、蠢(うごめ)くこと禽獣(キンジュウ)蟲豸(チュウチ)の如し。故に其の國久しく已(すで)に外夷の蹂躙する所と爲り、歯數(シスウ)に足ること無し。若乃(もしすなはち)本邦、則ち北極地を出ること三四十度の間に在り、寒喧(カンケン)(あた)るを得、万彙(バンイ)蕃庶(バンショ)し、聖賢英傑の産(うま)るる所なり。是以(これゆゑ)風尚規制、渤泥(ボルネオ)諸國と穹淵(キュウエン)の懸(へだたり)を爲すこと亡論(ムロン)なり。万邦亦未だ其の倫匹(リンヒツ)を見ず。乃ち戸口(ココウ)の夥(おびただ)しきに至れども、其の實(ジツ)吾儕(わがセイ)與聞(ヨブン)を得る所に非ず。然らば以て之を臆度(オクタク)すれば、應(まさ)に五千萬を下らざるべし。是れ特(ひと)り清の乾隆の盛(さかり)に較ぶれば則ち遜(ゆず)るのみ。其れ漢、唐、宋、明、郅隆(シツリュウ)の際及び欧邏巴(ヨーロッパ)、都兒格(トルコ)、、俄羅斯(オロシャ)、目今(モッコン)の彊大なるに於いて、正に相(あい)頡頏(ケッコウ)す。猗(ああ)(さかん)なるかな。此(かく)の如きの地に據(よ)り、百蛮衆狄(ヒャクバンシュウテキ)を雄視(ユウシ)して之(これ)と确(きそ)ふこと勿(な)きを以って足るとせば、乃(すなは)ち外國の慢侮(マンブ)を来(きた)し、鰓鰓然(シシゼン)として常に侵軼(シンイツ)の懼(おそれ)有らん。蓋(けだ)し經畫(ケイカク)未だ其の宜(よろ)しきを盡(つく)さざる故(ゆゑ)なり。諳厄利亜(アンゲリア)の如き亦海國爲(た)るも、邈(とほ)く本邦の大なるに及ばず。地又寒沍(カンゴ)荒瘠(コウセキ)にして生聚(セイシュウ)尠(すくな)し。而(しか)して其の志気卓犖(タクラク)なるを以て恢遠(カイエン)の畧に務むるや、威稜(イリョウ)五大洲を震疊(シンジョウ)す。邦人之(これ)を見れば、亦以て少しは愧勵(キレイ)を知るべきなり。

 

歴選(レキセン)(数え上げる)・(さ)す(指さす、指摘する)・庸俗(ヨウゾク)(凡庸な人)・驕稚(キョウチ)(驕り高ぶった人を小児視すること)・固脆(コゼイ)(堅実かもろいか)・民庶(庶民、人民)・(テキ)(異民族)

 中国,春秋戦国時代の侯国。前十一世紀末,周成王の弟叔虞が唐(山西省翼城県西)に封ぜられた国。前六七九年曲沃(山西省聞喜県)の分家の武公の国を奪い,以後周囲の小国や北の狄(てき)を討って疆域を拡大した。前七世紀後半の文公は,楚の北上をおさえて,覇者となる。以後華北の強大国として,楚と対立したが,春秋後半には,大夫の勢力が強大となり,晋侯の実権は失われ,前四五三年に韓・魏・趙三家に国土を三分され,前三七六年三家に滅ぼされた。(世界大百科事典)

 中国,春秋時代の侯国。前八〇六年周の宣王が弟の友(桓公)を鄭(陝西華県東)に封じたのに始まる。周の幽王のとき,桓公は周の滅亡を予見し,東の新鄭(河南新鄭県)に遷都することに着手しようとしたが,幽王とともに桓公も犬戎に殺された。その子の武公は東遷した周の平王を助け,王室の卿として力を振るった。のち内乱が続き,春秋時代には晋と楚との間にあって,両者の圧迫に苦しんだ。その間,子産が国政を改革したが,退勢を挽回できず,戦国になると韓に攻められ前三七五年に滅ぼされた。(世界大百科事典)

 中国,春秋時代の侯国。?-前二八六年。殷の滅亡後,殷王帝辛(紂王)の兄微子啓が,殷の故都商邱(河南商邱県南)に封ぜられた国。春秋時代には河南東部を中心として勢力をもち,第十九代襄公は桓公死後の斉の内乱を治め,覇者を志したが,楚に敗れ死亡。以後晋・楚の間にあり,両国の圧迫に苦しんだ。その間前五八八年,前五四六年の二回,宋が中心となって晋・楚の和平を実現させた。戦国時代には小国に転落,前二八六年斉,魏,楚に三分され滅んだ。(世界大百科事典)

昏憒(コンカイ)(心が暗く乱れている)・遳陋(サロウ)(背が低く醜くいやしい)・禽獣(キンジュウ)(小動物)・蟲豸(チュウチ)(虫やノロノロと這いまわる動物)・數(シスウ)(歯牙にかけ数え上げること、問題にすること)・若乃(もしすなはち)(さてそこで、ところで)・北極地を出ること三四十度(北緯30~40度)・寒喧(カンケン)(寒さと温かさ) ・中(あた)るを得(ちょうどよく)・万彙(バンイ)(万物)・蕃庶(バンショ)(増える)・風尚(人々の好み)・穹淵(キュウエン)(天と地)・倫匹(リンヒツ)(仲間)・戸口(ココウ)(家の数と人口)・吾儕(わがセイ)(我々)・與聞(ヨブン)(あずかり聞くこと)・臆度(オクタク)(推測)・郅隆(シツリュウ)(全盛)・目今(モッコン)(現在)・頡頏(ケッコウ)(張り合う 匹敵する)・百蛮衆狄(ヒャクバンシュウテキ)(諸外国)・雄視(ユウシ)(威勢を張って見下す)・慢侮(マンブ)(あなどり)・鰓鰓然(シシゼン)(びくびくして)・侵軼(シンイツ)(侵略)・經畫(ケイカク)(計画)・諳厄利亜(アンゲリア)(英国)・寒沍(カンゴ)荒瘠(コウセキ)(寒さ厳しく、荒れてやせている)・生聚(セイシュウ)(民を増やし財を豊かにすること)・卓犖(タクラク)(傑出)・恢遠(カイエン)大きく広い ・(はかりごと)・威稜(イリョウ)(王の威光)・震疊(シンジョウ)(ふるえ恐れる)・愧勵(キレイ)(はじること)

 

(現代語訳)

 西洋人は島国の大きいものを数え上げている。ボルネオを第一に挙げ、マダガスカルを第二に、スマトラを第三としている。そしてわが国を第四としている。蘭学者たちはこれを見てわが国は小さいと指摘している。しかし驕り高ぶった凡俗どもを幼児視して言えば、そもそも国の強弱や盛衰は国土の大小で判断することではない。民の気風が堅実か脆いか、人口や穀物生産の多いか少ないかにより判断すべきことである。もしただ面積が大きいことを良しとすれば、春秋時代に異民族の国は広かったが晋に勝てなかったし、鄭は宋の強さに及ばなかった。それでも良しとするのか。ボルネオ、マダガスカルスマトラの諸国はすべて赤道の前後にあり毒や熱が尋常ではない。ここにいる者は心が暗く背が低く醜くて、小動物や虫のようにうごめいている。このためこれらの国は随分以前から既に外国に蹂躙されており、問題にならない。

 一方でわが国は北緯三十から四十度の間にあり寒さと温かさが丁度よく、さまざまな物が育ち、聖賢や英雄が生まれる所である。このため文化や法制度はボルネオ諸国と天と地ほどの隔たりがあることは勿論である。世界中にこれに匹敵するような国は見当たらない。わが国の戸数や人口は非常に多いが、その実数がどれぐらいかは聞いたことが無い。そこでこれを推測すればおそらく五千万を下ることはないだろう。これは清の乾隆帝の時代の最盛期に比べれば下回るだけで、漢、唐、宋、明の全盛期およびヨーロッパ、トルコ、ロシアの現在の強大さに匹敵する。何と巨大なことだろうか。

 このような地にいながら、諸外国を見下しこれらと競う必要などないと思っているならば、かえって外国から侮られびくびくとして常に侵略を恐れることになるだろう。そのわけは国家の計略が適切ではないからだ。英国は同じように島国であるがわが国の大きさには遠く及ばない。土地は寒さが厳しく荒れてやせており、民を増やしたり財を豊かにするには厳しい。しかし傑出した志気で広大な計略に務めた結果、国王の威光は五大洲を恐れおののかせている。日本人はこれを見て少しは恥を知るべきである。

 

其四十(国土の割に人口が少ないロシアや清は国防が難しいはずだが人口密度の高い日本よりはるかにまし)

國雖廓然恢廣、而土地寒沍不毛、民物不蕃阜、則堡塞棄而弗守、険要疎而易入、岌岌焉有侵削之懼、國雖蕞爾之小、而戸口夥、米粟饒裕、則防備可以得周匝、進有攘闢之勢、退有堅守之便、其失得、迥爾不侔也、故梁伯廣其國、而民不實、卒併于秦、斉壌地不甚大而生聚繁殖、在七國中屹然称雄、固其當也、雖然英武之主據曠渺荒莽之國、能使守備周到無抵之隙、至昏君孱王、則治地狭民殷之域、直覺四封空疎多瑕可上ㇾ乗、譬之儗之倫居家、或不一二藏穀、而明畧邁匹者、乃将十万之師、能令之如臂指之使、左右伸縮、無意、人之智否懸甚廼至此、今清地十倍乎我、而人口不萬々、俄邏斯地數十倍乎我、而人口止於五千万、以地與一ㇾ人相参較、則亦可廣莫少一ㇾ民、然二國防備、即未周密無漏闕、而亦稍整設、有以自固、不称、若乃地居彼十之一二、口數與彼略敵衡、實爲両間富庶殷阜之區、而沿海守備或不二國之稍有以保境威一ㇾ敵、即其爲恥孰甚焉、

 

(読み下し文)

國廓然恢廣(カクゼンカイコウ)たりと雖(いへど)も、而(しか)して土地寒沍(カンゴ)にして不毛、民物蕃阜(ハンプ)たらざれば、則ち堡塞(ホウサイ)棄てて守らず、険要(ケンヨウ)(まばら)にて入るに易(やす)く、岌岌(キュウキュウ)として侵削(シンサク)の懼(おそれ)有り。國蕞爾(サイジ)の小と曰(い)ふと雖(いへど)も、而(しか)して戸口(ココウ)(おびただ)しく、米粟(ベイゾク)饒裕(ジョウユウ)ならば、則ち防備以て周匝(シュウソウ)を得、進むに攘闢(ジョウヘキ)の勢を有し、退くに堅守の便(てだて)を有すべし。其の失得、迥(はるか)に侔(ひとし)からざるなり。故に梁伯其の國廣けれども民實(みた)さず。卒(つひ)に秦に併(あは)さる。斉、壌地甚大ならざれども生聚(セイシュウ)し繁殖す。七國中に在りて屹然(キツゼン)(ユウ)たるを称す。固(もと)より其れ當(トウ)なり。然りと雖(いへど)も英武の主、曠渺荒莽(コウビョウコウモウ)の國に據り、能(よ)く守備周到にして抵(おか)すべき隙(すき)からしむ。昏君(コンクン)孱王(センオウ)に至りては、則ち地狭く、民殷(おほ)き域を治むるに、直ちに四封(シホウ)空疎にして瑕(すき)に乗ずべきところ多きを覺ゆ。之(これ)を譬(たと)ふれば、佁懝(アイガイ)の倫(とも)家に居、或ひは一二の藏穀(ゾウコク)を馭(ギョ)すること能はざるがごとし。而して明畧(メイリャク)(たぐひ)に邁(すぐ)れば、乃(すなは)ち十万の師を将(ひき)ゐ、能(よ)く臂指(ヒシ)の使ふが如くに之(これ)をせしめ、左右伸縮、意の如くせざるは無し。人の智否懸(へだ)つること甚しければ廼(すなは)ち此(ここ)に至る。今清地、我の十倍なり。而(しか)して人口萬々(バンバン)に過ぎず。俄邏斯(オロシャ)地我の數十倍なり。而(しか)して人口五千万に止(とど)む。地と人を以て相参較(サンコウ)せば、則ち亦廣莫(コウバク)にして民少なしと謂ふべし。然れば二國防備、即ち未だ周密(シュウミツ)にして、漏闕(ロウケツ)無きを得ず。而(しか)して亦稍(やうや)く整設し、以て自固(ジコ)有りと称すべきこと無しとせず。若乃(さてまた)地は彼の十の一二に居り、口數彼と略(ほぼ)敵衡(テキコウ)す。實(まこと)に両間(リョウカン)の富庶(フショ)殷阜(インプ)の區(ところ)爲り。而して沿海守備、或ひは二國の稍(やうや)く境を保ち敵を威(おど)すを以てすること有るに如(し)かず。即ち其れ恥ずべきと爲すこと孰(いづ)れか甚しきや。

廓然恢廣(カクゼンカイコウ)(広々としている)・寒沍(カンゴ)(寒さが厳しい)・民物(ミンブツ)(人々)・蕃阜(ハンプ)(多くて盛んなこと)、堡塞(ホウサイ)(とりで)・険要(ケンヨウ)(地形が険しく防御によい場所)・岌岌(キュウキュウ)(危険な状態で)・侵削(シンサク)(侵略)・蕞爾(サイジ)(小さい)・戸口(ココウ)(戸数と人口)・米粟(ベイゾク)(穀物)・饒裕(ジョウユウ)(豊かで余裕がある)・周匝(シュウソウ)(周到であること すみずみまで行き渡っていること)・攘闢(ジョウヘキ)(払いのけること)・春秋時代にあった諸侯国。秦に滅ぼされる)・壌地(国土)・生聚(セイシュウ)(人民を育て国力を養うこと)・七國(中国戦国時代の七国)・屹然(キツゼン)(孤高を保ちまわりに屈せず)・雄(ユウ)(旗頭)  ・英武(すぐれて勇敢な)・曠渺荒莽(コウビョウコウモウ)(広く荒涼とした)・昏君(コンクン)(愚かな君主)・孱王(センオウ)(弱い王)・四封(シホウ)(四方の国境)・佁懝(アイガイ)(愚かな)・藏穀(ゾウコク)(召使)・明畧(メイリャク)(賢明な計略)・臂指(ヒシ)(腕が手指を自由に使うように自由に人を使うこと)・萬々(バンバン)(一億)・参較(サンコウ)(比べ合わせて考える)・廣莫(コウバク)(広く)・周密(シュウミツ)(行き届いて手落ちがない)・漏闕(ロウケツ)(漏れや欠け)・稍(やうや)く(次第に)・整設(整え設ける)・自固(ジコ)(自分を堅固にすること)・若乃(さてまた ところで)・口數(人口)・敵衡(テキコウ)(匹敵)・富庶(フショ)(国が富み人口が多い)・殷阜(インプ)(栄えている)

 

(現代語訳)

 国が広々としていても寒さが厳しく土地は不毛で人口が多くなければ、砦は捨てられて守られず、要害の地でも人がまばらで簡単に入られるなど、侵略されるおそれが多分にある。国が小さくても戸数と人口が多く穀物が豊かで余裕があれば防備を周到に準備することができ、進む時には敵を払いのける勢いがあり、退く時は固く守る手段がある。両者の得失の差は大きい。それゆえ春秋時代の諸侯国である梁は広かったが民は豊かではなく遂に秦に併合された。一方斉は国土はそれほど広くなかったが人民を育て国力を養い、戦国時代の国の中でも孤高を保ち周囲に屈せず戦国七雄として称えられた。これは当然のことである。しかしながらすぐれた王であれば広く荒涼とした国にあっても守備を行き届かせ、つけ入る隙を無くすであろう。愚かな君主や弱い王では土地が狭く人民が多い地域を治めても、四方の国境がガラガラでつけ入る隙が多いことにすぐに気づく。これは例えてみれば、愚かな友人が家にいることや一人二人の召使を使いこなせないことと同じだ。しかし優れて賢明な計略があれば、十万の軍を率いてこれを自由自在に使いこなし、思い通りにならない所がない。人の知恵の有無の差がここまで甚だしければ、このような結果になる。

 現在の清の面積はわが国の十倍であるが人口は一億に過ぎない。ロシアの面積はわが国の数十倍あるが人口は五千万に止まる。面積と人口を比べ合わせて考えれば国土が広い割に人口が少ないと言うべきである。そうしてみるとこの二国の防備は行き届いておらず漏れや欠点が無いとは言えない。しかし次第に整備してきており、堅固になってきたと言える。ところでわれわれは清やロシアの面積の十分の一か二の土地に居て人口は彼らにほぼ匹敵するほどなので、日本は実に世界の中の富裕繁栄地域ということになろう。しかし沿岸の守備に関しては、ロシアと清が敵を威嚇することや国境を保つことが何とかできているのと比べてもこれに全く及ばない。恥ずべきであるのはどちらが甚だしいだろうか。

 

其四十一(海に囲まれているから安全などと考えるのは時代錯誤)

目今論者類以爲本邦之環一ㇾ海、而無隣並之國、實幸之至也、藉令西土與南夷西戎北胡一ㇾ壌、則久已爲虜所呑滅矣、此識一而不二之見也、西土如燕魏遼金割天下之半、元清併有天下之全、皆自附塞小夷起駸々蠺食、馴致滔天之禍、因以爲本邦無是隣近之夷、故能免於禍焉、然而西土所以罹燕魏遼金元清之難者、以其君臣荒淫、政厖民散、有必敗之兆也、國有必敗之兆、不更張釐整以自強、而徒冀敵之不来、以獲倖免、洵屬無策、矧國勢至此、凡萌隷寇賊咸足竊神器、寧獨戎虜之禍而已也哉、且也近歳強胡如卾羅斯、如英機黎、船艦牢而鉅、極長於水戦、雖千里而外轉瞚可達、則吾邦猶之隣比然、乃欲千載前専恃騎戦之虜一ㇾ之、膠柱極矣、夫本邦所以不上ㇾ外夷之患者、特以振古而還、國勢雄、兵力壮、人饒於智勇、然有以自立、故冦賊畏避、不敢萌覬覦耳、不然如爪哇呂宋蘇門答刺諸國、皆峙于巨海中、與本邦異、而悉爲泰西所蹂躙、無克自存、環海之固、烏足恃乎、試使本邦在支那印度之地乎、以邦俗之虓鷙、更得烈祖及豊太閤之英武而駕馭之、以展厥宏略、可以呑併隣邦、突過清之大、而虎視於五大洲、不快之極耶、乃以四面臨上ㇾ海不甚便於進取也、苶然、有退縮之勢、不復思兼并、予未其爲一ㇾ幸也、今上下果能一意愓厲、嚴武備、飭海防、進可以挫一ㇾ敵、退足以自保、若乃恃環海之阻、晏然忘戦、怠佚侈靡、湛溺昇平之楽、以來彊虜侵侮、異日の禍、深可憂慮、則世之所謂至幸、秪爲大不幸、可嘆喟哉、

 

(読み下し文)

目今(モッコン)論者類(おほむ)ね以爲(おもへらく)「本邦之(これ)海を以て環(めぐ)らして隣並(リンペイ)の國無きこと實に幸(さひはひ)の至りなり。藉(もし)西土の南夷、西戎、北胡と壌(つち)を接するが如しとせしめば、則ち久しく已(すで)に虜(えびす)の呑滅(ドンメツ)する所と爲らん」と。此れ一を識(し)りて二を知らざるの見(ケン)なり。西土、燕、魏、遼、金、天下の半(なかば)を割り、元、清、天下の全てを併有するが如く、皆附塞(フサイ)の小夷より駸々(シンシン)たる蠺食(サンショク)を起こし、滔天(トウテン)の禍(わざはい)に馴致(ジュンチ)す。因て以て、本邦是(これ)隣近の夷(えびす)無く、故(ゆゑ)に能(よ)く禍(わざはい)を免がると爲す。然(しか)り而(しこう)して西土、燕魏遼金元清の難に罹(かか)る所以(ゆゑん)は、其の君臣荒淫(コウイン)し、政(まつりごと)(みだ)れ、民散り、必ず敗るるの兆(きざし)有るを以てなり。國必ず敗るるの兆(きざし)有りて、自強するを以て更張釐整(コウチョウリセイ)するを思はずして、徒(ただ)敵の来らざるを冀(こひねが)ひ、倖免(コウメン)を獲(え)ると以てせば、洵(まこと)に無策に屬(ちか)し。矧(いはんや)國勢此(ここ)に至り、凡(およ)そ萌隷(ホウレイ)寇賊(コウゾク)(みな)神器を簒竊(サンセツ)するに足る。寧(いづ)くんぞ獨(ただ)戎虜(ジュウリョ)の禍(わざはひ)而已(のみ)なるや。且也(かつまた)近歳の強胡(キョウコ)、卾羅斯(オロシャ)の如き、英機黎(イギリス)の如き、船艦牢(ロウ)にして鉅(キョ)、極めて水戦に長じ、千里より外と雖(いへど)も轉瞚(テンシュン)に達すべし。則ち吾邦猶ほ之(これ)隣比(リンピ)のごとし。乃(すなは)ち千載(センザイ)前の専ら騎戦を恃(たの)むの虜(えびす)を以て之(これ)を待たんと欲するは、柱(ことぢ)に膠(にかは)すの極(きはみ)なり。夫れ本邦外夷の患(うれ)ひに遭(あ)はざる所以(ゆゑん)は、特(ひと)り振古而還(シンコジカン)、國勢雄(すぐ)れ、兵力壮(つよ)く、人智(チユウ)に饒(ゆた)かにて、嶻然(サツゼン)自立を以て有る以(ゆゑ)なり。故(ゆゑ)に冦賊(コウゾク)(おそ)れ避け、敢て覬覦(キユ)を萌(きざ)さざるのみ。然らざるは爪哇(ジャワ)、呂宋(ルソン)、蘇門答刺(スマトラ)諸國の如し。皆巨海中に峙(そばだ)ち本邦と異ならずして悉(ことごと)く泰西の蹂躙(ジュウリン)する所と爲り、克(よ)く自存するもの無し。環海(カンカイ)の固(かため)、烏(いづ)くんぞ恃(たの)むに足るか。試(こころみ)に使(も)し本邦支那印度の地に在らしめば、邦俗の虓鷙(コウシ)なるを以て、更に烈祖及び豊太閤の英武(エイブ)の如きを得て之(これ)を駕馭(カギョ)し、以て厥(その)宏略(コウリャク)を展(の)べ、以て隣邦を呑併(ドンペイ)し、清の大なるを突過(トッカ)して五大洲を虎視(コシ)すべし。快の極(きはみ)ならざるや。乃(すなは)ち四面海に臨むを以て進取に甚(はなは)だ便ならざるなり。苶然(デツゼン)、退縮の勢(かたむき)有り、復(ま)た兼并(ケンペイ)を思はず。予、未だ其の幸(さいはひ)爲るを見ざるなり。今上下果(はたし)て能く一意に愓厲(トウレイ)し、武備を嚴しくし、海防を飭(ととの)へば、進みては敵を挫(くじ)くを以てし、退きては自保(ジホ)を以てするに足るべし。若乃(もしすなはち)環海(カンカイ)の阻(へだ)てを恃(たの)み、晏然(アンゼン)戦(いくさ)を忘れ、怠佚(タイイツ)侈靡(シビ)、昇平(ショウヘイ)の楽に湛溺(タンデキ)せば、以て彊虜(キョウリョ)の侵侮(シンブ)を來(きた)し、異日の禍(わざはひ)、深く憂慮すべし。則ち世の所謂(いはゆる)至幸(シコウ)、秪(まさ)に大不幸爲り。嘆喟(タンキ)に勝(た)ふべきかな。

 

目今(モッコン)(現在) ・(つち)(国土)・附塞(フサイ)(辺境)・駸々(シンシン)(急速に)・滔天(トウテン)(天までみなぎること。きわめて勢いが盛んなこと)・馴致(ジュンチ)(次第になる)・荒淫(コウイン)(酒や遊びに心を奪われること)・更張(コウチョウ)(緩んだ糸を締め直す 緩みを引き締める)・釐整(リセイ)(秩序を正す)(いい加減だったことを改め整えてさかんにする)・自強(自ら勉め励むこと)・倖免(コウメン)(幸いにも免れること)・萌隷(ホウレイ)(人民や奴隷、賤しい者)・寇賊(コウゾク)(悪者)・簒竊(サンセツ)する(奪い盗む)・近歳(近年)・(ロウ)(堅固)・(キョ)(大きい)・轉瞚(テンシュン)(瞬く間に)・隣比(リンピ)(隣り近所)・千載(センザイ)(千年)・柱(ことぢ)に膠(にかは)す(琴柱を膠づけにして動かなくすれば音調を変えることができなくなる。融通の利かず的外れなことのたとえ。)・振古而還(シンコジカン)(太古以来)・嶻然(サツゼン)(そびえ立つように)・覬覦(キユ)(分不相応なことをうかがい狙うこと)・環海(カンカイ)(四方を海に囲まれた国)・(かため)(守備)・虓鷙(コウシ)(荒々しく勇ましいこと)・英武(エイブ)(武勇に優れていること)・駕馭(カギョ)(自分の思うままに使う)・宏略(コウリャク)(立派なはかりごと)・突過(トッカ)(突き抜ける)・虎視(コシ)(乗ずべき機会をうかがうこと)・苶然(デツゼン)(疲れて)・兼并(ケンペイ)(他国の領土を併呑すること)・一意(一心に)・愓厲(トウレイ)(まっすぐに励む)・自保(ジホ)(自分の身を守る)・晏然(アンゼン)(やすらかに)・怠佚(タイイツ)(怠け楽しみ)・侈靡(シビ)(身分に過ぎたおごり)・昇平(ショウヘイ)(太平)・湛溺(タンデキ)(溺れふけること)・侵侮(シンブ)(侮って礼を失すること)・嘆喟(タンキ)(なげくこと)

 

(現代語訳)

 現在議論を好む人たちはおおむね次のように考えている。「わが国は海に囲まれ隣国がないことはまことに幸いなことだ。もし中国のように外国と国土を接していたらとっくに外国から滅ぼされていただろう」と。これは一を知って二を知らない見解である。中国では燕、魏、遼、金などの異民族国家が国土の半分を占めたことがあり、元や清の異民族国家が国土の全部を占めたこともある。これらは辺境の小さな国が急速な侵略を起こし次第に大変なわざわいとなったものだ。だからわが国には近隣に外国が無くそれゆえこうしたわざわいを免れていると考えるわけである。

 しかし中国が燕、魏、遼、金や元や清などの異民族により災難に遭ったのは君主や家臣が酒や遊びに心を奪われ、政治が乱れ民がバラバラになり必ず敗れる兆しがあったことによるのだ。国が必ず敗れる兆しがあっても、自ら勉め励むことでゆるみを引き締め秩序を正そうとは思わず、ただ敵が来ないことを乞い願い、幸いにも難を免れたと考えているようではまことに無策に近い。ましてやわが国の情勢はここに来て身分の卑しい者、悪漢など誰でも帝位を狙いうるような状態であり(注1)、災難はただ外国からだけではない。かつまた近年ロシアやイギリスのような強国は艦船が堅固で大きく極めて海戦が得意で、千里と離れていても瞬く間に来ることができる。つまりわが国とは隣り近所のようなものだ。もはや千年前の専ら騎馬戦頼みの外敵のつもりでこれに対処しようとするのは、「琴柱に膠す」つまり融通がきかず的外れなことの最たるものだ。

 そもそもわが国が外国の侵略に遭わなかったのは大昔から国勢が盛んで兵力が強く人々に知恵と勇気があり、そびえ立つように自立していたからである。それゆえ悪者どもも恐れて避け、あえて狙うようなことはしなかったのである。そうでなかったのがジャワやルソン、スマトラなどの国で、皆海洋国家である点はわが国と同じであるが、ことごとく西洋諸国に蹂躙され独立しているものは無い。海に囲まれていることが何で防禦の頼りになるものか。もしわが国がインドの地にあったとすれば、わが国の勇猛な文化と更に家康公及び太閤秀吉公のようなすぐれた武勇でその戦略を展開し、隣国を併合し清のような大国を突き抜けて五大洲に進出する機会を伺っただろう。何と爽快なことだろうか。ところがまわりを海に囲まれていることは対外進出にはあまり有利ではない。ぐったり疲れて退いてしまう傾向があり、他国の領土を併合することなど全く考えない。私はそれが良かったことを見たことが無い。

 もし上も下も一心に励んで武備を厳しくし海防を整備すれば、進んでは敵を打ち負かし、退いては自分の身を守れるようになる。しかし海に囲まれていることを頼みにして安心して戦を忘れ、怠け楽しみ、身分不相応な贅沢と太平におぼれていれば、外国からの侮りを招くだろう。将来の災いを深く憂慮すべきである。つまり世に言うまことに幸せなこととはまさに大不幸なのである。嘆かわしいことだ。

(注1)この頃百姓一揆が頻発していたことに加え、1837年には大塩平八郎の乱生田万の乱が勃発するなど、国内は不安定化していた。

 

其四十二(英露の戦略は信長に似て弱国を併合し強国を孤立させるにあり、今のうちに防禦の準備をすべし)

古昔甲之武田晴信、越之上杉輝虎、胥長於行一ㇾ師、兵精而國強、不與确織田信長知之、故卑辞腆禮以承奉其意、使釁端、以其間噬京畿及隣近諸侯、意欲已國綦大兵至強、二師孑立無一ㇾ援、然後一征殲之、後來甲遂爲信長所一ㇾ併、輝虎雖信長之狡計、而未幾病歿、不之制、嗣子遂爲削弱、信長之遠圖亦可畏矣、今俄羅斯英機黎之設心、頗似類焉、姑舎其彊大者、而先従事于小弱易ㇾ與者、故五大洲中國、風習脆軟忘武者、多被併有、而其彊者則依然屹立不相下、彼其志豈畫乎此、亦欲壹衆弱其盛大之勢、以困蹙向之彊者、亦可悪而懼、今也彼経営惨淡、未其志之際、正屬我有爲之秋、不今之暇豫而爲之所、後必有悔者矣、雖然即称絶大莫強之邦、兵力自有涯垠、非輕與數十萬之師、有國焉、人口苟躋四五百萬、可以發十萬兵、加之措畫合宜、外夷無復可一ㇾ畏、此又異於甲越之小、四隣皆爲敵、則孤立難保者、天下與一國、其形勢固不侔矣、嗚呼如本邦、其盛大富實、幾無遺憾、特恨其未捍禦之術、不上ㇾ以威制四夷耳、

 

(読み下し文)

古昔甲の武田晴信、越の上杉輝虎、胥(とも)に師(シ)を行ふに長(た)け、兵精(すぐ)れ國強く、與(とも)に确(くら)ぶべからず。織田信長(これ)を稔知(ジンチ)す。故に卑辞(ヒジ)腆禮(テンレイ)以て其の意を承奉(ショウホウ)し、釁端(キンタン)を造るを獲(え)ざらしめ、其の間を以て京畿及び隣近諸侯を呑噬(ドンゼイ)す。意(おも)ふに已(すで)に國綦(きはめ)て大きく、兵至(いたっ)て強し。二師孑立(ケツリツ)し援(たすけ)無きを待ち、然(しか)る後に一征し之(これ)を殲(ほろ)ぼさんと欲す。後來(コウライ)甲遂(つひ)に信長の併(あは)す所と爲る。輝虎、信長の狡計を覺ゆと雖(いへど)も、而(しか)して未だ幾(いくばく)もなく病歿し、之(この)(おさへ)を有すること能(あた)はず。嗣子遂(つひ)に削弱(サクジャク)せらる所と爲る。信長の遠圖(エント)亦畏(おそ)るべし。今俄羅斯(オロシャ)、英機黎(イギリス)の設心(セッシン)(すこぶ)る焉(これ)に似類(ジルイ)す。其の彊大(キョウダイ)なる者は姑(しばら)く舎(すてお)きて、先ず小弱にして與(く)み易(やす)き者に従事す。故に五大洲中の國、風習脆軟(ゼイナン)にして武を忘るる者、多くは併有せらる。而(しか)して其の彊者(キョウジャ)則ち依然屹立(キツリツ)し相下らず。彼其の志(こころざし)此を畫(はか)るを豈(ねが)ひ、亦衆弱(シュウジャク)を混壹(コンイツ)し其の盛大の勢を極め、以て向之(さきの)彊者を困蹙(コンシュク)せんと欲す。亦悪(にく)み懼(おそ)るべし。今や彼、経営に惨淡(サンタン)として、未だ其の志を逞(たくま)しくせざるの際、正(まさ)に我が有爲の秋(とき)に屬(いた)る。今の暇豫(カヨ)を迨(ねが)ひて之所(これがところ)を爲さざれば、後に必ず悔ゆべからざる者(こと)有るべし。然れば即ち絶大莫強(バクキョウ)の邦を称すると雖(いへど)も、兵力自(おのづ)から涯垠(ガイギン)有り。輕(かるがる)しく數十萬の師に與(くみ)するを可(よし)とするに非ず。國有りて人口苟(いや)しくも四五百萬に躋(のぼ)れば以て十萬の兵を發(おこ)すべし。之に加ふる措畫(ソカク)合宜(ゴウギ)なれば、外夷復(ま)た畏(おそ)るべきもの無し。此又(これまた)甲越の小なるが四隣皆敵と爲さば、則ち孤立し保ち難き者(こと)とは異なる。天下と一國と其の形勢固(もと)より侔(ひと)しからざるなり。嗚呼(ああ)本邦の如き、其の盛大富實(フジツ)なること、幾(いくばく)も遺憾無し。特(ただ)其の未だ捍禦(カンギョ)の術を盡(つく)さず、以て四夷を威制すること能(よ)く有らざるを恨むのみ。

 

甲州 甲斐)・(越後)・(シ)(いくさ)・稔知(ジンチ)(熟知)・卑辞(ヒジ)(へりくだったことば)・腆禮(テンレイ)(丁寧な礼儀)・承奉(ショウホウ)(よく仕えること)・釁端(キンタン)(争いのいとぐち)・孑立(ケツリツ)(孤立)・後來(コウライ)(その後)・削弱(サクジャク)(国土を削り弱める)・遠圖(エント)(遠大な計画)・設心(セッシン)(心配り 配慮)・似類(ジルイ)(類似)・脆軟(ゼイナン)(脆く軟弱)・衆弱(シュウジャク)(弱小諸国)・混壹(コンイツ)(一つにまとめる)・困蹙(コンシュク)(困窮)・惨淡(サンタン)(苦心している)・有爲(重要な)・暇豫(カヨ)(無事でのんびりしていること)・之所(これがところ)(適切な処置)・絶大莫強(バクキョウ)(極めて大きくこの上なく強い)・涯垠(ガイギン)(かぎり 限界)・措畫(ソカク)(処置)・合宜(ゴウギ)(適切)・遺憾(残念に思うこと)・捍禦(カンギョ)(防禦)

 

(現代語訳)

 昔、甲斐の武田晴信と越後の上杉輝虎は共にいくさに長け兵は優れ国も強く、共に比類がなかった。織田信長はこれを熟知しており、へりくだった言葉や丁寧な礼儀でその意に逆らわないようにし、争いの糸口を与えなかった。そしてその間に近畿地方や近隣の諸大名を併合していった。信長が考えていたのは、すでに自分の国は極めて大きく兵も強いので甲斐と越後の二軍が孤立無援となるのを待ってその後に一気に攻め滅ぼそうというものであった。その後甲斐は結局信長に併合された。輝虎は信長に策略に気づいていたが間もなく病没し、これを抑えることができなかった。輝虎の後継者は結局国土を削られ弱められることになった。信長の遠大な計画は恐るべきものである。

 現在のロシアやイギリスの考えもこれによく似ている。強大な国はしばらく捨て置いて、まず弱小で組みやすい国を相手にする。それゆえ五大洲の国の中で脆弱な気風で武の心構えを忘れたものの多くが併合されている。しかしその中の強者は依然として立ちふさがり引き下がらない。彼らの志はこの状況を打開することであり、弱小諸国を一つにまとめて自分たちの勢いを強めることでこの強者を困窮させようとしている。まことに憎々しく恐るべきことである。

 今は彼らは計画実現に苦心していて思い通りにできていないので、我々にとっては重要な時である。今ののんびりした状態の続くことを願って適切な処置をしなければ、後に必ず後悔することになる。強大であることを自称する国であっても兵力には自ずから限界がある。軽々しく数十万の軍に味方するのが良いわけではない。国があって人口が四・五百万もあれば十万の兵をおこすことはできる。これに与える処置が適切であれば外国を恐れる必要はない。これは甲斐や越後のような小国がまわりをすべて敵としてしまえば孤立して国を保てなくるのとは異なる。世界と一国とでは情勢は同じではない。わが国のように豊かで充実していることは素晴らしいことだが、防禦の手段を尽くしておらず周囲の外敵を威圧できていないことが残念でならない。

 

其四十三(英露二国、とりわけ恐るべし)

目今外國除満清都兒格之外、莫下盛且大上於俄羅斯英機黎、凡両間綦彊極熾之國、爲本邦、爲滿清、爲莫臥兒、爲百兒西亜、爲都兒格、而朝鮮喀爾喀翁加里亜等次之、以西土里程之、緜地殆四萬里許、而其北則俄羅斯止以一國之、其形如鼇之載山而扑然、今又滅波羅尼亜、削奪雪際亜之半、其西界更出於都兒格之西、取柬察加、渡海而漸蠺食亜墨利加、則其東陲遠迤於本邦之東、其大爲何如也、俄羅斯疆域固多凛冽不毛之地、然併有既極其廣、則其中亦自有沃腴之區、如新舊都近地及歌撤更波羅尼亜、未始不殷富、故舊志其口三千萬、近歳之史則云五千萬、其勢駸々有禦者、即就今日而論、幅員之大、亘古靡匹、而其人口之夥、又足漢唐之盛際、那可輕耶、或云、渠夙有併一世界之心、此雖於憶測之説、而方今之盛、既已爲騎虎破竹之勢、其大志未必不一ㇾ乎方寸、不懼、亡本邦、如夫滿清百兒西亜都兒格、胥抛之度外、而不折衝之方、則非時務也、邇者英機黎侵略海南諸島、據榜葛刺、削噬天竺、又大入北亜墨利加、自其極東、而透出極西、殆有一大洲之半、勃興之勢不遏、然未悉其詳、故不論、要之二國尤外國之可畏悪者也、

 

(読み下し文)

目今(モッコン)外國、満清、都兒格(トルコ)を除くの外、俄羅斯(オロシャ)、英機黎(イギリス)より盛且つ大なるは莫(な)し。凡そ両間に綦(きはめ)て彊(つよ)く極めて熾(さかん)なるの國、本邦爲り、滿清爲り、莫臥兒(ムガール)爲り、百兒西亜(ペルシア)爲り、都兒格(トルコ)爲り。而して朝鮮、喀爾喀(カルカ)、翁加里亜(ハンガリー)等之(これ)に次ぐ。西土里程(リテイ)を以て之(これ)を計れば、緜地(メンチ)殆ど四萬里許(ばかり)。而(しか)して其の北、則ち俄羅斯(オロシャ)(ただ)一國を以て之(これ)を承(しの)ぐ。其の形、鼇(ゴウ)の山を載せて扑(たふれ)るが如く然り。今又波羅尼亜(ポーラニア)を滅し、雪際亜(スウェーデン)の半(なかば)を削奪す。其の西界更に都兒格(トルコ)の西に出る。柬察加(カムチャッカ)を取り、海を渡りて漸(やうや)く亜墨利加(アメリカ)を蠺食(サンショク)す。則ち其の東の陲(さかひ)、遠く本邦の東に迤(ゆ)く。其の大なるを何如(いかが)爲さんや。俄羅斯(オロシャ)疆域(キョウイキ)固(もと)より凛冽(リンレツ)不毛の地多く、然(しか)るに併有既に其の廣きを極(きは)む。則ち其の中に亦自(おのづ)から沃腴(ヨクユ)の區(ところ)有り。新舊都に近き地、及び歌撤更、波羅尼亜(ポーラニア)の如し、未だ始めから殷富(インプ)たらざるとせず。故に舊志其の口三千萬、近歳の史(ふみ)則ち云ふならく五千萬。其の勢(いきほひ)駸々(シンシン)として禦(ギョ)すべからざる者有り。即ち今日に就て論ずれば、幅員(フクイン)(これ)大にして、亘古(コウコ)(なら)ぶもの靡(な)く、而(しか)も其の人口之(これ)(おびただ)しく、又漢唐の盛際に敵(あた)るに足る。那(なんぞ)輕んずべきや。或云(あるひといはく)、「渠(かれ)(つと)に一世界を呑併(ドンペイ)するの心を有す」と。此れ憶測の説に出ると雖(いへど)も、而(しか)して方今(ホウコン)(これ)盛んにして、既已(キイ)騎虎破竹の勢ひと爲り、其の大志、未だ必ずしも方寸(ホウスン)に存せずとせず。懼(おそ)れざるべからず。亡論本邦夫れ滿清、百兒西亜(ペルシャ)、都兒格(トルコ)の如し。胥(みな)(これ)を度外に抛(なげう)ちて折衝(セッショウ)の方(てだて)を盡(つく)さず。則ち時務(ジム)に晰(あき)らかなる者に非ざるなり。邇(ちかく)は英機黎(イギリス)海南諸島を侵略し、榜葛刺(ベンガル)に據(よ)り、天竺を削噬(サクゼイ)す。又大ひに冞(ますます)北亜墨利加(アメリカ)に入り、其の極東より極西に透出す。殆(ほとん)ど一大洲の半(なか)ばを有し、勃興の勢ひ遏(とど)むべからず。然(しか)るに未だ其の詳(くは)しきを悉(つく)さざる故(ゆゑ)に論ぜず。之を要するに二國尤(もっと)も外國の畏(おそ)れ悪(にく)むべき者なり。

目今(モッコン)(現在) ・両間(世界)・喀爾喀(カルカ)(タタール北部の部族)・里程(リテイ)(里で距離を表すこと)・緜地(メンチ)(広大な土地)・(ゴウ)(巨大な亀)・波羅尼亜(ポーラニア)(ポーランド)・疆域(キョウイキ)(領域)・凛冽(リンレツ)(寒さが厳しい)・沃腴(ヨクユ)(肥沃の地)・歌撤更(コサックか?)・殷富(インプ)(富み栄えること)・舊志(古い資料)・(人口)・駸々(シンシン)(急速)・幅員(フクイン)(広さ)・亘古(コウコ)(永久に)・盛際(最盛期)・方寸(ホウスン)(心の中、胸の内)・亡論(無論、勿論)・折衝(セッショウ)(敵が攻めてくるのを挫き止めること)・時務(ジム)(時代の急務) ・削噬(サクゼイ)(侵略)・透出(通り抜ける)

 

(現代語訳)

 現在外国の中で清やトルコを除けばロシアとイギリスより盛大なものは無い。世界の中で極めて強く盛んな国としては、わが国、清、ムガールペルシャ、トルコがある。そして朝鮮、カルカ、ハンガリーなどがこれに次ぐ。中国の広大な土地はほとんど四百里ばかりだが、その北のロシアはただ一国でこれをしのぐ。その形は巨大な亀が山を載せてたおれているようだ。今またポーランドを滅ぼしスウェーデンの半分を奪った。その西の境界はトルコの更に西に出る。カムチャッカを取り海を渡って次第にアメリカを侵略して東の境界はわが国のはるか東の遠方にまで行く。その巨大さをどう考えたらいいのだろうか。ロシアの領域はもともとは寒さが厳しく不毛の地が多いが、領土を併合して極めて広くなっている。その中には当然肥沃な所もあり、ペテルブルグ、モスクワという新旧の都に近い所や歌撤更やポーランドなどは始めから豊かだった。このため古い資料では人口は三千万となっているが近年の資料では五千万とのことだ。その勢いは急速で抑えがたいものがある。現在について論ずれば面積は広大で永遠にこれに並ぶものはないほどだ。しかも人口も多く漢や唐の最盛期に匹敵し、軽んずることなどできようか。ある人が言うには「ロシアは昔から世界を併合しようという心がある」とのことである。これは憶測の説ではあるが、現在すでに騎虎破竹の勢いであり、野望が心の中に無いとは言えない。恐るべきことである。無論わが国は清やペルシャ、トルコと同じで、ロシアのことは度外視して敵の侵攻に対する防衛の手段を尽くしていない。つまりは時代の急務をよく理解しているとは言えないのである。

 近年ではイギリスが海南諸島を侵略しベンガルを拠点にしてインドを侵略している。またますます北アメリカに入りその東の端から西の端まで通り抜けており、殆ど大陸の半分を領有している。勃興の勢いはとどまる所を知らない。しかし未だにその詳しいことはわからないのでこれ以上論じない。要するに英露の二国は外国の中でもとりわけ恐れ憎むべき存在なのである。

 

其四十四(ロシアのオホーツク遷都はあり得ない)

論者或曰、俄羅斯國勢、日滋熾大、而貪惏無紀極、未必不一ㇾ侵加乎我、幸哉其未乎上計也、藉令彼移帝都于於烏都加、漸侵逼我、以行蠺食之術、則雖智士、無之何也已、世人類篤信斯説、其實未外國形勢也、今所於俄羅斯移一ㇾ都者、以其富庶之地密邇我也、蓋謂如此則大兵立發、糧餉易継、而我北陲防備闊疎、無以待一ㇾ之、其禍叵測也、夫於烏都加地方、沍寒窮匱、百物不殖、究非帝都之域、果使彼傾國以求斯地之殷阜、徒有財憊一ㇾ民、而不顕效、彼必弗爲也、泰西間有凛冽之郷爲繋泊之地其蕃庶、特以其萬國互市輻湊故克致昌阜也、今於烏都加傍近、未大國可市易、則將何以能得殷盛乎、且俄羅斯志願綦鉅、將以経営四海方今兵彊地廣如満清都兒格百兒西亜漢乂利亜拂蘭察等數國皆接近俄羅斯、而森然列峙、彼所畏忌而警備者、職在乎茲、彼之貪饕、不我無窺伺之心、然非積怨蓄怒、断不國力、不利害死以先攻上ㇾ我、可俄羅斯決不上ㇾ移ㇾ都之下策也、設使彼憖都以経略東方乎、本國遺守乏人、兵衛單弱、隣近大國、必將隙以求上ㇾ逞、則俄羅斯新舊两都、岌々焉危矣、昔楚靈次于乾谿以逼呉、而三公子潜入、内訌于郢、王遂縊死、金逆亮遷都于、將蹙宋、而燕京更立君、身尋遭弑、是在俄羅斯、洵爲失策之尤、而適爲我之幸、俄羅斯之愚、寧至斯邪、今之俗吏拘儒、固絶不海外情形、其稍留意於邊防者、立論之舛、亦復若此、可慨也已、

 

(読み下し文)

論者或(あるひと)曰く「俄羅斯(オロシャ)の國勢、日に滋(ますます)(さかん)にして大いなり。而(しか)して貪惏紀極(タンランキキョク)無く、未だ必ずしも我を侵加(シンカ)せんと欲せざることなし。幸(さいはひ)なるかな、其れ未だ上計(ジョウケイ)より出るものを知らざるなり。藉令(もし)彼、帝都を烏都加(オホーツク)に移し漸(やうや)く我に侵逼(シンピツ)し、以て蠺食(サンショク)の術を行なはしめば、則ち智士有りと雖(いへど)も、之(これ)を奈何(いかん)とすること無きなるのみ」と。世人の類(たぐひ)(あつ)く斯(かか)る説を信ず。其れ實に未だ外國形勢を燭(みぬ)かざるなり。今、俄羅斯(オロシャ)の都を移すを懼(おそ)るる所は、其の富庶(フショ)の地の我に密邇(ミツジ)するを以てなり。蓋(けだし)(おもへらく)(かく)の如くして則ち大兵を立ち發(おこ)さば、糧餉(リョウショク)(つ)ぎ易(やす)く、而(しか)して我北陲(ホクスイ)の防備闊疎(カッソ)にして、以て之に待(そな)へること無く、其の禍(わざはひ)(はか)るべからざるなり。夫(そ)れ烏都加(オホーツク)地方に於ては、沍寒(ゴカン)窮匱(キュウキ)にして、百物殖(ふ)えず。究(きは)むれば帝都に定むるの域に非ず。果して使(もし)彼、國を傾け以て斯(か)の地の殷阜(インプ)を求めしめば、徒(いたづら)に財を傷つけ民を憊(くる)しむること有りて、顕效を見ざらん。彼必ず爲さざるなり。泰西間(このごろ)凛冽(リンレツ)の郷(ところ)を繋泊(ケイハク)の地に爲し其の蕃庶(バンショ)を極むる者有るは、特(ただ)其の萬國互市(ゴシ)輻湊(フクソウ)を以てするのみ。故(ゆゑ)に克(よ)く昌阜(ショウフ)を致すなり。今、烏都加(オホーツク)傍近(ボウキン)に於て、未だ大國の市易(シエキ)すべき者有るを聞かず。則ち將(まさ)に何を以て能(よ)く殷盛(インセイ)を得んとするか。且つ俄羅斯(オロシャ)の志願綦(きはめ)て鉅(おほ)きく、將(まさ)に以て四海を経営せんとす。方今(ホウコン)兵彊(つよ)く地廣(ひろ)き満清、都兒格(トルコ)、百兒西亜(ペルシア)、漢乂利亜(ハンゲリア)、拂蘭察(フランス)等數國の如し、皆俄羅斯(オロシャ)に接近して、森然(シンゼン)列峙(レツジ)す。彼の畏(おそ)れ忌みて警備する所は、職(もと)より茲(ここ)に在り。彼之(これ)貪饕(タントウ)にして、我に窺伺(キシ)の心無しと謂(い)ふべからず。然れども積怨蓄怒有るに非ず。断じて國力を顧(かへりみ)ず、利害を圖(はか)らず、死を冒(をか)し以て先に我を攻むるに至らず。俄羅斯(オロシャ)決して都を移すの下策に出ざるを知るべきなり。設使(もし)彼都を移し以て東方を経略(ケイリャク)するを憖(ねが)はば、本國に遺(のこ)り守る人乏しく、兵衛(ヘイエイ)單弱(タンジャク)なり。隣近大國、必ず將(まさ)に隙(すき)を伺(うかが)ひ、以て逞(たくま)しくするを求むべし。則ち俄羅斯(オロシャ)新舊两都、岌々(キュウキュウ)として危きなり。昔、楚の靈、乾谿(ケンケイ)に次(やど)り以て呉に逼(せま)る。而(しか)して三公子郢(エイ)に潜入し内に訌(せ)め、王遂(つひ)に縊死す。金の逆亮、汴(ベン)を遷都し將(まさ)に宋を困蹙(コンシュク)させんとして、燕京に更に君を立て、身(みづから)(ついで)(シイ)に遭(あ)ふ。是れ俄羅斯(オロシャ)に在りては、洵(まこと)に失策の尤(とが)と爲り、而(しか)も適(まさ)に我の幸(さいはひ)と爲るべし。俄羅斯(オロシャ)の愚、寧(いづ)くんぞ斯(ここ)に至るや。今の俗吏(ゾクリ)拘儒(コウジュ)、固(もと)より絶へて海外情形を諳(そら)んぜず、其の邊防(ヘンボウ)に留意すること稍(すくな)き者は、立論の舛(たが)ふこと亦復(ふたたび)(かく)の若(ごと)し。慨(なげ)くべきなるのみ。

 

貪惏(タンラン)(貪欲)・紀極(キキョク)(終り、終末)・侵加(シンカ)(侵し加わる)・上計(ジョウケイ)(優れた計画)・侵逼(シンピツ)し(侵入しようと迫る)・智士(知恵のある人)・富庶(フショ)(豊かで人口が多い)・密邇(ミツジ)(近接)・糧餉(リョウショク)(兵糧)・闊疎(カッソ)(おろそか)・沍寒(ゴカン)(寒さが厳しい)・窮匱(キュウキ)(貧しく乏しい)・究(きは)む(深く調べる)・殷阜(インプ)(栄えること)・顕效(目立った効果)・凛冽(リンレツ)(寒さの厳しい)・繋泊(ケイハク)(船舶を繋ぎ止める)・蕃庶(バンショ)(繁栄)・互市(ゴシ)(交易 貿易)・輻湊(フクソウ)(物が多く集まり来ること)・昌阜(ショウフ)(栄えること)・市易(シエキ)(商売)・殷盛(インセイ)(繁盛)・森然(シンゼン)(ぴんと張りつめて)・列峙(レツジ)(並んで聳え立っている)・貪饕(タントウ)(貪欲)・窺伺(キシ)(人の様子を伺い探ること)・経略(ケイリャク)(攻め取り支配する)・兵衛(ヘイエイ)(兵士の護衛)・單弱(タンジャク)(孤立して助けがない)・岌々(キュウキュウ)(心配でひやひやして)・楚(ソ)の靈(霊王)・次(やど)る(軍隊を駐屯させる)・三公子(霊王に反抗する三人の弟)郢(エイ)(楚の都)・金(キン)の逆亮(金の悪逆な海陵王) ・  (ベン)(北宋の首都 開封)・困蹙(コンシュク)(困窮)・(ついで)(まもなく)・弑(シイ)に遭(あ)ふ(殺された)・(とが)(あやまち)・俗吏(ゾクリ)(下らない役人)・拘儒(コウジュ)(融通の利かない儒学者)・邊防(ヘンボウ)(国境の防備)・立論(議論の筋道)

 

(現代語訳)

 論者のある人が言うには「ロシアの勢いは日に日に盛んになっており、しかも貪欲さには限りが無くわが国を侵略しようとしている。幸いにも彼らは優れた計画があるのをまだ知らない。もしロシアが都をオホーツクに移して次第にわが国に迫って侵略を行えば、いくら知恵ある人がいてもどうしようもなくなるだろう」と。世の中の人はこうした説を厚く信じている。これは実は外国の情勢を見抜いていないのだ。

 ロシアが遷都するのを恐れる理由は豊かで人口が多い場所がわが国に近接することになるためだ。確かにこのようにしたうえで大量の兵を動員すれば兵糧の輸送がやりやすく、しかもわが国の北の国境の警備は疎かなためこれに対応できず、その災いは計り知れない。しかしオホーツク地方は寒さが厳しく貧しいため作物がとれず、よく調べれば都にできるような所ではない。もしロシアが国力を傾けてこの地を栄えさせようとしても、無駄に財を失い民を苦しめてしかも目立った効果は上がらないだろう。ロシアはこんなことは絶対しないだろう。西洋諸国はこのごろ寒さの厳しい所を船舶の基地にして繁栄を極めていることがあるが、それは貿易をして物が多く集まるようになりそれゆえよく栄えているのである。オホーツク付近で貿易をしようとする大国の人間を未だに聞いたことが無い。何をもって繁盛させようとするのか。それにロシアの野望は大きく世界を支配しようとしている。現在、軍が強く領土の広い清、トルコ、ペルシャハンガリー、フランス等の国は皆ロシアに近接しピンと張りつめて並び立っている。ロシアの恐れ嫌って警備する所はもともとここにある。

 ロシアは貪欲で日本を狙う心がないとは言えない。しかし長年の怨みだとか怒りがあるわけではない。国力をかえりみず、利害を考えずに死の危険を冒してまでわが国を先制攻撃するなどということは断じてない。ロシアが遷都などという下策に出ることは決してないということを知るべきである。もしロシアが都を移し東方を攻め取り支配しようとするなら本国に残り守る人が少なく護衛の兵が孤立して助けが無くなり、近隣の大国が隙を狙ってくるだろう。つまりロシアの新旧の都であるペテルブルグとモスクワは危くなり心配でひやひやすることになる。

 春秋時代に楚の霊王は乾谿という所に軍隊を駐屯させ呉に迫った。しかし霊王に反抗する三人の弟が楚の都である郢に潜入して内側から攻め、王は遂に首を吊り自殺した。金の海陵王は宋を困窮させようとして宋の都を汴から燕京に遷都してして間もなく殺された。遷都はロシアにとってはまことに失策となり我々には幸いなこととなるだろう。ロシアが何でそんなことをするものか。

 今のくだらない役人どもや頭の固い学者はもともと全く海外の情勢を知らず、国境の防備に留意が足りないことや議論の筋道が間違っていることは見てきたとおりである。嘆かわしいことだ。

 

其四十五(貿易厳禁論と解禁論 海防不備の現在貿易解禁により外国に恩義を与え開戦の口実を与えないことが上策)

今代議海防之方者、其待泰西之術有二、曰、彼來請互市、斷然不許、以巨炮摧其船艦、使嚮邇也、曰、姑許其請、待以禮、撫以恩、使之不一ㇾ釁端、也、而大吏則多左祖厳禁互市之策焉、夫絶互市而撃摧船艦者、峻烈之極、允其互市、而以恩信懐之者、一於仁柔、二論殆如東西氷炭の相反、而其心則未始相背馳、何也、戎虜豺狼之性、饕餮之欲、惟利是競、不信與一ㇾ義、吾洞視其肺肝、則夫峻拒互市、而極力撃之、固不過當也、顧戦非仁人所一ㇾ好、萬々不已、然後用之、且也今日海防之未周卒伍之未素習、難以應勍敵、故不戎虜恩敦信、使彼無上ㇾ以始闘鬨彼猶頑乎猖獗、不肯馴伏乎我、遂至鋒鏑、則彼師出無名、而我將卒夫人愾敵不義、勇力倍蓰、而我武備亦漸修整、斯可以奏捷、然則張主許互市恩信之説者、其心全然韲粉虜艦之見、特其経畫加周密耳、若乃與虜媾和、悦其辞之甘貢献之重、晏然自寧、不復事防禦、以自致阽危、如夫差之於勾践、王浚之於石勒、眞愚憃之極、唱恩信之説者、未始慮不一ㇾ此也、今夫小人姦狡凶険、綦可斁、吾能炳察其禍心、而其待之則當喣嫗寛綽不上ㇾ怨府、斯爲撫馭之妙、若乃明告之曰、汝眞小人、吾爾後誓不汝周旋、又且鉗制之、蹂躙之、使地自容、則渠忿奰抗逆、不毒于我止、此東漢趙宋諸君子、所以見一ㇾ於群小也、今之待虜、能勿漢宋諸賢之覆轍則庶幾矣、

 

(読み下し文)

今代海防の方(てだて)を議(はか)る者、其の泰西に待(そなふ)るの術(すべ)に二つ有り。曰く「彼來りて互市(ゴシ)を請(こ)はば、斷然許さず、巨炮を以て其の船艦を逆(むか)へ摧(くだ)き、嚮邇(キョウジ)を得ざらしむなり」と。曰く「姑(しばらく)其の請(こひ)を許し、待(もてな)すに禮を以てし、撫(な)づるに恩を以てす。之(これ)釁端(キンタン)を造るを得ざらしむなり。而して大吏(ダイリ)則ち多くは祖の互市(ゴシ)を厳禁するの策を左(たす)くのみ。夫れ互市を絶(た)ちて船艦を撃摧(ゲキサイ)するは、峻烈の極(きはみ)。其の互市を允(ゆる)して、恩信を以て之(これ)を綏懐(スイカイ)するは、仁柔(ニンジュウ)に一(おなじ)」と。二論殆(ほとん)ど東西氷炭の相反するが如し。而(しか)して其の心則ち未だ始めから相背馳(ハイチ)せず。何ぞや。戎虜(ジュウリョ)豺狼(サイロウ)の性(さが)饕餮(トウテツ)の欲、惟(ただ)利を是(これ)(きそ)ふ。信と義とを顧(かへりみ)ず。吾其の肺肝を洞視(ドウシ)すれば、則ち夫れ互市を峻拒して、力を極め之(これ)を撃つは、固(もと)より過當(カトウ)(た)らざるなり。顧(かへりみ)れば戦(いくさ)、仁人の好む所に非ず。萬々(バンバン)(や)むを獲(え)ず、然(しか)る後之(これ)を用ふ。且つ也今日海防之(これ)未だ周(あまね)からず、卒伍(ソツゴ)(これ)未だ素習(ソシュウ)せず、以て勍敵(ケイテキ)に應じ難し。故(ゆゑ)に戎虜に恩を播(し)き、信を敦(あつ)くし、彼に以て闘鬨(トウコウ)を始むるを辞(い)ふこと無からしむに如(し)かず。彼猶ほ頑(かたくな)にして猖獗(ショウケツ)、我に馴伏(ジュンプク)するを肯(がへん)ぜず、遂(つひ)に鋒鏑(ホウテキ)を交ふるに至れば、則ち彼の師出るに名(メイ)無し。而(しか)して我將卒(ショウソツ)、夫れ人、敵の不義を愾(いか)れば、勇力(ユウリョク)倍蓰(バイシ)す。而(しか)も我武備亦漸(やうや)く修整し、斯(ここ)に奏捷(ソウショウ)を以てすべし。然(しか)れば則ち互市を許し恩信を布(し)くの説を張主(チョウシュ)する者は、其の心、虜艦(リョカン)を韲粉(セイフン)するの見(ケン)に全く然り。特(ただ)其の経畫(ケイカク)に周密(シュウミツ)を加ふるのみ。若乃(もしすなはち)(えびす)と媾和(コウワ)し、其の辞(ことば)の甘きと貢献の重きを悦び、晏然(アンゼン)として自(みづか)ら寧(やすん)じ、復(ま)た防禦に事(つか)へざれば、以て自(みづか)ら阽危(エンキ)を致すべし。夫差(フサ)の勾践(コウセン)に於ける、王浚(オウシュン)の石勒(セキロク)に於けるが如し。眞(まこと)に愚憃(グトウ)の極(きはみ)。恩信を施すの説を唱ふる者は、未だ始めより慮(おもんぱかり)(ここ)に及ばざることなし。今夫れ小人姦狡(カンコウ)凶険(キョウケン)ならば、綦(きはめ)て斁(いと)ふべし。吾能く其の禍心(カシン)を炳察(ヘイサツ)し、而して其(もし)之を待(もてな)さば、則ち喣嫗(クウ)寛綽(カンシャク)に當り、怨府(エンプ)と爲るに至らず。斯(ここ)に撫馭(ブギョ)(ミョウ)を得るを爲す。若乃(もしすなはち)明らかに之に告げて曰く「汝眞(まこと)に小人なり、吾爾後(ジゴ)(ちかっ)て汝と周旋せず」とせば、又且(まさ)に之(これ)を鉗制(ケンセイ)し、之を蹂躙(ジュウリン)し、自(みづか)らを容(い)るる地(ところ)無からしめば、則ち渠(かれ)忿奰(フンヒ)抗逆(コウギャク)し、貽(のこ)らず我を毒(にく)むに止(とどま)らず。此れ東漢、趙、宋、諸君子の群小に踣(たお)さるる所以(ゆゑん)なり。今の虜に待(そな)ふるに、能(よ)く漢宋諸賢の覆轍(フクテツ)を踏まざること、則ち庶幾(ショキ)(心から願うこと)するのみ。

 

互市(ゴシ)(交易)・嚮邇(キョウジ)(よりつくこと)・(こひ)(願い)・釁端(キンタン)(争いのいとぐち)・大吏(ダイリ)(地位の高い役人)・恩信(情け深く誠のあること)・綏懐(スイカイ)(安心させてなつかせる)・仁柔(ジンジュウ)(いつくしみの心があり優しいこと)・戎虜(ジュウリョ)(外国人)・豺狼(サイロウ)(山犬や狼)・饕餮(トウテツ)(悪獣)・過當(カトウ)(やりすぎ)・萬々(バンバン)(全く)・卒伍(ソツゴ)(兵卒の組)・素習(ソシュウ)(平素からの練習)・勍敵(ケイテキ)(強敵)・闘鬨(トウコウ)(戦闘)・猖獗(ショウケツ)(猛り狂う)・馴伏(ジュンプク)(慣れ従う)・鋒鏑(ホウテキ)(武器)・(軍隊)・(メイ)(正しい理由)・將卒(ショウソツ)(将軍と兵卒)・倍蓰(バイシ)(何倍にもなる)・奏捷(ソウショウ)(勝利を報告すること)・張主(チョウシュ)(主張)・虜艦(リョカン)(外国船)・韲粉(セイフン)(粉みじんにする)・(ケン)(見解)・周密(シュウミツ)(細かく行き届いていること)・媾和(コウワ)(講和)・貢献(貢ぎ物)・阽危(エンキ)(極めて危険なこと)・石勒(セキロク)中国、五胡十六国後趙の建国者。晋將王浚の油断を誘いこれを滅ぼした)・愚憃(グトウ)(おろか)・姦狡(カンコウ)(ずるがしこい)・凶険(キョウケン)(凶悪で陰険)・禍心(カシン)(他人にわざわいを加えようとする心)・炳察(ヘイサツ)(明察)・喣嫗(クウ)(温め育てる、母が子を大切に育てること)・寛綽(カンシャク)(心が広くゆったりとしていること)  ・怨府(エンプ)(怨みのまと)・撫馭(ブギョ)(情けをかけて使う、いたわり使うこと)・爾後(ジゴ)(今後)・周旋(たずさわること)・鉗制(ケンセイ)し(力で押さえつけて自由にさせない)・忿奰(フンヒ)(怒る)・抗逆(コウギャク)(反抗)・庶幾(ショキ)(心から願うこと)

 

(現代語訳)

 現在海防を考えている者の主張で西洋諸国に対応する方法には二種類ある。一つは「西洋諸国が来て貿易を願っても断固許さず、大砲で船を撃破して寄り付くことがないようにする」というものだ。もう一つは「とりあえずその願いを許し、礼儀と慈しみをもって対応し争いの糸口を作らせないようにする。しかし幕府の高官は昔からの貿易厳禁策に賛成するばかりだ。そもそも貿易を断り船を撃破するなど厳しすぎる。貿易を許して恩義と信頼で相手を安心させることは仁柔すなわち慈しみの心があり優しいことと同じことだ」とするものだ。

 この二つの論は正反対のように見える。しかしその心は全く相反しているわけではない。なぜか。外国人の山犬や狼のような性質、獣のような貪欲さ、ただ利を競って信や義をかえりみないこと、こうしたことを考えれば貿易を拒否して力の限りに撃退することがもともとやりすぎとは言えない。しかし振り返ってみれば戦争は思いやりのある人の好むものではなく、全くやむを得ない場合にのみ行うものだ。それに現在海防の備えはゆきわたっておらず、兵士の訓練も十分行われていないので強敵に対応できない。ことため外国に恩を与え信頼を厚くして、先方に戦闘を始めると言わせないようにするのが良い。それでも向こうが猛り狂って当方に慣れ従おうとせず戦闘になれば、先方の軍には正当な理由がない。当方の軍はと言えば、そもそも人は敵の不義に怒れば勇気や力が何倍にもなるものだし、またそのころになれば武備も整ってきているため、勝利を報告することができるだろう。そうであれば貿易を許し恩義と信頼を与えるとする説を主張する者の心は外国船を撃破する説を主張する者の心と全く同じで、ただその計画に周到さと緻密さを加えただけのことだ。

 ところが外国と講和し、先方の甘い言葉や沢山の貢物を喜び安心してしまい防衛をおろそかにすれば、自らを危険な状態にしてしまうことになるだろう。これは呉王夫差が越王勾践に油断して身を滅ぼしたこと、晋將王浚が石勒に油断して滅ぼされたことと同じようなことで、まことに愚の骨頂だ。恩義と信頼を与えるという説を唱える者はそもそもこうしたことを考慮している。もし相手が下賤でずる賢く凶悪であればいやになってしまうであろうが、我々は相手の害を加えようとする心をよく見抜いた上で相手をもてなせば、母が子を温め育てることや広くゆったりした心持でいることと相等しく、恨みの的となることはない。これこそが情をかけながら相手をうまく使いこなすということだ。

 これに反して相手に対して「お前は本当に下賤だ。今後決してつきあわないぞ」とはっきり言ってしまったり、力で押さえつけて蹂躙し自分の居場所を失わせるようなことをすれば、相手は怒って反抗し皆残らず当方を憎むようになるだけに止まらないだろう。こうしたことが東漢や趙、宋などの諸君主が多くの下賤な者たちに倒された理由である。今外国人に対応するのに漢や宋の諸賢の失敗を繰り返さないことを心から願うものである。

 

其四十六(外国事情を知らずに行っているやみくもな打払いや排斥は道理に反し無礼であり侮蔑を招いている)

吾之於胡羯、苟不其情形、則注措必不窾、吾行之、以爲斯足敵、而翻来敵之侮蔑、吾施之、謂虜必感我之惠、而秖招虜憎怨、可喟也已、本邦待戎虜、原於威武、出於縝密威武俗之美、縝密政之懿、宜於事而収顕效、乃反来彼笑侮、則不虜之情、而漫施於行故也、數十載前、俄羅斯人發舶、送還本邦漂民、抵松前、朝廷亟命北海諸侯、發軍防備、於是大出舟師、囲羅叉舶數重、夷人見之憤甚、日登舷詬罵、而其言兜韎侏離不曉、故邦人不其何所一ㇾ道、不復苛禁、彼以爲吾萬里護送邦人、以厚意来、而汝視我如冦敵、四面囲守、不止不一ㇾ禮節、而何其孱也、曩者波留杜瓦爾估客、来貿易於我國都、都人讐直不當、頗有乾没、估客大怒、向王城大炮、國人夷然不動、馳一小吏研詰、曲在都人、乃譴罰之、而彼此晏然、我邦遭斯鉅變、不少惶擾、今汝若此、其怯愞無乃甚乎、夫邦人之囲守虜舶、所以耀威稜豫無虞、而徒招彼之陵蔑焉、今論海防者、大都以爲虜之心情叵測、其来無互市薪水上ㇾ否、概以大炮摧之、斯爲防禦之要、是論之失得竟何如也、彼必云、天下至理、犯罪當罰、無辜當寛赦、今不其罪之有無、苟見外國船艦、輒䚡々讐怖、遽施屠害之術、其不武甚矣、邦人大炮撃舶之擧、欲以遏虜鋒、而秖納其侮、此又囲守夷舶之類也、顧無警備之日、震耀威武、有人之勢、而遭醜虜之跳梁、不折北之羞、如丁卯之役是已、彼之譏侮、亦有自取之理焉、昔禹入保國、而倮、以従其俗、彼以倮爲禮、而吾以冠裳之、彼必駭怪以爲禮之甚、何者拂其風習也、矧今吾所以待胡羯、未措畫之宜、彼之所論、未全無一ㇾ當、則因仍釐革之方、在上者不十思也、

 

(読み下し文)

吾之(これ)胡羯(コカツ)に於て、苟(いやしく)も其の情形を諳(それん)ぜざれば、則ち注措(チュウソ)必ず窾(あな)に中(あた)らざらん。吾之(これ)を行なひ以て斯(これ)敵を威(おど)すに足らんと爲すも、翻(かへっ)て敵の侮蔑を来(きた)すべし。吾之(これ)を施し虜(えびす)必ず我の惠(めぐみ)を感ぜんと謂(おもふ)も、秖(ただ)(えびす)の憎怨(ゾウエン)を招くのみ。喟(なげ)くべきなるのみ。本邦戎虜(ジュウリョ)に待(そな)ふこと、威武を原(もと)とす。縝密(シンミツ)より出れば、威武の俗(ならはし)(これ)美しく、縝密(シンミツ)の政(まつりごと)(これ)(うるは)しければ、宜(よろ)しく事を措(お)きて顕效(ケンコウ)を収むべし。乃(すなは)ち反(かへっ)て彼の笑侮を来(きた)すは、則ち虜の情を悉(つく)さず、漫(みだり)に行なひを施す故(ゆゑ)なり。數十載前、俄羅斯(オロシャ)人舶を發(つかは)し、本邦漂民を送還し松前に抵(いた)る。朝廷亟(すみやか)に北海諸侯に命じ、軍を發(おこ)し防備す。是に於て大いに舟師を出し羅叉(ロシア)舶を囲むこと數重、夷人之(これ)を見て憤(いきどほ)ること甚(はなはだ)しく、日(ひび)(ふなべり)に登り詬罵(コウバ)す。而(しか)して其の言、兜韎(トバイ)侏離(シュリ)にして曉(さと)るべからず。故(ゆゑ)に邦人其れ何を道(い)はれたかを知らず。復(ま)た苛禁(カキン)たらず。彼以爲(おもへらく)「吾、萬里邦人を護送し、厚意を以て来たり。而して汝我を視ること冦敵(コウテキ)の如くして四面を囲守す。禮節を知らざるに止まらずして何ぞ其れ孱(セン)なるや」と。曩者(さきに)、波留杜瓦爾(ポルトガル)估客(コカク)、来りて我國都に於て貿易す。都人直(あたひ)を讐(つぐな)ふに、不當にして頗(すこぶ)る乾没(カンボツ)有り。估客(コカク)大いに怒り、王城に向けて大炮を放つ。國人夷然(イゼン)として動ぜず。一小吏を馳せ研詰(ケンキツ)し、曲(よこしま)なること都人に在れば乃(すなは)ち之を譴罰(ケンバツ)す。而(しか)して彼れ此れ晏然(アンゼン)なり。我邦斯(かか)る鉅變(キョヘン)に遭ふも、少しも惶擾(コウジョウ)せざり。今汝(なんぢ)(かく)の若(ごと)くんば、其の怯愞(キョウダ)無乃(むしろ)(はなはだ)しからんや。夫れ邦人の虜舶を囲守(イシュ)すること、以て威稜(イリョウ)を耀(かがや)かせ無虞(ムグ)に備豫(ビヨ)する所なれど徒(いたづら)に彼の陵蔑(リョウベツ)を招く。今海防を論ずる者は、大都(ダイト)以て虜(えびす)の心情測るべからずと爲し、其の来たることに互市を請(こ)ひ薪水を求むか否やを問ふこと無く概(おほむ)ね大炮を以て之(これ)を破摧(ハサイ)し、斯(これ)防禦の要(かなめ)を得ると爲す。是の論の失得竟(つひ)に何如(いかん)や。彼必ず云はく「天下至理(シリ)、罪を犯さば當(まさ)に罰すべし、辜(つみ)無くば當(まさ)に寛赦(カンシャ)すべし」と。今其の罪の有無を晰(あき)らかにすること能(あた)はざれば、苟(いやしく)も外國船艦を見れば、輒(すなは)ち䚡々讐怖(シシシュウフ)し、遽(にはか)に屠害(トガイ)の術を施す。其の不武(フブ)(はなはだ)しきかな。邦人の大炮を舶に撃つの擧、以て虜鋒を遏(とど)めんと欲して、秖(ただ)其の侮(あなどり)を納(い)るるのみ。此又(これまた)夷舶を囲守するの類(たぐひ)なり。顧(かへりみ)れば警備に無事(ブジ)の日に、威武を震耀(シンヨウ)し、人を噉(くら)ふの勢(いきほひ)有れども、醜虜の跳梁に遭ひ、折北(セツホク)の羞(はぢ)を免れざるは丁卯(テイウ)の役の如き是已(これなり)。彼の譏侮(キブ)、亦自取(ジシュ)の理(ことわり)有るなり。昔禹、倮國に入りて倮(はだか)となり、以て其の俗(ならはし)に従ふ。彼倮(はだか)を以て禮と爲す。而(しこう)して吾冠裳(カンショウ)を以て之(これ)に涖(のぞ)まば彼必ず駭怪(ガイカイ)し以て禮を忘ること甚(はなはだ)しと爲すべし。何者(なんとなれば)其の風習に拂(たが)へばなり。矧(いはんや)今吾の胡羯(コカツ)に待(そな)ふる所以(ゆゑん)、未だ措畫(ソカク)の宜(よろしき)を盡(つく)さず。彼の論ずる所、未だ全く當(あた)るところ無しと爲さず。則ち因仍(インジョウ)釐革(リカク)の方(てだて)、上に在る者、十思(ジッシ)せざるべからざるなり。

 

胡羯(コカツ)(外国)・注措(チュウソ)(措置)・窾(あな)に中(あた)る(的を得ている)・威武(威力と武力、武勇)・縝密(シンミツ)(つつしみ深いこと 配慮が細やかで注意深いこと)・舟師(海軍)・詬罵(コウバ)(悪口を言って辱める)・兜韎(トバイ)(南夷、東夷、北狄の音楽)・侏離(シュリ)(夷の言語)・苛禁(カキン)(きびしい戒め)・(セン)(臆病)・直(あたひ)を讐(つぐな)ふ(支払う)・乾没(カンボツ)(不当な利益)・估客(コカク)商人 ・夷然(イゼン)(平然)・研詰(ケンキツ)(問い詰める)・譴罰(ケンバツ)(罰する)・鉅變(キョヘン)(大事件)・惶擾(コウジョウ)(おそれ騒ぐ)・怯愞(キョウダ)(臆病で意気地のないこと)・威稜(イリョウ)(天子の威光)・無虞(ムグ)(思いがけないこと)・備豫(ビヨ)(備えること)・陵蔑(リョウベツ)(他人をばかにしてはずかしめること)・大都(ダイト)(ほとんど すべて)・至理(シリ)(もっともしごくな道理)・寛赦(カンシャ)(寛容にゆるすこと)・䚡々讐怖(シシシュウフ)(びくびくとおそれること)・屠害(トガイ)(殺害)・不武(フブ)(武勇の無いこと)・無事(ブジ)(やることが無い)・震耀(シンヨウ)(ふるわせかがやく)・折北(セツホク)(戦いに負けて逃げること)・丁卯(テイウ)の役(文化四年の露冦事件※1)・譏侮(キブ)(とがめ侮ること)・自取(ジシュ)(自ら招いたこと)・倮国(ラコク)(昔、中国の西方にあった国の名。国人皆裸であったという)・冠裳(カンショウ)(冠と礼服)・駭怪(ガイカイ)(おどろきあやしむ)・何者(なんとなれば)(なぜならば)・因仍(インジョウ)(旧によって改変しないこと)・釐革(リカク)(改革)

 

(現代語訳)

 我々が外国の情勢をよく知らなければ、外国に対する措置は必ず的を得たものにならない。我々がこれを行えば外国を十分に威すことができると思ってもかえって侮蔑を受けることもあり、逆にこれを行えば外国はこちらの好意を感じるだろうと思ったことが、ただ憎悪や怨みを招くだけのこともある。わが国の外国への対応は武勇に基づくが、注意深く配慮した武勇のならわしは美しいし、きめ細かく配慮した政治はすべての事柄にうまく対処し明らかな効果を収めるだろう。

 これに対して先方の侮りを招くのは外国の事情を理解せず漫然と対処するためである。数十年前にロシア人が船を遣わしてわが国の漂流民を送還するため松前まで来たことがある。幕府はすぐに北方の諸大名に命じて軍を派遣して防備した。この時海軍を多数出しロシア船を何重にも取り囲んだ。ロシア人はこれを見て非常に憤り、毎日船端に登って悪口を叫んだ。しかしその言葉は野蛮人の音楽や言葉のようにしか聞こえず理解できなかった。それゆえ日本人は何を言われたかを知らず、これが厳しい教訓とはならなかった。彼らが思ったのは「我々は万里を越えて厚意をもって日本人を護送してきたのに、お前たちは我々を害悪をなす敵のように見て周囲を取り囲んだ。礼節を知らないだけでなく何とも臆病なことだ」ということだ。

 昔、ポルトガル商人が来てわが国の都で貿易をしていた。都人は支払いに不正を行い不当な利益を得ていた。商人は大いに怒り皇居に向かって大砲を放った。日本人は平然として動ぜず、役人を派遣して問い詰め、不正が都人にあったのでこれを罰した。こうしてあちらもこちらも平和におさまった。わが国はこれほどの大事件に遭っても少しも騒がなかった。今もし我々がこのような目に遭ったなら、臆病で意気地のないことはむしろ昔より甚だしいのではなかろうか。

 そもそも日本人が外国船を取り囲んだのは国の威光を輝かせ不慮の事態に備えるためだったが、かえって先方の侮蔑を招いた。今海防を論ずる者はほとんど外国人の心情は理解できないと考え、彼らが来るのは貿易を願い薪や水を求めているのかそうでないのかを問うこともなく、すべて大砲で打ち砕くことが防衛の要だと考えている。この論はいかがなものであろうか。彼らは必ず次のように言うだろう「天下の当たり前の道理は罪を犯せば罰し、罪が無ければ寛大に許すということだ」と。今は罪の有無を明らかにすることができないので、とにかく外国船を見ればびくびくと恐れすぐに殺害の手段に訴える。武勇の無いにもほどがある。日本人が船に大砲を打ち込むことは外国の軍隊を防ごうとするものだが、ただその侮蔑を受けるだけだ。これまた外国船を取り囲んだことと同じたぐいのことだ。かえりみれば警備にやることのない平和な時に武勇をひけらかし人を食らうほどの勢いがあっても、外国軍の跳梁に遭って敗走の恥を免れなかったのが文化露宼※1だった。彼らが侮るのも我々が自ら招いたことで理由のあることだ。

 昔聖王の禹は倮国に入ってそのならわしに従って裸になった。彼は裸を礼と考えたのだ。もし我々が冠と衣服を着て来れば、禹は驚き怪しみ無礼にもほどがあると考えるだろう。なぜならばその風習に違えているからだ。ましてや今の我々の外国への対処方法は適切とは言えず、彼らが言うことにも一理なしとはしない。従って旧弊を改革する方法を上に在る者は十分考えなければならない。

 

※1 文化露寇(ぶんかろこう)は、文化3年(1806年)と文化4年(1807年)にロシア帝国から日本へ派遣された外交使節だったニコライ・レザノフが部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた事件。事件名は日本の元号に由来し、ロシア側からはフヴォストフ事件とも呼ばれる。

概要 江戸時代後期の1804年、ロシア皇帝アレクサンドル1世から派遣されたニコライ・レザノフにより行われた通商要求行動の後にロシア側から行われた軍事行動である。それに先だってロシアはエカチェリーナ2世治下の1792年、アダム・ラクスマン根室に派遣し、日本との通商を要求したが、江戸幕府はシベリア総督の信書を受理せず、通商要求に対しては長崎への廻航を指示、ラクスマンには長崎への入港許可証(信牌)を交付した。文化元年(1804年)、これを受けて信牌を持参したレザノフが長崎に来航し、半年にわたって江戸幕府に交渉を求めたが、結局幕府は通商を拒絶し続けた。レザノフは幽閉に近い状態を余儀なくされた上、交渉そのものも全く進展しなかったことから、日本に対しては武力をもって開国を要求する以外に道はないという意見を持つに至り、また、日本への報復を計画し、樺太択捉島など北方における日本側の拠点を部下に攻撃させた。レザノフの部下ニコライ・フヴォストフは、文化3年(1806年)には樺太松前藩居留地を襲撃し、その後、択捉島駐留の幕府軍を攻撃した。幕府は新設された松前奉行を司令官に、弘前藩南部藩庄内藩久保田藩から約3,000名の武士が徴集され、宗谷や斜里など蝦夷地の要所の警護にあたった。しかし、これらの軍事行動はロシア皇帝の許可を得ておらず、不快感を示したロシア皇帝は、1808年全軍に撤退を命令した。これに伴い、蝦夷地に配置された諸藩の警護藩士も撤収を開始した。なお、この一連の事件では、日本側に、利尻島で襲われた幕府の船から石火矢(大砲の一種)が奪われたという記録が残っている

樺太への襲撃 文化3年9月11日(1806年10月22日)、樺太の久春古丹に短艇で上陸したロシア兵20数名は、銃で威嚇して17、18歳のアイヌの住民の子供1人を拉致した。13日にも30数人の兵が再び上陸し運上屋の番人4名を捕えた後、米六百俵と雑貨を略奪し11箇所の家屋を焼き、魚網及び船にも火を放ち、前日拉致した子供を解放して帰船。ロシア側本船は17日に出帆しその地を去った。船を焼失した影響で連絡手段が絶たれたため、翌年4月になってこの事件が松前藩及び幕府に報告された。

シャナ事件 文化4年4月23日、ロシア船二隻が択捉島の西、内保湾に入港した。番人はこれを紗那の幕府会所に通報した。紗那は幕府会所のある同島の中心地であり弘前藩盛岡藩兵により警護されていた。箱館奉行配下の役人・関谷茂八郎はこの報に接し、兵を率いて内保まで海路で向かうがその途中、内保の盛岡藩の番屋が襲撃され、中川五郎治ら番人5名を捕え米、塩、什器、衣服を略奪して火を放ち、本船に帰り既に出帆したとの報を受ける。関谷は内保行きを中止して紗那に戻り、その守りを固める。4月29日、ロシア船が紗那に向けて入港してくる。即時交戦を主張した弘前、盛岡の隊長の意見を退けた幕吏達は、まず対話の機会を探るため箱館奉行配下の通訳・川口陽介に白旗を振らせて短艇で上陸しようとするロシア兵を迎え入れようとするが、ロシア兵はこれを無視し上陸後即座に日本側に銃撃をしかけたため、川口は股部を銃が貫通し負傷する。幕吏もようやく対話の困難を認め弘前盛岡藩兵に応戦を命じるも、圧倒的な火力の差に日本側は苦戦する。夕刻となりロシア側は本船に帰船。艦砲射撃により陸上を威嚇する。このような圧倒的な戦力差により戦意を失った指揮官の戸田又太夫、関谷茂八郎達は、紗那を捨て撤退することを決意する。幕吏の間宮林蔵や久保田見達はこの場での徹底抗戦を主張するも戸田らに退けられる。これにより敗戦の責任を痛感した戸田は、留別へ向けて撤退中の野営陣地にて自害している。一行は振別に到着後多少の人員を箱館に送還し、弘前南部藩兵は警備の都合上そのまま振別に駐屯させている。5月1日、日本側が引き揚げた紗那幕府会所にロシア兵が上陸。倉庫を破り米、酒、雑貨、武器、金屏風その他を略奪した後放火する。翌2日にも上陸し、この際に戦闘で負傷しその場に留まっていた南部藩の砲術師、大村治五平がロシア側の捕虜となっている。5月3日、ロシア船は出帆し紗那を去る。6月6日、捕虜となっていた大村治五平や番人達が解放され宗谷に帰還する。

影響 この事件は、爛熟した化政文化の華が開き、一見泰平にみえる日本であらためて国防の重要性を覚醒させる事件となった。江戸幕府の首脳はロシアの脅威を感じることとなり、以後、幕府は鎖国体制の維持と国防体制の強化に努めた。また、日露関係の緊張によって、幕府は自らの威信を保つためにも内外に対して強硬策を採らざるを得なくなった。このことは1811年のゴローニン事件の原因となった。 

 

其四十九(単一王朝が続いていることは無傷の玉と同じく人々に大切にする気を起こさせる。その事実自体が貴重で守る価値のあることである)

鎰之玉乎此、瑩徹焜耀朗然無微類、則人拳々謹持、惟恐墜失、若乃甞経抛擲委隳,瑕玷無数、且有毀壊、則人殊薄護惜之意、此雖於私、而實至理之所當然也、今也両間之建國林々矣、其小而弱者、不縷數、如支那、如天竺、如百兒西亜、如俄羅斯、幅員萬里而、固称盛大之邦、然逖稽其往事、或爲賊臣所逆簒、或爲彊藩所取而代、或爲外夷所入而呑併、甚且有戎虜呑滅之變、至再于三于四五、其爲毀玷之璧也多矣、本邦不惟士風之虓勇、民性之純厖、度越萬邦、神武而降、閲二千五百祀、而未始遭戎虜竊據之變、未甞罹姦臣悍藩簒奪之禍、百王一姓、緜々弗絶、與天地日月、比其悠久、實五大洲中所甞前聞、非無瑕之玉而何也、故在他邦則姦臣之闇干、黠虜之入帝、數々経覩、人視爲常然、勢難於遏絶、而君臣所以保守祖業、自有其寅畏慎密焉、本邦承百王一姓之丕基、継述之情、自然兢々而惕々、即逆臣悍虜、簒神器之禍、人以爲亘古絶無之事、則防遏自有其道而不甚難也、雖然恃其易則難必至、他邦未姦臣彊胡之禍之前、孰不百代一姓不易、既罹斯禍、則弊竇一開、蕩然不挽回、故本邦不今而豫盡桑土綢繆之方也、本邦風習之懿、賊臣悍藩之禍、萬可其無、可慮者獨戎虜耳、今欲永保金甌而無玷缼、莫武備務鼓勵士気、使於佚惰、整理兵備、於沿海之防、最加周密、以豫杜外夷之覬覦、是免国家玉之誚矣、

 

(読み下し文)

(ここ)に萬鎰(マンイツ)の玉(ギョク)有り。瑩徹(エイテツ)にして焜耀(コンヨウ)、朗然(ロウゼン)として微(わづか)に類(に)るもの無し。則ち人拳々(ケンケン)として謹持(キンジ)し、惟(ただ)墜失(ツイシツ)有るを恐る。若乃(もしすなは)ち甞て抛擲(ホウテキ)委隳(イキ)を経(へ)ば、瑕玷(カテン)無数なるべし。且つ毀壊(キカイ)する所有らば、則ち人殊(こと)に護惜(ゴセキ)の意(こころ)薄し。此れ私(わたくし)に類()ると雖(いへ)ども、實(まこと)に至て理の當然とする所なり。今也(いまや)両間の國を建つること林々(リンリン)なり。其の小にして弱なるは、縷(こまか)く數ふる遑(いとま)あらず。支那の如き、天竺の如き、百兒西亜(ペルシア)の如き、俄羅斯(オロシャ)の如き、幅員(フクイン)萬里より上なり。固(もと)より盛大の邦と称す。然れども逖(はるか)なる其の往事を稽(かんが)ふるに、或いは賊臣の逆簒(ギャクサン)する所と爲り、或ひは彊藩(キョウハン)の取て代る所と爲り、或ひは外夷の入りて呑併(ドンペイ)する所と爲る。甚しきは且(まさ)に戎虜(ジュウリョ)呑滅(ドンメツ)の變、再び于(な)し三(みたび)(な)し四五(しごたび)(な)すに至らん者有り。其の毀玷(キテン)の璧(ヘキ)と爲るや多きかな。本邦惟(ただ)士風の虓勇(コウユウ)なること、民性の純厖(ジュンボウ)なること、萬邦に度越(ドエツ)せず。神武而降、二千五百祀(シ)を閲(けみ)す。而(しか)して未だ始めより戎虜(ジュウリョ)竊據(セッキョ)の變に遭(あ)はず。未だ甞て姦臣悍藩簒奪(カンシンカンパンサンダツ)の禍(わざはひ)に罹(かか)らず、百王一姓、緜々(メンメン)として絶へず、天地日月と其の悠久を比(くら)ぶ。實に五大洲中未だ甞て前に聞かざる所、無瑕の玉に非ずして何ぞや。故(ゆゑ)に他邦に在れば則ち姦臣の闇干(アンカン)、黠虜(カツリョ)の入帝、數々覩(み)るを経れば人視()るものを常然と爲し、勢(いきほひ)遏絶(アツゼツ)に難(かた)く、君臣祖業を保守する所以(ゆゑん)、自(おのづ)から未だ其の寅畏(インイ)慎密(シンミツ)を極めざる者有り。本邦百王一姓の丕基(ヒキ)を承(う)け、継述(ケイジュツ)の情、自然兢々(キョウキョウ)として惕々(テキテキ)たれば、即ち逆臣悍虜、神器を簒(うば)ふの禍(わざはひ)、人以為(おもへらく)「亘古(コウコ)絶無の事にて、則ち防遏(ボウアツ)(おのづ)から其の道有りて甚(はなは)だ難(かた)からざるなり」と。然(しか)りと雖(いへど)も其の易(やす)きを恃(たの)めば則ち難きに必ず至る。他邦未だ姦臣彊胡の禍(わざはひ)に遭(あ)はざるの前に、孰(なん)ぞ百代一姓易(かは)らざるを云はざるや。既に斯の禍(わざはび)に罹(かか)り、則ち弊竇(ヘイトウ)(ひとたび)開かば、蕩然(トウゼン)として挽回すべからず。故に本邦今に迨(およ)んで豫(あらかじ)め桑土綢繆(ソウドチュウビュウ)の方(てだて)を盡さざるべからざるなり。本邦風習の懿(うるはしき)こと、賊臣悍藩の禍(わざはび)、萬(バンバン)其の無きを保つべし。慮(おもんぱか)るべきは獨(ひと)り戎虜(ジュウリョ)のみ。今永く金甌(キンオウ)を保ち玷缼(テンケツ)無きを欲すれば、武備を飭(ととの)へ務(つと)めて士気を鼓勵(コレイ)し、佚惰(イツダ)に流れざらしめ、兵備を整理し、沿海の防(ふせ)ぎに最も周密(シュウミツ)を加へ、以て豫(あらかじ)め外夷の覬覦(キユ)を杜(ふさ)ぐに如(し)く莫(な)し。是れ国家を視るに玉に如かざるの誚(せめ)を免るなり。

 

萬鎰(マンイツ)(数十万両)・瑩徹(エイテツ)(透き通って明るい)・焜耀(コンヨウ)(かがやいている)・朗然(ロウゼン)(明るくくもりがない)・拳々(ケンケン)(失わないように大事にして)・謹持(キンジ)(謹んで持ち)・抛擲(ホウテキ)(投げ捨てること)・委隳(イキ)(捨て去ること)・瑕玷(カテン)(きず)・毀壊(キカイ)(壊すこと)・護惜(ゴセキ)(惜しみ守ること)・(わたくし)(不正、不公平)・両間(世界)・林々(リンリン)(多数)・往事(昔)・逆簒(ギャクサン)(君主を廃して位を奪うこと)・毀玷(キテン)(こわれ傷ついた)・(ヘキ)(美しい玉)・虓勇(コウユウ)(勇ましいこと)・純厖(ジュンボウ)(純粋で豊かなこと)・度越(ドエツ)(まさっている)・竊據(セッキョ)(不法占拠)・悍藩(カンパン)(荒々しい大名)・闇干(アンカン)(ひそかに盗むこと)・黠虜(カツリョ)(悪賢い外国人)・遏絶(アツゼツ)(根絶)・寅畏(インイ)(おそれつつしむ)・慎密(シンミツ)(慎み深く行き届いていること)・丕基(ヒキ)(偉大な基礎)・継述(ケイジュツ)(先人の後を継いで述べること)・兢々(キョウキョウ)(おそれつつしみ)・惕々(テキテキ)(おののいている)・亘古(コウコ)(昔から今まで)・弊竇(ヘイトウ)(弊害の存するところ)・蕩然(トウゼン)(空しく)・桑土綢繆(ソウドチュウビュウ)(災いの起こる前に防ぐこと)・(バンバン)(必ず)・金甌(キンオウ)(金でできた瓶のように完全で欠点の無い国家)・玷缼(テンケツ)(欠点)・鼓勵(コレイ)(奮い立たせる)・佚惰(イツダ)(怠け怠ること)・周密(シュウミツ)(隅々まで行き届いた注意)・覬覦(キユ)(すきあらばとねらうこと)・(せめ)(非難)

 

(現代語訳)

 ここに数十万両の玉があって、透き通って明るく輝きくもりもなく、比類が無いものであれば、人々はとても大切にして失うことを非常に恐れるだろう。しかし一旦投げ捨てられたりすれば傷が無数にできるし、さらに壊されるようなことになれば人々の惜しみ守る心が薄くなるだろう。これは不公平なことのようではあるがまことに当然のことである。

 世界中には多数の国があり、弱小なものは細かく数える暇もないほどだ。中国やインド、ペルシャ、ロシアなどの国は国土が万里を上回り、当然大国と言われる。しかしはるか昔のことを考えると、逆臣に王位を簒奪されたり強大な諸侯に取って代わられたり、あるいは外国に併合されたりしている。甚だしきは外国に二度三四度と侵略されているものもある。壊れた玉となってしまったものが多いのである。

 わが国は気風が勇ましいことや民の性質が純粋で豊かなことについてはすべての国に勝っているわけではないが、神武以来二千五百年を数えて未だに外国に占領されたことがないし、未だに王位簒奪に遭ったこともなく単一の王朝が綿々と続いて絶えないのである。これは世界中で聞いたことが無く、まさに無傷の玉である。

 他国では姦臣による王位の簒奪や異民族による支配を数々見ているので、人々はそれが普通のことだと思うようになり、その結果こうしたことを防ぐのが困難になり君主も家臣も祖先から受け継いだ事業を守ることにあまり配慮をつくさない。わが国では単一の王家が続いているので自然に先人の後を継ぐことが尊重されている。

 このため王位簒奪については人々は「それは昔から絶無の事でありそれを防ぐ方法は当然にあってそれほど困難でもない」と考えている。しかしこれまでと同じように容易だと思っていると必ず困難に陥るだろう。他国で姦臣や異民族による害悪が発生していないと言う前に、何でわが国では単一の王朝が続いていて変わっていないことを言わないのか。

 既に王位簒奪の禍が起きてしまい弊害の穴が一たび開いてしまえば挽回不可能なのだ。それゆえわが国は禍の起こる前に予めそれを防ぐ手立てを尽くしておかなければならない。わが国の文化の麗しいことや王位簒奪の無いことはこれからも保っていかなければならない。心配すべきはただ外国だけだ。完璧な国家を守り欠点がないようにしようと願うなら、武備を整え士気を奮い立たせ、怠惰に流れることのないようにし、沿海の防備はとりわけ抜かりなくして外国から隙を狙われないようにするのが一番だ。これにより国家を見て無傷の玉と異なるではないかとの非難を免れることができる。

 

其五十(西洋諸国は大きすぎる植民地の反乱に苦しむ)

昔晋封成師於曲沃、曲沃大於晋都翼、遂滅翼而代之、衛以蒲戚孫寗、而踰制耦国、果遂獻公、而擅其國、尾大難棹、末重本顛、必至之理也、泰西諸邦貪饕之欲、可熾矣、蠺食隣邦、拓開境宇、猶未其志、方且遣舟師、遠経略亜墨利加洲、既奪其地、使守令往鎮一ㇾ之、於是乎、其地或大於本國、黎甿或夥多於本國、又況彼皆芟薙屠醢之餘、恨深次骨、勢必回戈反噬、以快其忿、邇者繹騒弗靖、迄於客歳、陸梁頗甚、英機黎守土之吏、不平殄、請於本國、其亂之大可想已、夫叔世人衆勝天之日長、天定勝人之日短、泰西人極巧於取人國、則新世界異日之動静、洵有臆料、若以今古定理覈之、則嗣後新世界畔亂數々起、以與本國抗、或且陵暴之、實勢之所必至、而適本邦之幸也、爾日土豪守兵百戦、智力困弊、必競来乞我應援、我大艦無闕、火器精錬、乗其釁、以電撃、恢本邦之幅員、挫捍慮之鋒焔、是亦千載一會、而兵備無素、難以應一ㇾ卒、此韓煕載所以搤腕於南唐、不上ㇾ中原擾攘臲卼之時、以致混壹之業也、

 

(読み下し文)

昔晋、成師(セイシ)を曲沃(キョクヨク)に封ず。曲沃晋都翼(ヨク)より大なり。遂に翼(ヨク)を滅(ほろぼ)して之に代る。衛、蒲戚を以て孫寗(ソンネイ)に與(あた)ふ。而して制(さだめ)を踰(こ)ゆる耦国(グウコク)なり。果して獻公(ケンコウ)を遂(お)ひて其の國を擅(ほしいまま)にす。尾の大なるは棹(さおさす)に難く、末重ければ本顛(たふ)る。必至の理(ことはり)なり。泰西諸邦貪饕(ドントウ)の欲、熾(さかん)なるを謂(おも)ふべし。隣邦を蠺食(サンショク)し、境宇(キョウウ)を拓開(タクカイ)す。猶ほ未だ其の志を逞(たくま)しくするに足らず、方(まさ)に且(まさ)に舟師を遣(つかは)し、遠く亜墨利加(アメリ)洲を経略せんとす。既に其の地を奪ひ、守令を往(い)かせ之(これ)を鎮(しづ)ましむ。是に於てや、其の地、或(あるい)は本國より大なり。黎甿(レイボウ)(あるい)は本國より夥多(カタ)なり。又況(いはん)や彼皆芟薙(サイテン)屠醢(トカイ)の餘り、恨み深く骨に次(いた)る。勢(いきほ)ひ必ず戈(ほこ)を回し反噬(ハンゼイ)し、以て其の忿(いかり)を快(こころよし)とす。邇者(ちかくは)、繹騒(エキソウ)靖(をさま)らず、客歳(カクサイ)迄、陸梁(リクリョウ)頗(すこぶ)る甚(はなはだ)し。英機黎(イギリス)守土の吏、平殄(ヘイテン)すること能(あた)はず、本國に援(たすけ)を請ふ。其の亂の大なるを想(おも)ふべきのみ。夫れ叔世(シュクセ)、人衆(おほ)ければ天に勝つの日長く、天定まって人に勝つの日短し。泰西人極めて人國を取るに巧みなり。則ち新世界異日の動静、洵(まこと)に臆料(オクリョウ)に難(かた)き者有り。若(も)し今古定理を以て之を推覈(スイカク)せば、則ち嗣後、新世界畔亂(ハンラン)數々起き、以て本國と抗(あらが)ひ、或(あるい)は且(まさ)に之を陵暴(リョウボウ)せんとす。實に勢の必ず至る所なり。而(しか)して適(まさ)に本邦之(これ)(さいはひ)なり。爾(その)土豪守兵と百戦し、智力困弊(コンペイ)せば、必ず競ひ来て我應援を乞はん。我大艦闕(か)くところ無く、火器精錬せば、其の釁(すき)に乗じ、以て電撃し本邦の幅員を恢(ひろ)め、捍虜の鋒焔を挫(くじ)かん。是亦(これまた)千載一會なり。而(しこう)して兵備素(もと)無く、應卒(オウソツ)を以てし難し。此れ韓煕載(カンキサイ)南唐に於て搤腕(ヤクワン)し、中原擾攘(ジョウジョウ)臲卼(ゲツゴツ)の時に乗じ、以て混壹(コンイツ)の業(わざ)を致すことを能(よ)くせざる所以(ゆゑん)なり。

 

成師(セイシ)(晋の昭侯の叔父 昭侯の時曲沃に封ぜられる)・耦国(グウコク)(臣下の納めている都城が君主の国城と匹敵するほでであること)・獻公(ケンコウ)(衛の王)・境宇(キョウウ)(領土)・拓開(タクカイ)(開拓)・守令(役人)・黎甿(レイボウ)(民衆)・芟薙(サイテン)(刈り除くこと)・屠醢(トカイ)(殺して塩辛にすること)・反噬(ハンゼイ)(恩を受けた者が背いて反抗すること)・忿(いかり)を快(こころよし)とす(心につかえるものがなくなり、さっぱりする)・繹騒(エキソウ)(ひっきりなしに騒ぐこと)・客歳(カクサイ)(去年)・陸梁(リクリョウ)(勝手気ままに暴れまわること)・平殄(ヘイテン)(鎮圧)・叔世(シュクセ)(末の世)・臆料(オクリョウ)(推測)・推覈(スイカク)(推し測って調べる)・畔亂(ハンラン)(反乱)・陵暴(リョウボウ)(ばかにして乱暴すること)・困弊(コンペイ)(苦しみ疲れる)・千載一會(千年に一度の好機)・應卒(オウソツ)(急場に応ずること)・韓煕載(カンキサイ)(中国五代十国時代の文官。文の名手であったが姫妾を好み四十人余りを蓄え俸給をすべてこれらに与え自分は篋を負って乞食をした)・搤腕(ヤクワン)(腕を握りしめ意気込むこと)・擾攘(ジョウジョウ)(乱れるさま、ごたつき騒ぐさま)・臲卼(ゲツゴツ)(恐れ危ぶむさま)・混壹(コンイツ)(統一)

 

(現代語訳)

 春秋時代に晋の昭侯は叔父の成師を曲沃に封じたが、曲沃は晋都の翼より大きく、遂に翼を滅ぼしてこれに代わった。周代の諸侯国である衛は蒲戚を孫寗に与えたがこれは君主の国に匹敵するほど大きかった。やはり衛の君主である獻公を追放してその国をほしいままにした。尾が大きいと制御するのに難しく、末が重すぎると本が倒れる。これは必ずそうなるきまりである。 

 西洋諸国の貪欲さを考えてみると、隣国を侵略し、領土を開拓してもなおその欲望を満足するに足らず、海軍を派遣して遠くアメリカ大陸を攻め従わせようとした。既にその地を奪って役人を派遣しこれを治めた。ここに於てその土地は本国より大きく民も本国より多い。しかし民衆は皆排除や殺害の目に遭ったので怨みが骨髄にまで達した。そのため必ず武器をもって反抗するようになった。近年では騒動が激しくてイギリスの役人が平定することができず本国に援助を求めた。その乱がどれほど大きいものであろうか。中国では「人衆(おほ)ければ天に勝ち、天定まって人に勝つ」と言って、人は多数を以て一時は天の道を踏みにじることもできようが、天の道が定まればそうした人間たちはことごとく天に打ち破られてしまう、と考えてきたが、天道が衰えた世の末にあっては「人衆(おほ)ければ天に勝つの日長く、天定まっても人に勝つの日短し」であり、反乱は成功し長く続くのである。

 西洋人は人の国を取るのが巧みで新世界の将来の動向はまことに推測し難いが、古今の定理でこれを推測すれば今後新世界では反乱が数々起き本国に反抗したり暴動を起こしたりするだろう。なりゆきでは必ずそこに至る。しかしこれはわが国にとっては幸いなことだ。原住民が本国の兵隊と戦い疲弊すれば必ず競ってわが国に応援を求めるだろう。わが国はその時大艦を備えあり火器も精錬していれば、その隙に乗じて電撃しわが国の領土を広げ邪悪な西洋諸国の軍隊を斥けるだろう。これまた千載一遇の好機である。しかし兵備の素地が無く急場に応ずることができない。これは中国五代十国時代南唐の文官である韓煕載が中原の争乱に乗じて統一を果たそうとして意気込んでいたができなかった理由でもある。

 

其五十一(海外情報をオランダ一国に頼ることは危険、貿易国を追加すれば互いに競って正確な情報を提供するようになる)

志云、偏聴生姦、獨任成亂、人家侗原之僕、謹敕之婢、偏信之、使専管家政、或致熒惑淫縦之失、矧戎虜之桀黠乎、本邦自古與支那交通、支那大邦而其弇陋最乎六大洲、専誇詡己國、視他邦、與禽獣蟲豸異、観於其評本邦政俗、一一失上ㇾ實、而昭昭矣、是支那稽外國情形、未始有少裨、故必託航海是事之國、然後外國動静可晰也、祖宗而來、許和蘭互市、歳々入貢實供告密之用、得因以周知外國興替治忽、洵有於國家、祖宗之遠圖、可崇仰也已、顧和蘭西土之多諼詐、而其貪饕、則又倍蓰於西土人、故事不於失得、則猶能正言無回避、而利害與己國干渉、則遮蔽粉飾、無至、烏可偏信斯一國以爲確據耶、慶長年間、國勢熾、武威憺於殊域、于時外夷朝貢者、二十餘國、競自輸情、以要親媚乎我、後來國家法紀寔整粛、又憎邪教之蠹、是以入貢者益尟、然寛永中、猶存和蘭英機黎両國、嗣後英機黎以互市鮮一ㇾ利故不来者數年、遂絶不許、然後和蘭獨擅互市之利、以迄于今茲、二百載如一日也、夫互市止於一國、則雖誕譎無根之言、其痕跡無自而露、若別有一國入貢、則迭相點検、欲以抉擿其瑕故不少有欺瞞、固其當耳、今和蘭外更許一二國互市、則彼争呈確実之言、外國情形、日瞭然乎心目、亦可以資防禦之策、顧其國則擇於外夷盛彊克獨立而知守信義焉、可也、此洵目今至要務、而人或未之悟、可惜也、

 

(読み下し文)

志に云はく「偏聴(ヘンチョウ)姦を生じ、獨任(ドクニン)亂を成す」と。人家侗原(ドウゲン)の僕(しもべ)、謹敕(キンチョク)の婢(はしため)、之を偏信(ヘンシン)し、専ら家政を管(つかさどら)しめば、或は熒惑(ケイワク)淫縦(インジュウ)の失(あやまち)有るに致らん。矧(いはん)や戎虜(ジュウリョ)の桀黠(ケツカツ)をや。本邦古(いにしへ)より支那と交通す。支那大邦と雖(いへど)も其の弇陋(エンロウ)なること六大洲の最(サイ)たるものにて、専ら己(おのれ)の國を誇詡(コク)し、他邦を視ること、禽獣蟲豸(キンジュウチュウチ)と異なること無し。其の本邦政俗を評するに於て一一(いちいち)實を失ふを観(み)ること昭々(ショウショウ)なり。是れ支那、外國情形を参稽(サンケイ)するに於て、未だ始めより少しも裨(たす)くところ有らず。故(ゆゑ)に必ず航海是之を事(こと)とする國に託す。然る後、外國動静晰(あきらか)なるべし。祖宗而來(ジライ)和蘭(オランダ)に互市を許す。歳々入貢し實(まこと)に密(こまか)の用を供告す。因て以て外國の興替(コウタイ)治忽(チコツ)を周知するを得。洵(まこと)に國家を補(たす)くこと有り。祖宗の遠圖(エント)、崇仰(スウギョウ)すべきなるのみ。顧(かへりみ)和蘭(オランダ)、西土の諼詐(ケンサ)多きには至らざると雖(いへど)も、而(しか)して其の貪饕(ドントウ)、則ち又西土人に倍蓰(バイシ)す。故に事の失得に関せざれば、則ち猶ほ能(よ)く正言(セイゲン)し、回避無し。而(しか)して利害己(おのれ)の國に干渉せば、則ち遮蔽(シャヘイ)粉飾、至らざる所無し。烏(いづ)くんぞ斯(かか)る一國を偏(ひとへ)に信じ、以て確かなる據(よりどころ)と爲すべきや。慶長年間、國勢熾(さかん)にして、武威殊域(シュイキ)を憺(おそれ)さす。時に外夷朝貢する者、二十餘國、競て自(みずか)ら情を輸(おく)り、以て我に親媚(シンビ)を要す。後來(コウライ)國家法紀寔(まこと)に整粛(セイシュク)し、又遠き邪教の蠹(きくひむし)を憎み、是以(これゆゑ)入貢者益(ますます)(すくな)し。然れども寛永中、猶ほ和蘭(オランダ)、英機黎(イギリス)両國存す。嗣後(シゴ)英機黎(イギリス)互市の利鮮(すくな)きを以てするが故(ゆゑ)に来ざること數年、遂(つひ)に絶へて許さず。然る後、和蘭(オランダ)獨(ひと)り互市の利を擅(ほしいまま)にす。以て今茲(ここ)迄、二百載一日の如きなり。夫(そ)れ互市を一國に止(とど)むれば、則ち誕譎(タンケツ)無根の言有りと雖(いへど)も、其の痕跡自(おのづ)から露(あらは)ること無し。若(も)し別の一國入貢有らば、則ち迭(たが)ひに相點検(テンケン)し、以て其の瑕(あやまち)を抉擿(ケツテキ)せんと欲し、故に少しも欺瞞有るを得ざるべし。固(もと)より其れ當るのみ。今和蘭(オランダ)の外更に一二國互市を許さば、則ち彼確実の言を争ひて呈(しめ)し、外國情形、日(ひび)心目(シンモク)に瞭然(リョウゼン)たるべし。亦以て防禦の策を資(たす)くべし。顧(おも)ふに其の國則ち外夷の盛彊(セイキョウ)にして克(よ)く獨立し而も信義を遵守(ジュンシュ)するを知る者を擇(えら)ばば焉(これ)(よし)とするなり。此れ洵(まこと)に目今(モッコン)至要の務なれど、人或(あるい)は未だ之(これ)悟らず。惜しむべきなり。

(古い書物)・偏聴(ヘンチョウ)姦(カン)を生じ、獨任(ドクニン)亂を成す(才能ある者を二人用いるとき、その一方を重用すると他方が不満を抱き、不都合なことが起きる。一人にすべてを任せると乱が起きる)・侗原(ドウゲン)(無知で素直)・謹敕(キンチョク)(慎み深い)・偏信(ヘンシン)(片方だけを信用する)・熒惑(ケイワク)(惑わす)・淫縦(インジュウ)(みだらで勝手気ままなこと)・桀黠(ケツカツ)(悪賢いこと)・弇陋(エンロウ)(内向きで狭量)・誇詡(コク)(大言壮語)・禽獣蟲豸(キンジュウチュウチ)(小動物や虫けら)・昭々(ショウショウ)(明白)・参稽(サンケイ)(照らし合わせて考える 参照する 参考にする)・事(こと)とする(いとなむ)・供告(報告)・興替(コウタイ)(興廃、盛衰)・治忽(チコツ)(治まることと乱れること、治乱)・遠圖(エント)(遠大な考え 先を見通した考え)・諼詐(ケンサ)(偽り)・倍蓰(バイシ)(何倍にもなる)・正言(セイゲン)(事実をまげずに言う)・干渉(関わり合う)・殊域(シュイキ)(外国)・親媚(シンビ)(親しみいつくしむこと)・後來(コウライ)(その後)・整粛(セイシュク)(きちんと整う)・誕譎(タンケツ)(とりとめのないうそ)・抉擿(ケツテキ)(摘発)・當(あた)る(正しい)・心目(シンモク)(心と目)

 

(現代語訳)

 古い書物に次のように書いてある「才能ある者を二人用いる時、その一方を重用すると他方が不満を抱き不都合なことが起きる。一人にすべてを任すと乱が起きる」と。家に素直な召使いと慎み深い下女がいても、片方だけを信頼して家政を任せきりにすれば恐らく驚くようなひどい失敗が起きるだろう。ましてや悪賢い外国を使う場合は言うまでもない。

 わが国は昔から中国とつきあってきた。中国は大国ではあるが内向きで狭量なことは世界の最たるもので、もっぱら自分の国のことを大言壮語し他国のことは小動物や虫けら同様に見ている。わが国の政治や文化に対する評価もすべて的外れであることは明白である。このため中国は外国の情勢を参照するのに助けになるものが少しも無い。故に航海は必ずこれを営む国に任せ、そこでやっと外国の動静を知ることになる。

 わが国は家康公以来オランダに貿易を許している。毎年貢ぎ物を差し入れ実に細かなことまで報告してくる。このため外国の情勢を良く知ることができ、まことに国家の助けになっている。家康公の先を見通した考えは大したものだ。考えてみるとオランダは中国ほど偽りが多くは無いけれど、その貪欲さは中国人の何倍にもなる。このため自分たちの利害に関係が無ければ事実を正しく伝え、隠すようなことも無い。しかし自分たちの利害に関係があるとあらゆるところで事実を隠したり粉飾したりする。何でこんな一国だけをひたすら信じて確かな拠り所としているのか。

 慶長年間はわが国の国勢が盛んで外国を武威で恐れさせた。この時外国で朝貢するものが二十余りあって、競って自ら情報を送り我が国に親善を求めた。その後わが国の法制が整い、又キリスト教の害悪を憎むようになったので入貢する国は少なくなったが、寛永年間中はまだオランダとイギリスの二国が残っていた。以後イギリスは貿易の利益が少ないため数年間来なくなり、遂に貿易を許されなくなった。以後オランダが貿易の利益を独占するようになった。それから現在まで二百年間全く変わりがない。

 そもそも貿易を一か国に限ればうそや根拠の無い事を言われてもそれが自然に露顕することがない。もし別の一か国が入れば互いに点検して誤りを摘発しようとするから、少しも欺瞞が入る余地が無くなる。当然これが正しいことだ。もしオランダの他に一・二か国に貿易を許せば彼らは争って確実なことを言い、外国の情勢は日々明らかになろう。これは防衛策の助けにもなる。そして選ぶべき国は強く盛んで独立していて信義を守る国であれば良いだろう。これは現在の重要課題だが誰も気づいていない。惜しむべきことである。

 

其五十二(オランダの衰退と役割低下)

和蘭入貢互市、閲二百有餘祀之久、世人因以爲衆夷中獨和蘭本邦、忠赤無二、可恃頼、此未確見也、泰西俗、惟利是競、不理義和蘭亦泰西一國、未甞殊異於他邦、吾於彼非絶存亡之大造、豈能保其必深感戴恩徳耶、和蘭之刱互市、在天慶之際、實本邦威武綦盛之秋、而彼之富強亦適丁斯時、侵略海南諸島多奪伊須把尼亜波爾杜瓦爾商館、而勲烈之偉、最在爪哇一國、彼之貪惏姦狡、與羅叉英機黎奚擇、但其國不廣、兵勢不甚雄、故不其呑噬耳、藉令本邦爾時有怯孱可悔之釁、必首中彼之毒、乃本邦風習之剛武、夙甲於万国、加旃當日百戦之餘、始致寧謐、上有英辟、下多梟將、士気虓闞、国力充裕、絶無瑕可一ㇾ乗、彼窺覘而讋慄於是乎幡然易慮、一意恭順、以求媚乎我、因命使我間諜、時々以外国消息上聞、以資邊防、島原之役、且至舟師大熕以助官軍聲勢殆如本邦屏翰之國然、彼入貢而来、互市之利、賜賚之優厚、固足以得其歓心、而其所以致彼心服之本、則由我威武之奮揚、是我所以能奴使和蘭者、在我而不彼、世乃妄以爲彼俗風尚誠愨、效忠藎乎我、惑之極也、然波爾杜瓦爾伊須把尼亜先和蘭市於本邦、見本邦之昌大、不崇畏、方且挟虎狼之心、圖呑噬、遂大獲罪乎我、焚棄其大艦、絶其入貢、與和蘭一ㇾ事、炭氷相反、就此以観、和蘭智慮、亦自有越泰西諸国焉、顧今日本邦兵力不天慶之盛、不以懾伏外国、而和蘭亦日滋衰苶不振、豈能生患乎我、惟其國勢之不昔也、間諜之用、屏翰之力頗薄、是則可慨也已、

 

(読み下し文)

和蘭(オランダ)入貢互市すること、二百有餘祀の久しきを閲(けみ)す。世人因(よっ)て以爲(おもへらく)衆夷中獨(ひと)和蘭(オランダ)本邦に事(つか)ふること、忠赤(チュウセキ)無二、恃頼(ジライ)すべしと。此れ未だ確見(カクケン)爲(た)るを得ざるなり。泰西の俗(ならはし)、惟(ただ)利を是(これ)競ひ、理義を顧(かへりみ)ず。和蘭(オランダ)亦泰西の一國にて、未だ甞て他邦に殊異(シュイ)せず。吾、彼に絶ふるを継(つ)ぎ、亡(ほろ)ぶるを存(たも)つの大造(タイゾウ)を有(みと)むるに非ず。豈(あに)(よ)く其の必ず深く恩徳を感戴(カンタイ)するを保つや。和蘭(オランダ)の互市を刱(はじ)むること、天慶(テンケイ)の際に在り。實に本邦威武綦(きはめ)て盛(さかん)の秋(とき)、而(しか)も彼の富強亦適(まさ)に斯の時に丁(あた)る。海南諸島を侵略し多くの伊須把尼亜(イスパニア)、波爾杜瓦爾(ポルトガル)商館を奪ふ。而(しか)して勲烈(クンレツ)の偉(すぐ)るに最もなるは爪哇(ジャワ)一國を取るに在り。彼の貪惏(タンラン)姦狡(カンコウ)、羅叉(ロシア)、英機黎(イギリス)と奚(なん)ぞ擇(えら)ばん。但し其の國、廣からず、兵勢甚(はなは)だ雄(さかん)ならず。故(ゆゑ)に其の呑噬(ドンゼイ)を肆(ほしいまま)にすること能はざるのみ。藉(かり)に本邦爾(その)時怯孱(キョウセン)にして悔(あなど)るべきの釁(すき)有らしめば、必ず首、彼の毒に中(あた)るべし。乃(すなは)ち本邦風習の剛武、夙(つと)に万国に甲(まさ)る。旃(これ)に加へ當日(トウジツ)百戦に餘り、始めて寧謐(ネイヒツ)に致る。上に英辟(エイヘキ)有り、下に梟將(キュウショウ)多く、士気虓闞(コウカン)、国力充裕(ジュウユウ)、絶へて瑕(すき)に乗ずべきこと無し。彼窺覘(キテン)すれど讋慄(シュウリツ)し是(ここ)に於て幡然(ハンゼン)(おもんぱかり)を易(か)へ、一意恭順し、以て媚(ビ)を我に求む。因(よっ)て命じて我が間諜(カンチョウ)に爲さしむ。時々外国消息を以て上聞(ジョウブン)し、以て邊防(ヘンボウ)を資(たす)く。島原の役、且(まさ)に舟師を出し大熕(ダイコウ)を發し、以て官軍聲勢(セイセイ)を助くるに至る。殆(ほとん)ど本邦屏翰(ヘイカン)の國の如し。彼、入貢而来(ジライ)、互市の利、賜賚(シライ)の優厚(ユウコウ)たり。固(もと)より以て其の歓心を得るに足る。而(しか)して其の彼の心服(シンプク)致す所以(ゆゑん)の本(もと)、則ち我威武の奮揚(フンヨウ)に由(よ)る。是の我の能く和蘭(オランダ)を奴使(ドシ)する所以(ゆゑん)は、我に在りて彼に在らず。世の妄以爲(おもへらく)彼の俗(ならはし)風尚(フウショウ)にして誠愨(セイカク)、忠藎(チュウシン)我に效(いた)すと。惑(まどひ)の極(きはみ)なり。然れば波爾杜瓦爾(ポルトガル)、伊須把尼亜(イスパニア)和蘭(オランダ)に先んじて本邦と互市す。本邦の昌大(ショウダイ)なるを見て、崇畏(スウイ)を知らず。方(まさ)に且(まさ)に虎狼の心を挟(さしはさ)み、呑噬(ドンゼイ)を肆(ほしいまま)にすることを圖(はか)らんとす。遂(つひ)に大いに我に獲罪(カクザイ)す。其の大艦を焚棄(フンキ)し、其の入貢を絶つ。和蘭(オランダ)の事を行ふことと炭氷(タンピョウ)相反す。此(これ)に就(つい)て観(み)るを以てせば、和蘭(オランダ)の智慮、亦自(おのづ)から泰西諸国を度越(ドエツ)する者有り。顧(かへりみ)て今日、本邦兵力天慶の盛(さかり)に逮(およ)ばず、以て外國を懾伏(ショウフク)さすに足らず。而して和蘭(オランダ)亦日(ひび)滋(ますます)衰苶(スイデツ)し振るはず、豈(あに)能(よ)く患(わづらひ)を我に生ずるか。惟(ただ)其の國勢の昔に及ばざるや、間諜(カンチョウ)の用、屏翰(ヘイカン)の力頗(すこぶ)る薄し。是れ則ち慨(なげ)くべきなるのみ。

 

閲(けみ)す(数える)・忠赤(チュウセキ)(忠実)恃頼(ジライ)(頼りになる)・殊異(シュイ)(異なる)・大造(タイゾウ)(大功績)・感戴(カンタイ)(ありがたく押し頂く)・天慶(テンケイ)(天正、慶長)・勲烈(クンレツ)(てがら)・貪惏(タンラン)(強欲)・姦狡(カンコウ)(悪賢いこと)・怯孱(キョウセン)(臆病で弱い)・剛武(強く勇ましいこと)・當日(昔日 ありし日)・寧謐(ネイヒツ)(世の中が治まり穏やかなこと)・英辟(エイヘキ)(優れた君主)・梟將(キュウショウ)(勇猛な大将)・虓闞(コウカン)(勇猛)・窺覘(キテン)(うかがい狙う)・讋慄(シュウリツ)(おそれおののく)・幡然(ハンゼン)(にわかに改めて)・(ビ)(好意、いつくしみ)・上聞(ジョウブン)(将軍のお耳に入れる)・邊防(ヘンボウ)(国境の防衛)・舟師(海軍)・大熕(ダイコウ)(大砲)・聲勢(セイセイ)(気勢)・屏翰(ヘイカン)(重臣)・而来(ジライ)(以来)・賜賚(シライ)の優厚(ユウコウ)(賜物のように手厚い)・心服(シンプク)(心から尊敬して従う)・奮揚(フンヨウ)(奮い立たせること)・奴使(ドシ)(奴隷のように使う)・風尚(フウショウ)(上品)・誠愨(セイカク)(真心がこもっている)・忠藎(チュウシン)(忠誠)・昌大(ショウダイ)(盛大)・崇畏(スウイ)(尊び敬うこと)・獲罪(カクザイ)(罪を得る、罪人になる)・焚棄(フンキ)(焼き捨てる)・度越(ドエツ)(上回る)・懾伏(ショウフク)(ひれ伏す)・衰苶(スイデツ)(衰退)・屏翰(ヘイカン)(垣となって守ること)

 

(現代語訳)

 オランダと貿易することは二百年もの長きにわたる。世の人は「多くの外国の中でオランダだけがわが国にこの上なく忠実で頼りになる」と思っている。これは正しい見解とは言えない。西洋の文化はただ利益を競い、理義を顧みない。オランダもまた西洋の一国で他の国と異なることは無い。私はオランダに絶滅したものを継承し、滅びつつあるものを保存するというような功績を認めることはできない。何でオランダが過去の恩徳をいつまでもありがたがっていようか。

 オランダが貿易を始めたのは天正、慶長年間であり、実にわが国の武威が極めて盛んな時で、しかもオランダの最盛期でもあった。海南諸島を侵略し多くのスペイン、ポルトガルの商館を奪った。手柄の中で最も優れているのはジャワ一国を取ったことだ。オランダの貪欲なこと、悪賢いことはロシアやイギリスと変わらない。ただ国土が広くはなく兵力も強くないので侵略をほしいままにすることができなかっただけいのことである。もしわが国がその時臆病で弱くてつけ入るすきがあればオランダの毒にやられていただろう。ところがわが国の強く勇ましい気風は早くから他国に優っていた。これに加えてかつては戦乱に明け暮れていたが、始めて世の中が治まり穏やかになった時期で、上には優れた君主がいて、下には勇猛な武将が多くおり、士気は盛んで国力も充実しており、全くつけ入るすきが無かった。オランダはすきを窺ったが、おそれおののいてにわかに考えを改め、ひたすら恭順しわが国の好意を求めるようになった。だから命令してわが国のスパイにして、時々外国の情報を将軍のお耳に入れさせ国境の防備に役立てた。島原の乱の時は海軍を出して大砲を打ち幕府軍の気勢を助けた。殆どわが国の重臣の国のようだった。

 オランダにとって貿易の利益は賜物のように手厚かったので、このように日本が喜ぶようなこともした。しかしオランダが日本に従う根本的な理由はわが国の武威にあった。つまりわが国がオランダを奴隷のように使う理由はわが国にあってオランダにあるのではない。世の無知な人は「オランダは文化は上品だし、我々にまごころで対応し忠誠を示してくれる」などと考えているが、世迷い事の極みである。ポルトガルやスペインはオランダに先んじてわが国と貿易を始めたが、わが国の盛大なことを見ても敬うことをせず、虎や狼のような心で侵略しようとした。ついにわが国の怒りを買い、艦船は焼き捨てられ貿易は禁止された。オランダとは正反対であった。これについて見ればオランダの知恵は西洋諸国を上回っていた。

 考えてみれば今日のわが国の兵力は天正、慶長の最盛期には及ばないので外国をひれ伏させるには足りない。しかしオランダもまた衰退していてわが国にわざわいをもたらすこともないだろう。ただオランダの国力が昔ほどではないのでスパイの役割や垣根となって守るような役割も十分にできなくなっている。嘆かわしいことだ。 

 

其五十三(軟弱な文化に浸り武を忘れたインドが侵略されたことはわが国も教訓とすべき)

印度至大綦盛之國、兵衆財力、較支那、有過無及、但其地富厚蕃庶、百物不匱、土沃而民佚、不覚流於脆靡、故莫臥兒以蒙古餘蘖、奮於北方撒馬兒罕之地、以明建文年中、深入印度、立滅四天竺、獨南天竺纔能自保、迄嘉靖中、亦爲併、莫臥兒之甫入印度也、一變印度孱怯之風、爲猛賁虓鷙之俗、其鋒不攖、未幾歳、而亦復儜然緜弱、元文中大摧破於百兒西亜、多喪城邑、帝遂爲俘、土地琛貨、陸續充貢纔而得釋還一ㇾ國、降於近歳、南方瀕海之地、率爲西洋所一ㇾ據、英機黎既併榜葛刺、漸蠺食印度、莫臥兒殆至海畔無尺地之有、其弱可想、莫臥兒之所以至於斯削弱者、固縁其浸漬天竺柔軟之俗、而其抛海防水戦於局外、不以介一ㇾ意、實爲之病源也、印度據海山之阻、擅魚鹽之利、國富民夥、苟海防整設、無武事、足以威制海南諸夷、而攘逷泰西、乃今也沿海咸爲敵所一ㇾ奪、殆如其口而搤其咽喉然、印度失厥富彊之資、而仰鼻息乎彼、駸々乎有膚椎髄之勢、亦可憫矣、借令莫臥兒有爲之主出、必先逐太西諸夷、復臨海地、然後始可以自強、不然仍今之形勢、無今之彊域、断不樹立、終歸於淪亡而已、是亦在于本邦、前車之可鑑者也、

 

(読み下し文)

印度(インド)至て大にして綦(きはめ)て盛(さかん)なるの國なり。兵衆(ヘイシュウ)財力、支那に較べ、過ぎたること有れど、及ばざること無し。但し其の地富厚(フコウ)にして蕃庶(バンショ)たり。百物匱(とぼし)からず。土沃(こ)えて民佚(イツ)なり。脆靡(ゼイビ)に流るるを自覚せず。故に莫臥兒(ムガール)、蒙古餘蘖(ヨゲツ)を以て、北方撒馬兒罕(サマルカンド)の地に奮(ふる)ひ、明の建文年中を以て、印度に深入し、立ちどころに四天竺を滅(ほろぼ)す。獨(ひと)南天竺のみ纔(わづか)に能(よ)く自(みづか)ら保ち、嘉靖中迄に亦併(あは)す所と爲る。莫臥兒(ムガール)(これ)(はじめ)て印度に入るや、印度孱怯(センキョウ)の風一變し、猛賁(モウヒ)虓鷙(ゴウシ)の俗(ならはし)と爲る。其の鋒(ほこさき)(ふれ)るべからず。未だ幾歳(いくとし)もせずに亦儜然緜弱(ドウゼンメンジャク)に復(かへ)る。元文中大いに百兒西亜(ペルシャ)に摧破(サイハ)せられ、多くの城邑(ジョウユウ)を喪(うしな)ふ。帝(みかど)(つひ)に俘(とりこ)と爲り、土地琛貨(チンカ)、陸續(リクゾク)(みつぎ)に充(あ)て纔(わづか)に釋(ゆる)し國に還(かへ)るを得。近歳に降(くだ)り、南方瀕海の地、率(おほむね)西洋の據(よ)る所と爲る。英機黎(イギリス)既に榜葛刺(ベンガル)を併(あは)せ、漸(やうや)く印度を蠺食(サンショク)す。莫臥兒(ムガール)(ほとん)ど海畔(カイハン)に尺地之(これ)有すること無きに至る。其の弱きを想ふべし。莫臥兒(ムガール)(これ)(かか)る削弱(サクジャク)に至る所以(ゆゑん)は、固(もと)より其れ天竺柔軟の俗(ならはし)に浸漬(シンシ)するに縁(よ)る。而(しか)して其れ、海防水戦局外に抛(なげう)ち、以て意に介さず。實に之(これ)病源を爲すなり。印度海山の阻(へだて)に據(よ)り、魚鹽(ギョエン)の利を擅(ほしいまま)にす。國富み民夥(おびただ)し。苟(いやしく)も海防整設し武事を忘るること無くば、以て海南諸夷を威制し、泰西を攘逷(ジョウテキ)するに足るらん。乃(すなは)ち今也(いまや)沿海咸(みな)敵の奪ふ所と爲り、殆(ほとん)ど其の口を関(とざ)して其の咽喉(インコウ)を搤(おさ)へるが如く然(しか)り。印度厥(その)富彊(フキョウ)の資(もと)を失ひて、鼻息(ビソク)彼を仰(あほ)ぐ。駸々(シンシン)膚を剥ぎ髄を椎(たた)くの勢有り。亦憫(あはれ)むべきなり。借(かり)に莫臥兒(ムガール)、有爲(ユウイ)の主(あるじ)(いで)しめば、必ず先ず太西諸夷を逐(お)ひ、臨海地を復し、然る後、始めて以て自強すべし。然らずして今の形勢に仍り今の彊域(キョウイキ)を改むること無くんば、断じて樹立有る能(あた)はず、終(つひ)に淪亡(リンボウ)に歸(キ)するのみ。是亦(これまた)本邦に在りて、前車の鑑たるべき者なり。

兵衆(ヘイシュウ)(軍勢)・富厚(フコウ)(富んで豊か)・蕃庶(バンショ)(繁殖すること)・(イツ)(気ままに楽しんでいる)・脆靡(ゼイビ)(やわらかくうつくしい 軟弱)・餘蘖(ヨゲツ)(残党)・孱怯(センキョウ)(臆病で弱々しい)・猛賁(モウヒ)虓鷙(ゴウシ)(勇猛で荒々しい)・儜然(ドウゼン)(弱々しく)・緜弱(メンジャク)(か細い、か弱い)・琛貨(チンカ)(財宝)・削弱(サクジャク)(国土が侵され弱くなる)・浸漬(シンシ)(つかること)・魚鹽(ギョエン)(魚と塩、海産物)・威制(おどし抑える)・攘逷(ジョウテキ)(払いのける)・鼻息(ビソク)彼を仰(あほ)ぐ(他人の鼻息をうかがっている。)・駸々(シンシン)(急速に)・淪亡(リンボウ)(滅亡)

 

(現代語訳)

 インドは極めて大きく盛んな国だった。軍勢や財力は中国と比べてもそれ以上であってそれ以下ではなかった。ただその地は富んで豊かで人口も多く物も不足していなかったし土地も肥えていたので、民は気ままに楽しんでおり軟弱に流れているのを自覚していなかった。このためムガールが蒙古の残党を集めて北方のサマルカンドの地で勢力を奮い、明の建文年間にインドに侵入し、たちどころに四天竺を滅ぼした。ただ南天竺だけが独立していたが嘉靖年間までには併合された。ムガールがインドに初めて入るとインドの臆病で弱々しい気風が一変し勇猛で猛々しい文化となり、その軍隊は無敵であった。しかし間もなくまた弱々しくなってしまった。元文年間にペルシャに大敗し多くの城を失った。帝王もついに捕虜となり、土地や財宝を続々と貢ぎ物にしてやっと許され国に帰った。

 近年になると南方の海に面した土地はおおむね西洋諸国が占領した。イギリスは既にベンガルを併合し次第にインドを侵略し、ムガールは殆ど沿岸の土地を失った。その弱さを思うべし。ムガールがここまで領土を削られ弱くなった理由は、何よりインドの軟弱な文化に浸かってしまい、海防や海戦のことは放置して意に介さなかったことにあり、実にこれが病源である。インドは海や山に遮られることで海産物の利益を独り占めにできて国は富み人口は多かった。もし海防を整備して武事を忘れなければ、海南の異民族を威圧し西洋諸国を払いのけることもできただろう。ところが今は沿海はみな敵に奪われほとんど口を塞がれ喉を抑えられているようなものである。インドはその富と力の元を失い他人の鼻息を伺っていて、急速に皮膚を剥がれ骨髄をたたかれているような状態である。実に憐れむべきことだ。

 もしムガールに有能な君主が出れば、必ずまず西洋諸国を追い出し、臨海地を回復し、その後初めて自ら努め励むことができるようになるだろう。そうではなく今の形勢によりかかり今の領域を改めることもなければ断じて立て直しはできず滅亡に向かうだけだろう。これはわが国にあっても失敗の教訓とすべきことである。

 

其五十四(清は防衛のためにはインドを西洋諸国より先に併合すべし)

支那之於印度、雖隔絶之邦、而實相爲唇歯今日形勢、爲清謀乎、必併印度、然後始免於杌隉之患也、清雖彊大、其蠺食隣邦之術、迥遜太西之巧、清既殲準噶爾、據葉爾羗地、殆接印度之背、印度衰苶已極、而中間無截我師之虜、使清乗兵力之猛熾、以直涖印度、則彼断不我、惟有版図以乞上ㇾ降耳、取印度而厳其沿海之備、守其陸路之衝要、以綏西南夷、可以威覃四海、乃舎而不問、致太西人肆意占據瀕海地、以漸侵削五天竺、坐失乗之會、此識者所爲深惜也、若更任泰西之狼貪、使之盡呑印度、憑據安日河東西、以攻支那、其禍有言者焉、藉使東夷西戎各自爲一邦、而各自作上ㇾ梗、其患未必甚深、今乃使太西人迭相掎角、以出乎東西夾攻之計、則清将殆不一ㇾ支、今清縦不平印度、果能取榜葛刺及清笠中間諸小夷、亦足以自強、而清人智慮絶不之及、可國無一ㇾ人矣、異日清或爲太西所併有、則禍毒直中乎我、其貽患有涯量、今人呑噬印度之策、固爲清謀、而實亦爲本邦謀也、

 

(読み下し文)

支那(これ)印度を隔絶の邦と曰(い)ふと雖(いへど)も、實に唇歯(シンシ)を相爲(あいな)す。今日形勢に就き、清の爲に謀(はか)れば、必ず印度を併(あは)せ、然る後始めて杌隉(ゴツゲツ)の患(わづらひ)を免るなり。清、彊大と雖も、其の隣邦を蠺食(サンショク)するの術、迥(はるか)に太西の巧(たくみ)なるに遜(ゆず)る。清既に準噶爾(ジュンガル)を殲(ほろ)ぼし、葉爾羗(ヤルカンド)の地に據(よ)り、殆(ほとん)ど印度の背に接す。印度衰苶(スイデツ)(すで)に極(きはま)る。而(しか)して中間に我師を攔截(ランセツ)する虜(えびす)無し。清兵力の猛(たけ)く熾(さかん)なるに乗じ、以て直ちに印度に涖(のぞ)ましめば、則ち彼断じて我に抗(あらが)ふこと能(あた)はず。惟(ただ)版図(ハント)を奉り以て降(くだ)るを乞ふこと有るのみならん。印度を取りて其の沿海の備(そなへ)を厳しくし、其の陸路の衝要を守り、以て西南の夷(えびす)を綏懐(スイカイ)せば、以て威を四海に覃(のばす)べし。乃(すなは)ち舎(す)てて問はざれば、太西人意を肆(ほしいまま)にし、瀕海地を占據し、以て漸(やうや)く五天竺を侵削するに致る。坐して乗ずべきの會を失ふ。此れ識者の深く惜しむ所爲(ゆゑん)なり。若(も)し更に泰西の狼貪(ロウドン)に任せ、之(これ)(ことごと)く印度を呑み、安日(ガンジス)河東西に憑據(ヒョウキョ)し、以て支那に攻逼(コウヒツ)せしめば、其の禍(わざはひ)言ふべからざる者有るなり。藉使(もし)東夷西戎各自一邦の爲に各自作梗(サクコウ)せば、其の患(わざはひ)未だ必ずしも甚だ深からず。今乃(すなは)ち太西人迭(たがひ)に相掎角(キカク)し、以て東西夾攻(キョウコウ)の計に出しめば、則ち清、将(まさ)に殆ど支(ささ)ふべからざるべし。今清縦(たと)ひ印度を蕩平すること能(あた)はざれども、果して能く榜葛刺(ベンカル)及び清笠中間諸小夷を取らば、亦以て自強するに足らん。而れども清人智慮絶へて之(これ)及ばず。國に人無きを謂(おも)ふべきか。異日清或(あるい)は太西の併有する所と爲らば、則ち禍毒直(ただち)に我に中(あた)る。其の患(わづらひ)を貽(およ)ぶこと涯(はて)を量るべからざる者有り。今人の印度を呑噬(ドンゼイ)するの策、固(もと)より清の爲(ため)の謀(はかりごと)にして實に亦本邦の爲(ため)の謀(はかりごと)なり。

・唇歯(シンシ)(くちびると歯 相互依存の譬え)・杌隉(ゴツゲツ)(危い、不安定な)・準噶爾ジュンガル)(モンゴル民族の一派オイラートの一部族。17~18世紀に栄え、天山南路・天山北路一帯を支配したが、1758年、清に滅ぼされた)・葉爾羗(ヤルカンド)(中国、新疆ウイグル自治区南西部のオアシス都市。タリム盆地西縁にあり、古来、隊商交易路の要衝で、農畜産物の集散地として発達)・衰苶(スイデツ)(衰え弱くなること)・攔截(ランセツ)(さえぎり止める)・綏懐(スイカイ)(てなずける)・(機会)・憑據(ヒョウキョ)(よりどころにする)・攻逼(コウヒツ)(攻め寄せる)・作梗(サクコウ)(妨害する)・掎角(キカク)(前後相応じて敵にあたること)・夾攻(キョウコウ)(はさみうち)・蕩平(平定)

 

(現代語訳)

 中国はインドのことをはるかにかけ離れた国と言うが、両者はくちびると歯のように相互に依存した関係にある。現在の情勢について清のために考えると、インドを併合することで初めて不安を免れることができる。清は強大ではあるが、隣国を侵略する技術では西洋諸国の巧みさにはるかに及ばない。清は既にジュンガルを滅ぼしヤルカンドの地を拠点としており殆どインドの背中に接している。インドは極めて衰えているが、インドと清の中間には清軍を遮る異民族はいない。清が兵力の強いことに乗じてすぐにインドに行けばインドは全く抵抗できず、ただ領土を譲渡して降伏するしかないだろう。インドを取って沿海の警備を厳しくし、陸路の要衝を守り、西南の異民族を手なずければこれにより威光を四方の海に伸ばすことができる。

 逆にインドを放置していれば西洋人が好き勝手に沿海部を占領し次第に五天竺を侵略するに至るだろう。座して乗ずべき好機を失う、これは識者が深く惜しむ理由である。もし更に西洋が貪欲に任せてインドをすっかり併呑し、ガンジス川の東西を拠り所にして中国に攻め寄せればその悪影響は言語を絶する。もし東西の異民族がそれぞれ自国のために妨害してきてもその影響はさほどのことはない。しかしもし西洋人が互いに相応じて敵に当たり、東西で挟み撃ちの作戦に出たら清はほとんど耐えきれないだろう。たとえ清がインドを平定することができないとしても、ベンガルおよび清とインドの中間地域の小国を取ればそれにより自国を強化できるだろう。しかし清人の知恵はそこに及ばない。国に人材がいないと思うべきなのか。

 将来清がもし西洋に併有されることになればその害毒はわが国を直撃し、その悪影響の大きさは計り知れない。このインドを併合する策は当然清のための計画だが、実はわが国のための計画でもある。

 

其五十五(国と人民を守れない仁愛の君主より、国と人民を守れる暴君の方がまし)

明太成二祖、天資酷忍、翦屠臣民、而子孫昌衍、傳祚三百年、唐明皇宋徽宗、慈恵寛厚、不殺、而安禄山完顔晟称兵猾夏、士庶死於兵者、數百千萬、國祚幾絶纔續、而其亡實兆于茲、夫原人情而論、則自下手殺人者、與他人殺一ㇾ人者、邈然殊科、明二祖、親下手者也、唐明宋徽、不人殺者也、其罪之輕重灼如、而禍福如斯之懸、後世智誑愚彊虐弱、毎多吾衆勝天之患、彊暴之得志、亦莫怪、而其中自有天道存焉、夫處人牧之任護生霊、令上ㇾ患苦職吾不之、而使勍敵捍虜衡行無上ㇾ顧憚、億兆黔黎死於鋒鏑於水火、與親殺一ㇾ之一間耳、且也、暴君乗怒而殺人、其殺人亦自有限、凶賊醜虜蹂躙天下、其死者不啻倍蓰什佰之多、其陥人於死益衆、而其獲罪於天、益深、瑣々小仁細謹、不以贖莫大之愆也、明二祖惨虐之罪固可悪、然而克振中州之威、以攘逐四夷、使之厥角懾伏、不敢擾上ㇾ邊、薄海蒸民、獲各楽其生、其功匪小、實人情之所皈王、抑亦天心之所眷祐也、近代如墨是可孛露及爪哇呂宋満刺加忽魯謨斯、咸爲太西所呑滅、彼其君未必有淫虐厲民之辜、而不兵備作士気、以遏黠虜之侵軼、可君國子民之道、其忽諸也固耳、夫明二祖之無道、當痛戒以爲殷鑑、而其摧破戎虜、以寧中州之勲、洵可則傚、若乃不武錬兵以攘冦虜之爲要務、徒好小恵、喣々撫柔細民、自謂以邀天眷、則處心之謬甚者也、

 

(読み下し文)

明の太成二祖、天資(テンシ)酷忍なり。臣民を翦屠(セント)し、而(しか)して子孫昌衍(ショウエン)し、祚(ソ)を傳(つた)ふること三百年。唐の明皇宋の徽宗(キソウ)、慈恵寛厚にして、殺を嗜(たしな)まず。而(しか)して安禄山、完顔晟、兵を称(あ)げ夏(カ)を猾(みだ)す。士庶兵(いくさ)に死す者數百千萬、國祚(コクソ)(ほとん)ど絶へ纔(わづか)に續く。而(しか)して其の亡ぶること實に茲(ここ)に兆(きざ)す。夫れ人情を原(たづ)ねて論ずれば、則ち自(みづか)ら手を下し人を殺す者と、他人に人を殺すことを禁ずること能はざる者と、邈然(バクゼン)(とが)を殊(こと)にす。明の二祖、親(みづ)から手を下す者なり。唐の明、宋の徽、人を殺すことを禁ずること能はざる者なり。其の罪の輕重灼如(シャクジョ)なり。而(しか)して禍福(カフク)斯くの如く懸(へだた)る。後世、智は愚を誑(たぶらか)し、彊(キョウ)は弱を虐(しへたげ)る。毎(つね)に吾(われ)(おほ)ければ天に勝つの患(わざはひ)多し。彊暴(キョウボウ)(これ)志を得ること、亦怪しむに足らず。而(しか)も其の中に自(おのづ)から天道有りて存(たも)つなり。夫れ人牧(ジンボク)の任(にな)ふ處、生霊(セイレイ)を捍護(カンゴ)し、患苦を脱せしむるを以て職と爲す。吾之(これ)を庇(かば)ふこと能はず。而して使(もし)勍敵(ケイテキ)捍虜(カンリョ)衡行(コウコウ)し顧憚(コタン)する所無からしめ、億兆の黔黎(ケンレイ)の鋒鏑(ホウテキ)に水火に死なば、親(みづ)から之を殺すことととは、一間(イッカン)のみ。且つ、暴君怒りに乗じて人を殺すも、其の人を殺すこと亦自(おのづ)から限りあり。凶賊(キョウゾク)醜虜(シュウリョ)天下を蹂躙せば、其の死者啻(ただ)倍蓰(バイシ)什佰(ジュウヒャク)の多きのみならず、其の人を死に陥(おとしいれ)ること益(ますます)(おほ)し。而(しか)して其の罪を天に獲(う)ること益(ますます)深く、瑣々(ササ)小仁(ショウジン)細謹(サイキン)、以て莫大の愆(あやまち)を贖(あがな)ふに足らざるなり。明の二祖惨虐(サンギャク)の罪、固(もと)より悪(にく)むべし。然れども克(よ)く中州の威を振ひ以て四夷を攘逐(ジョウチク)し、之(これ)を厥角(セツカク)懾伏(ショウフク)せしめ、敢て邊(くにざかひ)を擾(みだ)ざらしむ。薄海(ハクカイ)の蒸民(ジョウミン)、各(おのおの)其の生に楽を獲(う)。其の功小さからず。實に人情之(これ)王に所皈(ショキ)し、抑(そもそも)亦天心の眷祐(ケンユウ)する所なり。近代墨是可(メキシコ)、孛露(ペルー)、及び爪哇(ジャワ)、呂宋(ルソン)、満刺加(マラッカ)、忽魯謨斯(ホルムズ)の如き咸(みな)太西の呑滅(ドンメツ)する所と爲る。彼其(ヒキ)の君、未だ必ずしも淫虐(インギャク)厲民(レイミン)の辜(つみ)有らず。而(しか)して兵備を飭(ととの)へ士気を振作(シンサク)し、以て黠虜(カツリョ)の侵軼(シンイツ)を遏(とど)むること能(あた)はず。君國子民(クンコクシミン)の道を忝(はづかし)むると謂(い)ふべし。其の忽諸(コツショ)たるや固(もとより)のことなるのみ。夫れ明の二祖の無道、當(まさ)に痛く戒(いまし)め以て殷鑑(インカン)と爲すべし。而(しか)して其の戎虜(ジュウリョ)を摧破(サイハ)し、以て中州を寧(やすん)ずるの勲(いさお)、洵(まこと)に則傚(ソッコウ)すべし。若乃(もしすなはち)武錬兵を以て冦虜(コウリョ)を攘(はら)ふこと、之(これ)を要務と爲すを識(し)らず、徒(いたづら)に小恵を敷くを好み、喣々(クク)として細民を撫柔(ブジュウ)せば、自(おのづ)から以て天眷(テンケン)を邀(むか)へるべしと謂(おも)ふは、則ち心を處(ショ)することの謬(あやまり)(はなはだ)しき者なり。

 

明の太成二祖(明の太祖洪武帝と成祖永楽帝 洪武帝は明の創始者だが徹底した独裁制と恐怖政治を敷き、功臣を粛清し尽くした。永楽帝は明の第二代建文帝に対するクーデターで帝位に就き、建文帝側近の重臣とその家族に対し一族誅滅の処置をとった)・天資(テンシ)(生まれつきの資質)・酷忍(残忍)・翦屠(セント)(切殺す)・昌衍(ショウエン)(栄えはびこる)・(ソ)(天子の位)・唐の明皇玄宗皇帝 唐の第六代皇帝。はじめは立派な政治を行い、「開元の治」と称せられたが、後に楊貴妃への愛におぼれて政治をかえりみず、安禄山(あんろくざん)の乱をひきおこした。)・宋の徽宗北宋第8代の皇帝。書画の名手として知られ、文化・芸術を保護奨励したが、政治力なく国政は乱れ、金の侵入に際し帝位を子の欽宗に譲位、のち親子とも捕らえられ、今の黒竜江省で死去)・慈恵寛厚(慈愛の心が厚い)・安禄山(中国唐代の武将。ソグド人。安史の乱の首謀者。玄宗皇帝に信頼されて平盧・范陽・河東の三節度使を兼任していたが、755年、反乱を起こして洛陽・長安を攻略。大燕皇帝を自称したが、子の慶緒に殺された)・完顔晟(カンガンセイ)(中国金の第2代皇帝。対宋戦争を開始し,宋の都開封を陥落させ 徽宗,欽宗を捕虜として宋を滅ぼした)・(カ)(中国)・國祚(コクソ)(帝位)・邈然(バクゼン)(はるかに)・唐の明玄宗)・宋の徽徽宗)・灼如(シャクジョ)(明らか)・吾衆(おほ)ければ天に勝つ「人衆ければ天に勝つ」史記伍子胥列伝)人が多くて意気盛んな時は、天もこれに気負けして天罰をくだすことができない)・彊暴(キョウボウ)(乱暴者)・人牧(ジンボク)(君主)・生霊(セイレイ)(人民)・捍護(カンゴ)(守る)・勍敵(ケイテキ)(強敵)・捍虜(カンリョ)(強い異民族 強敵)・衡行(コウコウ)(勝手気ままに振る舞う)・顧憚(コタン)(おそれはばかる)  黔黎(ケンレイ)(庶民)・鋒鏑(ホウテキ)(刀のほこ先と矢じり。武器をいう)・一間(イッカン)(少しの違い)・倍蓰(バイシ)(二倍、五倍 数倍)・什佰(ジュウヒャク)(十倍、百倍)・瑣々(ササ)小仁(ショウジン)細謹(サイキン)(細々した小さな仁徳や些細な礼儀作法)・中州(中国)・攘逐(ジョウチク)(追い払う) ・厥角(ケッカク)(頭を地につくまで下げて礼をする)・懾伏(ショウフク)(ひれ伏す)・邊(くにざかひ)(国境)・薄海(ハクカイ)(天下、世界)・蒸民(ジョウミン)(多くの民)・所皈(ショキ)(帰着する)・天心(天帝の心)・眷祐(ケンユウ)(助ける)・彼其(ヒキ)(彼)・淫虐(インギャク)厲民(レイミン)(みだらでむごく民を悩ます)・振作(シンサク)(奮い立たせる)・黠虜(カツリョ)(悪賢い外敵)・侵軼(シンイツ)(侵略)・君國子民(クンコクシミン)(君主の治める国家と君主が子供のように愛する国民)・忽諸(コツショ)(突然消え去ること)・殷鑑(インカン)(戒めとすべき失敗の前例 殷は前代の夏が滅ぼされたことを鑑(かがみ)としなければならなかったのに、そうしなかったところからこの言葉ができた。)・則傚(ソッコウ)(手本とする)・講武(武を習うこと)・錬兵(兵を訓練すること)・冦虜(コウリョ)(外敵)・小恵(少しばかりの恩恵)・喣々(クク)(へつらい笑うさま)・撫柔(ブジュウ)(可愛がる)・天眷(テンケン)(天の恵み)

 

(現代語訳)

 明の太祖洪武帝と成祖永楽帝は生まれつき残忍で家臣や人民を切り殺したが、子孫は繁栄し王朝は三百年続いた。唐の玄宗皇帝と宋の徽宗皇帝は慈愛の心が深く殺人を好まなかった。しかし安禄山や完顔晟が挙兵して中国を乱し、戦乱で死んだ者は数百千萬。帝位はほとんど絶えてわずかに続いたが、王朝の滅亡は実にここに前兆があった。

 そもそも人情に基づいて考えれば、自ら手を下して人を殺すことと、人を殺すのを止めさせることができないこととでは罪の重さははるかに異なる。明の二人の皇帝は自ら手を下し、唐の玄宗皇帝と宋の徽宗皇帝は人を殺すのを止めさせることができなかった者だ。その罪の軽重は明らかだ。しかし結果はこのように全く反対になっている。

 後の世には智者が愚者をたぶらかす、強者が弱者を虐げる、など多数を恃んで天罰を恐れず無道なことを行う事件が多く発生している。乱暴者が思った通りにできるということも不思議ではない。しかしそうした中にも自然に天道はあるものだ。

 そもそも君主の任務は人民を守り災いや苦しみから逃れさせることにあり、私人ができるようなことではない。しかしもし強敵や異民族が憚ることなく勝手気ままに振る舞い、その結果多くの人民が武器によりあるいは水や火により死ねば、それは君主自ら人民を殺すことと殆ど違わない。その上暴君が怒りに乗じて人を殺してもその数にはおのずと限りがあるが、凶悪な賊や醜い異民族が天下を蹂躙すれば死者はその二倍、五倍、十倍、百倍の多さになるというだけでなく、人を死に陥れることがますます多くなる。天の怒りを買うこともますます深く、細々とした小さな仁徳やつまらない礼儀作法でこの莫大なあやまちを償うことなどできない。

 明の二皇帝の残虐な罪は当然憎むべきものであるが、よく中華の威光を振るってまわりの異民族を追い払いあるいは徹底的にひれ伏させて、敢えて国境を侵犯しようなどとは考えさせないようにした。これにより世の中の多くの民が人生に楽しみを得られるようになった。その功績は小さくない。人々の心は王に寄せられたが、これもまた天の助けによるものだ。

 近代ではメキシコ、ペルーおよびジャワ、ルソン、マラッカ、ホルムズなどの国が皆西洋諸国に併呑された。これらの君主は必ずしも淫らであったり残虐であったり民を悩ませたりというわけではなかったが、軍備を整え士気を奮い立たせて外敵の侵略を防止することができなかった。これは国の君主たる者は民を子の如く愛すべしという「君国子民」の道に反するもので、これらの国が突然消え去ったのも当然のことだ。

 明の二皇帝の無道ぶりはまさに失敗の前例として教訓とすべきではあるが、しかし敵を撃破し中国を守った功績はまことに手本となるべきものだ。反対にもし武術を習い兵を訓練して外敵を追い払うことが重要であると認識せず、少しばかりの恩恵を施してへつらい笑って人民を可愛がっていれば自然に天の恵みを得られると考えているようでは心得違いも甚だしい。

 

其五十六(蝦夷地と東北沿岸の防備の重要性について)

本邦四面臨海、虜艦無至、而北陲最可憂慮、何也、俄羅斯柬察加之地頗密邇、而蝦夷之地曠邈荒寂守備單寡、所以可一ㇾ懼也、柬察加寒沍不毛之地、極難於蕃殖、今也生口無幾、彼有狡圖、斷不大師以加乎我、惟其吾防衛之闊疎、彼數々以小卒侵擾、亦足國憊耗、且彼百方経営、求斯地之阜昌、方大通新世界互市、則漸致繁夥、以陵逼我知、此異日之憂也、不獨茲也、近歳英機黎日滋盛彊、以漸蠺食北亜墨利加、將東一貫而達于西、西則與吾東北諸州岸、相距不甚遥、而此地漸近南、稍饟沃多生聚、與東柬察加之荒瘠同、若英機黎占據此地、築固城、屯精卒、時々鈔略東北諸塞、則其患尤不測、其可憂更甚於柬察(カムチャッ)加(カ)矣、宜今日之尚閑暇、亟有計畫、必也沿海之地、皆嚴防禦、而蝦夷之地、更加周密、方爲其宜、雖然方今以蕞爾一小矦、轄蝦夷莽渺之地、而使之守備無一ㇾ曠、實属事之綦難、是良相碩輔之所十思者也、

 

(読み下し文)

本邦四面海に臨み、虜艦至るべからざる處無し。而して北陲最も憂慮すべし。何ぞや。俄羅斯(オロシャ)柬察加(カムチャッカ)の地に頗(すこぶ)る密邇(ミツジ)し、而(しか)蝦夷の地曠邈(コウバク)荒寂(コウジャク)にして守備單寡(タンカ)なり。懼(おそ)るべき所以(ゆゑん)なり。柬察加(カムチャッカ)、寒沍(カンゴ)不毛の地にして、極めて蕃殖(ハンショク)に難(かた)し。今也(いまや)生口(セイコウ)(ほとん)ど無し。彼狡圖(コウト)を有す。斷じて大師を發(おこ)し以て我に加ふること能はず。惟(ただ)其れ吾が防衛之(これ)闊疎(カツソ)なり。彼數々小卒を以て侵擾(シンジョウ)せば、亦國を憊耗(ハイモウ)に致すに足る。且つ彼百方経営し、斯の地の阜昌(フショウ)を求め、方(まさ)に新世界互市を大通し、則ち漸(やうや)く繁夥(ハンカ)を致し、以て我に陵逼(リョウヒツ)すべきを知るべからざる。此の異日の憂ひなるや、獨(ただ)(これ)のみならざるなり。近歳英機黎(イギリス)(ひび)(ますます)盛彊(セイキョウ)なり。漸(やうや)く以て北亜墨利加(アメリカ)を蠺食(サンショク)し、將(まさ)に東より一貫して西に達すべし。西則ち吾東北諸州と岸に對(むか)ふ。相距(へだ)つること甚(はなは)だ遥(はる)かならず。而して此の地漸(やうや)く南に近づけば、稍(やや)饟沃(ジョウヨク)にして生聚(セイシュウ)多し。柬察加(カムチャッカ)の荒瘠(コウセキ)と同じからず。若(も)し英機黎(イギリス)此の地を占據し、固城を築き、精卒屯(たむろ)し、時々東北諸塞を鈔略(ショウリャク)せば、則ち其の患(わづら)ひ尤(もっとも)測れず。其の憂ふべきこと更に柬察加(カムチャッカ)より甚(はなはだ)し。宜しく今日の尚(なほ)閑暇(カンカ)なるに迨(およ)び亟(すみやか)に計畫有るべし。必ずや沿海の地、皆防禦を嚴しくして、蝦夷の地更に周密(シュウミツ)を加へ、方(まさ)に其の宜(よろ)しきを得さすべし。然りと雖(いへど)も方今(ホウコン)蕞爾(サイジ)の一小矦を以て、蝦夷莽渺(モウビョウ)の地を轄(カツ)す。而して使(もし)この守備をして無曠(ムコウ)ならしめば、實に事の綦(きは)めて難(かた)きに属(つらな)るべし。是れ良相(リョウショウ)碩輔(セキフ)の當(まさ)に十思すべき所の者なり。

密邇(ミツジ)(接近)・曠邈(コウバク)(はるかに広い)・荒寂(コウジャク)(荒れて寂しく)・單寡(タンカ)(少ない)・蕃殖(ハンショク)(動物や植物を増やすこと)・生口(セイコウ)(人口)・狡圖(コウト)(ずる賢い考え)・大師(大軍)・闊疎(カツソ)(おおまかで抜けた点がある)・小卒(小規模な軍隊)・憊耗(ハイモウ)(疲れ果てること)・百方経営(様々な方法を尽くす)・阜昌(フショウ)(豊かで盛んなこと)・大通(タイツウ)(ふさがっているものを通す)・繁夥(ハンカ)(多いこと)・致す(なしとげる)・陵逼(リョウヒツ)(せまる)・異日(将来)・饟沃(ジョウヨク)(土地が肥え作物が豊か)・生聚(セイシュウ)(人口と富)・荒瘠(コウセキ)(土地が荒れて地味がやせていること)・鈔略(ショウリャク)(かすめ取ること)・閑暇(カンカ)(静かでひまなこと)迨(およ)ぶ(乗ずる 利用する)・周密(シュウミツ)(隅々まで行き届い抜かりがないこと)・蕞爾(サイジ)(非常に小さい)・莽渺(モウビョウ)(果てしなく広い)・轄(カツ)す(取り締まる 管理する)・無曠(ムコウ)(専念すること)・良相(リョウショウ)(優れた大臣)・碩輔(セキフ)(立派な役人)・十思(ジッシ)(十回熟慮する よく考える)

 

(現代語訳)

 わが国は四面を海に囲まれ外国船が来ない所は無い。その中でも北端の地が最も憂慮するところである。なぜだろうか。蝦夷地はロシアのカムチャッカに極めて接近しており、しかも果てしなく広く荒涼としており守備兵も少ない。これが憂慮の理由である。

 カムチャッカは寒さが厳しい不毛の地であり、動物や植物が繁殖することは難しいし今や人口もほとんど無いが、ロシアにはずる賢い次のような考えを有している。「決して大軍を日本に差し向けることはできないが、ただ日本の防衛には粗漏があるので小規模な軍隊で何度も攻めれば疲弊させるには十分である」。またロシアはあらゆる手を尽くしてこの地の繁栄を求め新世界での貿易を大いに開拓し次第に多くの事を成し遂げわが国に迫るかもしれない。このような将来の憂いはこれだけに止まらない。

 近年イギリスはますます盛強であり、次第に北アメリカを侵略し東から貫いて西にまで達しようとしている。西はわが国の東北諸藩と向かい合い、距離もそれほど遠くない。しかもこの土地は次第に南に近づけば、やや土地が肥えて作物も豊かで人口や富も多くなる。カムチャッカの土地が荒れて地味が痩せているのとは異なる。もしイギリスがこの地を占領し堅固な城を築き兵隊を駐屯させて時々東北諸藩の砦を掠めとるようなことになれば、その被害ははかり知れないし、その心配はカムチャッカよりも深刻だ。

 現在の平穏のうちにぜひ速やかに対策を立てておくべきだ。必ず沿海地域は皆防禦を厳重にして、特に蝦夷地は隅々まで抜かりがないようにしなければならない。しかし現在は小さな一大名(松前※1)が蝦夷のはてしなく広い土地を管理している。もし守備に専念させようとすれば実に困難な問題につながるだろう。これは幕府の優れた老中や賢明な奉行がよくよく考えなければならないことである。

 

※1松前 蝦夷松前藩主。外様。出自については諸説がある。松前氏の家譜類では、若狭国後瀬山城主武田信賢の子信広が下野国足利を経て、陸奥国田名部の蠣崎に下り、享徳三年(一四五四)蝦夷島に渡って上ノ国花沢館主蠣崎季繁の客となり、コシャマインの蜂起鎮圧を契機に蠣崎氏を継ぎ、松前氏の祖となったとしている。信広以降、四世季広まで蠣崎を姓とし、五世慶広のとき豊臣氏・徳川氏に従い、松前と改姓して松前藩を形成した。松前氏はアイヌ交易の独占権を立藩基盤としたため、文化四年(一八〇七)―文政四年(一八二一)の陸奥国伊達郡梁川への移封期や、本州に飛地を領した幕末期を除いて石高はなく、享保四年(一七一九)にようやく一万石格となった。その後、梁川移封時に九千石となり、復領後は格付のないまま数年を経、天保二年(一八三一)再び一万石格となった。嘉永二年(一八四九)崇広のとき城主に列し、安政二年(一八五五)旧領の大部分と引換えに梁川および出羽国村上郡東根に計三万石を領して、はじめて三万石の大名となった。柳間詰。崇広は元治元年(一八六四)老中となる。明治十七年(一八八四)修広が子爵を授けられ、また崇広の次男隆広も同二十二年男爵を授けられる。(国史大辞典)

海防臆測 前編(1~30)

 

其一(嘆かわしい海防の現状)

慶元之際、烈祖神武肇業、嗣後哲辟相承、至仁守成、河海晏清、二百餘祀于茲一、昇平之緜久、百度頽弛之弊、要之武徳文教之懿、湯武之開創、甲戊成康之守文、較之殆有愧色、猗嗟何其昌大也、乃目今天下之勢、智士有慟哭長大息何、海防之闊略是也、本邦雖至盛綦強之國、其地形則狭而長、實一巨島、蜿蜒于東洋中一、四面皆瀕海無海之州不六七、果有海寇、欻然駕大艦而至、無處不上ㇾ其毒、然則本邦海防之備、宜流失然眉之急、而亡蠢爾庸奴、彼智慮宏遠號爲今代傑儁者、且漠置之膜外而不顧省、予不其何心

 

(読み下し文)

慶元の際、烈祖神武、業(わざ)を肇(はじ)む。嗣後哲辟(テツヘキ)相承(ソウショウ)し、至仁成るを守る。河海晏清(アンセイ)にして茲(ここ)に二百餘祀。昇平の緜久百度頽弛(タイシ)の弊無しとせず。之に要するは、武徳と文教の懿(イ)、湯武の開創、甲戊成康の守文なり。之を較ぶるに殆ど愧色有り。猗嗟(イサ)何ぞ其れ昌大(ショウダイ)なるや。乃(すなは)ち目今(モッコン)天下の勢、智士慟哭長大息せざるを得ざる者有り。何となれば、海防の闊略(カツリャク)(これ)なり。本邦至盛綦強(キキョウ)の國と雖ども、其の地形則ち狭にして長、實に一巨島なり。東洋中に蜿蜒(エンエン)、四面皆海に瀕し、無海の州六・七に過ぎず。果して海寇(カイコウ)有らば、欻然(クツゼン)として大鑑に駕(ガ)して至り、其の毒に中(あた)らざる處(ところ)無し。然れば即ち本邦海防の備(そな)へ、宜(よろ)しく流出を捍(ふせ)ぎ然眉(ゼンビ)を拯(すく)ふの急の如くすべし。而(しか)して亡論(ムロン)蠢爾庸奴(シュンジヨウド)、彼の智慮宏遠今代の傑儁(ケツシュン)為(な)りとと號する者は、且(まさ)に之(これ)を膜外に漠置(バクチ)して顧省(コセイ)すべからず。予、其の何心なるやを知らず。

慶元(国家の創業) ・烈祖(優れた業績の祖先) ・哲辟(テツヘキ)(徳の有る君主) ・至仁(この上なく恵み深い状態) ・晏清(アンセイ)(治まっている状態) ・(年)・昇平(太平、平和) ・緜久(メンキュウ)(長く続くこと) ・頽弛(タイシ)(緩みすたれること) ・武徳(武道の徳) ・文教(学問の教え) ・(イ)(美徳) ・湯武(殷王朝の始祖湯王と周王朝の始祖武王) ・甲戊成康周王朝の成王と康王の安定した治世)・守文(君主が始祖の残した法制度を守って国を治めること)・愧色(恥じ入る様子) ・猗嗟(イサ)(ああ)・昌大(ショウダイ)(繁栄)・目今(モッコン)(ただ今の) ・闊略(カツリャク)(おおまかで行き届いていないこと)・至盛綦強(極めて繁栄して強い)・蜿蜒(エンエン)(蛇のように長くくねり) ・海寇(カイコウ)(海からの外敵) ・欻然(クツゼン)(突然)駕す(乗る)・然眉(ゼンビ)(眉が燃えること。また、眉が燃えるほど火に近づいていること。転じて、危険が迫っていることのたとえ)・亡論(ムロン)(無論、勿論)・蠢爾(シュンジ)おろかなものがさわぐさま・庸奴(ヨウド)(つまらない愚かな人)・傑儁(ケツシュン)(並外れて優れている人)・膜外(度外、心にかけないこと) ・漠置(バクチ)(放置) ・顧省(コセイ)(ふりかえり見ること)・何心(なにごころ)どのような考えか

 

(現代語訳)

国家の始めに神武天皇が国家建設の事業を開始され、その後有徳の君主が受け継いだ。しかしここ二百年間は太平の世が続き規律が緩む弊害が無いとはいえない状況になった。今必要なのは武道の徳と学問の美徳であり、また殷の始祖湯王や周の始祖武王の開拓精神と周王朝の成王や康王の安定した政治である。これを現状と比べるとほとんど恥ずかしいばかりだ。ああ、こんな状態を繁栄などと言えるものか。それどころか現在の天下の情勢は知恵ある者であれば慟哭し、嘆息せざるを得ないものだ。その理由は海防が不十分なことだ。わが国はきわめて繁栄し強い国であるとはいえ、長くて狭い巨大な島である。東洋の中で蛇のように長くうねり、四面は海に面し、海に面していない州は六・七にすぎない。もし海から外敵が突然大艦に乗って現れれば、その影響を受けないところはないだろう。だからわが国の海防の備えは至急行わなければならない。しかしもちろんただワイワイと騒ぎ立てるばかりの凡人や、あの知恵が広大で優秀であることを自称しているような連中(恐らく他の朱子学者や兵学者を指す)は度外視して放っておく。彼らの考えなど知ったことではない。

 

其二(海防の不備は必敗につながる)

鳥翔於天、故有翼以充翔之用、然翔不其高、則或罹罻羅之禍、獣走於野、故有四蹄以供走之資、然走不其遠、則必蒙擭穽之害、國於渺然洋中、而絶不船艦炮銃海防之備、是鳥而無翼、獣而無蹄也、可乎、船艦既已牢固、炮銃既已精錬、沿海警備、周匝靡闕、然後海寇之至、良将可以勝、庸将亦或致敗、未其捷、若乃絶不海防、而自以爲安、此古賢所謂説得一句者也

 

(読み下し文)

鳥天を翔(か)ける、故に翼を有し翔(かけり)の用に充(あ)つ。然るに翔(かけり)(そ)の高きを綦(きは)めざれば、則ち或いは罻羅(イラ)の禍(わざはひ)に罹(かか)る。獣(けだもの)野を走る、故に四蹄を有し、以て走りの資(もと)に供す。然るに走り其の遠きを極めざれば、則ち必ず擭穽(カクセイ)の害を蒙る。國、渺然(ビョウゼン)たる洋中に於いて、絶えて船艦炮銃海防の備(そなへ)を修めざるは、是れ鳥にして翼無く、獣にして蹄無きなり。可乎(よしとするや)。船艦既已(キイ)牢固にして、炮銃既已精錬し、沿海警備、周匝(シュウソウ)(か)かさずして、然る後海寇の至れば、良将以て勝つべし、庸将亦或いは敗を致さん。未だ必ずしも其の捷(かち)を能くせず。若乃(もしすなはち)絶へて海防を修めずして、自ら以って安しと為せば、此れ古賢謂う所の一句も得ざる者なり。

罻羅(イラ)(鳥を捕まえる網) ・擭穽(カクセイ)(落とし穴など罠を仕掛けて獣を捕獲すること)・渺然(ビョウゼン)(果てしない) ・既已(キイ)(すでに) ・周匝(シュウソウ)(隅々までゆきわたっていること 周到) ・庸将(凡将) ・捷(かち)(勝)・若乃(もしすなはち)ところが、ましてや

 

(現代語訳)

 鳥は天をかける。そのために翼がある。しかし十分に空高く飛ばなければ鳥網の罠にかかるかもしれない。獣は野を走る。そのために四本の足の蹄がある。しかし十分に遠くまで走らなければ必ず罠にかかり捉えられてしまう。国は果てしない海洋中にあって絶えず戦艦や銃砲など海防の備えをしていなければ、鳥に翼が無く、獣に蹄がないのと同じである。これで良いのか。戦艦がすでに堅牢で銃砲について十分な訓練がなされ、沿岸の警備が隅々までぬかりなく行われていて、その後に海外から外敵が侵入して来たなら、優れた将軍であれば勝てるだろう。しかし凡将であれば敗れるかもしれない。必ずしも勝てるとは限らないのだ。ましてや全く海防の準備をしていないのに安心しているようでは、これはいにしえの賢人の言うところの詩の一句もできない無能者と同じである。

 

其三(今のままでは智者や勇者がいても百戦百敗)

夫両軍相确、将勇者必捷、両敵相持、将智者必成功、今古所以儘選智勇之将也、今以我舟師、遭二ㇾ虜於巨海中、彼視我、如山壓一ㇾ卵、如壮夫敵稚子、墔碎破殄、惟意所爲、我仰彼、如高峯喬嶽、屹不嚮近、炮銃弓矢不用、智無施、勇無効、彼如平宗盛今川氏真之辱、我有源義家義経楠正成之良、且未其有勝算、或驀然逃逸、以冀免脱、彼以軽舸急追、必爲及、是百戦百衂之道也、且爾晏然、不改作之方、猶爲國有一ㇾ人乎、

 

(読み下し文)

(それ)両軍相确(カク)さば、将(まさ)に勇者必ず捷(か)たん。両敵相持(たも)たば智者必ず功を成さん。今古儘(ことごと)く智勇の将を選ぶ所以(ゆゑん)なり。今、我舟師(シュウシ)を以って巨海中に虜(えびす)に遭(あ)はんとせば、彼の我を視ること、山の卵を圧するが如し、壮夫の稚子に敵(あた)るが如し。墔碎(サイサイ)破殄(ハテン)、惟(ただ)意の爲さんと欲する所のみ。我の彼を仰ぐこと、高峰喬嶽(キョウガク)の如し。屹(そばだち)て嚮近(キョウキン)すべからず。炮銃弓矢用に呈すること能はず。智施す所無く、勇効くべくも無し。彼の平宗盛今川氏真の辱(はぢ)の如し。我、源義家義経、楠正成の良(かしこさ)を有し、且(かつ)未だ其の勝算有るを見ず。或いは 驀然(バクゼン)逃逸(トウイツ)し、以って免脱を冀(こひねが)はば、彼軽舸(ケイカを以って急追し、必ず及ぶ所と爲す。是、百戦百衂(ヒャクセンヒャクジク)の道なり。且(まさ)に爾(ここ)に晏然(アンゼン)として、改作の方(てだて)を図らざれば、猶國に人有りと爲すか。

(カク)(角を突き合わせる) ・舟師(シュウシ)(海軍) ・(えびす)(外国の敵) ・壮夫(勇壮な男 大男) ・稚子(幼児) ・墔碎(サイサイ)(砕くこと)・破殄(ハテン)(亡ぼすこと) ・喬嶽(キョウガク)(高い山) ・嚮近(キョウキン)(接近すること) ・驀然(バクゼン)(不意に)・逃逸(トウイツ)(逃げ去ること) ・免脱(のがれ助かること) ・軽舸(ケイカ)(軽くて早い船) ・百戦百衂(ヒャクセンヒャクジク)(百戦百敗) ・晏然(アンゼン)(のんびりと、安らかに)

 

(現代語訳)

もし二つの軍が角を突き合わせれば、勇者のいる方が勝つだろう。二つの軍の勢力が拮抗して睨み合いになれば智者が手柄をたてるだろう。これが昔から今まで知恵や勇気のある武将を選ぶ理由である。今もしわが国の海軍が大海原で外国の敵と遭遇したら、向こうはこちらを、山が卵を押しつぶすように、あるいは大男が幼児に対するように見て、意のままに砕き破るだろう。こちらから向こうは聳え立つ高い山のように見え、近づくことさえできないだろう。鉄砲や弓矢は役に立たず、知恵も勇気も役に立たないだろう。あの平宗盛今川義元の受けた大敗の屈辱のようだ。自分に源義家義経、楠正成の賢さがあったとしてもなお勝算は無い。あるいは突然に逃げ去り助かることを願っても、向こうは軽く早い船で急追し必ず追いつくだろう。これでは百戦百敗の道だ。ここでのんびりとして海軍の改革の方法を考えないようでは、わが国には全く人材がいないということになってしまう。

 

其四(海戦を避け陸戦に持ち込めば勝てるとの論は誤り)

世咸云、大艦水戦、彼之所得、陸師力闘、我之所長、邦人捍鷙重義軽生、尤熟於刀鎗、彼之来、不海上以使上ㇾ得、俟其上一ㇾ岸、然後電發鏖戦、可使立爲韲粉矣、虜奚足畏矣、此論不理、然邦人之猛捍無敵、亦道二百年前俗、今日安瀾之久、士気萎靡、未其有大加於北虜也、且也虜之冞入、奮然逆撃以殲敵、固大善、然三軍之形、頃刻萬變、有二ㇾ執一論、則勢必有水戦之日焉。彼亦自知陸戦非一ㇾ長、断不肯軽上一ㇾ岸、或焚燬沿海民屋、或掠漕船賈船以悩我、不知也、當爾時、将下坐視其肆焚劫無涯國辱、而瑟縮不敢出上ㇾ手乎、抑勢迫乎不ㇾ容ㇾ己、強水戦、擧無数士衆以塡滄海乎、墨是可在北亞墨利加、稱莫彊之夷、有精兵百餘万、雖海畔立一ㇾ國、而自恃盛彊、絶不沿海備、伊斯把尼亜之國之也、屡出舟師、攪擾其臨海之地、不肯平地決戦、或掠二其東西一、或劫其南北、待其國耗民憊叛乱内訌、然後一挙滅ㇾ是、實殷鑑之灼灼者也、

 

(読み下し文)

世咸(みな)云ふ、「大艦水戦彼の得る所なり、陸師力闘我の長ずる所なり。邦人捍鷙(カンシ)にして義を重んじ生を軽んず。尤も刀鎗に熟す。彼の来たるに之(これ)海上に逆(むか)へ以って得る所を逞しくせしむべからず。其の岸に上るを俟ち、然る後電發鏖戦せば、立ちどころに韲粉(セイフン)と為さしむべし。虜(えびす)(なん)ぞ畏るに足るや」と。此の論理無しと為さず。然れども邦人の猛捍(モウカン)にして敵なきこと、亦(また)二百年前の俗(ならはし)に道(よ)る。今日安瀾(アンラン)の久しく、士気萎靡(イビ)にして、未だ其の大ひに北虜に加ふること有るを見ざるなり。且(もし)や虜の冞(ますます)入り、奮然逆撃し以って敵を殲(ほろぼ)さば、固(もと)より大いに善し。然れども三軍の形、頃刻(ケイコク)萬變し、一論を執(と)るべからざる者(もの)有り。則ち勢ひ必ず水戦を用ひざるを得ざるの日有り。彼亦(また)(みづか)ら陸戦に長ぜざるを知れば、断じて軽く岸に上るを肯(がへん)ぜず。或は沿海民屋を焚燬(フンキ)し、或は漕船を掠(かす)め賈船(コセン)を奪ひ以って我を悩ますか、知るべからざるなり。爾(この)時に當(あた)り将(まさ)に其の焚劫(フンキョウ)を肆(ほしいまま)にするを坐視し、無涯(ムガイ)の國辱を迨(のこ)して瑟縮(シッシュク)し敢て手を出さざるべきや。抑(そもそも)勢ひ已(や)むを容(い)れざるに迫るや、拙(つたな)き水戦を強(し)い、無数の士衆を挙げ以って滄海に塡(うずめ)るか。墨是可(メキシコ)は北亞墨利加(アメリカ)に在り、莫彊(バクキョウ)の夷(えびす)と称し、精兵百餘万を有す。海畔に國立つと雖も盛彊(セイキョウ)を恃(たの)み、絶へて沿岸の備へを飭(ととの)へず。伊斯把尼亜(イスパニア)の之(これ)を圖(はか)るなり。屡(しばしば)舟師(シュウシ)を出し、其の臨海の地を攪擾(カクジョウ)し、平地決戦を肯ぜず。或は其の東西を掠(かす)め、或は其の南北を劫(おびやか)す。其の國の耗(みだれ)、民の憊(つかれ)、叛乱内訌を待ち、然る後一挙に之を滅ぼす。此れ實に殷鑑(インカン)の灼灼(シャクシャク)たる者なり。

陸師(陸軍)・捍鷙(カンシ)(勇猛)・電發雷電のように勢いよく奮うこと)・鏖戦(オウセン)(はげしく戦って、多くの人を殺す) ・韲粉(セイフン)(粉微塵)・猛捍(モウカン)(荒々しいこと) ・安瀾(アンラン)(天下泰平) ・萎靡(イビ)(しおれて縮むこと)・北虜(ロシアのこと) ・三軍(軍隊)・頃刻(ケイコク)(しばらくの間に) ・萬變(全く変わること)・勢ひ(なりゆきで) ・焚燬(フンキ)(焼き亡ぼすこと) ・賈船(コセン)(商船) ・焚劫(フンキョウ)(焼きかすめること)・無涯(ムガイ)(無限)・瑟縮(シッシュク)(縮こまる)滄海(青海原、大海)・莫彊(バクキョウ)(強い)・盛彊(セイキョウ)(勢いが盛んで強いこと)・(はか)る(つけ込む) ・舟師(シュウシ)(海軍)・攪擾(カクジョウ)〈かき回して混乱させる) ・内訌(うちわもめ) ・殷鑑(インカン)(失敗の前例、殷が滅亡したことを鑑(かがみ)とすること) ・灼灼(シャクシャク)(明らかな様子)

 

(現代語訳)

 世間の人は皆次のように言う。「大型船艦を使っての海上戦は外国の得意とする所だ。陸上戦はわが国の得意とする所だ。日本人は勇猛で義を重んじ死を恐れない。とりわけ刀や槍の扱いに習熟している。先方が攻めてきたときに海上戦で先方の得意とする所を発揮させてはいけない。上陸を待ってその後に激しく戦えばたちどころに粉砕することができるだろう。外国など恐れるに足らない」と(注1)

 こうした論にも理が無いとはいえない。しかし日本人が荒々しく無敵であったのは二百年前の文化に基づくもので、現在は天下泰平が長く続いたせいで士気はしぼんでおり、その無敵ぶりをロシアに対して示したところを見たことが無い(注2)。もし敵が深入りしてきてもそれを奮然と逆襲し滅ぼせるのであればもちろん大変良いだろう。しかし軍隊の形態はしばらくの間に全く変わってしまったので一つの論に固執すべきではない。つまり成り行き次第で必ず海戦を行わざるを得ない日もあるだろう。また先方が陸戦は苦手であることを自覚しているのなら、軽々しく上陸しようとはせず沿岸の民家を焼き払ったり、あるいはこちらの船舶や商船を奪ったりして当方を困窮させるかもしれない。こうした時にむざむざ焼き払われるのを座視して、非常な国辱を受けても縮こまって手を出さないでいられるか。そもそもやむを得ない状況になれば苦手な海戦を強いられ、無数の兵士を大海に沈められるようなことになるのではないか。

 メキシコは北アメリカにあって、強国を自称し、精強な百万人の兵を有していた。海に面していたにもかかわらず、国力の盛強であることにうぬぼれ、全く海岸の防備を整えなかった。スペインはこれにつけ込み、しばしば海軍を出して、その臨海の地をかく乱し、地上戦はしようとしなかった。ある時はその東西を略奪し、またある時は南北を脅かした。国が乱れ、民が疲弊し反乱や内輪もめが起きるのを待ち、その後に一挙に滅ぼした。これはまことに学ぶべき明らかな失敗の実例であろう。

 

(注1) こうした陳腐な防衛論は例えば侗庵と同時期に昌平黌の儒者であった佐藤一斉が述べている(中村安宏・村山吉廣『叢書日本の思想家 佐藤一斉・安積艮斉』明徳出版社2008年215頁)。また後世の軍学者吉田松陰はペリー来航後の「海戦策」でペリー艦隊との戦闘を想定して次のように言う。「漁船一隻につき小銃を持った兵士10人と大砲一門に打ち手5人ずつを載せ、夜陰に乗じて戦艦に接近してまず大砲を打ちかける。米艦は大きいので「百発百中」である。船内の敵兵には小銃を打ちかけ、梯子を使って敵船に乗艦して皆殺しにする。また百石積の船に焼草と油を積んで焼き討ちにする。そして敵船が浦賀から内海に来れば、こちらに地の利があるので闘うのは容易だ」。さすがにこれに対しては徳富蘇峰が「先生兵法笑ふべし」と嘲笑している。(米原謙『吉田松陰の生涯 猪突猛進の30年』吉川弘文館2024年 119~120頁)

(注2) 1806年~1807年の露宼事件でロシア軍が蝦夷地を襲撃し、近代兵器の前に幕府軍はなすすべもなく大敗している

 

其五(海防は手遅れになる前に至急行うべし)

海國而與海寇之虜岸、船艦之不改造、水戦之不日閑習、固也、使聖者生于今、其於斯事、必應於拯焚溺倒懸、異日海賊麕至、禍患已逼、則蠢爾庸夫亦知力於海防、伹恐其緩不上ㇾ事耳、聲有和鵲之良、迨其疾尚在理也、可以立収霍然之效、乃遅疑延稽、致病勢蔓滋、内浸漬乎骨髄、雖制於彼、将色而走、竟何益哉、然則夫懐憂国之心、而處有爲之地者、其於防海之備、烏得早從一ㇾ事乎、

 

(読み下し文)

海国なれば、海寇を好むの虜(えびす)と岸に対(むか)はば、艦船之(これ)改造せざるべからず、水戦之(これ)日(ひび)閑習(カンシュウ)せざるべからざること固(もと)よりなり。使(も)し聖者今に生まれしかば、其れ斯かる事に於て必ず焚溺(フンデキ)を拯(すく)ひ、倒懸(トウケン)を解くの急に応ずべし。異日(イジツ)海賊麕至(キンシ)し、禍患(カカン)已(すで)に逼(せま)らば、則ち蠢爾庸夫(シュンジヨウフ)(また)力を海防に竭(つ)くすを知るべし。但し其の緩やかにして事に及ばざるを恐るるなり。醫、和鵲(カジャク)の良(うでまへ)有らば、其の疾(やまい)(なほ)腠理(ソウリ)に在るに迨(およ)ぶや、以て立(たちどころ)に霍然(カクゼン)の効を収むべし。乃(すなは)ち遅疑(チギ)延稽(エンケイ)病勢を蔓滋(マンジ)に致し、内(ひそか)に骨髄に浸漬(シンシ)せば、将(まさ)に色を望みて走り、彼に制(おさへ)を委(ゆだ)ぬと雖も、竟(つひ)に何ぞ益するや。然れば則ち夫(それ)憂国の心を懐きて、有為の地に處(を)る者は、其の防海の備へに於て烏(いづくん)ぞ早く従事せざるを得んか。

海寇(海からの侵略行為) ・(えびす)(外国) ・閑習(カンシュウ)(習熟) ・焚溺(フンデキ)(火に焼かれ、水におぼれること)・倒懸(トウケン)(逆さづり)・異日(イジツ)(将来 ある日)・麕至(キンシ) (集まる)禍患(カカン)(災難)・蠢爾庸夫(シュンジヨウフ)(うごめく虫けらのようなつまらない凡人)(医者)・和鵲(カジャク)(古代中国の名医。秦の醫和と扁鵲のこと)・腠理(ソウリ)(皮膚のすきま)霍然(カクゼン)(にわかに消え失せるような) ・遅疑(チギ)(ためらい) ・延稽(エンケイ)(延ばし滞ること)・蔓滋(マンジ)(蔓が滋るようにはびこる状態) ・浸漬(シンシ)(浸透) ・色を望む(顔色を見る)

 

(現代語訳)

 海国なら侵略を好む外国が対岸にあれば、艦船を改造しなければならないし、海戦は毎日訓練しなければならないことは勿論である。もし聖者が現在に生まれていれば、火に焼かれたり水に溺れている人の救助や逆さづりにされて苦しんでいる人の救助と同じぐらい至急に、こうした海防への備えを行うだろう。ある日、海賊が集まってすでに災難が間近に迫っていれば、虫けらのようなつまらない凡人ですら海防に力をつくすべきだと考えるだろう。

 ただそうした備えが遅れて効果が無くなることを恐れるのだ。医者に和鵲のような名医の腕前があれば、病原が皮膚の隙間にある段階では、たちどころに症状が消えるような効果をあげることができるだろう。しかし治療をためらったり遅らせたりして、病気がはびこり骨髄にまで浸透してから顔色を見てあわてて走り、名医に委ねても、何の役に立つものか。だから、憂国の心を抱いて重要な地に居る者は、早く海防の備えに従事せずにはいられようか。 

 

其六(造船研究のための費用は惜しむな)

方今當務莫於水戦、欲水戦、非作船艦西洋之制、必不大用也、蘭書録造船之制頗詳、邦人翻訳者不、猶慮其流書御馬之失、請更命蘭賈、参互考覈、使其所一ㇾ長、斯可於逗漏、至於費用則必應不貲、洞知其爲國家急務、不散財、然後可以就一ㇾ緒、雖ㇾ然一時多造、國力豈能支、但徐々以漸而改製、其可也、太西諸国、以航海第一緊要、故毎歳経費、惟船艦爲最大、所以舟楫之利冠于五大州也、聞諳厄利亜千八百八年、造軍艦千百八艘、其大者至ㇾ設大砲百二十口、而闔國船夫凡十八万人、其盛可想、斯所以在太西中又稱最倔彊也、邦人詎可溟涬然立其下風而絶無大作耶、邇者関東州一大矦命有司新造蘭製小鑑、泛之池沼、以験其可用與一ㇾ否、亦可有志之君也已、

 

(読み下し文)

方今、務(つとめ)に當(あた)り水戦より急なるは莫(な)し。水戦を講(なら)はんと欲すれば、船艦を改作すること西洋の制(つくり)の如くするに非ざれば、必ず大用効くこと能(あた)はざるなり。蘭書造船の制(つくり)を録(しる)すこと頗(すこぶ)る詳(つまび)らかにして、邦人の翻訳者尟(すくな)しと為さざるも、猶(なほ)其れ書を以って馬を御(ぎょ)すの失(あやまち)に流るるを虞(おそ)る。請(ねがはく)は更に蘭賈(ランコ)に参互考覈(サンゴコウカク)を命じ、其の長ずる所を盡(つく)せしむを。斯(かく)して逗漏(トウロウ)を免るべし。費用に至りては則ち必ず應(まさ)に貲(はか)らざるべし。其の國家急務爲るを洞知(トウチ)すれば、散財を惜しまず。然る後以て緒に就くべし。然りと雖も一時に多く造るは国力豈(あ)に能(よ)く支へん。但(ただ)徐々に漸(ゼン)を以って改製す、其れ可也(かなり)。太西諸国、航海を以って第一緊要と爲す。故に毎歳経費惟(ただ)船艦のみを最大と爲し、以って舟楫(シュウシュウ)の利、五大州に冠する所なり。聞くならく、諳厄利亜(アンゲリア)千八百八年、軍艦千百八艘を造る。其の大なるは大砲百二十口を備へて、闔國(コウコク)船夫凡(おほよそ)十八万人。其の盛んなるを想ふべし。斯(これ)太西中に在りて又最も倔彊(クッキョウ)と稱する所以(ゆゑん)なり。邦人詎(あに)溟涬(メイケイ)然として其の下風に立ちて大作絶無なるべきや。邇(ちかく)は関東州一大矦(コウ)有司に命じ蘭製小鑑を新造し之(これ)を池沼に泛(うか)べ、以って其の用ふべきかと否かとを験(ため)す。亦有志の君と謂うべきなり。

方今(現在) ・大用(効用) ・蘭賈(オランダ商人)・参互考覈(サンゴコウカク)(比較検討)・逗漏(トウロウ)(理解の遅れや漏れ) ・洞知(トウチ)(熟知) ・漸を以て(順序を追って)・舟楫(シュウシュウ)(舟と舵 転じて水運のこと)・諳厄利亜(アンゲリア)(イギリス) ・闔國(コウコク)(全国)・倔彊(クッキョウ)強い国、強い人、強情で屈しない ・溟涬(メイケイ)然(漠然) ・大作(すぐれた制作をすること) ・(コウ)(大名) ・有司(役人)

 

(現代語訳)

 現在為すべき任務の中で海戦ほどの急務は無い。海戦を習うなら艦船を改めて作り西洋の船の構造と同じようにしなければ、効果を出すことができないだろう。オランダの書物には造船について詳しく書かれており、日本人の翻訳者も少なくないが、それだけでは本の知識だけで馬を乗りこなそうとして失敗するのと同様の失敗に陥るおそれがある。願わくは更にオランダ商人に書物の比較検討を命じて、それらの長所を利用したい。そうすれば理解の遅れや漏れを避けることができるだろう。

 費用については考えるべきではない。国家の急務であることを考えれば散財を惜しむべきではない。そうしてはじめて事を始めることができる。しかしそうかといって一時に多くの船を造ろうとしても国力がもつはずがない。徐々に順序を追って造船する、それが良いだろう。

 ヨーロッパ諸国は航海を最も重要なことと考えている。そのため毎年の経費は船艦にかかるものが最大であり、海運の利益は世界に冠たるものになっている。聞くところによると、イギリスは1808年に軍艦1108艘を造っており、そのうち大きいものは大砲120口を備える。全国の船員はおよそ18万人。海運の隆盛ぶりがうかがえる。これがイギリスが西洋諸国中で最強と言われる理由である。

 日本人はぼんやりとその風下に立ち、全く何もできずにいて良いものか。近年では関東のある大名が役人に命じオランダ製の小鑑を新造しこれを池にうかべその実用性を試した。志のある君主と言うべきである。

 

其七(船艦と銃砲の重要性・・老中や家老も関与せよ)

吾聞俄羅斯主嘗命造巨鑑、既成、主親検視、俄羅斯凡百易簡、故克如此、而其重船艦之情亦可想也、本邦與太西俗殊尚、難一一倣傚、 今果欲新造大艦、君上固不親臨、然不漫委諸下吏群匠、當大臣察其堅監精、則天下咸知船艦爲國家重器、而務盡製造之方可矣、又諸兵器中炮銃爲制ㇾ敵之第一、而邦人概以爲賤士小卒之所一ㇾ事、列矦貴人不肯専力于此、亦屬拘泥之失、自今後當上自宰輔、下至士庶、同然務精上ㇾ之、則擧世自然競務研錬、何患術之難一ㇾ工耶、

 

(読み下し文)

吾聞くならく、俄羅斯(オロシャ)(あるじ)(かつ)て命じ巨鑑を造らんとし、既に成れば主(あるじ)(みづか)ら検視すと。俄羅斯(オロシャ)凡百(ボンピャク)易簡(イカン)なり、故(ゆゑ)に克(よ)く此(かく)の如くす。而(しこう)して其の船艦を重んずるの情亦想うべきなり。本邦太西と俗(ならはし)を異にし尚(このみ)を殊(こと)にす。一一(イチイチ)倣傚(ホウコウ)し難(がた)し。今果たして大鑑を新造せんと欲さば、君上固(もと)より親臨を煩(わづらは)さず。然(しか)し漫(みだり)に諸下吏群匠に委(ゆだ)ぬべからず。當(まさ)に大臣に命じ其の堅盬(ケンコ)精觕(セイソ)を覈察(カクサツ)すべし。則ち天下咸(みな)船艦の國家重器爲(た)るを知りて、務めて製造の方(てだて)を盡(つく)すべし。又諸兵器中、炮銃敵を制するの第一と爲すも、邦人概(おほむ)ね賤士小卒の事(つか)へる所と爲す。列矦貴人、此(ここ)に専力(センリョク)するを肯(がへん)ぜず、亦拘泥の失(あやまち)を屬(つづけ)る。今より後、當(まさ)に上は宰輔より下は士庶に至り、同然に務めて之に精(くは)しくなるべし。則ち擧世(キョセイ)自然競い研錬に務む。何ぞ術の工(たくみに)し難きを患(うれ)ふや。

凡百(ボンピャク)(人民) ・易簡(イカン)(素朴で率直) ・倣傚(ホウコウ)(模倣) ・堅盬(ケンコ) (堅いかもろいか) ・精觕(セイソ)(緻密か粗いか)  ・覈察(カクサツ)(調査) ・賤士小卒(身分の低い戦士) ・専力(センリョク)(力を一事に向ける) ・擧世(キョセイ)(世の中全体) 

 

(現代語訳)

 私が聞くには、ロシア国王はかつて巨艦の製造を命じ、完成したら国王自ら点検したという。ロシアの人民は素朴で率直なためこのようなことができるのだが、国王の艦船を重視する気持ちは理解できる。わが国は西洋とは文化や好みを異にするので、すべてを模倣することはできない。

 今もし大艦を新造しょうとすれば、君主自らが監督する必要はない。しかし漫然と下級役人や大工に任せきりにしてはいけない。老中や家老に命じてその堅固であるか脆いか、精密であるか粗雑であるかを調査させるべきである。そうすれば天下は皆、船艦が国家にとって重要な製造物であることを認識して、製造に工夫、努力を尽くすようになるだろう。

 また、様々な兵器の中で、銃砲こそが敵を制圧するのに第一のものであるが、日本人は銃砲は身分の低い兵士の扱うものと考えている。大名や高位の武士はこれに力を注ぐことをよしとせず、過去のやり方にこだわるというあやまちを続けている。今後は家老から庶民に至るまで同じように務めてこれに精通すべきである。世の中全体で競争して研鑽に務めれば、銃砲の技術の上達に悩むこともないだろう。

 

其八(航海の訓練の重要性と貿易による富国について)

船艦既成、銃炮既具、當諸営督将隊長、數數講水戦於品海、務要進退操縦莫一ㇾ意、諸矦則使其國中河海肆習焉、可也、顧水軍變動叵測、必試之於實事、然後始盡其妙、不専靠品海練習也、當寛永前舊制、遠往天竺暹羅安南等地方互市、苟巧其術、亦可以資富國、然吾所急、別自有在、不必汲汲於交易之利、務使吾船艦奔馳于絶海洪濤虜舟如織之際、而如枕席上、無一ㇾ少危難、斯可以供異日緩急之用矣、斯爲善矣、

 

(読み下し文)

船艦既に成り、銃炮既に具(そな)はれば、當(まさ)に諸営督将、隊長に命じ、數數水戦品海(ヒンカイ)に於て講(なら)ふべし。務(つと)めて進退操縦不如意(フニョイ)(な)きを要す。諸矦則ち使(もし)其の國中の河海に於いて肆(ほしいまま)に焉(これ)を習はしめば可なり。顧(おもふ)に水軍變動測り叵(がた)く、必ず之を實事に於て試し、然る後始て其の妙(ミョウ)を盡(つく)すべし。専ら品海に靠(もた)れ練習すべからざるなり。當(まさ)寛永前の旧制に復し、遠く天竺・暹羅(シャム)・安南等の地方に往き互市(ゴシ)すべし。苟(いやしく)も其の術巧(たくみ)なれば、亦以て富國を資(たす)くすべし。然(しか)れども吾急ぐ所、別に自(おのづ)から在ること有り、必ずしも交易の利に汲汲とせず。務(つと)めて吾(わが)船艦、絶海洪濤(ゼッカイコウトウ)に虜舟織るが如しの際に奔馳(ホンチ)し、枕席上従(よ)り過(す)ぐるが如くに、少しの危難も無くば、斯(これ)異日緩急の用に供するを以てすべし。斯(これ)(ゼン)と爲すなり。

諸営(多くの砦)・督将(全軍を率いる将軍)・品海(ヒンカイ)(品川沖)・務めて(必ず)・進退操縦(進むことと退くこと、引き締めることとゆるめること)・不如意(フニョイ)思うようにならないこと ・変動測り叵(がた)し(種々に変動して人智を以て測り難いこと)・妙を盡(つく)す(実力を発揮する) 互市(ゴシ)(貿易) ・絶海洪濤(ゼッカイコウトウ)(遠海の大波) ・織るが如く(織物を織るときの糸のように四方を頻繁に往来すること CF:織絡(ショクラク)=頻りに路を往来する、四方に往来する)・虜舟(外国船)・奔馳(ホンチ)(走り回ること) ・枕席上従(よ)り過(す)ぐ漢書趙充國傳「枕席上従り師を過ぐ」寝床の上を軍隊を通過させる=軍行が容易で安全にできることの喩え)・異日(将来)・緩急(急で差し迫ったこと、危急、緊急)

 

(現代語訳)

 船艦が完成し、銃砲もそなわれば、諸陣営を率いる武将は隊長に命じて品川沖で何度も訓練を行うべきだ。必ず、進むこと、退くこと、引き締めること、緩めることなど、思い通りにいかないことがないようにしなければならない。それは諸大名がもしその領国内の海や河で自由にこれを訓練できるようにすれば可能になるだろう。

 考えてみれば海軍の動きは種々に変化して人智を以て測り難いので、必ず実際の場面で試して、そうしてはじめて実力を発揮できるようになるだろう。専ら品川沖ばかりで練習していてはいけない。寛永前の旧制度(注1)に戻り、遠くインド、シャム、ベトナム等の地方に行って貿易を行うべきだ。もし航海術が巧みであればこれが国を富ます助けになるだろう。

 しかしわが国が急務とするところは別にあるのであって、それは必ずしも貿易の利益に汲々とすることではない。わが国の艦船が遠海の大波が立ち外国船が頻繁に往来しているところで走り回っても安全に運行して少しも危ういところがないようにすれば、将来の緊急の時に利用できる。これは良いことだと考える。

 

(注1)寛永10年(1633)奉書船以外の海外渡航禁止、寛永12年(1635)日本人の海外渡航および帰国を全面禁止し、幕府は鎖国へ向かった。それ以前の江戸初期にはむしろ幕府は海外貿易を奨励していた。

 

其九(時代錯誤の認識の弊害・・今や脅威は中国ではなく西洋とロシアだ)

舷膠柱、尤爲注措之巨蠹、施於瑣瑣小事、尚未其有大窒礙、防邊制虜之際、少有斯意、立致僨敗、蓋戎虜情形日變而月不ㇾ同、而吾欲數百歳前定勢概上ㇾ之、幾何不乎誤國一ㇾ民也、本邦孤懸於大洋中、四無隣並之國、其稍密邇者、獨漢韓耳、韓蕞茲小夷、無歯牙、漢則大矣、就中元如清、盛強冠絶寰宇、然絶不練水戦、故不甚懼、元嘗撊然来犯、大爲我師所摧敗、二十萬大軍、生還者僅々三人、自漢人我如羊於虎、於焉擧世自矜、爲全無外患之邦、然此特就五百年前形勢論、不方今事体迥乎別、何其拘也、輓近世泰西南取呂宋爪哇満刺加忽魯謨斯榜葛刺等國、東滅南北亞墨利加諸大邦、與我相距不甚邈、彼其戦艦、駕海乗風、轉瞚可至、又其俗長於水戦、殊可畏、若乃俄羅斯、則盡併北韃止白里之地、取柬察加、以漸侵蝦夷千島、抵宇留不、與ㇾ我爲接境壌界之邦、駸々有剥膚之勢、即使清人於航海者居上ㇾ之、且可憂慮、是海寇之可懼、實未於本邦、乃欲古昔高枕之日之心、制當今寝蛟藉虎之勢、奚其可也、厳冬霜雪既降、而欲絺綌以禦一ㇾ之、朝霧散、旭日升、而猶倀々持燭而行、噫亦舷膠柱之尤者已、

 

(読み下し文)

(ふなべり)を鍥(きざ)み、柱を膠(にかは)す、尤(もっとも)注措(チュウソ)の巨蠹(キョト)爲り。瑣瑣(ササ)たる小事に施さば尚(なほ)未だ其の大窒礙(チツガイ)有るを見ざるも、邊(くにざかひ)を防ぎ虜(えびす)を制するの際、少し斯(かか)る意有らば立(たちどころ)に僨敗(フンパイ)に致らん。蓋(けだ)し戎虜(ジュウリョ)情形日に變り月に同じからざるに、吾數百歳前の定勢を以て之を概(はか)らんと欲さば、幾何(いくばく)か國を誤り民に殃(わざはひ)するに至らざらんや。本邦大洋中に孤(ひと)り懸(かか)り、四(よも)に隣並(リンペイ)の國無し。其の稍(やや)密邇(ミツジ)する者は、獨(ただ)漢韓耳(のみ)。韓蕞茲(サイジ)たる小夷にして、歯牙に罥(か)くるに足らず。漢則ち大なり。就中(なかんづく)元の如き清の如きは盛強にして寰宇(カンウ)に冠絶(カンゼツ)す。然(しか)れども絶へて水戦を諳練(アンレン)せず、故に甚だ懼(おそれ)るるに足らず。元嘗て撊然(カンゼン)と来犯(ライハン)し、大いに我師に摧敗(サイハイ)せらる所と爲る。二十萬大軍、生還者僅々(キンキン)三人。此れより漢人の我を畏(おそ)るること羊の虎に於けるが如し。焉(ここ)に於て世を擧げ自矜(ジキョウ)し全く外患無きの邦と爲す。然(しか)し此れ特(ただ)五百年前の形勢に就ての論を立つるのみ。方今の事体迥(はるか)に別たるを悟らず。何其(なんぞそれ)(こだは)る也(や)。輓近(バンキン)の世、泰西、南は呂宋(ルソン)、爪哇(ジャワ)、満刺加(マラッカ)、忽魯謨斯(ホルムズ)、榜葛刺(ベンガル)等の國を取る。東は南北亞墨利加(アメリカ)諸大邦を滅す。我と相距(へだつ)ること甚だ邈(とほ)からず。彼其の戦艦、海を駕(しの)ぎ風に乗り、轉瞚(テンシュン)に至るべし。又其の俗(ならはし)水戦に長じ、殊(こと)に畏(おそ)るべし。若乃(さてまた)俄羅斯(オロシャ)、則ち盡(ことごと)く北韃(ホクダツ)止白里(シベリア)の地を併(あは)せ、柬察加((カムチャッカ)を取り、以て漸(やうや)蝦夷千島を侵略す。宇留不(ウルップ)に抵(いた)り、我と接境し壌界の邦と爲る。駸々(シンシン)剥膚(ハクフ)の勢を有す。即ち元清人の如く航海に拙(つたな)き者を之(ここ)に居らしめば、且(まさ)に憂慮すべし。是の海寇の懼(おそ)るべきこと、實(まこと)に本邦に於て甚しき者未だ有らざるなり。乃(すなは)ち古昔(コセキ)枕を高くするの日の心を以って當今(トウコン)(みづち)を寝(とど)め虎を藉(つな)ぎ之(この)勢を制(おさ)へんと欲すれど、奚(なんぞ)其れ可なるや。厳冬霜雪既に降りて、絺綌(チゲキ)を以て之を禦(ふせ)がんと欲し、朝霧散り旭日升(のぼ)りて猶ほ倀々(チョウチョウ)として燭(しょく)を持ちて行く。噫(ああ)(また)(ふなべり)を鍥(きざ)み、柱を膠(にかは)すの尤(もっとも)なる者なり。・

「舷(ふなべり)を鍥(きざ)む」:舟から川に剣を落とした者が舟の動くことを考えずに落ちた位置を舷(ふなべり)に印をきざんで岸に着いてから印の下を探そうとした故事。時勢の変化に気づかず古いしきたりを墨守する愚かさの例え。呂氏春秋の故事による。

「柱に膠(にかわ)す」琴柱(ことじ)を膠で固めて瑟をひくこと。状況の変化に対応できないことの例え。史記による故事。

・・・この二つの故事は侗庵の著書の中で頑迷固陋な儒学者兵学者を批判する際に頻出する。

注措(チュウソ)(措置)・巨蠹(キョト)(巨大な木くい虫 転じて大悪人、国家と人民に危害を及ぼす奸臣)・瑣瑣(ササ)(細かい) ・窒礙(チツガイ)(障碍、さまたげ)・僨敗(フンパイ)(敗北)・戎虜(外国)・四(よも)(四方)・密邇(ミツジ)(近接、接近)・蕞茲(蕞爾(サイジ)小さい)と同意か?) ・寰宇(カンウ)(天下・世界) ・冠絶(カンゼツ)(最も優れる)・諳練(アンレン)(習熟)・撊然(カンゼン)(荒々しく) ・来犯(ライハン)(侵略)・我師(我が軍)・摧敗(サイハイ)(くだけ敗れる)・自矜(ジキョウ)(自慢)・何其(なんぞそれ)(なぜ、どうして(疑問、反語))・輓近(バンキン)(近年)・泰西(西洋諸国)・轉瞚(テンシュン)(あっという間) ・若乃(さてまた)・北韃(ホクダツ)(北モンゴル)・接境(国境を接する) ・壌界(陸地の境界) ・駸々(シンシン)(どんどん急速に) ・剥膚(ハクフ)(膚を剥ぐ、根こそぎ奪い取ることの喩え 韓愈「鄆州谿堂詩序」の「剥膚椎髄(膚を剥ぎ髄をたたく)」より) ・當今(トウコン)(現在)・(みずち)(龍の一種) ・絺綌(チゲキ)(葛布) ・倀々(チョウチョウ)として (道に迷って、うろうろして) ・(ショク)(ともし火)

 

(現代語訳)

 船から川に剣を落として後から拾うために船べりに印を刻んだり、琴柱をにかわで固めてしまうなどの行為のように、状況の変化に気づかず融通のきかない愚行をやっているようでは、巨大な木くい虫のように国家と人民に危害を及ぼす存在になってしまう。ささいな小事にこうしたことを行ってもまだ大問題にはならないが、国防の際にこうしたことがあれば、たちまち敗北につながるだろう。

 思うに、外国の情勢は日々変わっているのに、自分たちは数百年前の情勢をもとにこれを対処しようとすれば、どれほど国の方針を誤り人民を苦しめることになるだろうか。わが国は大洋中に孤立して隣接する国はない。やや近くにあるのは韓国と中国のみ。韓国は取るに足らない小国でしかない。中国は大国であり、特に元や清は世界の中でも最も栄えていた。しかし全く海戦に習熟しておらず、恐れるほどではない。元はかつてわが国を襲撃したが大いにわが軍に打ち破られ、二十万の大軍で生還者はわずが三人だった。これ以後中国人のわが国を恐れることは羊が虎を恐れるが如きであった。これにより国中慢心して、わが国に外国からの侵略は無いのだと考えるようになった。

 しかしこれは五百年前の情勢に基づいて考えているだけのことであり、現在の状況は全く異なっていることを理解していない。なぜそんな考えにこだわっているのだろうか。

 近年では西洋諸国は南はルソン、ジャワ、マラッカ、ホルムズ、ベンガル等の国を取り、東は南北アメリカ大陸の諸国を滅ぼしている。わが国と西洋諸国とはそれほど遠く隔たっておらず、彼らの戦艦は海を越え、風に乗ってあっという間に来るだろう。彼らは海戦を得意としており、これは特に恐るべきことである。

 一方ロシアは北モンゴルとシベリアの地をことごとく併呑し、カムチャッカを取り、次第に蝦夷、千島を侵略し、ウルップ島に至り、わが国と国境を接する隣国となっており、どんどんと根こそぎ奪い取っていくような勢いがある。したがって、元や清の人間のような航海術の未熟な者をここに居させているのはまさしく憂慮すべき事態である。

 こうした海からの侵略はわが国において最も恐るべきことである。昔のように枕を高くして寝ていた時代の心がけで、現在西洋やロシアの脅威を抑えようとしても何でそんなことができようか。それは厳しい冬にすでに雪も降っているのに葛の布で寒さを防ごうとしたり、朝霧が晴れ朝日も昇っているのにうろうろと灯火を持って歩くようなものだ。ああこれも船べりに印を刻んだり、琴柱をにかわで固めてしまうのと同様な愚行の典型だ。

 

其十(対ロシアの蝦夷地守備が全く不備であること)

俄羅斯之彊熾、果懐不良之心、凡吾沿海之地皆可憂虞、而莫於北陲、彼敢捍然盗據我沿海北陸山陰西海之地、以我全盛之力、奚難於電掃、若乃蓄鋭覰虚、侵蝦夷諸島、漸逼松前、防遏殊覺易、蓋松前迤北、延袤五六百里、地既曠莽、兵備單寡、加以城堡可據守、胡来、恐或如無人之境洵可ㇾ憂也、必也自松前恵土呂不、中間築堡砦十餘、戍卒無闕、船艦炮銃備設、然後可於外侮、不然而以其未一ㇾ寇害也、晏然自謂處泰山之安、是古賢所謂以天幸常者已、吁亦危矣、

 

(読み下し文)

俄羅斯(オロシャ)(これ)彊熾(キョウシ)にして、果(はたし)て不良の心を懐(いだ)かば凡そ吾が沿海の地皆憂虞(ユウグ)すべし。而(しか)して北陲(ホクスイ)より危きは莫(な)し。彼敢て捍然(カンゼン)と我が沿海、北陸、山陰、西海の地を盗據(トウキョ)せば、我が全盛の力を以って、奚(なん)ぞ電掃の難(かた)からんや。若乃(もしすなはち)、鋭(エイ)を蓄(たくは)へ虚を覰(うかが)ひ、蝦夷諸島を侵擾(シンジョウ)し、漸(やうや)松前に逼(せま)らば、防遏(ボウアツ)(こと)に易(やす)からずと覺(おぼ)ゆ。蓋(けだ)し、松前迤北(イホク)、延袤(エンボウ)五六百里、地既に曠莽(コウモウ)、兵備單寡(タンカ)、加ふるに城堡(ジョウホウ)胡(えびす)来たらばに據守(キョシュ)すべからざるを以て、恐らく或いは無人の境(さかひ)に入るが如くならん。洵(まこと)に憂うべきなり。必ずや松前より恵土呂不(エトロフ)に訖(いた)り、中間に堡砦(ホウサイ)十餘りを築き、戍卒(ジュソツ)(か)くこと無く、船艦炮銃備(そな)へを設くべし。然(しか)る後外侮(ガイブ)を免るべし。然(しか)らずして其の未だ寇害(コウガイ)に罹(かか)らざるを以て、晏然(アンゼン)として自(おのづ)から泰山の安きに處(を)ると謂(おも)はば、是れ、古賢の謂(い)ふ所の天幸を以って常と爲(な)す者なり。吁(ああ)(また)危きかな。

彊熾(キョウシ)(強く盛ん) ・憂虞(ユウグ)(うれいおそれる) ・北陲(ホクスイ)(北の辺境) ・捍然(カンゼン)(猛々しく) ・盗據(トウキョ)(力ずくで占拠する) ・電掃(素早く一掃すること)・若乃(もしすなはち)(ところが、しかし) ・鋭(エイ)(強勢の軍隊) ・(すき、油断) ・侵擾(シンジョウ)(侵し乱すこと) ・防遏(ボウアツ)(防ぎ止めること) ・迤北(イホク)(以北、これより北) ・延袤(エンボウ)(延長)・曠莽(コウモウ)(広々と草深い) ・單寡(タンカ)(少ない、わずか) ・城堡(ジョウホウ)(城や砦) ・據守(キョシュ)(たて籠って守ること) ・戍卒(ジュソツ)(国境を守る兵士) ・外侮(ガイブ)(外国からのあなどり)・寇害(コウガイ) (賊の害を被ること) ・晏然(アンゼン)(のんびりしていること) 

 

(現代語訳)

 ロシアは強く盛んな国であり、もし良からぬ心を懐くようになればわが国のすべての沿海地方は皆恐れ憂えるべきだが、とりわけ北の辺境の地が最も危い。ロシアがあえて猛々しくわが国の沿海、北陸、山陰、西海の地を力ずくで占拠したら、わが国は全力を以てすれば素早く一掃することも困難ではないだろう。しかし強勢の軍隊を蓄え、すきをうかがい蝦夷諸島を侵略し次第に松前に迫ってきたら、これを防ぎ止めることは容易ではないと思う。なぜなら松前以北は延長五・六百里もあり、広々と草深く兵備は少ない。加えて拠って守るべき城や砦も無いため、敵が来れば恐らく無人の国境に入るようなものになるだろう。まことに憂うべきことだ。

 必ず松前からエトロフに至る間に十余りの砦を築き、国境を守る兵士を欠かさず、船艦や銃砲を備えるべきだ。そうしてはじめて外国からのあなどりを免れることができる。それをしないで未だに賊の害を被っていないことを以て、のんびりと何もせずに泰山のように安全な所にいるのだと思っているようでは、いにしえの賢人が言う所の幸運が常にあるものと思い込んでいる者と同じである。ああ、危いことだ。

 

其十一(準備不足のまま島嶼奪還の遠征をして敗北を重ねれば亡国につながる)

本邦爲一海國、故所轄島嶼、星羅於海中、而又類守兵單闕、船銃不備、虜或挟無饜之欲、輕師掩襲一二小島、果能保失乎否也、彼已竊據小島以逼我、若棄而不争、則喪我屬邑、而漠然不卹、無以令乎下、果欲復之、則船舶未牢、水戦未諳練、安得而奏捷、其或者一征不克、再征亦北、忿兵仍發、至師老財匱、而國爲之疲耗、或如秦政事胡、擧謫徒邊、兆庶疾苦、而陳呉之難作、隨欲高麗、傾海内衆再渡遼、而區宇繹騒、群盗蜂午起、不知、此事勢之極可憂慮者也、

 

(読み下し文)

本邦一海國爲り、故(ゆゑ)に所轄島嶼(トウショ)、海中に星羅(セイラ)す。而して又類(おほむね)守兵單闕(タンケツ)にして、船銃備へず、虜(えびす)或は無饜(ムエン)の欲を挟(さしはさ)み、輕師一・二小島を掩襲(エンシュウ)せば果して能(よ)く保(たも)ち失はざるや否や。彼已(すで)に小島を竊據(セッキョ)し以て我に逼(せま)る。若(も)し棄てて争はざれば、則ち我属邑を喪(うしな)ふ。而(しか)して漠然として卹(うれ)へず、以て下に令することも無し。果して之を復(かへ)さんと欲さば則ち船舶未だ牢(かた)からず、水戦未だ諳練(アンレン)せず。安(いづく)んぞ奏捷(ソウショウ)を得んか。其れ或者(あるいは)一征して克(か)たず、再征し亦(また)(に)げば、忿兵(フンペイ)(しきり)に發(おこ)り、師老(つか)れ財匱(とぼ)しく國之(これ)が爲(ため)に疲耗(ヒコウ)するに至らん。或いは秦政、胡(えびす)を事(こと)とし謫徒(タクト)を擧(あ)げ邊(ほとり)を戍(まも)り兆庶(チョウショ)疾苦(シック)して陳呉の難作(おこ)り、隨の高麗を滅(メツ)せんと欲し海内(カイダイ)の衆(おほく)を傾け再び遼に渡りて區宇(クウ)繹騒(エキソウ)、群盗蜂午(ボウゴ)起るが如し。知るべからず、此の事勢(ジセイ)の極めて憂慮すべき者なるを。

星羅(セイラ)(星のようにつらなること) ・單闕(タンケツ)(少なくて不足している) ・無饜(ムエン) (飽くことのない) ・輕師(軽装の軍隊) ・掩襲(エンシュウ)(敵の不意を襲うこと) ・竊據(セッキョ) (不法に占拠すること) ・奏捷(ソウショウ)(勝利の報告を天子に奏聞すること)・(にぐ)(逃げる、敗れる) ・忿兵(フンペイ)(憤り騒ぐ軍隊) (軍隊)・疲耗(ヒコウ)(窮乏)・秦政(秦の始皇帝) ・謫徒(タクト)(罪人)・擧ぐ(登用する 用いる)・(ほとり)(国境)・兆庶(チョウショ)(民衆) ・疾苦(シック)(悩み苦しむこと) ・陳呉の難陳勝呉広の乱 秦末期の農民反乱、秦の滅亡につながった) ・海内(カイダイ)(国内) ・區宇(クウ)(天下) ・繹騒(エキソウ)(絶え間なく騒がしいこと) ・蜂午(ボウゴ)(蜂起 雑踏) ・事勢(ジセイ)(事のなりゆき)

 

(現代語訳)

 わが国は海国である。それゆえ属する島が海中に星のように連なる。しかしその守兵は皆不足しており、船や銃は備わっておらず、外国がもし欲を出して軽装の軍隊で一つか二つの島を奇襲したなら果たしてよく守って失わずにいられるだろうか。彼はすでに小島を不法占拠しわが国に迫っている。もしこの小島を捨てて争わなければ、わが国に属する村を失うことになる。しかしぼんやりと悩むこともなく下に命令することもしていない。もしこれを取り戻そうとしても、船舶は堅牢でなく海戦にも不慣れだ。こんなことでどうして勝利の報告を上げることができようか。

 あるいは一度遠征して勝てず、再び遠征してまた逃げ帰れば兵の騒乱が頻発し、軍の疲弊、財政逼迫により国が窮乏するに至るだろう。それは秦の始皇帝が異民族を問題視し罪人を使って国境を守った結果人民が苦しんで陳勝呉広の乱が起きたことや、隋が高麗を滅ぼそうとして国内の多くの人を動員して二度も遼河を渡り遠征した結果天下の争乱や群盗の蜂起が起きたことと同じだ。こうした事の成り行きが憂慮すべきことであるのを誰も知らない。

 

其十二(イギリスの隆盛は艦船と銃砲による)

諳厄利亞在歐邏巴西北海中、特眇乎一島耳、原分諳厄利亞喜百利亞思可齊亜三國、邇年諳厄利亞呑二國、寝強盛、然即混合三國、且小於本邦、又在北極出地五十餘度、寒沍凛慄、人物艱於蕃庶、而兵力之鋭、所當無摧碎、以漸呑噬五大洲、伊斯把尼亞波爾杜瓦爾所有之地、大半爲其所一ㇾ陥、和蘭占據之國、亦多見奪、聞近者克榜葛刺、又殆取印度三分之一、其勢赫濯不抗、國於两間者、満清之外、俄羅斯稱最盛、諳厄利亞幾與之抗、威風且出乎其上、無ㇾ他船艦牢而炮銃精故也、船銃之裨乎海防此、邦人安可之度外而泊然莫之間耶、

 

(読み下し文)

諳厄利亞(アンゲリア)歐邏巴(ヨーロッパ)西北海中に在り、特(ただ)(ビョウ)なる一島のみ。原(もと)は諳厄利亞、喜百利亞(ヒベルニア)、思可齊亜(スカッシア)三國に分る。邇年(ジネン)諳厄利亞二國を呑み、寝て強盛たり。然れば即ち三國を混合す。且(これ)本邦より小にして又北極出地五十餘度に在り、寒沍(カンゴ)凛慄(リンリツ)、人物(ひともの)蕃庶(バンショ)に艱(かた)し。而(しか)して兵力の鋭(エイ)なること當る所摧碎(サイサイ)せざる無し。以て漸く五大洲を呑噬(ドンゼイ)す。伊斯把尼亞(イスパニア)、波爾杜瓦爾(ポルトガル)有する所の地、大半其の陥れる所と爲る。和蘭(オランダ)占據の國、亦多く奪ふを見る。聞くならく近くは榜葛刺(ベンガル)に克(か)ち、又殆ど印度三分の一を取る。其の勢ひ赫濯(カクタク)(あた)るべからず。两間に於ける國は、満清の外、俄羅斯(オロシャ)最盛と稱す。諳厄利亞(アンゲリア)(ほとん)ど之(これ)と抗(あた)る。威風且(まさ)に其の上に出んか。船艦牢にして炮銃精なること他に無き故(ゆゑ)なり。船銃の海防を裨(たす)くこと此(ここ)に至る。邦人安(いづく)んぞ度外に之(これ)を抛(なげう)ち、而して泊然(ハクゼン)(この)問ひ莫(な)きを可(よし)とするや。

諳厄利亞(アンゲリア)(イギリス) ・(ビョウ)(細かく小さい) ・喜百利亞(ヒベルニア)(アイルランド)・思可齊亜(スカッシア)(スコットランド) ・邇年(ジネン)(近年)・北極出地(古代中国の天文学で観測地の位置を示す概念で、現在の北緯に等しい)・寒沍(カンゴ)(厳しい寒さ) ・凛慄(リンリツ)(寒さがしみるさま) ・蕃庶(バンショ)(増えること) ・(エイ)(強く優れていること) ・摧碎(サイサイ) (打ち壊す) ・呑噬(ドンゼイ)(侵略) ・赫濯(カクタク)(盛大で) ・两間(世界) ・抗(あた)る( 張り合う 対抗する) ・(堅固) ・(強い) ・此に至る(これほどまでなる) ・泊然(ハクゼン)(あっさりと 淡々として) 

 

(現代語訳)

 イギリスはヨーロッパの西北海中にある小さな島にすぎない。もとはイングランドアイルランドスコットランドの三国に分かれていて、近年イングランドが二国を併合して強盛となり、三国が混合した。

 この国はわが国よりも小さく、北緯五十数度に在り厳しい寒さで人や作物が繁殖するのはは難しい。しかし兵力は強く優れており当たるところすべてを打ち壊す。これにより次第に世界を侵略していった。スペインやポルトガルが所有していた土地の大半を陥落させ、オランダの占領地も多くを奪った。聞くところでは最近はベンガルに勝ち、また殆どインドの三分の一を取ったという。その勢いは盛んで止められない。世界の中の国では清の他にはロシアが最も盛んであると言われるが、イギリスはほとんどこれに匹敵する。威厳のあることではロシアより上かもしれない。船艦の堅固なことや銃砲の精巧なことが他にないほどだからである。

 船や銃が海防ではこれほどまでに役立つのである。日本人はどうしてこれについて考えもせず、しかも淡々として問うこともしないのを良しとしているのか。

 

 

其十三(西洋の長所を取り入れようとしなかったトルコは衰退した) 

都兒格宇内至彊國也、其始起亜細亜之那多里亜、眇乎一小夷、兵威日張、所呑滅八十國、遂入歐邏巴、滅尼勒西亞、殺其主而代之、降於近代、則屢挫於俄羅斯、蹙國不尟、小韃靼悉而葛旋熱阿而入亜等地、大都爲俄羅斯所一ㇾ奪、兵力迥不乎曩時也、據西洋史、古者都兒格人一可西洋四、以其拳法之妙與刀劔之銛利也、今則西洋之一可都兒格之四、以其精究火器之用也、若云則是参稽彼此而論、今也太西兵一千、頓呈八千人之用、國之盛強爲何如也、都兒格與俄羅斯熱爾瑪尼亜等國、隣比力争累百載、而不彼之長以自強、其不時務之要甚矣、

 

(読み下し文)

都兒格(トルコ)、宇内(ウダイ)に至て彊國(きょうこく)なり。其の始めは亜細亜の那多里亜(ナタリア)に起くる眇(ビョウ)たる一小夷なり。兵威日に張り、呑滅(ドンメツ)する所八十國。遂に歐邏巴(ヨーロッパ)に入り尼勒西亞(ペルシア)を滅(ほろぼ)し、其の主を殺して之(これ)に代る。近代に降(くだ)り、則ち屢(しばしば)俄羅斯(オロシャ)に挫(くじ)かれ、國を蹙(せば)めること尟(すくな)からず。小韃靼(ショウダッタン)、悉而葛旋(シルカセン)熱阿而入亜(ジョージア)等の地、大都(タイト)俄羅斯(オロシャ)の奪ふ所と爲る。兵力迥(はるか)に曩時(ノウジ)に及ばざるなり。西洋史に據(よ)らば古くは都兒格(トルコ)人一、西洋四に敵(あた)る。其の拳法の妙と刀劔の銛利(センリ)とを以てなり。今則ち西洋の一、都兒格(トルコ)の四に抗(あた)るべし。其の火器の用の精究(セイキュウ)を以てなり。云ふ所の若(ごと)く則ち是れ彼此(かれこれ)を参稽(サンケイ)しての論なり。今や太西の兵一千、頓(たちまち)八千人の用を呈(しめ)す。國の盛強何如(いかん)と爲すや。都兒格(トルコ)と俄羅斯(オロシャ)熱爾瑪尼亜(ゲルマニア)等の國と、隣比(リンピ)力争(リキソウ)百載(ヒャクサイ)を累(かさ)ぬ。而(しか)して彼の長を取り、以て自強(ジキョウ)するを知らず。其れ時務の要(かなめ)に達せざること甚しきかな。

宇内(ウダイ)(世界) ・亜細亜之那多里亜(アジアのナタリア アナトリア半島のことか?) ・(ビョウ)(小さい) ・小韃靼クリミア半島のことか?)・呑滅(ドンメツ)(亡ぼす) ・悉而葛旋(シルカセン) (コーカサス山脈の北西部) ・大都(タイト)(あらまし すべて)・曩時(ノウジ)(むかし) ・銛利(センリ)(鋭いこと) ・精究(セイキュウ)(精密に究明すること) ・(にわかに、たちまち ただちに)・参稽(サンケイ)(照らし合わせて考える) ・熱爾瑪尼亜(ゲルマニア)(現在のドイツ、オランダ、ポーランドチェコスロバキアデンマーク等の国)・隣比(リンピ)(隣近所) ・百載(ヒャクサイ)(百年) ・自強(ジキョウ)(自ら努め励むこと 自ら強くすること)・時務(時代の急務) 

 

(現代語訳)

 トルコは世界一の強国だった。その始まりはアナトリア半島の小さな国だった。軍事力を日々増強し、滅亡させた国は80に及んだ。ついにヨーロッパに入りペルシャを滅ぼし、その王を殺してこれに代わった。

 近代に入るとしばしばロシアに負けて国土を縮小することが少なからずあった。クリミア半島コーカサス山脈の北西部、ジョージア等の地はすべてロシアが奪った。兵力ははるかに昔に及ばない。

 西洋史によると、古くはトルコ兵一人は西洋兵の四人に匹敵した。これは拳法の巧みなことと刀剣の鋭いことによるものである。今は西洋兵の一人がトルコ兵の四人に匹敵する。これは火器の精密な研究によるものである。このように西洋史が言っているのはトルコと西洋を比較しての論である。今や西洋の兵一千はたちまち八千人分の働きを示す。

 国家の盛強についていかに考えるべきだろうか。トルコはロシア、ゲルマニア等の国々と百年間争いを繰り返してきた。しかしトルコは彼らの長所を取り入れ自ら努め励むことを知らなかった。時代の急務を全く理解していなかったということだ。

 

其十四(大船製造禁止令について)

寛永而前、本邦賈舶往天竺安南台灣等國互市、陵軼風濤數百千里而無患、爾時船艦製造之堅牢可想、嗣後官病不良之民乗斯船、輕往泰西所據海島、以學祅教也、嚴設之禁、破壊大船小、帆檣不一竿、使之不上ㇾ巨海、以遏絶病原、於之、不惟大艦遭打壤、造船之制、亦佚而不傳、或曰、船制之變、不獨禁人趣祅教也、室町之季、群雄虎争、區宇劻勷、諸州逋逃之輩、失其依皈、因航海、刧掠外國、以飽己欲、明韓及爪哇安南呂宋暹羅諸國、咸蒙其毒、於是遣使來、懇請禁海寇、慶元撥亂甞一禁絶、寛永中天艸殲賊之後、罪人放竄流徒者無數、亦復頗抄掠海南諸國苦之、再來請遏止、幕朝惻然哀之、遂禁人之海外、改船制令狭陋外夷云、二説不同、要之隳毀巨船、實發于不一ㇾ己、而遂併失從來製船之法、可惜、雖然當時船艦雖能抵外國、猶未ㇾ爲甚完牢、在于今防海之大用、當法泰西、制作極其堅緻、不徒復慶元之舊制而已也、

 

(読み下し文)

寛永而前、本邦賈舶(コハク)天竺、安南、台灣等の國へ往(い)き互市(ゴシ)す。風濤を陵軼(リョウイツ)すること數百千里にして患(わずら)ひ無し。爾(その)時船艦製造の堅牢を想ふべし。嗣後官、不良の民斯の船に乗り、泰西の據る所の海島へ輕(かるがる)しく往き、以て祅教を學ぶに病(なや)むや、嚴しく之(この)禁を設け、大船を破壊し小と令(せし)め、帆檣(ハンショウ)一竿を過ぐるを得ず。之(これ)に巨海を陵(しの)ぐを堪へざらしめ、以て病原を遏絶(アツゼツ)す。之(ここ)に於て惟(ただ)大艦打壤(ダカイ)に遭(あ)ふのみならず、造船の制(つくり)、亦佚(イツ)して傳(つた)はらず。或(あるひと)曰く、船制の變、獨(ただ)人の祅教に趣(おもむ)くを禁ずるのみならざるなり。室町の季(すゑ)、群雄虎争、區宇(クウ)劻勷(キョウジョウ)、諸州逋逃(ホトウ)の輩(やから)、其の依皈(イキ)を失ひ、因(よっ)て海を航(わた)る。外國を刧掠(キョウリャク)し以て己の欲を飽(あ)く。明韓及び爪哇(ジャワ)、安南、呂宋(ルソン)、暹羅(シャム)諸國、咸(みな)其の毒を蒙(かうむ)る。是(ここ)に於て遣使(ケンシ)來りて海寇(カイコウ)の禁を懇請(コンセイ)す。慶元撥亂(ハツラン)し、甞(こころみ)に一(ひとたび)禁絶す。寛永中天艸(あまくさ)の賊を殲(ほろぼ)すの後、罪人放竄(ホウザン)(ル)(ズ)者無數、亦復(またふたたび)(すこぶ)る海南を抄掠(ショウリョウ)す。諸國之(これ)に苦しみ、再び遏止(アツシ)を來請す。幕朝惻然(ソクゼン)(これ)を哀(あはれ)み、遂に人の海外に之(ゆ)くを禁じ、船制を改め狭陋(キョウロウ)にして外夷に往くべからざらしむと云ふ。二説同じからず。之(これ)を要するに、巨船を隳毀(キキ)するは、實に已(や)むを得ざるに發するも、遂(つひ)に併(あは)せて從來製船の法(てだて)も失ふ。惜しむべし。然りと雖(いへど)も、當時船艦能(よ)く外國に抵(いた)ると雖(いへど)も、猶(なほ)未だ甚(はなはだ)完牢(カンロウ)爲(た)らず。今に在りて防海の大用を資(たす)けんと欲さば、當(まさ)に泰西に取法(シュホウ)し、制作其の堅緻(ケンチ)を極(きは)むべし。徒(いたづら)に慶元の舊制に復(かへ)すのみを可(よし)とせざるなり。

 

賈舶(コハク)(商船) ・互市(ゴシ)(貿易) ・陵軼(リョウイツ)(しのぎ越えてゆく) ・帆檣(ハンショウ)(帆柱) ・遏絶(アツゼツ)(根絶) ・打壤(ダカイ)(うちこわし) ・區宇(クウ)(天下) ・劻勷(キョウジョウ)(慌てふためいている) ・逋逃(ホトウ)(罪を犯し逃走している) ・依皈(イキ)(頼りにするところ)・刧掠(キョウリャク)(略奪) ・飽く(満足させる)・慶元(慶長と元和 江戸時代初期) ・撥亂(ハツラン)(乱を治める) ・放竄(ホウザン)(追放) ・(ル)(島流し) ・(ズ)(懲役刑) ・抄掠(ショウリョウ)(略奪) ・遏止(アツシ)(防止) ・幕朝(幕府と朝廷) ・惻然(ソクゼン)(気の毒に思って)・狭陋(キョウロウ)(狭くて汚い 狭くて貧弱)・隳毀(キキ)(取り壊すこと)・完牢(カンロウ)(欠点がなく堅固) ・取法(シュホウ)(模範として取り入れる) ・堅緻(ケンチ)(頑丈で精密なこと) 

 

(現代語訳)

 寛永以前(寛永16年 1639年の鎖国令以前)わが国の商船はインド、ベトナム、台湾等の国へ行き貿易をしていた。波風を越えること数百里であったが、航海に問題はなかった。その時の船の堅牢さを思うべし。以後幕府は、不良の民がこの船に乗り西洋諸国の占拠する島へ軽々しく行きキリスト教を学ぶことについて悩むことになると、厳しく禁教令を設け、大船を破壊し小船に変えさせ、帆柱は1本以内とし、大海を航海することができないようにして、これによりキリスト教の病原を根絶した。ここで大艦打ちこわしの目に遭ったのみならず、造船の方法も散逸して伝わらなくなった。

 ある人が言うには、大船建造の禁止はキリスト教禁止のためだけではない。室町時代の終り頃、群雄が争い天下が乱れているとき、罪を犯して諸国を逃げ回っている輩が行き場を失い海を渡り外国で掠奪をはたらきおのれの欲を満足させるようになった。明や韓国およびジャワ、ベトナム、ルソン、シャムの諸国は皆その被害を被った。そのためわが国に使いを出して海賊の禁止を懇願した。慶長、元和の江戸時代初期になり戦乱が収まり、試みに一度海賊を禁止した。寛永年間に天草の乱を平定した後、罪人で追放、島流し、懲役刑になった者が多数出て、また海外で略奪行為をかなり行うようになった。諸国はこれに苦しみ再び海賊禁止を懇願してきた。幕府と朝廷はこれを気の毒に思い、ついに海外渡航を禁止し、船の構造を改め、狭くて貧弱にして海外に行けないようにしたとのことである。

 この二つの説は同じではないが、要するに大船を取り壊したのは実にやむを得ない理由からであった。しかしこれにより従来の造船の手段・方法をも失ってしまった。これは惜しいことだった。

 しかし当時の船は外国に行っていたけれどその構造は完全で堅固であったわけではない。今の海防に役立てようとするなら、西洋諸国の手法を取り入れ頑丈で精密なものを目指さなければならない。いたずらに慶長・元和の頃の旧制度に復するだけでよいわけではない。

 

其十五(家康公の定めた大船建造禁止令を変えることこそその願いに合致する。制度は行き詰まれば変えるべし)

祖宗定制、狭小船舶、令海赴外夷、今乃改使牢且鉅、似祖宗之旨参差、此臣子所以憚沮不上ㇾ敢也、然祖宗之意、在止人往海外邪教、固亦爲政之要、迄于今、則夷虜狼呑之心日熾、眈眈垂涎、其於海防之方、宣漏舟之急、斯其猷爲與祖宗同、而意則脗合、祖宗上願、在鴻基遺緒、今改造船舶、諳練水戦、海防無闕、以固我疆圉、實祖宗在天之霊所欣慰也、在上者當明曉衆、以執祖制之故、然後従事焉、可也、明太祖折辱於我懐良親王、大怒、絶本邦、不與通、著之祖訓、然永楽以還、復與交通、嘉靖中本邦逋臣寇ㇾ明、明兵百戦百挫、向使我邦玉帛來往、諳熟我情形、豈至斯之狼狽哉、秖恨祖制之未上ㇾ盡也、本邦之制、諸矦無ㇾ子則國除、子又非十七歳而上、不封、今則年雖至幼、冒稱十七、其人無子、許他人子上ㇾ嗣、故諸侯無復以子絶者、洵爲至仁之擧、明則直變祖制、本邦則陰革成法、夫物窮則變、變則通、制宗之制、果於人情事體窒阻、安得硜然墨守乎、顧今日改造船舶、當万里怒涛坰途、使易易可上ㇾ外國、而禁異教之法、則不嚴、但絶異教、邦人之所長、海寇之患、未甞経意、而其禍尤可畏、故不彼而専論一ㇾ此也、

 

(読み下し文)

祖宗(ソソウ)(おきて)を定め、船舶狭小とし、海を越え外夷へ赴(おもむ)くべからざらしむ。今乃(すなは)ち改め、牢(ロウ)かつ鉅(キョ)とせしめば、祖宗の旨と参差(シンシ)するに似たり。此れ臣子(シンシ)憚沮(タンショ)し敢てせざる所以(ゆゑん)なり。然れども祖宗(ソソウ)の意、人海外に往き邪教を習ふを遏止(アッシ)するに在り。固(もと)より亦(また)(まつりごと)を敷くの要(かなめ)爲り。今に迄(いた)り、則ち夷虜(イリョ)狼呑(ロウドン)の心、日に熾(さかん)にして、眈眈(タンタン)(よだれ)を垂る。其の海防の方(てだて)に於て、宣しく漏舟を塞(ふさ)ぐの急の如くすべし。斯(ここ)に其の猷爲(ユウイ)、祖宗と同じからずして、意則ち脗合(フンゴウ)す。祖宗の上願(ジョウガン)、鴻基(コウキ)を鞏(かた)め、遺緒(イショ)を隆(たか)むるに在り。今船舶を改造し、水戦に諳練(アンレン)し、海防に闕(か)くるところ無く、以て我が疆圉(キョウギョ)を固めば、實に祖宗在天の霊の欣慰(キンイ)と為す所なり。上に在る者、當(まさ)に明らかに衆に曉(つ)げ、泥執を得ざるを以って祖制の故とすべし。然る後、事に従ふこそ可也。明の太祖、我が懐良親王に折辱(セツジョク)され大いに怒る。本邦を絶ち通を与えず、之を祖訓に著(あらは)す。然るに永楽以還(イカン)、復(ま)た交通を與(あた)ふ。嘉靖中本邦逋臣(ホシン)明を寇(あだ)し、明兵百戦百挫。向使(もし)我邦と玉帛來往(ギョクハクライオウ)し、我情形を諳熟(アンジュク)せば、豈(あに)(か)くの如くの狼狽に至らんかな。秖(まさ)に祖制を變ずることの未だ盡さざるを恨むなり。本邦の制、諸矦に子無くば則ち國除き、子又十七歳より上にあらざれば、封を襲ふを得ず。今則ち年至て幼なしと雖(いへど)も十七を冒稱(ボウショウ)し、其の人子無くとも他人の子を以って嗣(シ)と爲すを許す。故に諸侯、復(ま)た子無きを以って絶ゆる者無し。洵(まこと)に至仁の擧爲り。明則ち直ちに祖制を變じ、本邦則ち陰(ひそか)に成法を革(あらた)む。夫れ物窮(きはま)れば則ち變じ、變ずれば則ち通ず。宗(あとつぎ)を制(さだ)むるの制(おきて)、果(はた)して人情事體に於いて窒阻(チッソ)有らば、安(いづ)くんぞ硜然(コウゼン)墨守を得んや。顧(おもふ)に今日船舶を改造せば、當(まさ)に万里怒涛を視、坰途(ケイト)を履(ふ)むが如く易易(イイ)外國に到るべからしむべし。而して異教を禁ずるの法、則ち嚴しからざるべからず。但(ただ)し異教を絶つこと、邦人の長ずる所なり。海寇の患(わずら)ひ、未だ甞て意に経せざれば其の禍(わざはひ)(もっとも)(おそ)るべし。故(ゆゑ)に彼を舎(すてお)き、専ら此れを論ぜざるを得ざるなり。

祖宗(ソソウ)(君主の始祖 家康公) ・(ロウ)(堅固) ・(キョ)(大きい) ・参差(シンシ)(食い違うこと) ・臣子(シンシ)(臣下) ・憚沮(タンショ)(はばかる、嫌がる) ・遏止(アッシ)(防止) ・夷虜(イリョ)(外国)・狼呑(ロウドン)(狼のように貪る) ・眈眈(タンタン)(目を光らせ狙いを定めて) ・漏舟 (穴の開いた舟) ・猷爲(ユウイ)(行おうとすること)・脗合(フンゴウ)(上下の唇のようにぴたりと合う) ・上願(ジョウガン)(第一の願い) ・鴻基(コウキ)(王者の大事業の土台)・遺緒(イショ)(先人が残した事業)・諳練(アンレン)(習熟) ・疆圉(キョウギョ)(国境の近く、辺境) ・欣慰(キンイ)(安心) ・泥執(泥のような執着)・懐良(かねよし)親王南北朝時代、九州を支配した南朝方の親王。明の太祖から「日本国王」として倭寇の鎮圧を命ずる国書を受け取るが、懐良は使者を殺害、勾留するなどして命令を拒絶した。)折辱(セツジョク)(辱める)・以還イカン)(以後)・逋臣(ホシン)(逃亡した臣下) ・寇(あだ)す(攻撃する) ・玉帛來往(ギョクハクライオウ)(贈り物と訪問のやりとり) ・諳熟(アンジュク) (十分に理解すること) ・(領国) ・襲ふ(相続する) ・冒稱(ボウショウ)(詐称)・(シ)(跡継ぎ)・(跡継ぎ) ・事體(事情)・窒阻(チッソ)(障害)・硜然(コウゼン)(叩くとコツコツと音がするぐらい頭の固い小人物のように) ・坰途(ケイト)(遠い道) ・易易(イイ)(やすやすと) ・経意(ケイイ) (心にとめる 留意)

 

(現代語訳)

 家康公が制度を定め船舶を狭小にして海外へ行けないようにした。今もし制度を改め、船舶を堅牢かつ巨大にしたなら家康公の考えと食い違うように思える。このため臣下はこれを嫌がりあえてこうしたことはしていない。しかし家康公の意図は人々が海外に行ってキリスト教を習うのを禁止することにあり、これはもちろん政治の要点であった。

 現在では外国が侵略の心を日々燃えさからせ、目を光らせ涎を垂らしている。海防は舟にあいた穴をを塞ぐのと同じように至急行わなければならない。大船建造は、その行なおうとすることは家康公とは異なるが、その真意は上下の脣がぴたりと合うように一致するのだ。家康公の第一の願いは国家建設の大事業の基礎を固め、先人の残した事業を発展させることにある。今もし船舶を改造して海戦に習熟させ海防のすきが無いように国境の警備を固めれば、家康公の霊を安心させることになるだろう。上に在る者たちは昔の制度に何が何でも固執しないことこそが祖先の定めた制度の趣旨であることを皆に明確に説明すべきである。そうした後に仕事に携わるのがよい。

 明の太祖朱元璋はわが国の懐良親王から屈辱を受け大いに怒り国交を断絶し、これを先祖の教えとして残した。しかし永楽帝以後は国交を復活させた。嘉靖帝(在位1521~1566)の時代にわが国の逃亡した武士が明を攻撃し、明兵は百戦百敗だった。もしわが国と贈り物や訪問のやりとりをして、わが国の情勢をよく理解していたならばこのように狼狽することもなかっただろう。まさに祖先の定めた制度をしっかり変革しなかったのが残念なことだった。

 わが国の制度では、大名に子供がいなければ国が取り潰しになり、また子供が十七歳以上でなければ領国を相続できないことになっている。しかし今はもし子供が幼くても十七歳を詐称したり、その人に子供がなくても他人の子を跡継ぎとすることを許している。このため今では大名に子供がいなくてもそのために御家が断絶することはない。まことに思いやりのある政策である。

 明では直接に制度を変革し、わが国ではひそかに成文法を改めている。そもそも物事は行き詰まれば変わり、変われば通じるのである。跡継ぎを定める掟がもし人情や事情において障害になるのであれば、どうして頭の固い小人物のようにこれを墨守することができようか。

 思うに今日船舶を改造すればやすやすと外国に到達できるようになるだろう。しかしキリスト教禁止令は厳格である必要がある。但しキリスト教の禁圧は日本人の得意とするところであり、一方外国による侵略は未だ曾て経験したこともないことなのでその禍はとりわけ恐れなければならない。そのため禁教のことは捨ておいて専ら海防のことを論ぜざるを得ない。

 

其十六(キリスト教よりも武力の脅威を恐れよ)

西洋之取人國一、厥術匪一端、有祅教、致人崇信、然後唾手取之者、有船銃之巧、竭攻撃之力、多殺傷敵兵、而殄滅之、有先惑祅教、使衆心渙散不一、而後以兵勢芟夷者、爲祅教所一ㇾ誑而服降、及惑於祅教之餘、立被殲剽、皆其俗之佁儗、不皁白者、泰西是術、後来難復見一ㇾ效、故近歳大都誣敵罪、責敵負約、然後大興師徒以薙獮之、今我邦於虜、知異教誘民之害、而不銃砲舟艦力攻之禍、其蔽蒙甚矣、今有綠林盗、糺其黨、或甘言誘令皈乎已、或白刃迫脇令亂、人徒誘於甘言是懼、而不其有白刃威制之術、一旦勢力見脇、膽悸神飛、翻然從之、可醜甚也、嗟嗟獨洞悉祅教之害、而不其有窮兵力征之害、其亦脇乎白刃而甘心從賊之類也夫、

 

(読み下し文)

西洋の人國を取る厥(その)術一端にあらず。祅教を扇(あふ)り、人を崇信に致し、然(しか)る後唾手(ダシュ)し之(これ)を取る者有り。船銃の巧(コウ)を逞(たくま)しくし、攻撃の力を竭(つく)し、多くの敵兵を殺傷して之(これ)を殄滅(テンメツ)する者有り。先(ま)ず祅教を以って惑(まどは)し衆心を渙散不一(カンサンフイツ)にせしめ、而後(ジゴ)兵勢を以って芟夷(サンイ)する者有り。祅教の誑(たぶらか)す所と爲りて服降(フクコウ)し、及び祅教に惑ふの餘り、立(たちどころ)に殲剽(センヒョウ)せらる。皆(みな)其の俗(ならはし)の佁儗(ナギ)にして、皁白(ソウハク)を判ぜざる者なり。泰西是(この)術、後来復(ま)た效(コウ)を見難し。故(ゆゑ)に近歳(キンサイ)大都(タイト)、敵に罪を誣(し)ひ、敵の負約(フヤク)を責む。然る後、大ひに師徒(シト)を興(おこ)し、以て之(これ)を薙獮(テイセン)す。今、我が邦虜(えびす)の異教に民を誘ふの害を防ぐを知れども、銃砲舟艦力攻の禍(わざはひ)に備(そな)ふるを知らず。其の蔽蒙(ヘイモウ)甚しきかな。今、綠林盗有り、其の黨(ともがら)を糺(あつめ)んと欲するに、或(あるい)は甘言(カンゲン)(おのれ)に帰せしむを誘ひ、或(あるい)は白刃迫脇(ハクキョウ)し亂に從はしむ。人徒(ただ)甘言に誘はるるのみを是(これ)(おそ)る。而して其の白刃威制の術有るを察せず。一旦勢力の脇(おびやか)すを見れば、膽悸神飛(タンキシンピ)翻然(ホンゼン)(これ)に從ふ。醜(は)づべきこと甚しきなり。嗟嗟(ああ)、獨(ただ)祅教の害のみを洞悉(トウシツ)して其の窮兵力征(キュウヘイリキセイ)の害有るを覚へず。其れ亦(また)白刃に脇(おびやか)されて甘心(カンシン)賊に從ふの類(たぐひ)なるかな。

 

唾手(ダシュ)(手に唾をつけて勇んで事を行うこと) ・(コウ)(腕前) ・逞(たくま)しくす(あからさまに出す 発揮する)・殄滅(テンメツ)(滅亡させる) ・渙散不一(カンサンフイツ)(ばらばらで不揃い) ・芟夷(サンイ)(反乱を平定すること) ・服降(フクコウ)(降伏) ・殲剽(センヒョウ)(亡ぼし略奪する)・(ならわし、風潮、文化)・佁儗(ナギ)(ぐずぐずとためらっていること) ・皁白(ソウハク)(黒か白か、善か悪か) ・後来(将来) ・(コウ)(効果) ・近歳(キンサイ)(近年) ・大都(タイト)(おおむね、すべて) ・誣(し)ひ(無いことを有ることにして) ・負約(フヤク)(約束違反)・師徒(シト)(軍隊)  ・薙獮(テイセン)(全滅) ・蔽蒙(ヘイモウ)(愚昧)・綠林盗(盗賊)・迫脇(ハクキョウ)(威力で脅迫すること) ・膽悸神飛(タンキシンピ)(胆がドキドキし、たましいが飛ぶように恐れおののいて) ・翻然(ホンゼン)(心をがらりと変えて) ・洞悉(トウシツ)(知り尽くすこと) ・窮兵力征(キュウヘイリキセイ)(兵力を尽くしての武力征伐)・甘心(カンシン)(自ら進んで) 

 

(現代語訳)

 西洋人が国を取る手段は一つではない。キリスト教を煽って人を信仰させその後に勇んでこれを取ることがある。船や銃炮にモノを言わせ、全力で攻撃して多くの敵兵を殺傷しこれを滅亡させることもある。まずキリスト教を使って民衆の心をばらばらにしその後兵力で反乱を平定することもある。キリスト教にたぶらかされて降伏したり、キリスト教に惑う余り立ちどころに滅ぼされ掠奪されるのだ。これらの人々の風潮や文化は皆ぐずぐずとためらって善悪の判断ができないというものだ。

 西洋のこの方法は将来も有効とは限らない。このため近年はおおむね敵に無実の罪を着せ、敵の約束違反を責め、その後に大いに軍隊を派遣してこれを全滅させる。

 現在わが国は外国によるキリスト教勧誘の害悪を防ぐことを知っているが、銃砲や戦艦による力攻めの災いに備えることを知らず、その愚かしさは甚だしい。

 盗賊が仲間を集めようとするとき、ある者は甘い言葉で自分に帰属するよう誘い、ある者は白刃で脅迫し反逆に従わせようとする。人はただ甘い言葉に誘われるだけのことでもこれをおそれる。しかし彼らには白刃で脅迫するという手段もあることに気づいていない。一旦盗賊の勢力が脅すのを見ればドキドキして魂が飛ぶように恐れおののいて、ころりとこれに従うだろう。恥ずべきこと甚だしい。

 ああ、ただキリスト教の害はよく知っているのに、兵力を尽くしての武力征伐の害を知らない。それはまた白刃に脅かされて自ら進んで賊に従うのと似たようなものなのだ。

 

其十七(秀吉の朝鮮出兵は無駄だった。この時海南諸島やカムチャッカを取っていれば西欧の勢いを挫いていたが今となっては手遅れ)

豊太閤壬辰之役、蹂朝鮮八道、摧明滔天之援師、斬馘百万級、使本邦威稜震乎殊俗、足曠古盛擧也、顧識者於是猶抱涯之憾、何也、斯時百戦之餘、梟将林立、猛士如虎如熊、所撃莫摧破、可以衡行寰宇、而海南爪哇呂宋臺灣等國、未盡爲泰西所據、即據焉、土人叛服参半、虜守備又未嚴整、以吾君臣之英武将卒之虓闞、果能詳晰時勢、諳海外動静、更造舶艦、多貯火器、亡豊太閤不上ㇾ親赴、又不必煩前田利家上杉景勝等赫赫大諸矦、但令加藤喜明藤堂高虎輩、督卒舟師數万、出渠不虞、可以無血刃遺鏃而取海南諸國、是扼亜細亜利未亜二大洲之咽喉、而逆挫歐邏巴勃興之鋒也、若乃柬察加之地、則爾時泰西未東北盡境有此大國、又未偵探之人、須北州諸矦蝦夷續續往綏懐其民、可以不寸兵而撫定、是搏亜細亜之背、而壓亜墨利加之胸也、進可以蠶食五大洲、退猶爲五大洲所讋伏、豈不偉歟、豈不盛歟、如之何、當日君臣、英猷有餘、而智慮未周浹、於外國事、茫如暗模然、是以前後七載、勞兵無用之地、徒多喪壮士、疲困國力、而吾封域不恢廣、又未疊於區宇、可慨也、今也業已失好機會、別無他策、當大設砲銃舟艦、嚴沿海備、以固守金甌間或進経略泰西不争之地耳、世有大志之士、乃欲盡取海南諸國及柬察加以張國威、立論不爲雄偉、然彼備禦今既周密、非易易平殄、幸得平殄、彼失有之國、烏敢怗然雌伏乎、必將捲土重来以争一ㇾ之、予恐兵連怨結、永醸無窮之患、未其可也、

 

(読み下し文)

豊太閤壬辰(ジンシン)の役、朝鮮八道を蹂躙し、明の滔天(トウテン)の援師を摧(くだ)き、斬馘(ザンカク)百万級。本邦威稜(イリョウ)を殊俗(シュゾク)に震(ふる)はしむること曠古(コウコ)の盛擧(セイキョ)と稱(ショウ)するに足るなり。顧(かへっ)て識者是に於て猶(なほ)無涯の憾(うらみ)を抱くは何ぞや。この時百戦の餘り、梟将(キュウショウ)林立し猛士虎の如く熊の如く、撃つ所摧破(サイハ)せざるものなく、以て寰宇(カンウ)に衡行(コウコウ)すべし。而して海南、爪哇(ジャワ)、呂宋(ルソン)、臺灣等の國、未だ盡(ことごと)く泰西の據(よ)る所と爲(な)らず。即ち焉(ここ)に據(よ)れば、土人叛服参半(サンパン)にして、虜(えびす)の守備又未だ嚴整(ゲンセイ)ならず。吾が君臣の英武(エイブ)将卒(ショウソツ)の虓闞(コウカン)を以て、果して能(よ)く時勢を詳晰(ショウセキ)にし、海外動静を諳(そらん)じ、更に舶艦を造り、多くの火器を貯(たくは)はば、亡論(ムロン)豊太閤親赴に勞(つと)めず、又必ずしも前田利家上杉景勝等、赫赫(カクカク)たる大諸矦を煩(わづらは)さず、但(ただ)、加藤喜明、藤堂高虎の輩(ともがら)に、舟師數万を督卒(トクソツ)し、不虞(フグ)出渠(シュッキョ)せしめ、以て血刃(ケツジン)遺鏃(イゾク)無くして海南諸國を取るべし。是れ、亜細亜、利未亜(リビア)二大洲の咽喉(インコウ)を扼(おさ)へて、歐邏巴(ヨーロッパ)勃興の鋒(ホウ)を逆に挫くものなり。若乃(さてまた)、柬察加(カムチャッカ)の地、則ち爾(その)時泰西未だ東北盡境(ジンキョウ)に此の大國有るを知らず又未だ偵探の人来ざれば、須(すべから)く北州諸矦に命じ蝦夷人を遣(つかは)し續續(ゾクゾク)(ゆ)きて其の民を綏懐(スイカイ)すべし。以て寸兵を勞せずして撫定(ブテイ)すべし。是れ亜細亜の背を搏(う)ちて、亜墨利加(アメリカ)の胸を圧するなり。進んでは以て五大洲を蠶食(サンショク)すべし。退(しりぞき)ても猶(な)ほ五大洲を讋伏(ショウフク)する所と爲す。豈(あに)偉ならずや、豈(あに)盛ならずや、如之何(これいかん)。當日君臣、英猷(エイユウ)餘り有れど智慮(チリョ)外國の事に於て未だ周浹(しゅうしょう)せず茫(ボウ)たること暗模(アンモ)の如く然り。是以(これゆゑ)前後七載(サイ)、兵無用の地に勞(つと)め、徒(いたづら)に多く壮士を喪(うしな)ふ。國力疲困して、吾が封域(フウイキ)恢廣(カイコウ)を加へず、又未だ區宇(クウ)を震疊(シンジョウ)するに至らず。慨(なげ)くべきなり。今也(いまや)業已(すでに)好機會を失ひ、別に他策無し。當(まさ)に大ひに砲銃舟艦を設け、沿海備へを嚴しくし、以て金甌(キンオウ)を固守し、間(しばらく)或は進んで泰西争はざるの地を経略(ケイリャク)するのみ。世に大志の士有りて、乃(も)し盡(ことごと)く海南諸國及び柬察加(カムチャッカ)を取り、以て國威を張らんと欲さば、立論雄偉(ユウイ)たらずとは爲さず。然るに彼の備禦(ビギョ)今既に周密(シュウミツ)にして、易易(イイ)平殄(ヘイテン)すべからず。幸(さいはひ)に平殄(ヘイテン)を得るも、彼の有する所の國を失へば、烏(いづくん)ぞ敢(あへ)て怗然(チョウゼン)雌伏するか。必ず將(まさ)に捲土重来(ケンドチョウライ)以て之(これ)を争ふべし。予、恐らくは兵(いくさ)(つらな)り怨結(エンケツ)し、永く無窮の患(うれひ)を醸(かも)さんことを。未だ其の可(よし)とするを見ざるなり。

 

壬辰の役豊臣秀吉朝鮮出兵 文禄慶長の役(1592~98年)・滔天(トウテン)(天までみなぎるほど勢いが強いこと)・援師(援軍)・斬馘(ザンカク)(斬首)・威稜(イリョウ)(天子の威光) ・殊俗(シュゾク) (外国) ・曠古(コウコ)(昔から例がない、未曽有の) ・盛擧(セイキョ)(壮挙)・無涯(はてしない) ・(うらみ)(残念な気持ち)・梟将(キュウショウ)(猛将) ・摧破(サイハ)(くだき破ること) ・寰宇(カンウ)(世界) ・衡行(コウコウ)(思うままにふるまう 横行)・土人(原住民)・叛服(逆らう者と服従する者) ・参半(サンパン)(半々) ・嚴整(ゲンセイ)(きちんと整っている)・英武(エイブ)(武勇に優れていること)・将卒(ショウソツ)(将軍と兵士) ・虓闞(コウカン)(勇猛)・詳晰(ショウセキ)(くわしく明らかにすること) ・亡論(ムロン)(無論、勿論)・親赴(親征) ・舟師(海軍) ・督卒(トクソツ)(監督して率いる) ・不虞(フグ)(不意に) ・出渠(シュッキョ)(出陣) ・血刃遺鏃(ケツジンイゾク) (刃を血に染めたり鏃を失くしたりすること)・咽喉(インコウ)(喉元)・(ホウ)(鋭い勢い) ・盡境(ジンキョウ)(さいはて) ・綏懐(イカイ)(懐柔) ・撫定(ブテイ)(安んじ静めること) ・蠶食(サンショク)(蚕が桑の葉を食べるように他国を併呑すること) ・讋伏(ショウフク)(おそれひれ伏す) ・英猷(エイユウ)(優れたはかりごと) ・智慮(チリョ)(知恵の優れた考え) ・周浹(しゅうしょう)(広く行き渡ること) ・(ボウ)(ぼんやりしてはっきりしないこと) ・暗模(アンモ)(暗中模索) ・疲困(疲れ果てること) ・封域(フウイキ)(領土) ・恢廣(カイコウ)(広げて大きくすること) ・區宇(クウ)(世界) ・震疊(シンジョウ)(震え恐れる) ・金甌(キンオウ)(黄金の瓶、領土のこと) ・経略(ケイリャク)(四方の国を攻め従えること) ・周密(シュウミツ)(行き届いていること) ・易易(イイ)(やすやすと) ・平殄(ヘイテン)(平らげ亡ぼす) ・怗然(チョウゼン)(落ち着いて静かに) ・怨結(エンケツ)(怨みが解けないこと) 

 

(現代語訳)

 太閤秀吉公の文禄慶長の役朝鮮八道を蹂躙し、明の大援軍を打ち砕き、斬首は百万に上った。わが国の威光を外国に示し未曽有の壮挙と言える。しかし反対に識者がこれについてとても残念な気持ちになるのは何故だろうか。

 この時百戦余りで猛将、猛士が大活躍し、この勢いをもってすれば世界中で思うままに振る舞うことさえできただろう。しかも海南、ジャワ、ルソン、台湾等の国は未だ西洋諸国が占拠していなかった。ここを拠点とすれば、原住民は服従する者と逆らう者が半々で外国の守備は未だきちんと整っていないので、わが国の武勇と勇猛に加え、情勢の詳細な分析と熟知、更に多くの艦船と火器があれば、大した犠牲も無く海南諸国を取ることができただろう。それには無論太閤秀吉公の親征は必要なく、や前田利家上杉景勝などの大大名を煩わす必要も無い。ただ加藤嘉明藤堂高虎らに海軍数万を率いさせて出陣させるだけで十分だっただろう。これによりアジア、アフリカ二大洲の喉元をおさえ、ヨーロッパ勃興の勢いを逆に挫くことになっただろう。

 さてまたカムチャッカの地については、その時西洋諸国はまだ東北のさいはてにこのような大国があることを知らず、また探検の人も来ていないので、必ず東北諸大名に命じ蝦夷人を派遣して次々に往かせてそこの民を懐柔すべきであった。そうすれば少しの兵も使わずに平定することができただろう。これはアジアの背中を打ってアメリカ大陸の胸を圧迫することを意味する。ここからさらに進めれば五大洲をつぎつぎ侵略することもできただろう。退いてもなお五大洲をおそれひれ伏させることができただろう。なんと偉大で盛大なことではないか。

 ところがどうだろう。昔の君主も家臣も優れた考えを多く有していたが、外国のことに関しては知識がまだ広まっておらず、暗中模索しているかのようにぼんやりしていた。このため前後7年間も兵を無用の地で働かせ無駄に多くの勇士を失った。国力は疲弊しわが国の領土が拡大することもなかった。また世界を恐れさせるにも至らなかった。嘆くべき事だ。

 今やすでに絶好の機会を失い、他に策も無い。艦船や銃砲を設けて沿岸警備を厳重にして領土を固守し、しばらくはあるいは西洋諸国が争わない地を進んで攻め従えるだけかもしれない。

 世の中に大きな志を持った者がいて、もし海南諸島およびカムチャッカをすべて取りこれにより国威を示そうとしているとすれば、その考えは悪いとは思わない。しかし先方の守りは今既に行き届いていて簡単に征服することなどできない。もし幸いにも征服できたとしても、先方は所有する国を失なえばなんで敢えておとなしくしていようか。必ず勢いを盛り返して取り返そうとするだろう。私が恐れるのは戦争が連続し怨みが解けず長く際限のない苦しみの状態を作りだしてしまうことだ。そんなことを良しとする人は未だに見たことがない。

 

其十八(ロシアはカムチャッカを領有し滿洲へ進出しているが、これに対する日本と清の対策は不十分)

柬察加括亜細亜之盡境、而與亜墨利加隣接、據守此地、自然有制八紘之勢、實東北之衝要、英雄必争之區也、此地在本邦北陲、與蝦夷千島連、而距俄羅斯新舊都遼焉數千萬里、本我屬夷耳、吾不地形、不遠畧、被彼先著一ㇾ鞭、百年前已奪柬察加之、呑噬抵宇留不、隠然有舐糠及米之漸、向使我邦蚤従事於北徼、則柬察加可一鏃而下、得人之勢而不肯爲、以馴致制於人之弱、洵可ㇾ惜已、顧成事不説、既往不咎、今將奈之何、只當百倍奮勵之心、用之于守上ㇾ邊、嚴備固砦堡、使敵無寡可一ㇾ乗耳、先是俄羅斯侵黒竜江北境、築城雅克薩、漸逼滿洲、清聖祖興師撃破之、立碑以表分界黒竜江北海尚遐、然近海地竺寒層氷不棲、其通馬車商旅之地、不江北數百里、且爾時俄羅斯攘地始至此、未黒竜江東尺寸、聖祖英主威武方揚、所嚮無敵、俄羅斯有邊之罪、慙惶兼深、果使聖祖聲羅叉罪、窮其兵力、畧地極北海而止、西面立界碑、以許俄羅斯和、則迤東極柬察加、指麾而定矣、乃征討甫克、遽以和藏事、一媾之後、不ㇾ可復加以干戈、北境孔道、縦其東西馳奔而弗問、竟使虜兼并東北諸夷、其地包清東西界之外、噫亦危矣、本邦及清之於俄羅斯胥乖経綸之宜、失乗之機會、可歎惜哉、

 

(読み下し文)

柬察加(カムチャッカ)亜細亜(アジア)の盡境(ジンキョウ)に括(いた)り、亜墨利加(アメリカ)と隣接す。此(こ)の地に據(よ)って守らば、自然八紘を威制するの勢(いきほ)ひ有らん。實に東北の衝要(ショウヨウ)にして、英雄必ず争ふの區(ところ)なり。此の地本邦北陲(ホクスイ)に在り、蝦夷千島と連(つらな)りて俄羅斯(オロシャ)新舊都を距(へだ)つこと遼(はるか)に數千萬里。本(もと)は我が屬夷(ゾクイ)なり。吾れ地形に晰(あきらか)ならず、遠畧(エンリャク)に務(つと)むるを知らず。彼に先に著鞭(チャクベン)せらる。百年前已(すで)に柬察加を奪ひ、之(これ)に據(よ)り呑噬(ドンゼイ)し宇留不(ウルップ)に抵(いた)る。隠然(インゼン)舐糠及米(シコウキュウマイ)の漸(きざし)有り。向使(もし)我邦蚤(つと)に北徼(ホクキョウ)に従事せば、則ち柬察加(カムチャッカ)、一鏃(イチゾク)も費(つひや)さずして下すべし。人を制するの勢を得て爲すを肯(がへん)ぜず、以て人に制せらるの弱きに馴致(じゅんち)す。洵(まことに)惜しむべきのみ。顧(かへりみ)て成事(セイジ)を説かず、既往を咎(とがめ)ず。今將(まさ)に之を奈何(いか)んせん。只當(ただまさ)に百倍奮勵(フンレイ)の心を以て之(これ)を守邊(シュヘン)に用(もち)ふべし。嚴(きび)しく備(そな)へ、砦堡(サイホ)を固(かた)め、敵に寡(カ)に乗ずべからざらしむのみ。是(これ)より先、俄羅斯(オロシャ)黒竜江北境を侵擾(シンジョウ)し、雅克薩(ヤクサ)を築城し、漸(やうや)く滿洲に逼(せま)る。清の聖祖師(シ)を興(おこ)し之(これ)を撃破し、碑を立て以て分界(ブンカイ)を表(あらは)す。黒竜江、北海を距(へだ)て尚(なほ)(とほ)し。然(しか)るに近海地、竺寒(ジクカン)層氷、棲(す)むべからず。其れ馬車商旅通るの地にて、江北數百里を過ぎず。且(まさ)に爾(その)時俄羅斯(オロシャ)、地を攘(はら)ひ始めて此(ここ)に至らんとす。未だ黒竜江東、尺寸(シャクスン)も有すること能はず。聖祖英主、威武方(まさ)に揚(あが)り、嚮(む)かふ所敵無し。俄羅斯(オロシャ)、邊(ほとり)を盗むの罪有り、慙惶(ザンコウ)(かね)て深し。果して聖祖羅叉(ロシア)の罪を聲(つ)げ使(し)む。其(そ)の兵力窮(きはま)り、地を畧すること、北海に極(きはま)りて止(や)む。西面に界碑を立て、以て俄羅斯(オロシャ)に和を許す。則ち迤東(イトウ)柬察加に極(きはま)ること、指麾(シキ)して定む。乃(すなは)ち征討甫(はじめ)て克(か)ち、遽(にはか)に和を以て事を藏(をさ)む。一媾の後、復(ま)た加ふるに干戈(カンカ)を以てすべからず。北境孔道(コウドウ)(たと)ひ其の東西馳奔(チホン)すれども問はず。竟(つひ)に使(も)し虜(えびす)、東北諸夷を兼并(ケンペイ)せしめば、其の地、清の東西界(さかひ)の外を包まん。噫亦(ああまた)(あやう)きかな。本邦及び清の俄羅斯(オロシャ)に於けるや、胥(とも)に経綸(ケイリン)の宜(よろし)きに乖(そむ)き、乗ずべきの機會を失ふ。歎惜(タンセキ)に勝(た)ふべきかな。

 

盡境(ジンキョウ)(さいはて) ・據守(キョシュ)(たてこもって守ること) ・自然(おのづから) ・(世界) ・威制(おどし抑えること) ・衝要(ショウヨウ)(守りのかなめ) ・北陲(ホクスイ)(北の辺境) ・新舊都 (モスクワとペテルスブルグ ロシアの新旧の都)・遠畧(エンリャク)(遠大な計画) ・著鞭(チャクベン)(着手すること) ・呑噬(ドンゼイ)(他国を侵略し領土を奪うこと) ・隠然(インゼン)(こっそりと) ・舐糠及米(シコウキュウマイ)(糠を舐めて米に及ぶ。糠を舐め尽くせば必ず米を食うに至る、次第次第に害が及ぶたとえ)・蚤(つと)に(早くから) ・北徼(ホクキョウ)(北の境界) ・一鏃(イチゾク)も費(つひや)さずして(少しの軍事支出も無く) ・馴致(じゅんち)(慣れさせること 慣れること)・顧(かへりみ)て成事(セイジ)を説かず、既往を咎(とがめ)ず(過去のことを後でどうのこうの言っても無益であるし、済んでしまったことを咎めても仕方がない)・守邊(シュヘン)(辺境の守り) ・砦堡(サイホ)(防塞) ・(カ)(少人数であること) ・黒竜江(アムール川)・侵擾(シンジョウ)(侵し乱すこと) ・雅克薩(ヤクサ)(アルバジン、黒竜江北岸のロシアの要塞) ・清の聖祖(康熙帝) ・師(シ)を興(おこ)し(軍隊を出し) ・竺寒(ジクカン)(厳寒) ・層氷(厚い氷) ・尺寸(シャクスン)(わずかな広さ) ・英主(優れた君主) ・威武(権威と武力) ・(ほとり)(国境) ・慙惶(ザンコウ)(恥じ恐れること) 聲罪(罪を世間に公表する)・迤東(イトウ)(これより東) ・指麾(シキ)(指揮) ・干戈(カンカ)(武力) ・孔道(コウドウ)(大道) ・馳奔(チホン)(駆け走ること) ・兼并(ケンペイ)(併合) ・経綸(ケイリン)の宜(よろし)き (適切な国家経営) ・歎惜(タンセキ)(歎き惜しむこと)

 

(現代語訳)

 カムチャッカはアジアの最果てにまで達しており、アメリカと隣接している。この地を拠点として守ればおのずから世界を威圧する勢いを有することになるだろう。実に東北の要衝で英雄が必ず取ろうと争う所である。この地はわが国の北の果てにあり、千島列島と連なって、ロシアの新旧の都、モスクワ、ペテルスブルグからは数千里離れている。

 もともとわが国の異民族のみがいた。我々は地形に詳しくなく、遠大な計画のために努力することも知らず、ロシアに先に手を付けられた。ロシアは百年前にすでにカムチャッカを奪い、ここを拠点として他国を侵略しウルップに至った。密かにじりじりと侵略するきざしが見える。もしわが国が早くから北の辺境に関わっていればカムチャッカは少しの犠牲もなく支配できていただろう。

 人を支配する力がありながらそれをせず、人に支配されることに慣れてしまう。まことに残念なことだ。過去の事を後でどうのこうの言っても無益だし、済んでしまったことを咎めても仕方がない。今まさにこれをどうするかだ。百倍奮い立ち、励む心をもって辺境の守備に用いるべきだ。厳しく備えて防塁を固め、敵から少人数であることにつけ込まれないようにするのだ。

 これより以前にロシアは黒竜江アムール川)の北部に進出しアルバジン城を築城し次第に滿洲に迫ってきた。清の康熙帝は軍隊を出してこれを撃破し碑を立てて国境を示した。黒竜江は北の海をへだててロシアからなお遠い。しかしロシアの近くの海は寒さが厳しく氷も厚く住めるところではない。黒竜江は馬車や行商が通る地で揚子江から数百里にすぎない。まさにその時ロシアは土地を開拓しここに来ようとしたが、黒竜江の東はわずかな土地すら有することはできなかった。康熙帝は優れた君主であり権威と武力を発揮し向かう所敵無しであった。ロシアは国境を侵害しておりこれを恐れ恥じることはかねてから深かった。ついに康熙帝はロシアの罪を世間に公表し、ロシアの兵力は窮乏し侵略は北の海で止まった。西面に国境の石碑を立ててそれでロシアに講和を許した。すなわちこれより東のロシアの領土はカムチャッカのみとすることを定めた。そこで清は征討にやっと勝ち、和議を結ぶことで事をおさめた。和議の後は再び武力を行使することはできなくなった。しかし北の国境の道はたとえその東西を走りまわっても問題にしないことになった。もしロシアが東北の諸民族を併合していったらその土地は清の東西の国境の外を包囲することになる。ああまた危いことだ。

 わが国と清はロシアに対する関係では共に適切な対策をしているとは言えず、乗ずべき機会も失っている。嘆かわしいことだ。

 

其十九(西洋の侵略はキリスト教ではなく西洋の風土・気質に基づく。儒学者が空理空論に溺れ武を忘れているのは大きな過ち)

泰西俗専以鬨闘呑噬務、世因以爲泰西教旨固自若此、然観其祅教之祖、甞爲世俗道、遵信者頗衆、既而爲暴人嫉、相與潜殺之、蓋亦一庸夫耳、彼之短智、七尺之躯、且不自保、豈有才畧足以経一ㇾ國、其呑併之術、亦未必祅教之所一ㇾ導也、泰西之大肆呑噬、纔昉於三百載前、伊斯把尼亜波爾杜瓦爾二國之先、有英豪之主出、専務遠征、攻亜墨利加亜細亜、大蠶食其地、嗣後泰西諸國、咸倣傚之、加之祅西風土寒冱、人情沈毅鷙忍、求力酬其所一ㇾ志已、未就、厥子厥孫、継而成之、如地富一ㇾ國、實性之所酷好、於是乎、呑併之擧、竟爲泰西風習邇者遂盡奪四大洲之地、獨餘亜細亜、而此洲又已侵削其邊隅島嶼、赫赫乎有括四海之勢、洵可畏、然非於祅祖之教也、吾孔聖之道、固亦有威奮武之教、乃學焉者、或泥空理而闊於物情、或専攻藝文、而不於武、以致聖教所被之國苶然不一ㇾ競、實末學之過也、泰西谿壑之欲、狼虎之心、常饞然思人國、固可悪、然吾不死力奇謀以挫其兇鋒、非夫也、尚何問其教之正與不正耶、但宣聖之道、藹然慈仁長厚、以己推一ㇾ人爲主、尚武之訓、自蘊乎其中、而不窺測、本邦中古有武道者、盛行乎世、可以振士気民俗、異日有聡哲出類之士出、必主孔聖之道而参、以本邦武道、斯爲善之教、以施於修内攘一ㇾ外、洵爲大裨、不予得存而睹此盛事乎否也、

 

(読み下し文)

泰西の俗(ならはし)専ら鬨闘(ゴウトウ)呑噬(ドンゼイ)を以て務(つとめ)と爲す。世、因(よっ)て以為(おもへらく)泰西の教旨固(もと)より自(おのづ)から此(かく)の若(ごと)しと。然(しか)れども其(そ)の祅教の祖を観るに、甞(かつ)て世俗の爲(ため)に道を説き、遵(したが)ふ信者頗(すこぶ)る衆(おほ)し。既にして暴人の嫉(ねた)む所と為り、相與(あいとも)に潜(ひそ)み之(これ)を殺す。蓋(けだ)し亦(また)一庸夫(ヨウフ)たるのみ。彼の短智(タンチ)、七尺の躯(からだ)、且(まさ)に自(みづか)ら保(たも)たざらん。豈(あに)才畧(サイリャク)國を経(をさ)むるを以てするに足るもの有りや。其の呑併(ドンペイ)の術、亦(また)未だ必ずしも祅教の導く所にあらざるなり。泰西の大ひに呑噬(ドンゼイ)を(ほしいまま)にするは三百載前より纔(わづ)かに昉(はじま)るなり。伊斯把尼亜(イスパニア)、波爾杜瓦爾(ポルトガル)二國之(これ)先ず、英豪(エイゴウ)の主(あるじ)出ること有りて、専ら遠征に務め、亜墨利加(アメリカ)亜細亜(アジア)洲を攻め、大ひに其の地を蠶食(サンショク)す。嗣後(シゴ)泰西諸國、咸(みな)(これ)を倣傚(ホウコウ)す。之(これ)に加ふるに、祅西の風土寒冱(カンゴ)、人情沈毅(チンキ)鷙忍(シニン)にして、力(つと)めて其の志(こころざ)す所を酬(かな)ふるを求むのみ。未だ就(な)すを克(よく)せざるも、厥(その)子厥(その)孫、継(つぎ)て之を成す。地を攘(はら)ひ國を富ますが如きは、實性(ジッショウ)酷好(コクコウ)する所なり。是(ここ)に於て呑併(ドンペイ)の擧(キョ)、竟(つひ)に泰西の風習と爲り、邇(ちかく)は遂に盡(ことごと)く四大洲の地を奪ふ。獨(ひと)亜細亜(アジア)洲のみ餘(あま)りて、此(こ)の洲又已(すで)に其の邊隅島嶼(ヘングウトウショ)を侵削(シンサク)す。赫赫(カクカク)たること、四海嚢括(ノウカツ)の勢い有り。洵(まこと)に畏(おそ)るべし。然(しか)れども祅祖の教へに本づくにはあらざるなり。吾が孔聖の道、固(もと)より亦(また)威を振り武を奮ふの教へ有れども、乃(すなは)ち焉(これ)を學ぶ者、或は空理に泥(なず)みて、物情に闊(うと)く、或は専ら藝文を攻めて武を閑(なら)はざれば、以て聖教の被(およ)ぶ所の國、苶然(デツゼン)として競(きそ)はざるに致(いた)る。實に末學(マツガク)の過(あやまち)なり。泰西の谿壑(ケイガク)の欲、狼虎(ロウコ)の心、常に饞然(サンゼン)と人國を奪はんと欲するを思ふは、固(もと)より悪(にく)むべし。然れども吾の死力を効(いた)し、奇謀に出れば、以て其の兇鋒を挫(くじ)く能(あた)はざること、夫(それ)非ざるなり。尚(なほ)何ぞ其の教への正と不正とを問ふや。但(ただ)宣聖(センセイ)の道、藹然(アイゼン)慈仁(ジジン)長厚(チョウコウ)、己(をのれ)を謙(ゆず)り人を推すを以て主(もと)と爲す。尚武の訓(をしへ)、自(おのづ)から其の中に蘊(かく)りて窺測(キソク)(やす)からず。本邦中古に武道者有り、世に盛行し、以て士気を振ひ民俗を強くすべし。異日(イジツ)聡哲(ソウテツ)出類(シュツルイ)の士出ること有らば、必ず孔聖の道を主(まも)りて参るべし。本邦武道を以て、斯(かか)る善を盡(つく)すの教へと爲し、以て内を修め外を攘(はら)ふを施(ほどこ)さば、洵(まこと)に大いに裨(たすけ)と爲る。予存(いきながらへ)て此の盛事を睹(み)ることを得るや否やを知らざるなり。

 

鬨闘(ゴウトウ)(戦闘) ・呑噬(ドンゼイ)(侵略) ・庸夫(ヨウフ)(普通の男) ・短智(タンチ)(浅い考え 浅知恵)・才畧(サイリャク)(知恵とはかりごと)・呑併(ドンペイ)(他国をのみこむこと)・英豪(エイゴウ)(すぐれた)・蠶食(サンショク)(蚕が桑の葉をたべるように侵略すること)・嗣後(シゴ)(以後) ・倣傚(ホウコウ)(まねること) ・寒冱(カンゴ)(凍るほど寒いこと)・沈毅(チンキ)(冷静) ・鷙忍(シニン)(猛々しくむごたらしいこと) ・地を攘(はら)ふ(土地を開拓する) ・實性(ジッショウ)(生まれつき)・酷好(コクコウ)(甚だ好むこと) ・邊隅島嶼(ヘングウトウショ)(周辺の島々) ・侵削(シンサク)(侵略) ・赫赫(カクカク)(目覚ましいこと) ・嚢括(ノウカツ)(すべてを包み込むこと) ・空理 (現実と懸け離れた役に立たない理論) ・泥(なず)む(まみれる とらわれる) ・物情(世の中の様子や人々の心) ・藝文(学問と芸術) ・攻む(研究する) ・苶然(デツゼン)(ぐったり疲れて) ・末學(マツガク)(未熟な学者) ・谿壑(ケイガク)の欲(深い谷に水が絶えないようにつきることのない欲 ・饞然(サンゼン)と(むさぼるように) ・宣聖(センセイ)(孔子) ・藹然(アイゼン)(気持ちが穏やかなこと) ・慈仁(ジジン)(情け深いこと) ・長厚(チョウコウ)(人情に厚いこと) ・窺測(キソク)(うかがい知ること) ・士気(武士の気風) ・民俗(民のならわし) ・聡哲出類の士(抜きんでて聡明な人) 

 

(現代語訳)

 西洋の習慣では専ら戦闘や侵略が義務と考えられている。このため世間の人が思うのは西洋の宗教の教えがもともとそのようなものだということである。しかしキリスト教の教祖を見てみると、かつては世俗のために道を説き、従う信者も非常に多かったが、やがて乱暴者が妬むようになり、お互いに潜伏してこれを殺した。おそらくは平凡な男にすぎないのだろう。彼の浅知恵と七尺の体とでは自らを守ることすらできなかったのに、なんで国を治めるに足るような知恵やはかりごとがあるものか。

 西洋の他国侵略の術は必ずしもキリスト教に導かれたものではない。西洋が大いに侵略をほしいままにするのはやっと三百年前から始まる。スペイン、ポルトガルの二国にまず優れた君主が出て、専ら遠征につとめ、アメリカ、アジアを攻めて大いにその地を侵略した。以後ヨーロッパ諸国はみなこれにならった。これに加えてヨーロッパの風土は凍るほど寒く、人の気質は冷静で猛々しく、むごく、努力してその志をかなえることを求める。それができなかった場合はその子、その孫が引き継いで成し遂げる。土地を開拓して国を豊かにするといったことは生まれつき非常に好むことである。そのため他国を併合することはついに西洋の風習となり、近年では四大洲の地をことごとく奪った。ただアジア洲だけが残っているがすでにその周辺の島々を侵略している。四つの海をすべて包み込むほどの勢いがあって、目覚ましいばかりだ。まことに恐るべきことだが、しかしこれはキリスト教の教えに基づいているのではない。

 我が孔子の道にも威力や武力を発揮する教えがあるが、これを学ぶ者はあるいは現実と懸け離れた空理空論にとらわれて実際の世の中の様子や人々の心に疎く、あるいは専ら学問と芸術の研究ばかりで武について習おうとしない。このため儒教の影響の及ぶ国はぐったり疲れて争わないようになっている。実に未熟な学者のあやまちである。

 西洋は次々起こる強い欲望と狼や虎のような心を持って、常に貪るように他国を奪おうと思っており、これは当然憎むべき事である。しかし我々が死力を尽くし奇抜な計略を実行すれば、その狂暴な刃先をへし折ることができないなどということはありえない。それなのになぜ孔子の教えが正しいか正しくないかを問うのか。

 孔子の道は気持ちを穏やかに、仁愛や人情に厚く、自分はへり下り他人を立てることを根本としている。武をたっとぶ教えはその中に包み隠されていてうかがい知ることが容易ではない。わが国の中世には武道者がいて、世の中で盛んに武士の気風を発揮し民のならわしを強くすることができた。将来抜きんでて聡明な人が出てくれば必ず孔子の道を尊ぶだろう。そしてわが国の武道を善を尽くす教えと考えて、国内を治め外敵を斥けることを行えばまことに大いに助けとなるだろう。私がそれまで生きながらえてこれを見ることができるかどうかはわからないが。

 

其二十(近代の城郭では壮麗な櫓や高殿は火砲の標的となるだけ。火攻めに強い構造にすべき)

本邦従少海寇、故立國以海寇必無、而定之制者居多、如城堡、往往瀕海爲之、楼堞之輪奐、塁壁之嵬峩、臨滄海而雄聳、用供観美則可耳、迄目今敵専用巨炮大舶之日、則秪爲彼質的、危不言也、顧王公定都、以漕運通利商旅輻輳緊要、明清不江左關中而都北京、國勢富強、俄羅斯去莫斯可烏而都伯多琭蒲爾古、國勢益振、本邦諸矦亦多都城於海濱、而開富庶之基、故卜都當近海之地臨江之域、但不海而営焉、其可也、又本邦築城之制、敵楼譙門之屬過多、近代大煩諸火器盛行、則此等之設、反供焚焼之資、當革成法、別創渾堅完密之制、以防火攻、邇者有無名氏三銃用法論、辨此弊頗詳確、可以参看、顧築城國之大典、當出於在上者之獨斷、非下人所得而議、且其爲費不貲即天下之富、亦非易易興一ㇾ工、但常存斯意、他日板築之次、以漸改作、斯可於病國殃一ㇾ民矣、

 

(読み下し文)

本邦海寇少なきに従(よ)り故(もと)より國を立て、以て海寇必ず無き所と爲して、之(この)(つくり)を定むる者多きに居る。城堡(ジョウホ)を築くが如きは往往海に瀕(ヒン)して之(これ)を爲す。楼堞(ロウチョウ)の輪奐(リンカン)、塁壁(ルイヘキ)の嵬峩(ガイガ)嶻(サツガツ)、滄海(ソウカイ)に臨みて雄しく聳え、用ゐるに観美(カンビ)に供するを則ち可とするのみ。目今(モッコン)敵、専ら巨炮大舶を用ゐるの日に迄(いた)りて則ち秪(ただ)彼の質的(シツテキ)と爲るのみ。危きこと言ふべくもあらざるなり。顧(かへりみ)て、王公(オウコウ)都を定め、漕運通利(ソウウンツウリ)商旅輻輳(ショウリョフクソウ)を以て緊要(キンヨウ)と爲す。明清、江左(コウサ)關中(カンチュウ)に居らずして北京に都(みやこ)し國勢富強なり。俄羅斯(オロシャ)、莫斯可烏(モスクワ)を去りて伯多琭蒲爾古(ペテルブルグ)に都(みやこ)し國勢益(ますます)(ふる)ふ。本邦諸矦、亦(また)都城(トジョウ)を海濱(カイヒン)に築き、富庶(フショ)の基(もとゐ)を開く者多し。故に都を卜(ボク)するに當(まさ)に近海の地、臨江の域に於(な)さんとす。但(ただ)し海に枕(のぞ)みて営(つく)らざるか、其れ可(よしとする)なり。又、本邦築城の制(つくり)敵楼(テキロウ)譙門(ショウモン)の屬(たぐひ)多きに過ぐ。近代、大熕(ダイコウ)諸火器盛行す。則ち此等の設(まうけ)、反(かへっ)て焚焼(フンショウ)の資(たすけ)に供す。當(まさ)に成法(セイホウ)を痛革(ツウカク)し、別(とりわけ)渾堅(コンケン)完密(カンミツ)の制(つくり)を創(はじ)め、以て火攻を防ぐべし。邇(ちかく)は、三銃用法論を著(あらは)し、此(この)弊を辨ずること頗(すこぶ)る詳確(ショウカク)なる無名の氏※1有り。以て参看(サンカン)すべし。顧(かへりみ)て、築城は國の大典なり。當(まさ)に上に在る者の獨斷に出るべくして、下人の得て議(はか)る所にあらず。且(かつ)其の費(つひえ)を爲さんとせば、貲(はか)られず。即ち天下の富、亦(また)易易(イイ)工を興(おこ)すべきに非ず。但し常に斯(この)意存(あ)れば、他日板築(ハンチク)の次(ついで)に、漸(やうや)く以て改作せん。斯(これ)國を病(なや)ませ、民に殃(わざはひ)するに至らざるべきなり。

 

多きに居る(おほきにをる)大部分を占める ・楼堞(ロウチョウ) 物見やぐらと城上のひめがき ・輪奐(リンカン) 建築物の壮大美麗なこと ・塁壁(ルイヘキ) とりでの壁、城壁 ・嵬峩(ガイガ) 高く聳え立つこと ・嶻(サツガツ) 山のように高いこと ・滄海(ソウカイ) 大うなばら ・観美(カンビ) 表面をかざること 外見だけの美 ・目今(モッコン) 現在 ・質的(シツテキ) 弓のまと、標的 ・漕運通利(ソウウンツウリ) 水上輸送がうまくゆくこと ・商旅輻輳(ショウリョフクソウ) 商人と旅人が四方八方から集まること ・緊要(キンヨウ) 重要 ・江左(コウサ) 長江下流南岸の地 ・關中(カンチュウ) 現在の陝西省。秦の都咸陽や隨・唐の都長安があった ・都(みやこ)す 首都を建設する ・都城(トジョウ) 城郭をめぐらした都市 ・富庶(フショ) 国が富み人民が多いこと ・都を卜(ボク)する 都の地を選び決める ・敵楼(テキロウ) 城のやぐら ・譙門(ショウモン) 城門の上に建てた高殿 ・大熕(ダイコウ) 大砲 ・設(まうけ) 設備  ・成法(セイホウ) 定められたおきて 成文法 ・痛革(ツウカク)きびしくあらためること ・渾堅(コンケン) 包括的でしっかりしていること ・完密(カンミツ) 緻密で手抜かりがないこと・詳確(ショウカク) 詳しく確かなこと 参看(サンカン) 参照 ・大典 重要な行事  ・不貲(はかられず)数えきれないほど多額である ・易易(イイ) やすやすと ・他日 将来のいつか ・板築(ハンチク) 土木工事 ・(ついで) 機会 

※1 無名の氏 江戸後期の経世家佐藤信淵[1769―1850] のこと。

 

(現代語訳)

 わが国は海からの侵略が少なかったことから、もともと国を立てるときに海からの侵略はあるはずがないと考えてこの構造を定めた者が大部分を占める。城や砦を築くような場合はともすれば海に面してこれを行ない、物見やぐらやひめがきは壮大美麗であり、城壁は山のように高く大海原に向かって雄々しく聳え立っている。しかしこれは外見を飾るのに役立っているに過ぎない。

 現在では敵は大砲や巨艦を使っているのに、こうした城壁は彼らの標的になるだけだ。危いことは言うまでもない。顧みれば、王や諸侯は都を定めるのに水上輸送や商業、交通を重用と考えた。明や清は江左や關中ではなく北京を都として国勢は盛んであった。ロシアはモスクワを去ってペテルスブルグを都にして国勢はますます盛んになった。わが国の大名は城や町を海浜に築いて繁栄の基礎とした者が多い。都の地を定めるには海や河に近いところにすべきであろう。ただし海に臨んで造らないのがよい。

 わが国の城郭の構造はやぐらや高殿の類が多すぎる。近代では大砲や火器が盛んになっているのに、これらの設備はかえって火攻めを促進することになっている。これまでの制度を厳しく改め、しっかりした緻密で手抜かりのない構造にして火攻めを防ぐべきだ。近年「三銃用法論」でこの弊害を詳しく書いた無名の氏がいるので、参照されたい。

 考えてみれば築城は国の重大事で、上にある人の独断にかかっており、下人が決められることではない。またそのための出費は極めて多額なのでやすやすと着工できるものではない。ただし常にこうした意識があれば将来の土木工事の機会に次第に改造していくことになるだろう。こうすれば国を悩ませ民に災いするようなことには至らないだろう。

 

其二十一(日本人の外国への無知振りは全くひどい)

今日上自大吏、下至猥賤小臣、其於外國情形、類昧然不辨識、此非必自安於黭陋、亦以朝廷甞拒絶北夷與通、故宿習錮蔽至此也、惟其外國之地理政體彊弱治忽、未甞夢睹、是以亡庸妄人發無稽之論、雖二ㇾ爲今代杰俊、其謀國謀師、動失其當、不或也已、文化丙寅丁卯、羅刹之寇北陲也、人情頗洶洶焉、有所ㇾ識一士人、亦自洞曉物情、語人曰、吾聞俄羅斯來寇、以我絶互市肯予上ㇾ米也、其言云、吾不敢有于求、苟得米二万苞上ㇾ惠、則上従将軍下洎大夫士、得以果腹、不然咸顑頷而死矣、聴者確信不疑、良堪一囅、伊人以本邦泰西、謂亦皆有大将軍、代帝者國、視邦人専食米以活、謂外夷亦非此不啗、陋謬乃至此、耶律徳光謂晋臣曰、中國事、我皆知之、吾國事、汝曹不知也、明馬世奇論北虜曰、彼之情形、在我如濃霧、而我之情形、在彼如列炬、今邦人昧於虜情、殆如徳光世奇所一ㇾ誚、欲區畫之無乖刺得乎

 

(読み下し文)

今日、上は大吏より、下は猥賤(ワイセン)の小臣に至るまで、其の外國情形に於て、類(みな)昧然(マイゼン)辨識(ベンシキ)すること能(あた)はず。此(これ)必ずしも自(おのづ)から黭陋(アンロウ)に安(やすん)ずるにあらず、亦(また)朝廷甞(かつ)て北夷を拒絶し通(かよひ)を與(あた)へざるを以てなり。故(ゆゑ)に宿習(シュクシュウ)錮蔽(コヘイ)(ここ)に至るなり。惟(ただ)其の外國の地理、政體、彊弱(キョウジャク)、治忽(チコツ)、未だ甞(かつ)て夢に睹(み)ず。是以(これゆゑ)庸妄人(ヨウモウジン)の無稽(ムケイ)の論を發(おこ)すは亡論(ムロン)のこと、今代(コンダイ)の杰俊(ケッシュン)爲りと號(ゴウ)する者と雖(いへど)も、其の國を謀(はか)り師(シ)を謀(はか)るに、動(やや)もすれば其(その)(トウ)を失するに不或(フワク)なるのみ。文化丙寅丁卯、羅刹(ラセツ)の北陲(ホクスイ)に寇(あだ)するや人情頗(すこぶ)る洶洶(キョウキョウ)なり。識(し)る所有る一士人、亦(また)(みづか)ら物情(ブツジョウ)を洞曉(ドウギョウ)し人に語りて曰く、「吾、俄羅斯(オロシャ)來寇(ライコウ)を聞く。我、互市(ゴシ)を絶ち、米を予(あた)ふるを肯(がへん)ぜざるを以てするや、其の言に云はく、『吾敢て求むるに過ぐること有らず。苟(いやしく)も米二万苞(ヒョウ)を以て惠まるるを得ば、則ち上は将軍従(よ)り、下は大夫士に洎(およ)ぶまで、以て果腹(カフク)を得べし。然(しか)らざれば咸(みな)顑頷(カンガン)にて死すべし』」と。聴者確信して疑はず。良(まこと)に一囅(イッテン)に堪(た)ふ。伊人(このひと)本邦を以て泰西を律す。謂(いは)く「亦(また)皆大将軍を有し、帝者に代り國を治む」と。邦人専ら米を食ひ以て活(い)くるを視(み)れば、謂(いは)く「外夷亦此れに非ざれば啗(くら)はず」と。陋謬(ロウビュウ)(すなは)ち此(ここ)に至る。耶律徳光(ヤリツトクコウ)晋臣に謂(い)ひて曰く、「中國の事、我皆之(これ)を知る。吾國の事、汝曹(なんじともがら)知らざるなり」と。明の馬世奇北虜を論じて曰く、「彼の情形、我に在りては濃霧の如し、而(しか)して我の情形、彼に在りては列炬(レッキョ)の如し」と。今邦人、虜情(リョジョウ)に昧(くら)く、殆(ほとん)ど徳光、世奇の誚(せめ)る所の如し。區畫(クカク)の乖刺(カイラツ)無きを欲すれど得るや。

猥賤(ワイセン)の小臣(身分の低い家臣) ・情形(事情) ・昧然(マイゼン)(暗い) ・黭陋(アンロウ) (不明で賤しい状態) ・通(かよ)ひを與(あた)へず(行き来を許さない) ・宿習(シュクシュウ)(前世からの風習 因襲)錮蔽(コヘイ)(悪い癖) ・彊弱(キョウジャク)(強弱) ・治忽(チコツ)(治まっているか乱れているか) ・庸妄人(ヨウモウジン)(愚人) ・亡論(ムロン)(無論、勿論)・無稽(ムケイ)(根拠の無いでたらめな ・今代(コンダイ)(現代) ・杰俊(ケッシュン)(傑出して優れた人物) ・國を謀(はか)り師(シ)を謀(はか)る(その国や軍隊を考える) ・動(やや)もすれば(とかく) ・不或(フワク)(疑っていない) ・文化丙寅丁卯(文化三年・四年 1806~7年 この年露寇事件が発生した。これは長崎に通商を求めて来航したレザノフに対し幕府が冷淡に拒絶したことへの報復として、レザノフが部下に命じて北方の日本の拠点を攻撃させた事件。文化三年には樺太を、四年には択捉島を攻撃した。圧倒的な火力の前に日本側は全面撤退し、指揮官であった戸田又太夫が責任をとり自害した。これにより国内は騒然となった)・羅刹(ラセツ) (ロシアのこと) ・北陲(ホクスイ)(北の国境) ・寇(あだ)する(侵犯する) ・洶洶(キョウキョウ)(騒然としている) ・物情(ブツジョウ)(世間の様子) ・洞曉(ドウギョウ)(見通すこと) ・果腹(カフク)を得る (満腹になる) ・顑頷(カンガン)(飢えて顔が黄色くなること) ・一囅(イッテン)(大笑い) ・堪(た)ふ (値する) ・陋謬(ロウビュウ)(見識が狭く認識が誤っていること) ・耶律徳光(ヤリツトクコウ)(遼の第二代皇帝) ・明の馬世奇(明末期の政治家) ・北虜(北方の異民族) ・列炬(レッキョ)(列をなすかがり火) ・虜情(リョジョウ)(敵の情勢) ・乖刺(カイラツ)(そむきもとること そむきせめること) 

 

(現代語訳)

 今日、上は高官より下は身分の低い家臣に至るまで皆外国の事情に暗くよく認識していない。これは自然にこんな状態になったのではなく、幕府がかつてロシアを拒絶し往来を許さなかったためである。これにより因習や悪癖がここまでに至ってしまった。外国の地理、政体、強弱、治まっているのか乱れているのか、未だ曾て夢にすら見たことがない。このため愚人が根拠の無いでたらめを言い出すのは勿論のこと、自分で現代の傑物であると豪語している人ですら、その国や軍隊を考えるのにとかく誤りがちであるのに、ただそれを疑っていないだけだ。

 文化三~四年にロシアが北の国境を侵犯すると世情は騒然となった。知識のある人が事情を見通して人に言うには「私はロシアの襲来を聞いた。我々がロシアに貿易も米を与えることも断ったので、彼らはこう言った『私たちは決して過大な要求をしているのではありません。もし米二万苞を恵んでもらえば上は将軍から下は家臣に及ぶまで満腹にすることができます。そうでなければ皆飢えて顔が黄色くなって死んでしまうでしょう』」と。聞いている人もこれを固く信じて疑わなかった。全く大笑いだ。この人は日本を基準として西洋のことを考えている。だからこんなことを言う「どこの国にも皆大将軍がいて、帝に代わって国を治めている」と。日本人が米を食べて生活しているのを見てまたこんなことを言う「外国人もまた米以外は食べない」と。見識の狭さや認識の誤りがこれほどまでに至っている。

 遼の第二代皇帝の耶律徳光は晋の家臣にこんなことを言った「中国のことは我々遼の人間は皆知っている。遼のことはお前たち中国人は知らないだろう」。明末期の政治家である馬世奇は北方の異民族を論じてこんなことを言った「先方の情勢は当方から見れば濃霧のようにぼんやりしてわからない。しかし当方の情勢は先方から見れば列をなすかがり火のように明瞭である」。今の日本人は敵の情勢に暗く、ほとんど耶律徳光や馬世奇が批判した当時の中国と同じようなものである。

 

其二十二(ペルー、メキシコは驕りでは国を滅ぼした。中国の驕りは大きな欠点で日本もその悪影響を免れていない)

人之過悪、莫驕、士庶人驕則不腰領、大夫驕則喪ㇾ位隕ㇾ禄、天子諸矦驕則國家臲不寧、世未甞有驕而不禍者、而在有土之君、其害爲更烈、自矜己國之富庶昌熾、任情肆意、専圖娯適、自是已所一ㇾ爲不小悛改、不復思上ㇾ他邦之長、於是乎奢傲日長而不制、諐尤月積而不少悟、固其宜也、如孛露墨是可、緜地数千里、帯甲百万、稱爲彊大靡一ㇾ比、惟其自以爲他邦莫能逮、縦恣怠佚、不復以政化武備上ㇾ意、竟爲泰西所呑滅、覆轍可懼也、支那亦爲宇内最大之邦、然其驕矜亶是大疵、観於其痛斥外國、不歯爲一ㇾ人、評本邦政俗、極其矯誣、而灼然矣、本邦風習之懿、万万度支那、惟中古以還、與支那交通、故驕之一失、未少爲一ㇾ汗染、不痛悛也、

 

(読み下し文)

人の過悪(カアク)、驕りより大なるは莫(な)し。士庶人(シショジン)驕れば、則ち腰領(ヨウリョウ)を保たず。大夫驕れば、則ち位を喪(うしな)ひ禄を隕(おと)す。天子諸矦驕れば、則ち國家臲卼(ゲツゴツ)として寧(やす)からず。世に未だ甞て驕りて禍(わざはひ)を招かざる者有らず。而(しこう)して有土の君在れば其(その)害更に烈(はげし)く爲る。自(みづか)ら己の國の富庶昌熾(フショショウシ)を矜(ほこ)り、情に任せ意を肆(ほしいまま)にし、専ら娯適(ゴテキ)を圖り、自(みづか)ら己の爲す所を是(ゼ)とし少しも悛改(シュンカイ)せず、復(ま)た他邦の長(チョウ)を採るを思はず。是(ここ)に於て奢傲(シャゴウ)日に長じて制(おさ)ふること能(あた)はず。諐尤(ケンケン)月に積りて少しも悟らず。固(もと)より其(それ)(むべ)なり。孛露(ペルー)、墨是可(メキシコ)の如し、緜地(メンチ)数千里、帯甲(タイコウ)百万、彊大(キョウダイ)にして比ぶるもの靡(な)き爲りと稱す。惟(ただ)其(それ)自(みづか)ら以て他邦能(よ)く逮(およ)ばざると爲すのみ。縦恣(ジョウシ)怠佚(タイイツ)として、復(ま)た政化(セイカ)武備(ブビ)を以て意と爲さず。竟(つひ)に泰西の呑滅(ドンメツ)する所と爲る。覆轍(フクテツ)(おそ)るべきなり。支那(また)宇内(ウダイ)最大の邦爲り。然(しか)るに其(その)驕矜(キョウキョウ)(まこと)に是(これ)大疵(ダイシ)なり。其(その)外國を痛斥(ツウセキ)し、人と爲りを歯(シ)せず、本邦政俗を評するに其(その)矯誣(キョウブ)を極むるを観(み)れば、灼然(シャクゼン)たり。本邦風習の懿(イ)、万万(バンバン)支那に度越(ドエツ)す。惟(おも)ふに中古以還(イカン)支那と交通す。故(ゆゑ)に驕りの一失、未だ少なくとも汙染(オセン)する所と爲るを免れず。痛悛(ツウシュン)せざるべからざるなり。

過悪(カアク)(あやまち) ・士庶人(シショジン)(武士と庶民) ・腰領(ヨウリョウ)を保つ(腰と首を保つ、腰斬、斬首の刑を免れ命を保つこと) ・大夫(官位を有する者) ・臲卼(ゲツゴツ)(危ういこと) ・有土の君(国土を持つ君主) ・富庶昌熾(フショショウシ)(国が富み人口も多く栄えていること) ・娯適(ゴテキ)(楽しみ満足すること) ・悛改(シュンカイ)(過ちを悔い改めること) ・長(チョウ) (優れた点) ・奢傲(シャゴウ)(おごり) ・日(ひ)に長(チョウ)じて(毎日のように大きくなり) ・諐尤(ケンケン)(あやまち、つみ、とが) ・月に積りて(毎月のように積り) ・宜(むべ)(もっともなこと) ・緜地(メンチ)(長く続いた土地) ・帯甲(タイコウ)(よろいを着た兵士) ・縦恣(ジョウシ)(勝手気まま) ・怠佚(タイイツ)(怠惰でのんびりしている) ・政化(セイカ)(政治と教化) ・覆轍(フクテツ) (わだちを踏む、先人の失敗を繰り返すこと) ・宇内(世界) ・驕矜(キョウキョウ)(おごり) ・大疵(ダイシ)(大きな欠点) ・痛斥(ツウセキ)(強く排斥すること) ・歯(シ)す(評価する) ・矯誣(キョウブ)(事実を捻じ曲げること) ・灼然(シャクゼン)(明らか) ・(イ)(うるわしいこと) ・万万(バンバン)(十分に) ・度越(ドエツ)(まさる 優越する)  ・中古以還(イカン)(中世以来)・一失(わずかな失敗) ・汙染(オセン)(よごれる) ・痛悛(ツウシュン)(厳しく悔い改めること)

 

(現代語訳)

 人のあやまちのうち驕りより大きいものはない。武士や庶民の驕りは命を保てない。官位を有する者の驕りは位や俸禄を失う。天子や大名の驕りは国家を危うくする。世の中で未だかつて驕ってわざわいを招かなかった者はいない。そしてそれが領土を持つ君主であればその害は更にはげしくなる。自分の国の繁栄を誇り、感情に任せて好き勝手にし、ただ楽しみ満足することだけをしようとして自分の行いを少しも悔い改めず、また他国の長所を採用することも思わない。こうして驕りが毎日のように大きくなりおさえることができなくなる。あやまちが毎月のように積っても少しも気づかない。それは当然なことである。

 ペルーやメキシコなどの国は長く続いた土地が数千里あり、武装兵士が百万人あり、強大で比べるものがないと自称していた。ただそれは自分で他国がかなわないだろうと考えていただけのことだった。勝手気ままでのんびりして、政治や教化、軍備について意にかけず、ついに西洋に滅ぼされることになった。先人の失敗を教訓として繰り返さないことが重要である。

 中国は世界最大の国だがその驕りがまことに大きな欠点である。外国を強く排斥し、その人となりを評価しないし、わが国の政治や風俗を評価するのに事実を極めて捻じ曲げているのを見てもそれは明らかである。わが国の風習はうるわしく、十分に中国にまさっている。思うに中世以降中国を交流してきたため、わずかでも中国の驕りの悪影響を免れていない。厳しく悔い改めなければならない。

 

其二十三(蘭学者は西洋を崇拝する余り民心を委縮させ、兵学者は士気を鼓舞するが外国事情を全く知らない。両者の長所を取り短所は捨てたい)

今之張蘭学者、専推崇泰西國勢之強、兵鋒之勇鋭、戦艦火器之精巧、而務卑視己邦、以爲迥在下風、則世之兵家者流、又謔之曰、軍之勝敗、全決乎気、我嚴吾武備、毅然自守以待敵、方可其勝、今徒擧虜人之長、令人心朒然退縮、未戦而敗兆現矣、之二者胥有見、而鈞流於偏焉、夫蘭学者邦俗勇鷙之風以圖自強、而徒侈言泰西之盛、以挫屈士気、固爲失策、若乃兵家者流、絶不外國情形、欲直以威武、必多逆施倒行以僨事者、皆未國之宜也、洞敵之長、察敵之短、知悉敵之狡謀、嚴我防備、無少滲漏、上下一志、不絲髪孱怯之心、則庶乎其可

 

(読み下し文)

今の蘭学を張主する者、専ら泰西の國勢の強きこと、兵鋒の勇鋭(ユウエイ)なること、戦艦火器の精巧なることを推崇(スイスウ)し、務(つと)めて己の邦を卑視(ヒシ)し、以て迥(はるか)下風に在りと爲す。則ち世の兵家者流、又之(これ)を謔咲(ギャクショウ)して曰く「軍の勝敗、全て気より決す。我、吾(わが)武備を嚴(いま)しめ、毅然(キゼン)として自守(ジシュ)し以て敵を待ち、方(まさ)に其(その)(かち)を望むべし。今、徒(いたづら)に虜人の長を擧(あ)げば、人心を朒然(ジクゼン)退縮(タイシュク)せしむべし。未だ戦はずして敗るる兆(きざし)現はるるなり」と。之(この)二者胥(みな)見る所有り。而(しか)して偏(かたよ)るに於て鈞(ひと)しき流れなり。夫れ蘭学者、邦俗勇鷙(ユウシ)の風を鼓(コ)して以って自強を圖(はか)るを思はず。而(しか)して徒(いたづら)に泰西の盛(さかん)なるを侈言(シゲン)し、以て士気を挫屈(ザクツ)す。固(もと)より失策爲り。若乃(もしすははち)兵家者流、絶へて外國情形を諳(そらん)ぜず、直ちに威武(イブ)を以て之(これ)を讋伏(ショウフク)せんと欲し、必ず逆施倒行(ギャクシトウコウ)し以て事を僨(やぶ)る者多し。皆未だ國を謀(はか)るの宜(よろしき)を得ざるなり。敵の長を洞(みとほ)し、敵の短を察し、悉(ことごと)く敵の狡謀(コウボウ)を知り、我が防備を嚴しくし少しの滲漏(シンロウ)も無く、上下一志、絲髪孱怯(シハツサンキョウ)の心を萌(きざ)さず。則ち其の可(よきこと)を庶(こひねが)ふ。

張主(主張) ・勇鋭(ユウエイ)(勇ましく強い) ・推崇(スイスウ)(あがめる 尊敬する) ・兵家者流 (兵法家の学派) ・謔咲(ギャクショウ)(ふざけ笑う) ・虜人の長(外国人の優れた点) 擧(あ)ぐ(ほめる) ・朒然(ジクゼン)(縮こまって) ・退縮(タイシュク)(畏縮) ・邦俗勇鷙(ユウシ)の風(我が国の勇ましく荒々しい気風) ・鼓(コ)す(鼓舞する) ・自強(自ら努め励むこと) ・侈言(シゲン)(大言壮語) ・挫屈(ザクツ)(挫いて勢いをなくす) 。固(もと)より(もちろん) ・若乃(もしすははち)(ところで、一方) ・諳(そらん)ず(十分に理解する) ・威武(イブ)(権威と武力) ・讋伏(ショウフク)(服従させる) ・逆施倒行(ギャクシトウコウ)(道理にかなった正当の手段をとらないで、ことをなすこと。横紙やぶり)・事を僨(やぶ)る(失敗する) ・國を謀(はか)る(国の政治を考える) ・宜(よろしき)を得(適切である) ・狡謀(コウボウ)(ずるい計略) ・滲漏(シンロウ)(もれ) ・絲髪孱怯(シハツサンキョウ)の心 (わずかなことにもびくびく怯える心) ・(よきこと)(美点 長所)

 

(現代語訳)

今の蘭学を主張する者は専ら西洋の国勢の強いこと、軍の勇ましく強いこと、戦艦や火器の精巧であることをあがめ、自分の国を卑下し西洋にはるかに劣ると考えている。そこで世の兵法家の学派はこれを笑って言うには「軍の勝敗はすべて気によって決まる。我々は武備を整え毅然として自分の力で守り敵を待ち受ければ勝利をのぞむことができる。むやみに外国人の長所をほめれば人心を委縮させ、戦う前から敗れる兆候が現れてしまう」と。

 この二者はそれぞれ見るべき所はある。しかし共に偏っていることでは同じである。蘭学者はわが国の勇ましく荒々しい気風を鼓舞して自ら勉め励むようにすることを考えず、やたらに西洋の盛んなことを言い立てて士気を挫いてしまう。これはもちろん失策である。一方で兵法家の学派は全く外国の事情を理解せず、直ちに権威と武力でこれを服従させようとし、必ず道理にかなった正当の手段をとらずに失敗する者が多い。どちらも国の政治の適切な方法を考えているとは言い難い。

 敵の長所を見通し、敵の短所を見つけ、敵の狡猾な計略を知り尽くし、わが国の防備を厳重にして少しの漏れも無くして、上下志を一つにして、わずかなことにも怯えるような心がなくなる。つまり両者の長所をこいねがうものである。

 

其二四(外交交渉・艦船新造も重要だが、寛永以前の勇敢な気風こそが国防の基本)

寛永中長崎縣令末次平蔵所遣商舶、爲明蘭所侮辱、悉掠其貨、平蔵憤甚、募濱田彌兵衛兄弟臺灣、陽恭順喎蘭頭目驟發不意、以白刃之、殺傷其従卒、質其愛子而皈、伊須把尼亜甞殺本邦海賈、槍奪資財、大猷大君聞之震怒、潜命島原矦往討、于時関西諸侯大發舟師、囲虜舶、就中島原候冐死力攻、従卒数百、爲敵大煩所一ㇾ打、血肉韲粉舞空中而不少惴、勇威益厲、遂屠其舶、爾時士風猛於虎貔、即斯二擧、洸洸烈烈、足以暢皇家之威而寒夷賊之心膽、此所謂折衝乎樽俎者、良可欽尚也、今更造船艦、講肆水戦、固爲至要務、而振作士気、使寛永而前之勇鷙、又爲之基本、不忽也、

 

(読み下し文)

寛永中、長崎縣令末次平蔵遣(つかは)す所の商舶、明(ミン)(ラン)の侮辱し悉(ことごと)く其(その)貨を掠(かす)む所と爲る。平蔵の憤(いきどほ)り甚(はななだ)しく、濱田彌兵衛兄弟を募(つの)り臺灣(タイワン)に往き、恭順を陽(いつは)り喎(よこしま)なる蘭の頭目に謁(まみ)え驟(にはか)に發(うご)き、不意に白刃(ハクジン)を以て之(これ)を刧(おびやか)し、其(その)従卒を殺傷し、其(その)愛子を質として皈(かへ)る。伊須把尼亜(イスパニア)甞て本邦海賈(カイコ)を殺し、資財を槍奪(ソウダツ)す。大猷大君之(これ)を聞き震怒(シンド)し、潜(ひそ)かに島原矦に往討(オウトウ)を命ず。時に関西諸侯大ひに舟師を發(つかは)し、虜舶(リョハク)を囲む。就中(なかんずく)島原候死を冐(をか)し力攻(リキコウ)し、従卒数百敵を大熕(ダイコウ)の打つ所と爲し、血肉韲粉(セイフン)し空中に舞ひても、少しも惴(うれへおそれ)ず。勇威(ユウイ)(ますます)(はげし)く、遂(つひ)に其(その)(おほぶね)を屠(ほふ)る。爾時(このとき)士風虎貔(コヒ)より猛(たけ)し。即ち斯(この)二擧、洸洸(コウコウ)烈烈(レツレツ)以て皇家の威を暢(の)べて夷賊(イゾク)の心膽(シンタン)を寒からしむるに足る。此の所謂(いはゆる)樽俎折衝(ソンソセッショウ)は、良(まこと)に欽尚(キンショウ)すべきなり。今、船艦を更造し、水戦を講肆(コウシ)するは固(もと)より至(いたっ)て要務(ヨウム)爲り。而(しか)して士気を振作(シンサク)し、寛永より前の勇鷙(ユウシ)に返さしむ。又之(これ)を基本と爲し、忽(ゆるが)せにすべからざるなり。

末次平蔵 [?―1630] 江戸前期の長崎代官、朱印船貿易家。博多 の豪商末次氏の一族で、名は政直。父興善  は1571年(元亀2)長崎開港後同地に移り、私費を投じて興善町を開き、貿易により富をなした。その子平蔵政直も貿易に従事し、幕府から朱印状を得て、商船を呂宋 (ルソン) 、暹羅 (シャム) 、台湾、交趾 (コーチ) 、東京 (トンキン) など各地に派遣した。その船を末次船と称し、1634四年(寛永11)交趾から帰航した同船の絵馬が長崎の清水寺に献納されている。平蔵は1619年(元和5)長崎代官村山等安 (とうあん) と争い、その私曲を幕府に訴えてこれにかわって代官に任ぜられ、市政や貿易上に大きな力を振るった。その後彼の朱印船が台湾に渡り、オランダ側よりしばしば妨害を受けたため、1628年(寛永5)彼の持ち船の船長浜田弥兵衛 (やひょうえ) らは、台湾長官ヌイツにより抑留されたが、逆にこれを制圧、ヌイツに迫り和して長崎に戻った。平蔵の上申と工作により、幕府はオランダ人の貿易を差し止めた。この紛争は1630年5月平蔵の病死と1632年ヌイツの日本引き渡しにより解決した。その子平蔵茂房 (しげふさ) はむしろオランダ人との貿易に積極的に参加している。のち1676年(延宝4)正月、孫の平蔵茂朝 (しげとも) のとき召使いのカンボジア密貿易が発覚、一族すべて処罰された。(日本大百科全書

 

長崎縣令(長崎代官) ・明(ミン)蘭(ラン)(中国、オランダ) ・海賈(カイコ)(海上で活動する商人) ・槍奪(ソウダツ)(奪う、掠奪する)・大猷大君徳川家光) ・震怒(シンド)(激しく怒ること) ・往討(オウトウ)(出向いて討伐すること)・舟師(海軍) ・虜舶(リョハク)(敵の大型船) ・大熕(タイコウ)(大砲) ・韲粉(セイフン)(粉みじんになる) ・虎貔(コヒ)(虎やヒョウ) ・二擧(二つの行動) ・洸洸(コウコウ)(勇ましく) ・烈烈(レツレツ)(激しく)・樽俎折衝(ソンソセッショウ)(宴会のなごやかな談笑のうちに交渉を有利に進めること) ・欽尚(キンショウ)(尊ぶ) ・更造(造り直す) ・講肆(コウシ)(講習) ・要務(ヨウム)(重要な任務)・振作(シンサク)(ふるいたたせる) ・勇鷙(ユウシ)(勇ましく猛々しいこと) 

 

(現代語訳)

 寛永年間に長崎代官の末次平蔵が派遣した商船が中国、オランダから侮辱され、ことごとくその貨物を奪い取られた。平蔵は非常に憤り、濱田彌兵衛兄弟と共に台湾に往き、おとなしく従うとみせかけて邪悪なオランダの長官に会うと、にわかに動き不意に白刃でこれをおびやかし、その家来を殺傷し、その子供を人質として帰国した。

 スペインはかつて海上で活動するわが国の商人を殺し財産を掠奪した。家光公はこれを聞き激怒し、ひそかに島原侯に討伐を命じた。この時関西の諸大名は大々的に海軍を出し、敵の大型船を囲んだ。とりわけ島原侯は死をかえりみず力攻めし、これに従う兵士数百人は敵を大砲で打ち、血や肉が粉微塵になって空中に舞っても少しも恐れず、ますます勇ましく激しく戦い遂にその船を撃沈した。この時の武士の気風は虎やヒョウよりも猛々しかった。

 この2つの事件は勇ましく、皇室の権威を広め外国人の肝を冷やすのに十分なものであった。宴会のなごやかな談笑のうちに交渉を有利に進めることはまことに尊ぶべき事であり、また船艦を新造し海戦の訓練を行うことももちろん重要である。しかし武士の勇気を奮い立たせ寛永年間以前の勇ましく猛々しい気風に返ることこそが基本でありおろそかにすべきではない。

 

其二十五(外国船出没の都度あわてて出兵しているようでは国が疲弊する)

今瀕海之地、有西舶揚颿而過、則遽爾惶擾、發兵警備、隣近諸侯、急出援師以奔赴、未鋒鏑、而卒徒之勞、餽運之費、國己不其困矣、夫沿海兵備極單弱、海寇奄至、其諰諰兇懼也宜、然忽忙遣軍餽糧、既不事、而先自疲憊、計之綦拙者也、兵之爲物、無定形、聚散勝敗、決於俄頃、勢阻地不便、則咫尺相救、矧近者數里、遠者十里、或數十里乎、故自古良將務勞敵之佚者、使之困于奔命、龐涓解邯鄲之圍、疾馳従齊師、大爲孫臏所一ㇾ敗、曹操荊州之威、星夜奔騖、南攻江東、遂致烏林之衂、皆犯此失也、今當整海防、盛設火器利兵、以警不虞、武備周匝之後、自當静以待敵、應變制上ㇾ宜、列矦及守土之吏、各愼守統轄之地、不必虜至而駭遽奔命、万一聞虜圍堡寨之報、當電赴薙獮、務要使國至于疲耗、此禦狄之要道也、

 

(読み下し文)

今、瀕海(ヒンカイ)の地に西舶(サイハク)の颿(ハン)を揚げて過ぐるもの有れば、則ち、遽爾(キョジ)惶擾(コウジョウ)し、兵を發(つかは)し警備し、隣近諸侯急ぎ援師(エンシ)を出し以て奔赴(ホンプ)せば、未だ鋒鏑(ホウテキ)に接するに及ばざるに、卒徒(ソツト)の勞(つかれ)、餽運(キウン)の費(つひえ)、國已(すで)に其の困(とぼし)きに堪へざるなり。夫(そ)れ沿海の兵備極めて單弱(タンジャク)にして海寇(カイコウ)奄至(エンジ)せば、其の諰諰兇懼(シシキョウク)するや宜(むべ)なり。。然(しか)るに忽忙(コツボウ)軍を遣(つか)はし糧を餽(おく)れど既に事に及ばざるに、先ず自(みづか)ら疲憊(ヒハイ)するは計(はかりごと)の綦(きはめ)て拙(つたな)き者なり。兵の物を爲すに定形無く、聚散(シュウサン)勝敗、俄頃(ガケイ)に決す。勢阻(セイソ)の地、不便なれば則ち咫尺(シセキ)なれど相救ふこと能はず。矧(いはん)や近くは數里、遠くは十里、或(あるひ)は數十里をや。故に古(いにしへ)より良將務(つとめ)て敵の佚者(イッシャ)を勞(いたは)り、之(その)奔命(ホンメイ)に困(くるし)むを使ふ。龐涓(ホウケン)邯鄲(カンタン)の圍(かこみ)を解き、疾馳(しつち)し齊師(セイシ)を従(お)ひ、大いに孫臏(ソンピン)に敗る所と爲る。曹操荊州を平(たひ)らぐの威に乗じ、星夜奔騖(ホンブ)し、南に江東を攻め、遂に烏林(ウリン)の衂(ジク)に致る。皆此の失(あやまち)を犯すなり。今當(まさ)に海防を修整(シュウセイ)し、火器利兵(リヘイ)を盛設(セイセツ)し、以て不虞(フグ)に警(そな)ふべし。武備周匝(シュウソウ)の後、自(おのづ)から當(まさ)に静かに以て敵を待ち、變に應じ宜しく制すべし。列矦及び守土の吏(リ)、各(おのおの)(つつし)み統轄の地を守り、必ずしも虜(てき)至りて駭遽(ガイキョ)奔命(ホンメイ)せず。万一虜(てき)、堡寨(ホウサイ)を圍(かこ)むの報を聞かば、當(まさ)に電赴(デンプ)薙獮(テイセン)すべし。務(つと)めて國を疲耗(ヒコウ)に至らしめざるを要す。此れ狄(テキ)を禦(ふせ)ぐの要道なり。

 

(もし) ・瀕海(ヒンカイ)(臨海) ・西舶(サイハク)(西洋の大型船) ・(ハン)(帆) ・遽爾(キョジ)(にわかに) ・惶擾(コウジョウ)(おそれさわぐこと)・援師(エンシ)(援軍) ・奔赴(ホンプ)(急ぎ赴くこと)・鋒鏑(ホウテキ)(武器) ・卒徒(ソツト)(兵卒) ・餽運(キウン)(食物の運搬) ・單弱(タンジャク)(孤立して弱い) ・奄至(エンジ)(急に来ること) ・諰諰兇懼(シシキョウク)(おそれおののくこと) ・忽忙(コツボウ)(にわかに) ・疲憊(ヒハイ)(疲れ果てること) ・俄頃(ガケイ)(短時間) ・勢阻(セイソ)(地勢の険しいこと) 咫尺(シセキ)(わずかな距離) ・佚者(イツシャ)(逃亡者) ・命(ホンメイ)(主君の命をうけて奔走すること) ・龐涓(ホウケン)(戦国戦国時代の魏の将軍) ・邯鄲(カンタン)(趙の首都) ・疾馳(しつち)(疾走)齊師(セイシ)(斉軍) ・従(お)ふ(追撃する) ・孫臏(ソンピン)(斉の軍師) ・奔騖(ホンブ)(疾走すること) ・烏林(ウリン)の衂(ジク)赤壁・烏林の戦いでの敗戦) ・利兵(リヘイ)(鋭利な武器) ・不虞(フグ)(思いがけない出来事) ・周匝(シュウソウ)(周到 すみずみまでゆきわたっていること) ・駭遽(ガイキョ)(おどろきあわてる)・堡寨(ホウサイ)(砦) ・電赴(デンプ)(急行すること) ・薙獮(テイセン)(討伐) ・疲耗(ヒコウ)(窮乏) 

 

(現代語訳)

 もし臨海の地に西洋の大型船が帆をあげて通り過ぎるたびに、あわてておそれ騒ぎ兵を出して警備し、近隣の諸大名が急いで援軍を出して急行するようなことになれば、未だ交戦もしていないのに兵士は疲れ、食料運搬の費用がかさんで国はその負担に耐えられなくなるだろう。現在の沿岸の警備は極めて孤立して弱いので急に海賊が来れば恐れおののくのは無理もない。しかしあわただしく軍を派遣し食料を運搬して、交戦する前からすでに自分で疲れ果てるのは、戦術としてはきわめて拙いものである。戦争には定形は無く勝敗は短時間に決する。地勢の険しい地は不便なのでわずかな距離であっても救援ができない。ましてや近くは数里離れた所、遠くは十里、数十里も離れたところではなおさらである。

 これゆえ昔から優れた将は努めて敵の逃亡者をいたわり、主君の命令を受けて奔走して苦しんでいる者を使う。魏の将軍龐涓は邯鄲の包囲を解いて斉軍を追撃したが、長距離の無理な行軍で兵士は疲弊し、斉の軍師孫臏に大敗した(注1)曹操荊州を平定した勢いに乗じて日夜疾走して南下し江東を攻めたが、軍は疫病により疲弊しており、遂に赤壁・烏林の戦いでの敗戦に至ってしまった(注2)。皆この失敗の犯すのだ。

 今はまさに海防を整備し火器や武器を増設して不慮の事態に備えるべきだ。武備が整った後は静かに敵を待ち、異変に応じて適宜に制圧すべきだ。諸侯や防衛担当の官吏は各々慎重に担当地域を守り、敵が来ても必ずしもあわてて奔走しないことだ。万一砦を囲んだとの報告が聞いたなら、その時は急行し討伐すべきだ。努めて国を疲弊させないことが重要だ。これは敵を防ぐ要点である。

 

(注1) 魏が趙の都邯鄲を攻めたので趙は同盟国の斉の救援を求めた。斉王は田忌と孫臏に軍を率いさせ救援に向かわせた。孫臏は魏の精鋭部隊が趙を攻め、魏本国には弱小老兵が残っているだけだと気づき、邯鄲には向かわず、魏の都大梁を攻めた。この攻撃により食料の輸送を止められた魏軍の将龐涓は邯鄲の包囲を解き大梁に急行し、桂陵で潜伏していた斉軍と決戦となった。魏軍は長期の国外戦に加え長距離の急速行軍による疲弊から大敗し龐涓は捕虜となった。(桂陵の戦い)

(注2)河北を平定した曹操は大軍を率いて南下し孫権劉備連合軍と対決するが、疫病により疲弊していた曹操軍は赤壁、烏林の戦いで大敗し敗走した。

 

其二十六(今日の民衆はキリスト教に誑かされない、西洋諸国も侵略はキリスト教ではなく武力を使う)

室町之將季、薄海雲擾、殺人如乱麻、世絶不名教倫理之爲一ㇾ重、故永禄中一向宗之乱、灼灼三河巨室名閥、甘心去君而従賊、可慨也、後来寛永年間、干戈雖戢、而大道未甚明、故愚氓猶翕然遵邪教、遂馴致島原之乱、今日士気、較寛永、夐爾不逮、而其忠君報国之忱、不但倍蓰之、今日藉令一向之徒、甘言重賄、百方誑誘、数千萬麾下士、吾保其必無一人幡然従賊者、即祅教輩巧於惑一ㇾ人、施於今日之民、則知其必阻閡不一ㇾ行也、近代泰西呑噬隣邦、大都以兵、不教、蓋國俗之極蠢愚者、已爲彼所一ㇾ并、其存者智思闢、兵備嚴、非異教熒惑而取也、然則今日欲泰西之患、其緩急後先之序、亦可以一覧而瞭如矣、

 

(読み下し文)

室町の將(まさ)に季(すゑ)ならんとするに、薄海雲擾(ハクカイウンジョウ)人を殺すこと乱麻の如し。世、絶へて名教倫理の重きを爲すを知らず。故(ゆゑ)に永禄中、一向宗の乱、灼灼(シャクシャク)たる三河の巨室名閥、甘心(カンシン)君を去りて賊に従ふ。慨(なげ)くべきなり。後来(ホウライ)寛永年間、干戈(カンカ)戢(をさ)むと雖(いへど)も、大道未だ甚(はなは)だ明らかならず。故(ゆゑ)に愚氓(グモウ)猶ほ翕然(キュウゼン)邪教を遵信(ジュンシン)し遂に島原の乱に馴致(ジュンチ)す。今日士気、之(これ)寛永前と較ぶるに、夐(はるか)に逮(およ)ばず。而(しか)して其(その)忠君報国の忱(まこと)、但(ただ)(これ)の倍蓰(バイシ)のみならず。今日藉令(たとひ)一向の徒、甘言重賄(ジュウワイ)にて百方を誑誘(キョウユウ)すとも、数千萬麾下(キカ)士、吾(われ)其の必ず一人も幡然(ハンゼン)賊に従ふ者無きを保たん。即ち祅教の輩(やから)人を惑はすの巧(たく)みを今日の民に施さば、則ち其(それ)を必ず阻(はば)み閡(とざ)し、行なふを得ざるを知るなり。近代、泰西隣邦を呑噬(ドンゼイ)するに、大都(タイト)兵を以てし、教を以てせず。蓋(けだ)し國俗(コクゾク)(これ)極めて蠢愚(シュング)なれば、已(すで)に彼の并(あは)す所と爲らん。其(その)(たも)つ者は、智思(チシ)を闢(ひら)き、兵備嚴しく、異教を以て熒惑(ケイワク)して取るべきに非ざるなり。然(しか)らば則ち今日泰西の患(わづら)ひを防(ふせ)がんと欲さば、其の緩急後先の序(ついで)、亦以て一覧して瞭如(リョウジョ)たるべし。

 

薄海雲擾(ハクカイウンジョウ)(天下が雲のように乱れ) ・名教儒教) ・灼灼(シャクシャク)たる(輝かしい) ・巨室(先祖代々主君に仕えてきた権力有る家柄) ・名閥(名門) ・甘心(カンシン)(心のままに) ・後来(コウライ)(その後) ・干戈(カンカ)(戦乱) ・愚氓(グモウ)(愚民) ・翕然(キュウゼン)(そろって) ・ 遵信(ジュンシン)(従い信じる) 馴致(ジュンチ)(自然にそうなる) ・(まこと)(まごころ、誠意) ・倍蓰(バイシ)(数倍) ・重賄(ジュウワイ)(多くの賄賂) ・誑誘(キョウユウ)(たぶらかすこと) ・幡然(ハンゼン)(あっさりと) ・大都(たいと)(すべて) ・國俗(コクゾク)(一国の風俗・習慣) ・蠢愚(シュング)(おろか) ・并(あは)す(併呑する) ・智思(チシ)(知恵) ・熒惑(ケイワク)(惑わすこと) ・瞭如(リョウジョ)(明確)

 

(現代語訳)

 室町時代の末期には天下が雲のように乱れ、人を殺すことも乱れた麻を切るように簡単に行われた。世の中は儒教倫理の重要なことを知らなかった。このため永禄年間の一向一揆では輝かしい三河の名門の家柄の家臣が心のままに家康公のもとを去って賊に従った。嘆かわしいことである。その後、寛永年間には戦乱は止んだとはいえ未だに秩序が確立しておらず、愚民はなおそろってキリスト教を信じ遂に島原の乱に至った。

 今日の武士の気風を寛永前と比べるとはるかに劣る。しかし逆に忠君報国のまごころは数倍どころではない。今日ではたとえ一向宗徒が甘い言葉や賄賂で様々に人々をたぶらかしても、私の思うには一人も賊に従うことはないだろう。だからキリスト教の連中はたくみに勧誘したところで今日の民は必ずそれを拒否するので、布教は不可能であることを知ることになるだろう。

 近代では西洋諸国は隣国を侵略するのにすべて兵力で行い、宗教では行っていない。それはおそらく一国の風俗・習慣が極めて愚かなものであれば既に西洋に併呑されているはずで、独立を保っていればそれは知恵があり軍備が厳しくキリスト教で人を惑わして取れるような国ではないということである。だから今日西洋諸国からの侵略を防ごうと思うなら、その対策の優先順序は一見して明らかである。

 

其二十七(煩わしい法令・儀礼は改め、防衛問題に集中すべし)

吾観本邦立政之體、百餘年来、儀節絛例、類多繁密、百司群吏、如斯之夥、而役役於期會賬簿、智思困精神憊、無復餘力経紀他事、可歎、此不獨升平悠久之醸一ㇾ弊、別自有由兆焉、本邦自古絶不外夷天正慶長之際、甞稍交通、無幾痛禁絶、至鎖国之称、是以政法禮文、大率自局於我一國、不慮及一ㇾ遠、如遐方諸夷之事、概抛之度外、固其宜也、今也外寇之防禦、邇在目前、務莫乎此、智士思其籌、勇夫圖其力、上之人當痛祛縟文、無牽制、使智勇之士得各逞其所一ㇾ長焉、夫治國尚易簡、法網之煩、儀文之密、本非哲王所一ㇾ取、然絶無外懼、猶可以因循度一ㇾ年、如今日有禦寇大事、則不滌除也、

 

(読み下し文)

吾、本邦立政の體を観(み)るに、百餘年来、儀節(ギセツ)條例(ジョウレイ)の類(たぐひ)、繁密(ハンミツ)なるもの多し。百司群吏(ヒャウシグンリ)、斯(か)くの如く之(これ)(おほ)けれど、期會賬簿に役役(エキエキ)として、智思(チシ)(くるし)み、精神憊(つか)る。復(ま)た餘力にて他事を経紀(ケイキ)することも無し。歎くべし。此れ獨(た)だ升平悠久(ショウヘイユウキュウ)(これ)弊を醸(かも)すのみならず、別(とりわけ)(みづか)ら兆(はじまり)の所由(ショユウ)有り。本邦古(いにしへ)より絶へて外夷に接せず。天正慶長の際、甞て稍(やや)交通し、幾(いくばく)も無く痛く禁絶し鎖国の称(とな)へ有るに至る。是以(これゆゑ)政法禮文、大率(おほむね)(おのづ)から我一國に局(かぎ)り、慮(おもんぱかり)遠くに及ぼすこと能(あた)はず。遐方(カホウ)を撫(み)る、諸夷(ショイ)を馭(ギョ)すの事の如し概(おほむ)ね之(これ)を度外に抛(なげう)つ。固(もと)より其れ宜(むべ)なり。今や外寇の防禦、邇(ちか)く目前に在り、務(つと)めは此れより急なるは莫(な)し。智士、其の籌(はかりごと)を運ぶを思ひ、勇夫、其の力を效(き)かすことを圖(はか)る。上の人當(まさ)に痛く縟文(ジョクブン)を祛(はら)ひ、牽制する所無く智勇の士に各(おのおの)其の長とする所を逞(たくま)しく得せしむべし。夫れ國を治むるに易簡(イカン)を尚(たっと)ぶ。法網の煩(ハン)、儀文の密(ミツ)、本(もと)より哲王の取る所に非ず。然れば絶へて外懼(ガイク)無くば猶(なほ)因循(インジュン)を以て年を度(わた)るを可(よし)とすれども、今日の如く禦寇(ギョコウ)の大事有れば則ち滌除(テキジョ)に力(つと)めざるを得ざるなり。

儀節(ギセツ)(礼儀) ・條例(ジョウレイ)(箇条書きにした法令・規則) ・繁密(ハンミツ)(細かく煩わしい)・百司群吏(ヒャウシグンリ)(多くの役人) ・期會賬簿(会計帳簿) ・役役(エキエキ)(苦心している) ・智思(チシ)(考え、思考、知恵) ・困(くるし)む(行き詰まる) ・経紀(ケイキ)(運営) ・升平悠久(ショウヘイユウキュウ)(平和な世の中が長く続いたこと) ・弊を醸(かも)す(弊害を発生させる) ・所由(ショユウ)(理由、根拠) ・政法禮文(政治、法律、制度、学問) ・遐方(カホウ)(遠方の国)  ・諸夷(ショイ)(諸外国) ・縟文(ジョクブン)(繁文縟礼 こまごまして煩わしい規則や礼儀作法)    ・法網(法律の網) ・儀文(儀式の作法) ・外懼(ガイク)(外国に対するおそれ) ・因循(インジュン)(昔からの習慣にしたがって改めないこと) ・禦寇(ギョコウ)(敵の侵入を防ぐこと)・滌除(テキジョ)(洗い除くこと) 

 

(現代語訳)

 わが国の政治の有様を見ると、百数年以来礼儀や法令、規則のたぐいで細かく煩わしいものが多い。役人もこのように多いけれど会計帳簿に苦心している。思考は行き詰まり精神は疲れ果てている。もう余力で他の事を運営することもできない。嘆かわしいことだ。このような弊害はただ平和な世の中が長く続いたことによるだけではなく、特にそれ自体に始まりの理由がある。わが国は古来外国と接してこなかった。天正・慶長の頃はやや外交があったが、やがて全く禁止して鎖国を称えるようになった。このため当然政治、法律、制度、学問、おおむねわが国一国に限られ、遠方のことを考えることができなくなった。遠方の国を見たり諸外国を支配するといったことはほとんど考慮の外に投げ捨てた。これは無理もないことである。

 今や外敵の防禦の必要は目前に迫っており、これほど急を要することはない。知恵のある者は計画を実現することを考え、勇者はその力を生かそうとする。上にある者は細かく煩わしい規則や作法を廃止し、知恵や勇気のある者が支障なくその得意とする所を発揮できるようにすべきだ。国の政治は簡明なことが重要で、法律の網の煩わしいことや儀式の作法が細かいことは本来賢明な王の採るところではない。だから外国からの侵略のおそれが全くないのであればなお昔からの習慣に従ってやり方を改めないでもよいだろうが、今日は外国への防禦という重要問題があるのだからこうしたことを洗い除くことに努めざるを得ない。

 

其二十八(財政再建すれば艦船銃砲製造は可能)

今日度支告匱之時、而忽唱大艦巨炮之説、固吏司之所圜視而駭也、雖然以天下之綦大、而財用常苦継、此必有由而非偶爾也、軍國之費出、過多無節歟、後宮之奉、或踰越古制歟、海内財貨、偏萃於商賈僧徒歟、物價任其騰踊、而莫之抑歟、上下衣被食飲室屋之制、流於侈麗歟、凡此數事有一、皆足以傷財虐一ㇾ民、而有司掌利権者、昧入爲出之道、實爲病根、是國家之匱於財、實區畫失宜之所致也、襲今之陋習、無今之弊、借令不大艦巨炮、而累數十年、財之乏匱、滋甚耳、夫大艦巨銃、今日至要之器、非此不以捍一ㇾ國、以天下之力、而窘於乏一ㇾ財、不國家必需之器、殆所謂國非其國者也、今處枢要者、苦於艦銃之費、國力不一ㇾ供、穆乎深思、愾然發憤、知下國家浪費不省、不以自強、又不上以具海防之器、省軍國之費、減後宮用度、禁商賈僧徒大貯一ㇾ金、遏百物之價踊貴者、衣食屋宅、皆有常制、使上下咸不之者疾用之者舒之意、則綱維粛整、百度悉擧、國何憂富、其於制艦銃、何難之有、是一轉念之際、而内修之本、外攘之備、粲然並擧、可勖哉、昔周宣承汾王走亡之餘、又遭亢旱之禍、黎民靡孑遺、衛文立於狄人冞入懿公敗死之後、國力困乏、兵車纔三十乗、而二君厲志圖治、痛剔蠹弊、竟致治效彰灼儲畜有一ㇾ餘、近代諸侯國計乏絶、加以水旱相仍、極難於措畫、而奮然釐正、無幾資儲衍裕、庶政丕新者匪一、顧人主勵精如何耳、天下寧有爲之時耶、今大國之君、與幕府姻者多患貧、詢諸有司、則曰、公主費用、國難供、夫公主服飾贈遺、其費固不尟、然一歳所需、類不萬餘金、以堂堂雄藩、而僅僅萬餘金、奚至於病一ㇾ國乎、彼苟不積弊、雖幕府、結一ㇾ婚、而烏免乎貧、若其痛加綜理整頓、國可以立富、何憂一公主之難供給、此亦改造大炮巨鑑之類也、故併論之、

 

(読み下し文)

(まさ)に今日度支(タクシ)(とぼし)きを告ぐべき時にして、忽(たちま)ち大艦巨炮を造るの説を唱へば、固(もと)より吏司(リシ)の圜視(カンシ)して駭(おどろ)く所なり。然(しか)りと雖(いへども)天下之(これ)(きは)めて大なるを以て、財用(ザイヨウ)常に継ぎ難きに苦しむ。此れ必ず所由(ショユウ)有りて、偶(たまたま)にあらざるなり。軍國の費出、過多にして節無きか。後宮の奉(まかなひ)、或(あるい)は古制を踰越(ユエツ)するか。海内(カイダイ)の財貨、偏(ひとへ)に商賈(ショウコ)僧徒に萃(あつま)るか。物價(ブッカ)其の騰踊(トウヨウ)に任せて之(これ)を抑(おさ)ふる莫(な)きか。上下衣被(イヒ)食飲室屋の制(さだめ)、侈麗(シレイ)に流るるか。凡(およ)そ此の數事の一つ有らば、皆以て財を傷つけ民を虐(しへた)ぐるに足る。而(しか)して有司利権を掌(つかさ)どる者、入るを量(はか)り出るを爲すの道に昧(くら)く、實(ジツ)に病根(びょうこん)爲り。是れ國家の財に匱(とぼ)しく、實に區畫(クカク)の宜(よろ)しきを失ふの致す所なり。今の陋習を襲ひ今の弊を革(あらた)めざれば、借令(たとひ)大艦巨炮を造らざれども、數十年を累(かさぬ)れば、財の乏匱(ボウキ)、滋(ますます)(はなはだ)しかるのみ。夫れ大艦巨銃、今日至要(シヨウ)の器にして、此れ非ざれば以て國を捍(ふせ)ぐべからず。天下の力を以てしても財の乏しきに窘(くる)しみ、國家必需の器を造ること能(あた)はざれば、殆(ほとん)ど所謂(いはゆる)國にして其れ國に非ざる者なり。今、枢要(スウヨウ)を處(ショ)する者、艦銃の費(つひえ)に國力供せざるに苦しみ、穆(まこと)に深く思ひ、愾然(ガイゼン)(いきどほり)を發(おこ)す。國家浪費を省(はぶ)かざれば以て自強(ジキョウ)すべからざるを、又以て海防の器を具(そな)ふべからざるを知る。軍國の費(つひえ)を省(はぶ)き、後宮の用度を減節し、商賈(ショウコ)僧徒大ひに金を貯(た)むるを禁じ、百物の價(あたひ)踊貴(ヨウキ)するを遏(とど)むれば、衣食屋宅、皆常制(ジョウセイ)有らん。使(もし)上下咸(みな)、之(これ)を爲す者(こと)、疾く之(これ)を用(もち)ふる者(こと)、之を舒(の)ばす意を失はざらしめば、則ち綱維(コウイ)粛整(シュクセイ)百度(ヒャクド)(ことごと)く擧(あが)るべし。國何ぞ富まざるを憂ふ。其の艦銃を改制するに於いて何の難(かた)きこと之(これ)有らん。是れ一轉して之を念(おも)ふ際、内は修めの本(もと)、外は攘(はら)ひの備(そなへ)、粲然(サンゼン)並擧(ヘイキョ)(つとめ)めざるを可(よし)とするや。昔、周の宣、汾王走亡の餘(あまり)を承(う)く。又亢旱(コウカン)の禍(わざはひ)に遭(あ)ふ。黎民(レイミン)孑遺(ケツイ)を靡(つく)す。衛文狄人(テキジン)(ますます)入り懿公(イコウ)敗死の後に立つ。國力困乏(コンボウ)し、兵車纔(わずか)に三十乗。而(しか)して二君志(こころざし)を厲(はげま)し治むるを圖(はか)り、蠹弊(トヘイ)を痛剔(ツウテキ)す。竟(つひ)に治效(チコウ)灼(ショウシャク)にして、儲畜(チョチク)餘り有るに致る。近代諸侯國計(コッケイ)乏絶(ボウゼツ)、加ふるに水旱(スイカン)相仍(あいよ)るを以て、極めて措畫(ソカク)に難(かた)し。而(しか)して奮然(フンゼン)釐正(リセイ)せば、幾(いくばく)も無く、資儲(シチョ)衍裕(エンユウ)たらん。庶政(ショセイ)(おほい)に新らたなるは一に匪(あら)ず。顧(かへりみ)れば人主(ジンシュ)の勵精(レイセイ)如何(いかん)のみ。天下寧(いづくん)ぞ爲すべからざるの時有るや。今大國の君、幕府と姻を連(つら)ぬる者多くは貧(ヒン)を患(わづら)ふ。諸有司に詢(と)へば則ち曰く「公主の費用、國供(そな)ふべきこと難(かた)し」と。夫れ公主服飾の贈遺、其の費(つひえ)(もと)より尟(すくな)しと爲(な)さず。然(しか)れば一歳需(もとむ)る所なれば、類(おほむね)萬餘金を散ずるに過ぎず。堂堂たる雄藩を以て、僅僅(キンキン)萬餘金にて奚(いず)くんぞ國病(やまひ)に至らんか。彼苟(いや)しくも積弊を祛(はら)ふ能はざれば、幕府と婚を結ばざると雖(いへど)も、烏(いず)くんぞ貧を免れんや。若し其れ痛く綜理整頓を加ふれば、國以て立ち、富むべし。何ぞ一公主の供給し難きを憂ふや。此れ亦大炮巨鑑改造の類(たぐひ)なり。故に併せて之を論ず。

 

度支(タクシ)(国家の支出を担当する役所) ・吏司(リシ)(役人) ・圜視(カンシ)(目を丸くする) ・財用(ザイヨウ)(財貨の運用) ・所由(ショユウ)(理由) ・軍国(軍事と国政)・海内(カイダイ)(天下) ・商賈(ショウコ)(商人) ・騰踊(トウヨウ)(上がること) ・衣被(イヒ)(衣服) ・侈麗(シレイ)(贅沢で美しいこと) ・利権(財政をつかさどる官) ・區畫(クカク)の宜(よろ)しき(適切な財政規律) ・襲ふ(踏襲する) ・乏匱(ボウキ)(とぼしいこと) ・枢要(スウヨウ)(重要な事柄) ・國力(コクリョク)(国の財力) ・愾然(ガイゼン)(嘆息して) ・自強(ジキョウ)(自ら努め励むこと) ・踊貴(ヨウキ)(急騰すること) ・常制(ジョウセイ)(一定のきまり) ・舒(の)ばす(広げる) ・綱維(コウイ)(国家の法令、おきて) ・粛整(シュクセイ)(ととのうこと) ・百度(ヒャクド)悉(ことごと)く擧(あが)る(緒制度が善く行われる) ・粲然(サンゼン)(明瞭に) ・(ヘイキョ)(こぞって、みな) ・周の宣(宣王、周王朝の中興の祖) ・汾王(宣王の父、政権を奪われ出奔し死亡) ・亢旱(コウカン)(ひでり) ・黎民(レイミン)(人民) ・孑遺(ケツイ)(わずかに残っているもの) ・衛文(衛の文公) ・懿公(イコウ)(衛の王 文公の兄) ・蠹弊(トヘイ)(国をむしばむ悪習) ・痛剔(ツウテキ)(厳しく取り除く) ・治效(チコウ)(治療の効果) ・彰灼(ショウシャク)(明らか) ・儲畜(チョチク)(たくわえ) ・國計(コッケイ)(国家財政) ・乏絶(ボウゼツ)(不足がち) ・水旱(スイカン)(水害とひでり) ・措畫(ソカク)(対処) ・奮然(フンゼン)(心を奮い立たせて) ・釐正(リセイ)(改め正す) ・資儲(シチョ)(財産)  ・衍裕(エンユウ)(豊か) ・庶政(ショセイ)丕(おほい)に新(あらた)なり(様々な政事の面目が一新される) ・人主(ジンシュ)(君主) ・勵精(レイセイ)(心を励まして努めること) ・姻を連(つら)ぬる(婚姻により親戚となる) ・諸有司(諸役人) ・公主(諸侯の娘) ・僅僅(キンキン)(わずか)     ・綜理整頓(全体を管理しきちんと整えること) 

 

(現代語訳)

 まさに今は国家の支出を担当する役所が財政が窮乏していることを告げるべき時なのに、突然大鑑巨砲を造るべきとの説を唱えれば、当然役人は目を丸くして驚く。しかしながら天下は極めて大きいため、財政は常に維持し難いことに苦しんでいる。これには必ず理由があって偶然ではない。軍事と国政の支出が過多で節度がないか、後宮の出費が昔の制度を越えてるか、天下の財貨が商人や僧に偏在しているか、物価が上昇するにまかせてこれを抑制していないか、上の身分の者も下の身分の者も衣服、飲食、家屋が贅沢に流れているか、これらのうち一つでもあれば財政を傷つけ民を苦しめるに足る。 しかし財政をつかさどる役人は収入を計算して支出する方法に習熟しておらず、これが病根になっている。このため国家が貧しく適切な財政規律を失うに至っている。

 今の古い習慣を踏襲して弊害を改めなければ、たとえ大鑑や巨砲を造らなくても数十年たてば財政の乏しいことはますますひどくなるだけだ。大鑑や巨砲は現在必ず必要な道具であり、これが無ければ国を守ることができない。天下の力を使っても財政の乏しさに苦しんで国家に必要な道具を作ることができないのでは、殆どいわゆる国にして国に非ざるものだ。今重要事項を切り盛りする者は艦船や銃砲の費用に国の財力が使えないことに苦しみ、まことに深く思い嘆息して憤り、国家の浪費をなくさなければ自ら勉め励むことも、海防の道具を備えることもできないことを知っている。軍事や国政の費用を節約し、後宮の物品を減らし、商人や僧が大いに金を貯めるのを禁止し、物価の急騰を抑制すれば、衣食や家屋に一定の規律ができてくるだろう。もし上も下も皆こうしたことを行い、早急に用い、広げる意識を失わなければ、規律が整い諸制度がことごとく善く行われるようになるだろう。何で国が富まないなどと憂うことがあろうか。艦船や銃砲を作り変えることに何の困難があろうか。逆に考えれば、内政の根本と防衛の準備と両方とも明らかに努力しないなどということで良いのか。

 昔周の宣王は父の汾王が出奔して死亡した後を継いだが、日照りの災害にあい、人民はわずかに残ったものを食べ尽くしてしまった。衛の文公は敵が侵入して文公の兄の懿公が敗死した後即位したが、国力は疲弊し兵車はわずか三十しかなかった。しかし二君とも志をはげまして国を治め、国をむしばむ悪習を取り除いた。ついに治療の効果は明らかになり蓄えが余りあるようになった。

 近ごろは諸大名の財政は不足がちで、加えて水害と日照りもあり極めて対処が難しい。しかし心を奮い立たせて改革すれば、まもなく財政は豊かになるだろう。様々なまつりごとの面目が一新されるのは一回だけのことではないのだ。顧みれば君主が心を励まして努めるかどうかだけだ。天下に何でそれができない時があろうか。現在大藩の藩主でも幕府と婚姻により親戚となった者の多くは貧乏を患っている。諸役人に尋ねると次のように言う「大名の娘の費用を出すことが難しい」と。大名の娘の衣服や装身具を贈ることやその費用はもともと少なくはないが、それが必要とされるのは一年間でおおむね萬余金に過ぎない。堂々たる雄藩であるのに何でわずか萬余金の支出で国が病に至るのか。もし長年の弊害を除去することができないのであれば、幕府と婚姻を結ばなくても、何で貧しくなるのを免れることができようか。もし厳しく全体を管理しきちんと整えれば国は立ち直り、豊かになるだろう。何で大名の娘に費用を出し難いことで憂えるのか。これまた大砲や巨艦を造るのと同じ話なのでこれを併論した。

 

其二十九(ロシア人捕虜は大切に扱い情報収集、対外宣伝に利用すべし)

俄羅斯獲本邦人、往往愛育寵待、予之妻、賚之金帛、使楽而忘一ㇾ皈、時時就問本邦政化風尚、故於本邦事綦詳、邦人則偶獲俄羅斯人、視如贅疣然、惟恐亟遣還其國、是以彼之情形、無自而悉也、邦人所以至一ㇾ此者、其故有二、恐異教之徒煽惑愚氓也、恐飲啗供奉之費頗不一ㇾ貲也、夫治天下者、於緊切不已之事、固不當下憚其多一ㇾ費而不上爲、既不全利、當其利多害少者而行上ㇾ之、禁遏異教、本邦人之所長、縦畜一二俄羅斯人、可其不一ㇾ蔓延、一二俄羅斯人之養、爲費幾何、治天下、寧可此等小費而致其乏國事乎、果欲察俄羅斯動静、策莫乎此、嚮者奈佐某以計生禽俄羅斯卒八人、洵爲奇勳、未幾而送還、可惜、後来若有虜獲、當懇懇勤卹、賜米粟金帛室屋、又妻有罪婦女、令之楽而安于玆土、然後使之詳説俄羅斯風習地理、又使蝦夷明告俄羅斯、以留而愛撫、未始行一ㇾ戮、實俊偉正大之擧、而其於海防、必多裨補也、

 

(読み下し文)

俄羅斯(オロシャ)本邦人を獲(とら)へ、往往にして愛育寵待(チョウタイ)し、之(これ)に妻を予(あた)へ、之に金帛(キンパク)を賚(たま)ひ、楽しみて皈(かへ)るを忘れしむ。時時本邦政化(セイカ)風尚(フウショウ)に就(つひ)て問ふ。故に本邦の事に於て綦(きは)めて詳(くは)し。邦人則ち偶(たまたま)俄羅斯人(オロシャジン)を獲(とら)へ、視(み)ること贅疣(セイユウ)の如し。惟(ただ)(すみや)かに其の國に遣還(ケンカン)を得ざるを恐るるのみ。是以(これゆゑ)彼の情形(ジョウケイ)、自(よっ)て悉(つく)すこと無きなり。邦人此(ここ)に至る所以(ゆゑん)は其故(それゆゑ)二つ有り。異教の徒の愚氓(グボウ)を煽惑(センワク)するを恐るるなり。飲啗供奉(インタンキョウホウ)の費(つひえ)(すこぶる)不貲(フシ)なるを恐るるなり。夫れ天下を治むる者、緊切(キンセツ)已むを容(い)れざるの事に於て、固(もと)より當(まさ)に其の費(つひえ)多きを憚(はばか)りて爲さざるべからず。既に全利を得ざれば、當(まさ)に其の利多く害少なき者を擇(えら)びて之(これ)を行ふべし。異教を禁遏(キンアツ)するは、本邦人の長とする所にて、縦(たと)ひ一二俄羅斯人(オロシャジン)を畜(やしな)ふとも、其の蔓延能(あた)はざるを保つべし。一二俄羅斯人(オロシャジン)(これ)を養ひ、費(つひえ)を爲すこと幾何(いくばく)ぞ。天下を治むるに寧(いづ)くんぞ此等(これら)小費を厭(いと)ひて其の國事の乏しきに致すべけんや。果して俄羅斯(オロシャ)の動静を洞察せんと欲さば、此(これ)を策(むちう)つは良からざるなり。嚮者(キョウシャ)奈佐某計(はかりごと)を以て俄羅斯卒(オロシャソツ)八人を生禽(セイキン)す。洵(まこと)に奇勳(キクン)爲り、未だ幾(いくばく)もせずして送還す。惜しむべし。後来(コウライ)(も)し虜獲(リョカク)有らば、當(まさ)に懇懇(コンコン)(つと)めて卹(あはれ)み、米粟金帛室屋(ベイゾクキンパクシツオク)を賜(たま)ひ、又有罪婦女を以て妻(めあは)せ、之(これ)を楽しませ玆(この)(つち)に安(やす)んじせしむべし。然(しか)る後、之に俄羅斯(オロシャ)風習地理を詳説せしむ。又蝦夷をして俄羅斯(オロシャ)に留(とど)めて愛撫するを以て明らかに告げしめ、未だ始めより戮(リク)を行はざらば、實(まこと)に俊偉正大(シュンイセイダイ)の擧(ふるまひ)なり。而(しか)して其れ海防に於いて必ず裨補(ヒホ)する所多かるなり。

 

愛育寵待(チョウタイ)(目をかけてかわいがること) ・金帛(キンパク)(金銭と衣服) ・政化(セイカ)(政治と文化) ・風尚(フウショウ)(人々の好み) ・贅疣(セイユウ)(こぶといぼ、無用な物のたとえ) ・遣還(ケンカン)(送り返すこと) ・情形(ジョウケイ)(有様、状態) ・悉(つ)くす(知り尽くす) ・愚氓(グボウ)(愚かな民) ・煽惑(センワク)(おだてて惑わすこと) ・飲啗供奉(インタンキョウホウ)(飲み物食べ物を供給して不自由の無いようにすること) ・不貲(フシ)(多くて数えきれない) ・緊切(キンセツ)(差し迫って重要) ・國事(国家の政治) ・嚮者(キョウシャ)(以前に) ・奈佐某奈佐政辰(なさまさとき)のこと。ロシアのゴロウニンを国後で捕えた)・俄羅斯卒(オロシャソツ)(ロシア兵) ・生禽(セイキン)(いけどり) ・奇勳(キクン)(珍しい手柄) ・後来(コウライ)(今後) ・懇懇(コンコン)(親切に) ・米粟金帛室屋(ベイゾクキンパクシツオク)(食料、金銭、衣服、住居) ・蝦夷(えびす)(外国人) ・愛撫(いつくしみいたわる) ・戮(リク)(殺害) ・俊偉正大(シュンイセイダイ)(賢明で正しく堂々としている) ・裨補(ヒホ)(助け補うこと)

 

(現代語訳)

 ロシアは日本人を捕え、往々にして目をかけてかわいがり、これに妻や金銭、衣服も与え楽しませて帰るのを忘れさせる。時々わが国の政治、文化、人々の好みについて質問する。このためわが国のことについてとても詳しい。日本人がたまたまロシア人を捕えると、コブやイボのような無用の物と見なして、ただすみやかにその国に送還できないことを恐れるだけだ。このためロシアの様子をこれにより知ることが無い。

 日本人がこうなってしまう理由は二つある。キリスト教徒が愚民を誘惑するのを恐れることと、飲み物や食べ物を与えて不自由のないようにすることの費用が多額になるのを恐れることだ。天下を治める者が緊急重要でやむを得ない事項に対して費用が多いからといって行わないなどということはあってはならない。すべてが利益ばかりではないのであれば、利が多く害の少ないことを選んで行うべきだ。キリスト教を禁圧するのは日本人の得意なところで、たとえ一人や二人のロシア人を養ってもキリスト教が蔓延しないようにすることはできる。一人や二人のロシア人を養う費用などいかほどのものか。天下を治めるのに何でこの程度の少額の出費を嫌って国の政治を不全にしてよいものか。

 もしロシアの動静を洞察したいのであれば捕虜をむち打つのは良くない。以前に奈佐という人が計略でロシア兵8人を生け捕りにした。まことに珍しい手柄であった。ただまもなく送還してしまった。惜しいことだった。今後もし捕虜をとらえることがあれば親切にあわれみをかけ、食糧、金銭、衣服、住居を与え、また罪を犯した婦女と結婚させ楽しませ、この土地に安住させるべきだ。そうしてロシアの風習や地理を詳しく説明させる。また外国人に日本に留まって大切にされていることをロシアに報告させ、初めから殺すようなことをしなければ、実に賢明で正しく堂々とした振る舞いだ。そうしたことは海防の助けになることが必ず多いだろう。

 

其三十(海防の本と末)

飭海防以制外寇之道、有本有末、本不擧則末不張、末者上所論改造舶銃肄水戦之屬是也、本者何也、上以仁明極、下以敬忠職、播孝弟之訓、以美民風、崇勇鷙之俗、以振士気、省後宮之費、沙汰不急之官、以饒國用、輕四時之貢献、減宮浚河之資助、以蘇息諸矦之類是也、方今上有明辟、下多碩輔良臣、所謂本者咸其所洞知而見於行、何煩吾儕嘖嘖、但隆平二百餘祀、人情有萎靡之失、不廢墜之弊、不審察也、

 

(読み下し文)

海防を整飭(セイチョク)し以て外寇(ガイコウ)を制するの道に、本(もと)有りて末(すゑ)有り。本擧がらざれば則ち末張らず。末は上に論ずる所の舶銃の改造、水戦の習肄(シュウイ)の屬(たぐひ)(これ)なり。本は何ぞや。上は仁明(ジンメイ)を以て極を建て、下は敬忠を以て職を盡(つく)す。孝弟(コウテイ)の訓(をしへ)を播(し)き、以て民風を美(よ)くす。勇鷙(ユウシ)の俗(ならはし)を崇(あが)め、以て士気を振(ふる)ふ。後宮の費(つひえ)を省(はぶ)き、不急の官を沙汰し、以て國用を饒(ゆたか)にす。四時の貢献を輕んじ、宮を築き河を浚(さら)ふの資助(シジョ)を減らし、以て諸矦を蘇息(ソソク)すの類(たぐひ)(これ)なり。方今(ホウコン)上に明辟(メイヘキ)有り、下に碩輔良臣(セキホリョウシン)多からば、所謂(いはゆる)本は咸(みな)其れ洞知(トウチ)する所にて行ひに見(あらは)れ、何ぞ吾儕(わがセイ)嘖嘖(サクサク)たるに煩(わづら)ふか。但(た)だ隆平(リュウヘイ)二百餘祀、人情萎靡(イビ)(あやまち)有り、法紀(ホウキ)廢墜(ハイツイ)の弊(ヘイ)無しとせず。審察(シンサツ)せざるべからざるなり。

整飭(セイチョク)(整えること) ・外寇(ガイコウ)(外国の侵略) ・習肄(シュウイ)(練習) ・仁明(ジンメイ)(思いやりと賢明さ) ・敬忠(主君を敬い忠義を尽くすこと) ・孝弟(コウテイ)(父母によくつくし兄によく従うこと) ・民風(民の気風) ・勇鷙(ユウシ)(勇敢) ・沙汰(善と悪をより分けること) ・國用(国家の費用) ・資助(シジョ)(経済的な援助) ・蘇息(ソソク)(休ませること) ・方今(ホウコン)(現在) ・明辟(メイヘキ)(明君) ・碩輔良臣(セキホリョウシン)(賢い大臣と良い家臣) ・洞知(トウチ)(熟知) ・吾儕(わがセイ)(われら) ・嘖嘖(サクサク)(やかましく言い争うさま) ・隆平(リュウヘイ)(太平) ・萎靡(イビ)(衰え元気がなくなること) ・法紀(ホウキ)(法やおきて)・廢墜(ハイツイ)(廃れ落ちること) ・審察(シンサツ)(よく考えること)

 

(現代語訳)

 海防を整備し外国からの侵略を防ぐ方法に本と末がある。本があってはじめて末があり、本がよく行われなければ末も盛んにならない。末とはこれまで論じてきた艦船や銃砲の改造、海戦の練習などのことである。本とは何か。上は仁愛と賢明さで正しい基準を打ち立て、下は主君への敬意と忠義で職を尽くす。父母によく尽くし兄に善く従うという教えを広めこれにより民の気風を美しくする。勇敢な気風を尊重しこれにより武士の戦意を盛んにする。後宮の費用を節減し不要な役職を選別することで国の財政を豊かにする。日常の仕事を軽減し建築や土木工事への経済的支援を減らすことで諸大名を休ませるといったことがこれにあたる。現在上に明君がいて下に賢明な大臣や良い家臣が多ければ、いわゆる「本」はそれらの人が熟知していて行動に表れるものであるのに、なぜわれらがやかましく言い争うことに苦しむのか。ただ天下泰平が二百年続き人の気持ちに元気がなくなるという失敗があり、法やおきてが廃れ落ちてゆくという弊害も無しとしない。よく考える必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古賀侗庵の紹介と海防臆測について

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1.古賀侗庵の生い立ち 

 古賀侗庵(1788~1847)の父古賀精里は「寛政の三博士」と呼ばれた朱子学者で佐賀藩士から幕府昌平黌の儒者(教授)に抜擢されました。侗庵は父の在任中の22歳で儒者見習となり、父の死後30歳で儒者に就任しています。また彼の長男の古賀謹一郎も昌平黌儒者となっています。昌平黌儒者は当時の知の頂点ともいうべき地位で世襲ではありません。これに三代続けて就くというのは空前絶後のことでした。ちなみに侗庵の兄穀堂は名君と言われる佐賀藩鍋島直正(閑叟)の教育係や藩校弘道館教授を務め、佐賀藩改革を主導しました。古賀家からは優れた人材が続出したのでした。

 

2.侗庵の学問領域

 侗庵は朱子学者でしたが極めて好奇心旺盛な人で、その学問領域は朱子学に止まらず、老荘、法家などの中国古代諸子百家はもちろん、朱子学に批判的な陽明学や経世致用学、考証学、事功学派などの領域にも及んでいます。変わったところでは河童の研究までしており、その博覧強記ぶりは群を抜いていました。さらに大槻玄沢渡辺崋山などの蘭学者とも親交があり、彼らから外国の地理、歴史をはじめ最近の西欧諸国の学問・技術の発展ぶり、侵略・植民地獲得活動の情報も得ています。

 

3.侗庵の海防論

 彼の生まれた18世紀後半はヨーロッパで産業革命フランス革命が勃発するなど世界史の大きな転換時期でした。日本はまだペリー来航前でしたが、近海にロシア船やイギリス船が出没するようになり、1806年から翌年にかけてはロシア軍艦が樺太や択捉を攻撃した露宼事件が、1808年にはイギリス船が長崎に侵入したフェートン号事件が起き、幕府に衝撃を