(要約)
戦国時代を見ると奇抜な戦略が次々に出て見事にはまる。これを見て古人の知恵は現代人には及びもつかないなどと言うのは物事の実態を理解していない。奇抜な戦略は近世になるほど出てこなくなるが、それは相手にも戦略の知恵が行き渡っており、昔の浅はかな戦略は通用しなくなっているからである。それは名人同士の囲碁の対戦が静かに緻密に進むのと同様である。
(現代語訳)
1戦国時代の斉の兵法家孫臏は、魏の将軍龐涓と戦った時、逃走するとみせかけ狭隘な馬陵の地で待ち伏せた。そこで大樹の皮を剥いで白くした部分に「龐涓この樹の下に死す」と書きつけ,射撃に長じた者を道を挟んで潜ませ,夕暮れに火を見たら一斉に矢を発射するよう命じた。龐涓は孫臏の予想通り暮れに馬陵に達し,火を点けて書を読もうとすると斉軍の矢が一斉に発射され,魏軍は大混乱に陥った.龐涓は知恵も尽き戦い敗れたことを知り,自らの首を刎ねた。斉は燕により滅ぼされかけていたが、斉の武将田単は燕人を欺いて斉の人々の祖先の墓を掘らせて斉人を怒らせ、火牛の計により燕軍を大いに破りたちまち燕に取られた七十余りの城を取り返した。漢の劉邦の将である韓信は趙と戦った時、本隊には背水の陣をひかせ決死の覚悟で守らせ、一方で別動隊を山に隠し、趙軍が本隊を攻めあぐねて本陣を空けている隙に別動隊が趙の本陣を占領し漢の赤旗を立てて趙軍を混乱させ趙の都を攻め落とした。魏と戦った時は、黄河の各渡河口を堅守する魏軍に対し下流を渡河すると見せかけ、上流地点に木に甕を縛り付けた即製のいかだを大量に作りそれにより河を渡り魏の本拠地を急襲して滅ぼした。楚の将軍龍且と河をはさんで対陣したときは、夜間のうちに上流に土嚢を積んで堰を造り水を塞いでおいた。韓信は軍を率いて半ばが渡ったところに龍且が攻撃してくると、偽って敗走し、龍且が追撃すると土嚢の堰を決壊させ龍且を打ち殺した。彼らは奇策が次々に出てとどまることが無かった。まるで朽ちた木を砕くように強敵を掌の上で翻弄し打ち破った。後世にこれと比べられる者は見たことが無い。しかし思うにこれは時勢がそうさせただけのことである。それなのに論者はこのことについて、「古人の知恵は現在では及びもつかない」などと言う。つまりこれは物事の実態を理解できていないということである。
2そもそも智者のはかりごとは愚昧な相手に遭ってはじめてその効果を発揮する。当方が知恵を存分に発揮し、先方は当方に籠絡されて慌てふためいて転倒し、逃げまどっても道は絶えるなど、すべて当方の思惑通りになるのは、必ずしも智者の知恵が人並み外れて優れているからではなく、愚者が自らその愚昧ぶりを露呈しているからである。それゆえ次のように言われている。「知恵というのは自分より劣る者には勝つことができるが、自分と同等の者に会うと行き詰まるものだ」と。
3昔の人の心が誠実であることや行いの美しいことについては、今の世の中の人は思いもよらない。しかし知恵をうまくはたらかせることについては、必ずしも後世の人に勝っていないし、場合によってはやや劣るだろう。つまりそれ以前の戒めとすべき手本が少ないために、その時々の出来事に対してあまりうまく対処できていないということだ。このような状況で愚かな大衆の中に一二の知恵ある人物が出て臨機応変のはかりごとを行えば、自然に世の中では圧倒的に優れているように感じられる。ためしに戦国時代の弁士がその時代の君主を説得するのを見てみると、言った言葉は必ず聞かれ、献策は必ず実施されており、それは水に投げた石が水に受け入れられるどころではない受け取られ方だった。このことは彼の弁舌の才能がもともと世に抜きんでていたためではあるが、しかし今になってその言葉を熟読玩味してみると、黒を白と言いくるめ、東を西と言いつくろっており、嘘や偽りの形跡が明らかなものが大半を占めている。弁士は幸いにも戦国時代の暗愚な君主に遭遇したがゆえに、言ったことがことごとく聞き入れられたに過ぎない。もし後の時代であれば、採用されない言葉が十のうち六か七であると予想できるのはここに明らかである。つまり昔の名将の智略が世の中を驚かせ動かしえたのはそのためだったのがわかるのである。
4歴史書をつぶさに読んでみると、おおむね近世になるほど、将軍の奇抜な智略は次第に見られなくなる。元、明、清の開祖などは皆優れた君主で、その智略は追従を許さない。しかし、彼らが群雄を征服し天下を統一した方法を見ると、つむじ風や稲妻が押し寄せるように、ただその軍事力で制圧しただけにしか見えない。智略についてはかえって南北朝時代の南朝梁の創業者蕭衍や北朝北魏や東魏の実権者高歓の奇策にはかなわないように見える。他にも遼の名将耶律休哥、金の武将で北宋を滅ぼした粘罕、元朝創業の功臣木華黎、南宋を滅ぼした元の伯顔などについてその策略をたどってみても、ほとんどそれ以前の良将たちの神出鬼没ぶりと比べると見劣りがする。これは本当に劣っているということだろうか。これには当然理由がある。つまり敵になる者にもたいてい計略が行き渡っており、火牛の計だとか、嚢沙の計などの浅はかな計略では誘い出すことなどできなくなっていたのである。自らを守るときには、必ず被害が来る前に察してこれを予防するし、敵を迎え撃つときは、常にその敵の策が実現する前にこれに先んじておさえる。このため、彼らの深謀を窺い知ることが難しく、当時を輝かしく見せているのは立派な英雄の姿や勇猛な気風のおおまかな痕跡のみなのである。世の中の人がこれをもって、後世の明君は専ら武力で王朝を開いたと言うのは甚だしい間違いである。孫子が「善い将兵には、華々しい手柄など無いものだ」と言っているのはまさにこれを指しているのだ。
5私はかつて囲碁の対戦を見たことがあるが、極めて下手な者が上手な者と当たると、土砂崩れのようにあっという間に負けて驚くほどだった。名人同士が対戦すると、それは奥深く静かで緻密であり、一見何事も無いかのように進み、ただ平凡に感じてしまうほどだ。これはつまり互いに乗ずべき隙や欠点が無いためである。そうであれば一体どこで奇抜な計略など見ることができようか。囲碁の道理が理解できれば、将軍たちの戦略の妙味がいきいきと眼前に見えるようになるだろう。
(読み下し文)
1昔孫臏白樹を斫り以て識と為し、萬弩斉しく發し、龐涓をして樹下に自刎せしむ。田単燕人を欺き、斉家の墓を掘らせ以て我を怒らせ、火牛衝突し、燕軍を大いに敗り、立に七十城を復す。淮陰侯背水萆山にて趙都を抜き、木罌缶、軍を渡して魏を滅ぼす。嚢沙し河流を壅ぎ、龍且を破殺す。彼の其の奇計百出し窮まらず。勍敵を掌上に弄び摧破すること朽を拉くが如く然り。後世絶へて未だ其の比を見ず。蓋し亦た時が然らしむ。而して論者此れに由り遂に謂く「古人の智思、叔季克く依稀たるを希む所に非ず」と。則ち未だ其の實を獲ざるなり。
2夫れ智士の籌策を運らすは、必ず愚且つ昧に遇ひ、然る後に始めて其の妙を見す。吾れ吾が智慮を逞しくして、彼れ我の籠絡する所と為り、狼狽顛頓し、逃奔するも路絶へ、一一吾が料る所を出ざるは、此れ必ずしも智士の智倫を邁ぐにあらず、亦た愚者自ら其の愚を露す。故に曰く「智は己に如かざる者に勝ち、己に如く者に至りては窮するなり」と。
3古の人、其の處心の摯なること、制行懿しきこと、洵に叔世の企つる所に非ず。智を運らす妙に至れば、則ち未だ必ずしも後人に勝らず、或は且に稍遜るべし。蓋し其れ前に鑑戒とする所鮮きを以て、時事を磨礱すること甚しからざるなり。是に於て蠢蠢たる庸衆中に一二の智計の士出で其の権略を運らすこと有らば、自から其の傑然と世を陵跨するを覺ゆ。蓋し試しに戦國の辨士の時君を説くを観るや、言必ず聴かれ、策必ず售れること、翅だ石を水に投ずるがごときのみならず。斯れ其の口才固より一世を超軼する者有り。然れども今にして其の言を熟玩すれば、皁を以て白と為し、東を以て西と為す。虚飾の跡の歴々たる者、其の大半を居む。幸にして戦國の憒憒の主に遇ふ。故に盡く聴信せらるのみ。使し後代に在らば、其の採用されざる者十に六七なるを予知すべきこと、此に明らかなり。則ち古の名将、智略一世を驚動するは其の故なるを識るべし。
4予史乗を歴閲すれば、大率世愈近ければ、而ち将略の奇、愈見るべからず。元明清の三祖の如し、皆開剏の英主、其の智計卓れ追ふべからず。然れども其の群雄を芟り寰區を混合する所以を観れば、疾飆激電の至るが如し。徒だ其の威力物を制ふを見るのみ。智慮に至れば、反って蕭衍・高歓の奇に及ばざるに似る。他に耶律休哥・粘罕・木華黎・伯顔の倫の如し、其の策略の妙を迹れば、亦た殆ど従前の諸良将の神入鬼没に愧づ。此れ豈に真に如かざるや。亦た自から其の理有り。蓋し吾が敵と為る者、類ね計慮周匝にして、火牛、嚢沙等の膚計を以て誘致すべきに非ず。其の自ら守るや、必ず禍を未だ至らざるに於て察して之を豫防す。其の敵を待つや、毎に其の策未だ就らざるに先んじて早に之を制す。是以其の深謀窺ふに易からず。而ち燁然と一時を輝映する者は、纔に英風猛気の粗迹のみ。世或は此を以て後の英辟専ら威武を以て丕業を創むと議ふは、惑の甚しきなり。孫武曰く「善き将兵は、赫赫の功無し」と。正に此れを指すなり。
5予嘗て奕者の競ふを観るに、綦て拙き者は巧者に遭へば、則ち土崩の速きに驚怛すべし。國手相値るに洎びては、則ち深穩縝緻に事無き所を行き、惟だ其の平平たるを覚ゆるのみ。蓋し投ずべき罅無く、乗ずべき瑕無ければ、則ち又た奚自り其の籌算の奇を窺ふを得るや。奕の理を悟れば則ち将略の妙躍如たり。
(語釈)
1孫臏(戦国時代の斉の兵法家。同学の龐涓に才能をねたまれ、両足を切断されたが、のち、斉の威王に軍師として仕え、龐涓の率いる魏軍を破った)龐涓(魏の将軍.孫臏とともに兵法を学んだ.のちに魏に仕え恵王(魏恵成王)の将軍となったが,孫臏が己よりも賢いことを恐れ憎み,密かに孫臏を呼び寄せて無実の罪を着せ,両足を切断し入れ墨を入れる刑罰に処した.後に趙とともに韓を攻めたが,斉の将軍の田忌が兵を率いて大梁に急行したため,取ってかえし斉軍を迎え撃とうとした.田忌は孫臏の計に従い,日一日と竈の数を減らしていった.龐涓は斉軍が魏の地に侵入してから3日で士卒の半分以上が逃亡したと思い込み,歩兵を棄て軽敏精鋭な部隊を率い,2日の行程を1日に縮めて斉軍を急追し,暮れには馬陵に至るはずであった.馬陵は道が狭く,両側が切り立った場所が多く,伏兵を置くのに適していた.そこで孫臏は大樹の皮を剥いだ部分に「龐涓此の樹の下に死す」と書きつけ,射撃に長じた者を道を挟んで潜ませ,夕暮れに火を見たら一斉に矢を発射するよう命じた.龐涓は孫臏の予想通り暮れに馬陵に達し,火を点けて書を読もうとすると斉軍の矢が一斉に発射され,魏軍は大混乱に陥った.龐涓は知恵も尽き戦い敗れたことを知り,自らの首を刎ねた)田単(戦国時代の斉の武将。斉が燕の将楽毅に大敗したとき、反間の計をもって楽毅を退け、また、火牛の計をもって斉の失地七十余城を回復した)淮陰侯(韓信 漢初の武将。項羽に従ったのち、劉邦の将となり、華北を平定。斉王、次いで楚王に封ぜられたが、のち淮陰侯に左遷され、反逆の疑いで呂后に処刑された)背水萆山(韓信が趙と戦った時、本隊には背水の陣をひかせ必死に守らせ、別動隊を山に隠し、趙軍が本隊を攻めあぐねている隙に別動隊が趙の陣地を占領し漢の赤旗を立てさせ趙軍を壊滅させた) 抜き(攻め落とし) 木罌缶(韓信は黄河の各拠点を堅守している魏に対して、下流に船舶を集結させ渡河すると見せかけ、主力軍は上流地点に木に甕を縛り付けた即製のいかだ(木罌缶)を大量に作りそれにより河を渡り魏の本拠地安邑を急襲して滅ぼした (安邑の戦い))。 嚢沙(砂を袋に入れること)龍且(楚の将軍。項羽の信任が厚かった。韓信と河をはさんで対陣した時に、韓信は夜間のうちに上流に土嚢を積んで堰を造り、水を塞いでおいた。韓信は軍を率いて半ばが渡ったところに龍且が攻撃してくると偽って敗走した。龍且が追撃すると韓信は土嚢の堰を決壊させ龍且は討ち取られた(濰水の戦い)) 勍敵(強敵)朽(朽ちた木)叔季(末の世。末世、現在)依稀(よく似ているさま)
2籌策(はかりごと)逃奔(逃げ走ること 逃走)
3摯(誠実)鑑戒(戒めとすること。また、戒めとすべき手本)時事(その時々のの出来事)磨礱(とぎみがく)蠢蠢(愚かで無知な)権略(臨機應變のはかりごと)傑然(傑出しているさま)陵跨(こえまたがる)口才(弁舌の才能)超軼(抜きんでていること)熟玩(熟読玩味)虚飾(うそいつわり)憒憒(暗愚)聴信(聞いて信じる)
4史乗(歴史書)歴閲(次々に読む、ひとつひとつ読む)将略(大将としての知略)開剏(開創、創業)智計(かしこいはかりごと)寰區(天下)疾飆(つむじ風) 激電(稲妻)蕭衍(南朝梁の初代皇帝。教養があり南朝随一の英主とされる)高歓(南北朝時代の政治家。北魏末期にその実権を握り、北魏が東西に分裂すると東魏の実権者となった。)耶律休哥(遼(契丹)の軍人・将軍。対宋戦で活躍し、名将として知られる、知略に優れ勝利を重ね、宋ではたいへん恐れられたが、罪のない人を殺すことがなく、また戦禍で疲弊した民を案じて税を軽くし、孤児や寡婦を助け、国境地帯の安全を守ったとされている)粘罕(完顔宗翰。金の武将.完顔宗望とともに対宋戦争で主導的な役割を果たし北宋を滅ぼした)木華黎(モンゴル帝国創業の功臣。チンギス・ハーンの苦難時代からこれを助けてその覇業に貢献した)伯顔(元代初期の勲臣。南宋征服軍の総司令官となり,南宋の首都臨安を無血開城させた)計慮(はかりごと。計略)周匝(すみずみまでゆきわたること。周到)膚計(浅薄な計略)燁然(かがやくさま) 一時(当時)輝映(てりはえる。かがやきうつる)英風(立派な英雄の姿)猛気(勇猛な気風)英辟(明君)孫武(孫子)
5奕者(囲碁を打つ者。碁打ち)驚怛(おどろく)國手(囲碁の名人)深穩(奥ふかく靜かなこと)縝緻(細かく緻密)平平(平凡)籌算(はかりごと、戦略)奕(囲碁)躍如(いきいきとしていて目の前に見えるさま)
(漢文)
1昔孫臏斫白樹以爲識、萬弩斉發、使龐涓自刎樹下、田単欺燕人、掘斉家墓以怒我、火牛衝突、大敗燕軍、立復七十城、淮陰侯背水萆山、而抜趙都、木罌缶渡軍而滅魏、嚢沙壅河流、而破殺龍且、彼其奇計百出不窮、弄勍敵於掌上、摧破如拉朽然、後世絶未見其比、蓋亦時使然、而論者由此遂謂、古人智思、非叔季所克希依稀、則未獲其實也、
2夫智士之運籌策、必遇愚且昧、然後始見其妙、吾逞吾智慮、而彼爲我所籠絡、狼狽顛頓、逃奔路絶、一一不出乎吾所料、此不必智士之智邁倫、亦愚者自露其愚、故曰智勝不如己者、至於如己者而窮也、
3古之人、其處心之摯、制行之懿、洵非叔世所企、至運智之妙、則未必勝後人、或且稍遜、蓋以其鮮所鑑戒乎前、不甚磨礱時事也、於是蠢蠢庸衆中、有一二智計之士出、運其権略、自覺其傑然陵跨乎世、蓋試観戦國辨士之説時君乎、言必聴、策必售、不翅石投水、斯其口才固有超軼一世者、然今而熟玩其言、以皁爲白、以東爲西、虚飾之跡、歴々者、居其大半、幸而遇戦國憒憒之主、故盡見聴信耳、使在後代予知其不見採用者十六七、明乎此、則古之名将、智略驚動一世、其故可識矣、
4予歴閲史乗、大率世愈近、而将略之奇、愈不可見、如元明清三祖、皆開剏英主、其智計卓不可追、然観其所以芟群雄混合寰區、如疾飆激電之至、徒見其威力制物、至於智慮、似反不及蕭衍高歓之奇、他如耶律休哥、粘罕、木華黎、伯顔之倫、迹其策略之妙、亦殆愧従前諸良将之神入鬼没、此豈真不如也哉、亦自有其理、蓋爲吾敵者、類計慮周匝、非可以火牛嚢沙等膚計誘致、其自守必察禍於未至而豫防之、其待敵、毎先其策未就而早制之、是以其深謀不易窺、而燁然輝映一時者、纔英風猛気之粗迹耳、世或以此議後之英辟専以威武創丕業、惑甚矣、孫武曰、善将兵者、無赫赫之功、正指此也、
5予嘗観奕者之競矣、綦拙者、遭巧者、則土崩之速可驚怛、洎國手相値、則深穩縝緻、行乎所無事、惟覚其平平耳、蓋無罅可投、無瑕可乗、則又奚自而得窺其籌算之奇哉、悟奕之理、則将略之妙躍如矣、
