海防臆測 前編(1~30)

 

其一(嘆かわしい海防の現状)

慶元之際、烈祖神武肇業、嗣後哲辟相承、至仁守成、河海晏清、二百餘祀于茲一、昇平之緜久、百度頽弛之弊、要之武徳文教之懿、湯武之開創、甲戊成康之守文、較之殆有愧色、猗嗟何其昌大也、乃目今天下之勢、智士有慟哭長大息何、海防之闊略是也、本邦雖至盛綦強之國、其地形則狭而長、實一巨島、蜿蜒于東洋中一、四面皆瀕海無海之州不六七、果有海寇、欻然駕大艦而至、無處不上ㇾ其毒、然則本邦海防之備、宜流失然眉之急、而亡蠢爾庸奴、彼智慮宏遠號爲今代傑儁者、且漠置之膜外而不顧省、予不其何心

 

(読み下し文)

慶元の際、烈祖神武、業(わざ)を肇(はじ)む。嗣後哲辟(テツヘキ)相承(ソウショウ)し、至仁成るを守る。河海晏清(アンセイ)にして茲(ここ)に二百餘祀。昇平の緜久百度頽弛(タイシ)の弊無しとせず。之に要するは、武徳と文教の懿(イ)、湯武の開創、甲戊成康の守文なり。之を較ぶるに殆ど愧色有り。猗嗟(イサ)何ぞ其れ昌大(ショウダイ)なるや。乃(すなは)ち目今(モッコン)天下の勢、智士慟哭長大息せざるを得ざる者有り。何となれば、海防の闊略(カツリャク)(これ)なり。本邦至盛綦強(キキョウ)の國と雖ども、其の地形則ち狭にして長、實に一巨島なり。東洋中に蜿蜒(エンエン)、四面皆海に瀕し、無海の州六・七に過ぎず。果して海寇(カイコウ)有らば、欻然(クツゼン)として大鑑に駕(ガ)して至り、其の毒に中(あた)らざる處(ところ)無し。然れば即ち本邦海防の備(そな)へ、宜(よろ)しく流出を捍(ふせ)ぎ然眉(ゼンビ)を拯(すく)ふの急の如くすべし。而(しか)して亡論(ムロン)蠢爾庸奴(シュンジヨウド)、彼の智慮宏遠今代の傑儁(ケツシュン)為(な)りとと號する者は、且(まさ)に之(これ)を膜外に漠置(バクチ)して顧省(コセイ)すべからず。予、其の何心なるやを知らず。

慶元(国家の創業) ・烈祖(優れた業績の祖先) ・哲辟(テツヘキ)(徳の有る君主) ・至仁(この上なく恵み深い状態) ・晏清(アンセイ)(治まっている状態) ・(年)・昇平(太平、平和) ・緜久(メンキュウ)(長く続くこと) ・頽弛(タイシ)(緩みすたれること) ・武徳(武道の徳) ・文教(学問の教え) ・(イ)(美徳) ・湯武(殷王朝の始祖湯王と周王朝の始祖武王) ・甲戊成康周王朝の成王と康王の安定した治世)・守文(君主が始祖の残した法制度を守って国を治めること)・愧色(恥じ入る様子) ・猗嗟(イサ)(ああ)・昌大(ショウダイ)(繁栄)・目今(モッコン)(ただ今の) ・闊略(カツリャク)(おおまかで行き届いていないこと)・至盛綦強(極めて繁栄して強い)・蜿蜒(エンエン)(蛇のように長くくねり) ・海寇(カイコウ)(海からの外敵) ・欻然(クツゼン)(突然)駕す(乗る)・然眉(ゼンビ)(眉が燃えること。また、眉が燃えるほど火に近づいていること。転じて、危険が迫っていることのたとえ)・亡論(ムロン)(無論、勿論)・蠢爾(シュンジ)おろかなものがさわぐさま・庸奴(ヨウド)(つまらない愚かな人)・傑儁(ケツシュン)(並外れて優れている人)・膜外(度外、心にかけないこと) ・漠置(バクチ)(放置) ・顧省(コセイ)(ふりかえり見ること)・何心(なにごころ)どのような考えか

 

(現代語訳)

国家の始めに神武天皇が国家建設の事業を開始され、その後有徳の君主が受け継いだ。しかしここ二百年間は太平の世が続き規律が緩む弊害が無いとはいえない状況になった。今必要なのは武道の徳と学問の美徳であり、また殷の始祖湯王や周の始祖武王の開拓精神と周王朝の成王や康王の安定した政治である。これを現状と比べるとほとんど恥ずかしいばかりだ。ああ、こんな状態を繁栄などと言えるものか。それどころか現在の天下の情勢は知恵ある者であれば慟哭し、嘆息せざるを得ないものだ。その理由は海防が不十分なことだ。わが国はきわめて繁栄し強い国であるとはいえ、長くて狭い巨大な島である。東洋の中で蛇のように長くうねり、四面は海に面し、海に面していない州は六・七にすぎない。もし海から外敵が突然大艦に乗って現れれば、その影響を受けないところはないだろう。だからわが国の海防の備えは至急行わなければならない。しかしもちろんただワイワイと騒ぎ立てるばかりの凡人や、あの知恵が広大で優秀であることを自称しているような連中(恐らく他の朱子学者や兵学者を指す)は度外視して放っておく。彼らの考えなど知ったことではない。

 

其二(海防の不備は必敗につながる)

鳥翔於天、故有翼以充翔之用、然翔不其高、則或罹罻羅之禍、獣走於野、故有四蹄以供走之資、然走不其遠、則必蒙擭穽之害、國於渺然洋中、而絶不船艦炮銃海防之備、是鳥而無翼、獣而無蹄也、可乎、船艦既已牢固、炮銃既已精錬、沿海警備、周匝靡闕、然後海寇之至、良将可以勝、庸将亦或致敗、未其捷、若乃絶不海防、而自以爲安、此古賢所謂説得一句者也

 

(読み下し文)

鳥天を翔(か)ける、故に翼を有し翔(かけり)の用に充(あ)つ。然るに翔(かけり)(そ)の高きを綦(きは)めざれば、則ち或いは罻羅(イラ)の禍(わざはひ)に罹(かか)る。獣(けだもの)野を走る、故に四蹄を有し、以て走りの資(もと)に供す。然るに走り其の遠きを極めざれば、則ち必ず擭穽(カクセイ)の害を蒙る。國、渺然(ビョウゼン)たる洋中に於いて、絶えて船艦炮銃海防の備(そなへ)を修めざるは、是れ鳥にして翼無く、獣にして蹄無きなり。可乎(よしとするや)。船艦既已(キイ)牢固にして、炮銃既已精錬し、沿海警備、周匝(シュウソウ)(か)かさずして、然る後海寇の至れば、良将以て勝つべし、庸将亦或いは敗を致さん。未だ必ずしも其の捷(かち)を能くせず。若乃(もしすなはち)絶へて海防を修めずして、自ら以って安しと為せば、此れ古賢謂う所の一句も得ざる者なり。

罻羅(イラ)(鳥を捕まえる網) ・擭穽(カクセイ)(落とし穴など罠を仕掛けて獣を捕獲すること)・渺然(ビョウゼン)(果てしない) ・既已(キイ)(すでに) ・周匝(シュウソウ)(隅々までゆきわたっていること 周到) ・庸将(凡将) ・捷(かち)(勝)・若乃(もしすなはち)ところが、ましてや

 

(現代語訳)

 鳥は天をかける。そのために翼がある。しかし十分に空高く飛ばなければ鳥網の罠にかかるかもしれない。獣は野を走る。そのために四本の足の蹄がある。しかし十分に遠くまで走らなければ必ず罠にかかり捉えられてしまう。国は果てしない海洋中にあって絶えず戦艦や銃砲など海防の備えをしていなければ、鳥に翼が無く、獣に蹄がないのと同じである。これで良いのか。戦艦がすでに堅牢で銃砲について十分な訓練がなされ、沿岸の警備が隅々までぬかりなく行われていて、その後に海外から外敵が侵入して来たなら、優れた将軍であれば勝てるだろう。しかし凡将であれば敗れるかもしれない。必ずしも勝てるとは限らないのだ。ましてや全く海防の準備をしていないのに安心しているようでは、これはいにしえの賢人の言うところの詩の一句もできない無能者と同じである。

 

其三(今のままでは智者や勇者がいても百戦百敗)

夫両軍相确、将勇者必捷、両敵相持、将智者必成功、今古所以儘選智勇之将也、今以我舟師、遭二ㇾ虜於巨海中、彼視我、如山壓一ㇾ卵、如壮夫敵稚子、墔碎破殄、惟意所爲、我仰彼、如高峯喬嶽、屹不嚮近、炮銃弓矢不用、智無施、勇無効、彼如平宗盛今川氏真之辱、我有源義家義経楠正成之良、且未其有勝算、或驀然逃逸、以冀免脱、彼以軽舸急追、必爲及、是百戦百衂之道也、且爾晏然、不改作之方、猶爲國有一ㇾ人乎、

 

(読み下し文)

(それ)両軍相确(カク)さば、将(まさ)に勇者必ず捷(か)たん。両敵相持(たも)たば智者必ず功を成さん。今古儘(ことごと)く智勇の将を選ぶ所以(ゆゑん)なり。今、我舟師(シュウシ)を以って巨海中に虜(えびす)に遭(あ)はんとせば、彼の我を視ること、山の卵を圧するが如し、壮夫の稚子に敵(あた)るが如し。墔碎(サイサイ)破殄(ハテン)、惟(ただ)意の爲さんと欲する所のみ。我の彼を仰ぐこと、高峰喬嶽(キョウガク)の如し。屹(そばだち)て嚮近(キョウキン)すべからず。炮銃弓矢用に呈すること能はず。智施す所無く、勇効くべくも無し。彼の平宗盛今川氏真の辱(はぢ)の如し。我、源義家義経、楠正成の良(かしこさ)を有し、且(かつ)未だ其の勝算有るを見ず。或いは 驀然(バクゼン)逃逸(トウイツ)し、以って免脱を冀(こひねが)はば、彼軽舸(ケイカを以って急追し、必ず及ぶ所と爲す。是、百戦百衂(ヒャクセンヒャクジク)の道なり。且(まさ)に爾(ここ)に晏然(アンゼン)として、改作の方(てだて)を図らざれば、猶國に人有りと爲すか。

(カク)(角を突き合わせる) ・舟師(シュウシ)(海軍) ・(えびす)(外国の敵) ・壮夫(勇壮な男 大男) ・稚子(幼児) ・墔碎(サイサイ)(砕くこと)・破殄(ハテン)(亡ぼすこと) ・喬嶽(キョウガク)(高い山) ・嚮近(キョウキン)(接近すること) ・驀然(バクゼン)(不意に)・逃逸(トウイツ)(逃げ去ること) ・免脱(のがれ助かること) ・軽舸(ケイカ)(軽くて早い船) ・百戦百衂(ヒャクセンヒャクジク)(百戦百敗) ・晏然(アンゼン)(のんびりと、安らかに)

 

(現代語訳)

もし二つの軍が角を突き合わせれば、勇者のいる方が勝つだろう。二つの軍の勢力が拮抗して睨み合いになれば智者が手柄をたてるだろう。これが昔から今まで知恵や勇気のある武将を選ぶ理由である。今もしわが国の海軍が大海原で外国の敵と遭遇したら、向こうはこちらを、山が卵を押しつぶすように、あるいは大男が幼児に対するように見て、意のままに砕き破るだろう。こちらから向こうは聳え立つ高い山のように見え、近づくことさえできないだろう。鉄砲や弓矢は役に立たず、知恵も勇気も役に立たないだろう。あの平宗盛今川義元の受けた大敗の屈辱のようだ。自分に源義家義経、楠正成の賢さがあったとしてもなお勝算は無い。あるいは突然に逃げ去り助かることを願っても、向こうは軽く早い船で急追し必ず追いつくだろう。これでは百戦百敗の道だ。ここでのんびりとして海軍の改革の方法を考えないようでは、わが国には全く人材がいないということになってしまう。

 

其四(海戦を避け陸戦に持ち込めば勝てるとの論は誤り)

世咸云、大艦水戦、彼之所得、陸師力闘、我之所長、邦人捍鷙重義軽生、尤熟於刀鎗、彼之来、不海上以使上ㇾ得、俟其上一ㇾ岸、然後電發鏖戦、可使立爲韲粉矣、虜奚足畏矣、此論不理、然邦人之猛捍無敵、亦道二百年前俗、今日安瀾之久、士気萎靡、未其有大加於北虜也、且也虜之冞入、奮然逆撃以殲敵、固大善、然三軍之形、頃刻萬變、有二ㇾ執一論、則勢必有水戦之日焉。彼亦自知陸戦非一ㇾ長、断不肯軽上一ㇾ岸、或焚燬沿海民屋、或掠漕船賈船以悩我、不知也、當爾時、将下坐視其肆焚劫無涯國辱、而瑟縮不敢出上ㇾ手乎、抑勢迫乎不ㇾ容ㇾ己、強水戦、擧無数士衆以塡滄海乎、墨是可在北亞墨利加、稱莫彊之夷、有精兵百餘万、雖海畔立一ㇾ國、而自恃盛彊、絶不沿海備、伊斯把尼亜之國之也、屡出舟師、攪擾其臨海之地、不肯平地決戦、或掠二其東西一、或劫其南北、待其國耗民憊叛乱内訌、然後一挙滅ㇾ是、實殷鑑之灼灼者也、

 

(読み下し文)

世咸(みな)云ふ、「大艦水戦彼の得る所なり、陸師力闘我の長ずる所なり。邦人捍鷙(カンシ)にして義を重んじ生を軽んず。尤も刀鎗に熟す。彼の来たるに之(これ)海上に逆(むか)へ以って得る所を逞しくせしむべからず。其の岸に上るを俟ち、然る後電發鏖戦せば、立ちどころに韲粉(セイフン)と為さしむべし。虜(えびす)(なん)ぞ畏るに足るや」と。此の論理無しと為さず。然れども邦人の猛捍(モウカン)にして敵なきこと、亦(また)二百年前の俗(ならはし)に道(よ)る。今日安瀾(アンラン)の久しく、士気萎靡(イビ)にして、未だ其の大ひに北虜に加ふること有るを見ざるなり。且(もし)や虜の冞(ますます)入り、奮然逆撃し以って敵を殲(ほろぼ)さば、固(もと)より大いに善し。然れども三軍の形、頃刻(ケイコク)萬變し、一論を執(と)るべからざる者(もの)有り。則ち勢ひ必ず水戦を用ひざるを得ざるの日有り。彼亦(また)(みづか)ら陸戦に長ぜざるを知れば、断じて軽く岸に上るを肯(がへん)ぜず。或は沿海民屋を焚燬(フンキ)し、或は漕船を掠(かす)め賈船(コセン)を奪ひ以って我を悩ますか、知るべからざるなり。爾(この)時に當(あた)り将(まさ)に其の焚劫(フンキョウ)を肆(ほしいまま)にするを坐視し、無涯(ムガイ)の國辱を迨(のこ)して瑟縮(シッシュク)し敢て手を出さざるべきや。抑(そもそも)勢ひ已(や)むを容(い)れざるに迫るや、拙(つたな)き水戦を強(し)い、無数の士衆を挙げ以って滄海に塡(うずめ)るか。墨是可(メキシコ)は北亞墨利加(アメリカ)に在り、莫彊(バクキョウ)の夷(えびす)と称し、精兵百餘万を有す。海畔に國立つと雖も盛彊(セイキョウ)を恃(たの)み、絶へて沿岸の備へを飭(ととの)へず。伊斯把尼亜(イスパニア)の之(これ)を圖(はか)るなり。屡(しばしば)舟師(シュウシ)を出し、其の臨海の地を攪擾(カクジョウ)し、平地決戦を肯ぜず。或は其の東西を掠(かす)め、或は其の南北を劫(おびやか)す。其の國の耗(みだれ)、民の憊(つかれ)、叛乱内訌を待ち、然る後一挙に之を滅ぼす。此れ實に殷鑑(インカン)の灼灼(シャクシャク)たる者なり。

陸師(陸軍)・捍鷙(カンシ)(勇猛)・電發雷電のように勢いよく奮うこと)・鏖戦(オウセン)(はげしく戦って、多くの人を殺す) ・韲粉(セイフン)(粉微塵)・猛捍(モウカン)(荒々しいこと) ・安瀾(アンラン)(天下泰平) ・萎靡(イビ)(しおれて縮むこと)・北虜(ロシアのこと) ・三軍(軍隊)・頃刻(ケイコク)(しばらくの間に) ・萬變(全く変わること)・勢ひ(なりゆきで) ・焚燬(フンキ)(焼き亡ぼすこと) ・賈船(コセン)(商船) ・焚劫(フンキョウ)(焼きかすめること)・無涯(ムガイ)(無限)・瑟縮(シッシュク)(縮こまる)滄海(青海原、大海)・莫彊(バクキョウ)(強い)・盛彊(セイキョウ)(勢いが盛んで強いこと)・(はか)る(つけ込む) ・舟師(シュウシ)(海軍)・攪擾(カクジョウ)〈かき回して混乱させる) ・内訌(うちわもめ) ・殷鑑(インカン)(失敗の前例、殷が滅亡したことを鑑(かがみ)とすること) ・灼灼(シャクシャク)(明らかな様子)

 

(現代語訳)

 世間の人は皆次のように言う。「大型船艦を使っての海上戦は外国の得意とする所だ。陸上戦はわが国の得意とする所だ。日本人は勇猛で義を重んじ死を恐れない。とりわけ刀や槍の扱いに習熟している。先方が攻めてきたときに海上戦で先方の得意とする所を発揮させてはいけない。上陸を待ってその後に激しく戦えばたちどころに粉砕することができるだろう。外国など恐れるに足らない」と(注1)

 こうした論にも理が無いとはいえない。しかし日本人が荒々しく無敵であったのは二百年前の文化に基づくもので、現在は天下泰平が長く続いたせいで士気はしぼんでおり、その無敵ぶりをロシアに対して示したところを見たことが無い(注2)。もし敵が深入りしてきてもそれを奮然と逆襲し滅ぼせるのであればもちろん大変良いだろう。しかし軍隊の形態はしばらくの間に全く変わってしまったので一つの論に固執すべきではない。つまり成り行き次第で必ず海戦を行わざるを得ない日もあるだろう。また先方が陸戦は苦手であることを自覚しているのなら、軽々しく上陸しようとはせず沿岸の民家を焼き払ったり、あるいはこちらの船舶や商船を奪ったりして当方を困窮させるかもしれない。こうした時にむざむざ焼き払われるのを座視して、非常な国辱を受けても縮こまって手を出さないでいられるか。そもそもやむを得ない状況になれば苦手な海戦を強いられ、無数の兵士を大海に沈められるようなことになるのではないか。

 メキシコは北アメリカにあって、強国を自称し、精強な百万人の兵を有していた。海に面していたにもかかわらず、国力の盛強であることにうぬぼれ、全く海岸の防備を整えなかった。スペインはこれにつけ込み、しばしば海軍を出して、その臨海の地をかく乱し、地上戦はしようとしなかった。ある時はその東西を略奪し、またある時は南北を脅かした。国が乱れ、民が疲弊し反乱や内輪もめが起きるのを待ち、その後に一挙に滅ぼした。これはまことに学ぶべき明らかな失敗の実例であろう。

 

(注1) こうした陳腐な防衛論は例えば侗庵と同時期に昌平黌の儒者であった佐藤一斉が述べている(中村安宏・村山吉廣『叢書日本の思想家 佐藤一斉・安積艮斉』明徳出版社2008年215頁)。また後世の軍学者吉田松陰はペリー来航後の「海戦策」でペリー艦隊との戦闘を想定して次のように言う。「漁船一隻につき小銃を持った兵士10人と大砲一門に打ち手5人ずつを載せ、夜陰に乗じて戦艦に接近してまず大砲を打ちかける。米艦は大きいので「百発百中」である。船内の敵兵には小銃を打ちかけ、梯子を使って敵船に乗艦して皆殺しにする。また百石積の船に焼草と油を積んで焼き討ちにする。そして敵船が浦賀から内海に来れば、こちらに地の利があるので闘うのは容易だ」。さすがにこれに対しては徳富蘇峰が「先生兵法笑ふべし」と嘲笑している。(米原謙『吉田松陰の生涯 猪突猛進の30年』吉川弘文館2024年 119~120頁)

(注2) 1806年~1807年の露宼事件でロシア軍が蝦夷地を襲撃し、近代兵器の前に幕府軍はなすすべもなく大敗している

 

其五(海防は手遅れになる前に至急行うべし)

海國而與海寇之虜岸、船艦之不改造、水戦之不日閑習、固也、使聖者生于今、其於斯事、必應於拯焚溺倒懸、異日海賊麕至、禍患已逼、則蠢爾庸夫亦知力於海防、伹恐其緩不上ㇾ事耳、聲有和鵲之良、迨其疾尚在理也、可以立収霍然之效、乃遅疑延稽、致病勢蔓滋、内浸漬乎骨髄、雖制於彼、将色而走、竟何益哉、然則夫懐憂国之心、而處有爲之地者、其於防海之備、烏得早從一ㇾ事乎、

 

(読み下し文)

海国なれば、海寇を好むの虜(えびす)と岸に対(むか)はば、艦船之(これ)改造せざるべからず、水戦之(これ)日(ひび)閑習(カンシュウ)せざるべからざること固(もと)よりなり。使(も)し聖者今に生まれしかば、其れ斯かる事に於て必ず焚溺(フンデキ)を拯(すく)ひ、倒懸(トウケン)を解くの急に応ずべし。異日(イジツ)海賊麕至(キンシ)し、禍患(カカン)已(すで)に逼(せま)らば、則ち蠢爾庸夫(シュンジヨウフ)(また)力を海防に竭(つ)くすを知るべし。但し其の緩やかにして事に及ばざるを恐るるなり。醫、和鵲(カジャク)の良(うでまへ)有らば、其の疾(やまい)(なほ)腠理(ソウリ)に在るに迨(およ)ぶや、以て立(たちどころ)に霍然(カクゼン)の効を収むべし。乃(すなは)ち遅疑(チギ)延稽(エンケイ)病勢を蔓滋(マンジ)に致し、内(ひそか)に骨髄に浸漬(シンシ)せば、将(まさ)に色を望みて走り、彼に制(おさへ)を委(ゆだ)ぬと雖も、竟(つひ)に何ぞ益するや。然れば則ち夫(それ)憂国の心を懐きて、有為の地に處(を)る者は、其の防海の備へに於て烏(いづくん)ぞ早く従事せざるを得んか。

海寇(海からの侵略行為) ・(えびす)(外国) ・閑習(カンシュウ)(習熟) ・焚溺(フンデキ)(火に焼かれ、水におぼれること)・倒懸(トウケン)(逆さづり)・異日(イジツ)(将来 ある日)・麕至(キンシ) (集まる)禍患(カカン)(災難)・蠢爾庸夫(シュンジヨウフ)(うごめく虫けらのようなつまらない凡人)(医者)・和鵲(カジャク)(古代中国の名医。秦の醫和と扁鵲のこと)・腠理(ソウリ)(皮膚のすきま)霍然(カクゼン)(にわかに消え失せるような) ・遅疑(チギ)(ためらい) ・延稽(エンケイ)(延ばし滞ること)・蔓滋(マンジ)(蔓が滋るようにはびこる状態) ・浸漬(シンシ)(浸透) ・色を望む(顔色を見る)

 

(現代語訳)

 海国なら侵略を好む外国が対岸にあれば、艦船を改造しなければならないし、海戦は毎日訓練しなければならないことは勿論である。もし聖者が現在に生まれていれば、火に焼かれたり水に溺れている人の救助や逆さづりにされて苦しんでいる人の救助と同じぐらい至急に、こうした海防への備えを行うだろう。ある日、海賊が集まってすでに災難が間近に迫っていれば、虫けらのようなつまらない凡人ですら海防に力をつくすべきだと考えるだろう。

 ただそうした備えが遅れて効果が無くなることを恐れるのだ。医者に和鵲のような名医の腕前があれば、病原が皮膚の隙間にある段階では、たちどころに症状が消えるような効果をあげることができるだろう。しかし治療をためらったり遅らせたりして、病気がはびこり骨髄にまで浸透してから顔色を見てあわてて走り、名医に委ねても、何の役に立つものか。だから、憂国の心を抱いて重要な地に居る者は、早く海防の備えに従事せずにはいられようか。 

 

其六(造船研究のための費用は惜しむな)

方今當務莫於水戦、欲水戦、非作船艦西洋之制、必不大用也、蘭書録造船之制頗詳、邦人翻訳者不、猶慮其流書御馬之失、請更命蘭賈、参互考覈、使其所一ㇾ長、斯可於逗漏、至於費用則必應不貲、洞知其爲國家急務、不散財、然後可以就一ㇾ緒、雖ㇾ然一時多造、國力豈能支、但徐々以漸而改製、其可也、太西諸国、以航海第一緊要、故毎歳経費、惟船艦爲最大、所以舟楫之利冠于五大州也、聞諳厄利亜千八百八年、造軍艦千百八艘、其大者至ㇾ設大砲百二十口、而闔國船夫凡十八万人、其盛可想、斯所以在太西中又稱最倔彊也、邦人詎可溟涬然立其下風而絶無大作耶、邇者関東州一大矦命有司新造蘭製小鑑、泛之池沼、以験其可用與一ㇾ否、亦可有志之君也已、

 

(読み下し文)

方今、務(つとめ)に當(あた)り水戦より急なるは莫(な)し。水戦を講(なら)はんと欲すれば、船艦を改作すること西洋の制(つくり)の如くするに非ざれば、必ず大用効くこと能(あた)はざるなり。蘭書造船の制(つくり)を録(しる)すこと頗(すこぶ)る詳(つまび)らかにして、邦人の翻訳者尟(すくな)しと為さざるも、猶(なほ)其れ書を以って馬を御(ぎょ)すの失(あやまち)に流るるを虞(おそ)る。請(ねがはく)は更に蘭賈(ランコ)に参互考覈(サンゴコウカク)を命じ、其の長ずる所を盡(つく)せしむを。斯(かく)して逗漏(トウロウ)を免るべし。費用に至りては則ち必ず應(まさ)に貲(はか)らざるべし。其の國家急務爲るを洞知(トウチ)すれば、散財を惜しまず。然る後以て緒に就くべし。然りと雖も一時に多く造るは国力豈(あ)に能(よ)く支へん。但(ただ)徐々に漸(ゼン)を以って改製す、其れ可也(かなり)。太西諸国、航海を以って第一緊要と爲す。故に毎歳経費惟(ただ)船艦のみを最大と爲し、以って舟楫(シュウシュウ)の利、五大州に冠する所なり。聞くならく、諳厄利亜(アンゲリア)千八百八年、軍艦千百八艘を造る。其の大なるは大砲百二十口を備へて、闔國(コウコク)船夫凡(おほよそ)十八万人。其の盛んなるを想ふべし。斯(これ)太西中に在りて又最も倔彊(クッキョウ)と稱する所以(ゆゑん)なり。邦人詎(あに)溟涬(メイケイ)然として其の下風に立ちて大作絶無なるべきや。邇(ちかく)は関東州一大矦(コウ)有司に命じ蘭製小鑑を新造し之(これ)を池沼に泛(うか)べ、以って其の用ふべきかと否かとを験(ため)す。亦有志の君と謂うべきなり。

方今(現在) ・大用(効用) ・蘭賈(オランダ商人)・参互考覈(サンゴコウカク)(比較検討)・逗漏(トウロウ)(理解の遅れや漏れ) ・洞知(トウチ)(熟知) ・漸を以て(順序を追って)・舟楫(シュウシュウ)(舟と舵 転じて水運のこと)・諳厄利亜(アンゲリア)(イギリス) ・闔國(コウコク)(全国)・倔彊(クッキョウ)強い国、強い人、強情で屈しない ・溟涬(メイケイ)然(漠然) ・大作(すぐれた制作をすること) ・(コウ)(大名) ・有司(役人)

 

(現代語訳)

 現在為すべき任務の中で海戦ほどの急務は無い。海戦を習うなら艦船を改めて作り西洋の船の構造と同じようにしなければ、効果を出すことができないだろう。オランダの書物には造船について詳しく書かれており、日本人の翻訳者も少なくないが、それだけでは本の知識だけで馬を乗りこなそうとして失敗するのと同様の失敗に陥るおそれがある。願わくは更にオランダ商人に書物の比較検討を命じて、それらの長所を利用したい。そうすれば理解の遅れや漏れを避けることができるだろう。

 費用については考えるべきではない。国家の急務であることを考えれば散財を惜しむべきではない。そうしてはじめて事を始めることができる。しかしそうかといって一時に多くの船を造ろうとしても国力がもつはずがない。徐々に順序を追って造船する、それが良いだろう。

 ヨーロッパ諸国は航海を最も重要なことと考えている。そのため毎年の経費は船艦にかかるものが最大であり、海運の利益は世界に冠たるものになっている。聞くところによると、イギリスは1808年に軍艦1108艘を造っており、そのうち大きいものは大砲120口を備える。全国の船員はおよそ18万人。海運の隆盛ぶりがうかがえる。これがイギリスが西洋諸国中で最強と言われる理由である。

 日本人はぼんやりとその風下に立ち、全く何もできずにいて良いものか。近年では関東のある大名が役人に命じオランダ製の小鑑を新造しこれを池にうかべその実用性を試した。志のある君主と言うべきである。

 

其七(船艦と銃砲の重要性・・老中や家老も関与せよ)

吾聞俄羅斯主嘗命造巨鑑、既成、主親検視、俄羅斯凡百易簡、故克如此、而其重船艦之情亦可想也、本邦與太西俗殊尚、難一一倣傚、 今果欲新造大艦、君上固不親臨、然不漫委諸下吏群匠、當大臣察其堅監精、則天下咸知船艦爲國家重器、而務盡製造之方可矣、又諸兵器中炮銃爲制ㇾ敵之第一、而邦人概以爲賤士小卒之所一ㇾ事、列矦貴人不肯専力于此、亦屬拘泥之失、自今後當上自宰輔、下至士庶、同然務精上ㇾ之、則擧世自然競務研錬、何患術之難一ㇾ工耶、

 

(読み下し文)

吾聞くならく、俄羅斯(オロシャ)(あるじ)(かつ)て命じ巨鑑を造らんとし、既に成れば主(あるじ)(みづか)ら検視すと。俄羅斯(オロシャ)凡百(ボンピャク)易簡(イカン)なり、故(ゆゑ)に克(よ)く此(かく)の如くす。而(しこう)して其の船艦を重んずるの情亦想うべきなり。本邦太西と俗(ならはし)を異にし尚(このみ)を殊(こと)にす。一一(イチイチ)倣傚(ホウコウ)し難(がた)し。今果たして大鑑を新造せんと欲さば、君上固(もと)より親臨を煩(わづらは)さず。然(しか)し漫(みだり)に諸下吏群匠に委(ゆだ)ぬべからず。當(まさ)に大臣に命じ其の堅盬(ケンコ)精觕(セイソ)を覈察(カクサツ)すべし。則ち天下咸(みな)船艦の國家重器爲(た)るを知りて、務めて製造の方(てだて)を盡(つく)すべし。又諸兵器中、炮銃敵を制するの第一と爲すも、邦人概(おほむ)ね賤士小卒の事(つか)へる所と爲す。列矦貴人、此(ここ)に専力(センリョク)するを肯(がへん)ぜず、亦拘泥の失(あやまち)を屬(つづけ)る。今より後、當(まさ)に上は宰輔より下は士庶に至り、同然に務めて之に精(くは)しくなるべし。則ち擧世(キョセイ)自然競い研錬に務む。何ぞ術の工(たくみに)し難きを患(うれ)ふや。

凡百(ボンピャク)(人民) ・易簡(イカン)(素朴で率直) ・倣傚(ホウコウ)(模倣) ・堅盬(ケンコ) (堅いかもろいか) ・精觕(セイソ)(緻密か粗いか)  ・覈察(カクサツ)(調査) ・賤士小卒(身分の低い戦士) ・専力(センリョク)(力を一事に向ける) ・擧世(キョセイ)(世の中全体) 

 

(現代語訳)

 私が聞くには、ロシア国王はかつて巨艦の製造を命じ、完成したら国王自ら点検したという。ロシアの人民は素朴で率直なためこのようなことができるのだが、国王の艦船を重視する気持ちは理解できる。わが国は西洋とは文化や好みを異にするので、すべてを模倣することはできない。

 今もし大艦を新造しょうとすれば、君主自らが監督する必要はない。しかし漫然と下級役人や大工に任せきりにしてはいけない。老中や家老に命じてその堅固であるか脆いか、精密であるか粗雑であるかを調査させるべきである。そうすれば天下は皆、船艦が国家にとって重要な製造物であることを認識して、製造に工夫、努力を尽くすようになるだろう。

 また、様々な兵器の中で、銃砲こそが敵を制圧するのに第一のものであるが、日本人は銃砲は身分の低い兵士の扱うものと考えている。大名や高位の武士はこれに力を注ぐことをよしとせず、過去のやり方にこだわるというあやまちを続けている。今後は家老から庶民に至るまで同じように務めてこれに精通すべきである。世の中全体で競争して研鑽に務めれば、銃砲の技術の上達に悩むこともないだろう。

 

其八(航海の訓練の重要性と貿易による富国について)

船艦既成、銃炮既具、當諸営督将隊長、數數講水戦於品海、務要進退操縦莫一ㇾ意、諸矦則使其國中河海肆習焉、可也、顧水軍變動叵測、必試之於實事、然後始盡其妙、不専靠品海練習也、當寛永前舊制、遠往天竺暹羅安南等地方互市、苟巧其術、亦可以資富國、然吾所急、別自有在、不必汲汲於交易之利、務使吾船艦奔馳于絶海洪濤虜舟如織之際、而如枕席上、無一ㇾ少危難、斯可以供異日緩急之用矣、斯爲善矣、

 

(読み下し文)

船艦既に成り、銃炮既に具(そな)はれば、當(まさ)に諸営督将、隊長に命じ、數數水戦品海(ヒンカイ)に於て講(なら)ふべし。務(つと)めて進退操縦不如意(フニョイ)(な)きを要す。諸矦則ち使(もし)其の國中の河海に於いて肆(ほしいまま)に焉(これ)を習はしめば可なり。顧(おもふ)に水軍變動測り叵(がた)く、必ず之を實事に於て試し、然る後始て其の妙(ミョウ)を盡(つく)すべし。専ら品海に靠(もた)れ練習すべからざるなり。當(まさ)寛永前の旧制に復し、遠く天竺・暹羅(シャム)・安南等の地方に往き互市(ゴシ)すべし。苟(いやしく)も其の術巧(たくみ)なれば、亦以て富國を資(たす)くすべし。然(しか)れども吾急ぐ所、別に自(おのづ)から在ること有り、必ずしも交易の利に汲汲とせず。務(つと)めて吾(わが)船艦、絶海洪濤(ゼッカイコウトウ)に虜舟織るが如しの際に奔馳(ホンチ)し、枕席上従(よ)り過(す)ぐるが如くに、少しの危難も無くば、斯(これ)異日緩急の用に供するを以てすべし。斯(これ)(ゼン)と爲すなり。

諸営(多くの砦)・督将(全軍を率いる将軍)・品海(ヒンカイ)(品川沖)・務めて(必ず)・進退操縦(進むことと退くこと、引き締めることとゆるめること)・不如意(フニョイ)思うようにならないこと ・変動測り叵(がた)し(種々に変動して人智を以て測り難いこと)・妙を盡(つく)す(実力を発揮する) 互市(ゴシ)(貿易) ・絶海洪濤(ゼッカイコウトウ)(遠海の大波) ・織るが如く(織物を織るときの糸のように四方を頻繁に往来すること CF:織絡(ショクラク)=頻りに路を往来する、四方に往来する)・虜舟(外国船)・奔馳(ホンチ)(走り回ること) ・枕席上従(よ)り過(す)ぐ漢書趙充國傳「枕席上従り師を過ぐ」寝床の上を軍隊を通過させる=軍行が容易で安全にできることの喩え)・異日(将来)・緩急(急で差し迫ったこと、危急、緊急)

 

(現代語訳)

 船艦が完成し、銃砲もそなわれば、諸陣営を率いる武将は隊長に命じて品川沖で何度も訓練を行うべきだ。必ず、進むこと、退くこと、引き締めること、緩めることなど、思い通りにいかないことがないようにしなければならない。それは諸大名がもしその領国内の海や河で自由にこれを訓練できるようにすれば可能になるだろう。

 考えてみれば海軍の動きは種々に変化して人智を以て測り難いので、必ず実際の場面で試して、そうしてはじめて実力を発揮できるようになるだろう。専ら品川沖ばかりで練習していてはいけない。寛永前の旧制度(注1)に戻り、遠くインド、シャム、ベトナム等の地方に行って貿易を行うべきだ。もし航海術が巧みであればこれが国を富ます助けになるだろう。

 しかしわが国が急務とするところは別にあるのであって、それは必ずしも貿易の利益に汲々とすることではない。わが国の艦船が遠海の大波が立ち外国船が頻繁に往来しているところで走り回っても安全に運行して少しも危ういところがないようにすれば、将来の緊急の時に利用できる。これは良いことだと考える。

 

(注1)寛永10年(1633)奉書船以外の海外渡航禁止、寛永12年(1635)日本人の海外渡航および帰国を全面禁止し、幕府は鎖国へ向かった。それ以前の江戸初期にはむしろ幕府は海外貿易を奨励していた。

 

其九(時代錯誤の認識の弊害・・今や脅威は中国ではなく西洋とロシアだ)

舷膠柱、尤爲注措之巨蠹、施於瑣瑣小事、尚未其有大窒礙、防邊制虜之際、少有斯意、立致僨敗、蓋戎虜情形日變而月不ㇾ同、而吾欲數百歳前定勢概上ㇾ之、幾何不乎誤國一ㇾ民也、本邦孤懸於大洋中、四無隣並之國、其稍密邇者、獨漢韓耳、韓蕞茲小夷、無歯牙、漢則大矣、就中元如清、盛強冠絶寰宇、然絶不練水戦、故不甚懼、元嘗撊然来犯、大爲我師所摧敗、二十萬大軍、生還者僅々三人、自漢人我如羊於虎、於焉擧世自矜、爲全無外患之邦、然此特就五百年前形勢論、不方今事体迥乎別、何其拘也、輓近世泰西南取呂宋爪哇満刺加忽魯謨斯榜葛刺等國、東滅南北亞墨利加諸大邦、與我相距不甚邈、彼其戦艦、駕海乗風、轉瞚可至、又其俗長於水戦、殊可畏、若乃俄羅斯、則盡併北韃止白里之地、取柬察加、以漸侵蝦夷千島、抵宇留不、與ㇾ我爲接境壌界之邦、駸々有剥膚之勢、即使清人於航海者居上ㇾ之、且可憂慮、是海寇之可懼、實未於本邦、乃欲古昔高枕之日之心、制當今寝蛟藉虎之勢、奚其可也、厳冬霜雪既降、而欲絺綌以禦一ㇾ之、朝霧散、旭日升、而猶倀々持燭而行、噫亦舷膠柱之尤者已、

 

(読み下し文)

(ふなべり)を鍥(きざ)み、柱を膠(にかは)す、尤(もっとも)注措(チュウソ)の巨蠹(キョト)爲り。瑣瑣(ササ)たる小事に施さば尚(なほ)未だ其の大窒礙(チツガイ)有るを見ざるも、邊(くにざかひ)を防ぎ虜(えびす)を制するの際、少し斯(かか)る意有らば立(たちどころ)に僨敗(フンパイ)に致らん。蓋(けだ)し戎虜(ジュウリョ)情形日に變り月に同じからざるに、吾數百歳前の定勢を以て之を概(はか)らんと欲さば、幾何(いくばく)か國を誤り民に殃(わざはひ)するに至らざらんや。本邦大洋中に孤(ひと)り懸(かか)り、四(よも)に隣並(リンペイ)の國無し。其の稍(やや)密邇(ミツジ)する者は、獨(ただ)漢韓耳(のみ)。韓蕞茲(サイジ)たる小夷にして、歯牙に罥(か)くるに足らず。漢則ち大なり。就中(なかんづく)元の如き清の如きは盛強にして寰宇(カンウ)に冠絶(カンゼツ)す。然(しか)れども絶へて水戦を諳練(アンレン)せず、故に甚だ懼(おそれ)るるに足らず。元嘗て撊然(カンゼン)と来犯(ライハン)し、大いに我師に摧敗(サイハイ)せらる所と爲る。二十萬大軍、生還者僅々(キンキン)三人。此れより漢人の我を畏(おそ)るること羊の虎に於けるが如し。焉(ここ)に於て世を擧げ自矜(ジキョウ)し全く外患無きの邦と爲す。然(しか)し此れ特(ただ)五百年前の形勢に就ての論を立つるのみ。方今の事体迥(はるか)に別たるを悟らず。何其(なんぞそれ)(こだは)る也(や)。輓近(バンキン)の世、泰西、南は呂宋(ルソン)、爪哇(ジャワ)、満刺加(マラッカ)、忽魯謨斯(ホルムズ)、榜葛刺(ベンガル)等の國を取る。東は南北亞墨利加(アメリカ)諸大邦を滅す。我と相距(へだつ)ること甚だ邈(とほ)からず。彼其の戦艦、海を駕(しの)ぎ風に乗り、轉瞚(テンシュン)に至るべし。又其の俗(ならはし)水戦に長じ、殊(こと)に畏(おそ)るべし。若乃(さてまた)俄羅斯(オロシャ)、則ち盡(ことごと)く北韃(ホクダツ)止白里(シベリア)の地を併(あは)せ、柬察加((カムチャッカ)を取り、以て漸(やうや)蝦夷千島を侵略す。宇留不(ウルップ)に抵(いた)り、我と接境し壌界の邦と爲る。駸々(シンシン)剥膚(ハクフ)の勢を有す。即ち元清人の如く航海に拙(つたな)き者を之(ここ)に居らしめば、且(まさ)に憂慮すべし。是の海寇の懼(おそ)るべきこと、實(まこと)に本邦に於て甚しき者未だ有らざるなり。乃(すなは)ち古昔(コセキ)枕を高くするの日の心を以って當今(トウコン)(みづち)を寝(とど)め虎を藉(つな)ぎ之(この)勢を制(おさ)へんと欲すれど、奚(なんぞ)其れ可なるや。厳冬霜雪既に降りて、絺綌(チゲキ)を以て之を禦(ふせ)がんと欲し、朝霧散り旭日升(のぼ)りて猶ほ倀々(チョウチョウ)として燭(しょく)を持ちて行く。噫(ああ)(また)(ふなべり)を鍥(きざ)み、柱を膠(にかは)すの尤(もっとも)なる者なり。・

「舷(ふなべり)を鍥(きざ)む」:舟から川に剣を落とした者が舟の動くことを考えずに落ちた位置を舷(ふなべり)に印をきざんで岸に着いてから印の下を探そうとした故事。時勢の変化に気づかず古いしきたりを墨守する愚かさの例え。呂氏春秋の故事による。

「柱に膠(にかわ)す」琴柱(ことじ)を膠で固めて瑟をひくこと。状況の変化に対応できないことの例え。史記による故事。

・・・この二つの故事は侗庵の著書の中で頑迷固陋な儒学者兵学者を批判する際に頻出する。

注措(チュウソ)(措置)・巨蠹(キョト)(巨大な木くい虫 転じて大悪人、国家と人民に危害を及ぼす奸臣)・瑣瑣(ササ)(細かい) ・窒礙(チツガイ)(障碍、さまたげ)・僨敗(フンパイ)(敗北)・戎虜(外国)・四(よも)(四方)・密邇(ミツジ)(近接、接近)・蕞茲(蕞爾(サイジ)小さい)と同意か?) ・寰宇(カンウ)(天下・世界) ・冠絶(カンゼツ)(最も優れる)・諳練(アンレン)(習熟)・撊然(カンゼン)(荒々しく) ・来犯(ライハン)(侵略)・我師(我が軍)・摧敗(サイハイ)(くだけ敗れる)・自矜(ジキョウ)(自慢)・何其(なんぞそれ)(なぜ、どうして(疑問、反語))・輓近(バンキン)(近年)・泰西(西洋諸国)・轉瞚(テンシュン)(あっという間) ・若乃(さてまた)・北韃(ホクダツ)(北モンゴル)・接境(国境を接する) ・壌界(陸地の境界) ・駸々(シンシン)(どんどん急速に) ・剥膚(ハクフ)(膚を剥ぐ、根こそぎ奪い取ることの喩え 韓愈「鄆州谿堂詩序」の「剥膚椎髄(膚を剥ぎ髄をたたく)」より) ・當今(トウコン)(現在)・(みずち)(龍の一種) ・絺綌(チゲキ)(葛布) ・倀々(チョウチョウ)として (道に迷って、うろうろして) ・(ショク)(ともし火)

 

(現代語訳)

 船から川に剣を落として後から拾うために船べりに印を刻んだり、琴柱をにかわで固めてしまうなどの行為のように、状況の変化に気づかず融通のきかない愚行をやっているようでは、巨大な木くい虫のように国家と人民に危害を及ぼす存在になってしまう。ささいな小事にこうしたことを行ってもまだ大問題にはならないが、国防の際にこうしたことがあれば、たちまち敗北につながるだろう。

 思うに、外国の情勢は日々変わっているのに、自分たちは数百年前の情勢をもとにこれを対処しようとすれば、どれほど国の方針を誤り人民を苦しめることになるだろうか。わが国は大洋中に孤立して隣接する国はない。やや近くにあるのは韓国と中国のみ。韓国は取るに足らない小国でしかない。中国は大国であり、特に元や清は世界の中でも最も栄えていた。しかし全く海戦に習熟しておらず、恐れるほどではない。元はかつてわが国を襲撃したが大いにわが軍に打ち破られ、二十万の大軍で生還者はわずが三人だった。これ以後中国人のわが国を恐れることは羊が虎を恐れるが如きであった。これにより国中慢心して、わが国に外国からの侵略は無いのだと考えるようになった。

 しかしこれは五百年前の情勢に基づいて考えているだけのことであり、現在の状況は全く異なっていることを理解していない。なぜそんな考えにこだわっているのだろうか。

 近年では西洋諸国は南はルソン、ジャワ、マラッカ、ホルムズ、ベンガル等の国を取り、東は南北アメリカ大陸の諸国を滅ぼしている。わが国と西洋諸国とはそれほど遠く隔たっておらず、彼らの戦艦は海を越え、風に乗ってあっという間に来るだろう。彼らは海戦を得意としており、これは特に恐るべきことである。

 一方ロシアは北モンゴルとシベリアの地をことごとく併呑し、カムチャッカを取り、次第に蝦夷、千島を侵略し、ウルップ島に至り、わが国と国境を接する隣国となっており、どんどんと根こそぎ奪い取っていくような勢いがある。したがって、元や清の人間のような航海術の未熟な者をここに居させているのはまさしく憂慮すべき事態である。

 こうした海からの侵略はわが国において最も恐るべきことである。昔のように枕を高くして寝ていた時代の心がけで、現在西洋やロシアの脅威を抑えようとしても何でそんなことができようか。それは厳しい冬にすでに雪も降っているのに葛の布で寒さを防ごうとしたり、朝霧が晴れ朝日も昇っているのにうろうろと灯火を持って歩くようなものだ。ああこれも船べりに印を刻んだり、琴柱をにかわで固めてしまうのと同様な愚行の典型だ。

 

其十(対ロシアの蝦夷地守備が全く不備であること)

俄羅斯之彊熾、果懐不良之心、凡吾沿海之地皆可憂虞、而莫於北陲、彼敢捍然盗據我沿海北陸山陰西海之地、以我全盛之力、奚難於電掃、若乃蓄鋭覰虚、侵蝦夷諸島、漸逼松前、防遏殊覺易、蓋松前迤北、延袤五六百里、地既曠莽、兵備單寡、加以城堡可據守、胡来、恐或如無人之境洵可ㇾ憂也、必也自松前恵土呂不、中間築堡砦十餘、戍卒無闕、船艦炮銃備設、然後可於外侮、不然而以其未一ㇾ寇害也、晏然自謂處泰山之安、是古賢所謂以天幸常者已、吁亦危矣、

 

(読み下し文)

俄羅斯(オロシャ)(これ)彊熾(キョウシ)にして、果(はたし)て不良の心を懐(いだ)かば凡そ吾が沿海の地皆憂虞(ユウグ)すべし。而(しか)して北陲(ホクスイ)より危きは莫(な)し。彼敢て捍然(カンゼン)と我が沿海、北陸、山陰、西海の地を盗據(トウキョ)せば、我が全盛の力を以って、奚(なん)ぞ電掃の難(かた)からんや。若乃(もしすなはち)、鋭(エイ)を蓄(たくは)へ虚を覰(うかが)ひ、蝦夷諸島を侵擾(シンジョウ)し、漸(やうや)松前に逼(せま)らば、防遏(ボウアツ)(こと)に易(やす)からずと覺(おぼ)ゆ。蓋(けだ)し、松前迤北(イホク)、延袤(エンボウ)五六百里、地既に曠莽(コウモウ)、兵備單寡(タンカ)、加ふるに城堡(ジョウホウ)胡(えびす)来たらばに據守(キョシュ)すべからざるを以て、恐らく或いは無人の境(さかひ)に入るが如くならん。洵(まこと)に憂うべきなり。必ずや松前より恵土呂不(エトロフ)に訖(いた)り、中間に堡砦(ホウサイ)十餘りを築き、戍卒(ジュソツ)(か)くこと無く、船艦炮銃備(そな)へを設くべし。然(しか)る後外侮(ガイブ)を免るべし。然(しか)らずして其の未だ寇害(コウガイ)に罹(かか)らざるを以て、晏然(アンゼン)として自(おのづ)から泰山の安きに處(を)ると謂(おも)はば、是れ、古賢の謂(い)ふ所の天幸を以って常と爲(な)す者なり。吁(ああ)(また)危きかな。

彊熾(キョウシ)(強く盛ん) ・憂虞(ユウグ)(うれいおそれる) ・北陲(ホクスイ)(北の辺境) ・捍然(カンゼン)(猛々しく) ・盗據(トウキョ)(力ずくで占拠する) ・電掃(素早く一掃すること)・若乃(もしすなはち)(ところが、しかし) ・鋭(エイ)(強勢の軍隊) ・(すき、油断) ・侵擾(シンジョウ)(侵し乱すこと) ・防遏(ボウアツ)(防ぎ止めること) ・迤北(イホク)(以北、これより北) ・延袤(エンボウ)(延長)・曠莽(コウモウ)(広々と草深い) ・單寡(タンカ)(少ない、わずか) ・城堡(ジョウホウ)(城や砦) ・據守(キョシュ)(たて籠って守ること) ・戍卒(ジュソツ)(国境を守る兵士) ・外侮(ガイブ)(外国からのあなどり)・寇害(コウガイ) (賊の害を被ること) ・晏然(アンゼン)(のんびりしていること) 

 

(現代語訳)

 ロシアは強く盛んな国であり、もし良からぬ心を懐くようになればわが国のすべての沿海地方は皆恐れ憂えるべきだが、とりわけ北の辺境の地が最も危い。ロシアがあえて猛々しくわが国の沿海、北陸、山陰、西海の地を力ずくで占拠したら、わが国は全力を以てすれば素早く一掃することも困難ではないだろう。しかし強勢の軍隊を蓄え、すきをうかがい蝦夷諸島を侵略し次第に松前に迫ってきたら、これを防ぎ止めることは容易ではないと思う。なぜなら松前以北は延長五・六百里もあり、広々と草深く兵備は少ない。加えて拠って守るべき城や砦も無いため、敵が来れば恐らく無人の国境に入るようなものになるだろう。まことに憂うべきことだ。

 必ず松前からエトロフに至る間に十余りの砦を築き、国境を守る兵士を欠かさず、船艦や銃砲を備えるべきだ。そうしてはじめて外国からのあなどりを免れることができる。それをしないで未だに賊の害を被っていないことを以て、のんびりと何もせずに泰山のように安全な所にいるのだと思っているようでは、いにしえの賢人が言う所の幸運が常にあるものと思い込んでいる者と同じである。ああ、危いことだ。

 

其十一(準備不足のまま島嶼奪還の遠征をして敗北を重ねれば亡国につながる)

本邦爲一海國、故所轄島嶼、星羅於海中、而又類守兵單闕、船銃不備、虜或挟無饜之欲、輕師掩襲一二小島、果能保失乎否也、彼已竊據小島以逼我、若棄而不争、則喪我屬邑、而漠然不卹、無以令乎下、果欲復之、則船舶未牢、水戦未諳練、安得而奏捷、其或者一征不克、再征亦北、忿兵仍發、至師老財匱、而國爲之疲耗、或如秦政事胡、擧謫徒邊、兆庶疾苦、而陳呉之難作、隨欲高麗、傾海内衆再渡遼、而區宇繹騒、群盗蜂午起、不知、此事勢之極可憂慮者也、

 

(読み下し文)

本邦一海國爲り、故(ゆゑ)に所轄島嶼(トウショ)、海中に星羅(セイラ)す。而して又類(おほむね)守兵單闕(タンケツ)にして、船銃備へず、虜(えびす)或は無饜(ムエン)の欲を挟(さしはさ)み、輕師一・二小島を掩襲(エンシュウ)せば果して能(よ)く保(たも)ち失はざるや否や。彼已(すで)に小島を竊據(セッキョ)し以て我に逼(せま)る。若(も)し棄てて争はざれば、則ち我属邑を喪(うしな)ふ。而(しか)して漠然として卹(うれ)へず、以て下に令することも無し。果して之を復(かへ)さんと欲さば則ち船舶未だ牢(かた)からず、水戦未だ諳練(アンレン)せず。安(いづく)んぞ奏捷(ソウショウ)を得んか。其れ或者(あるいは)一征して克(か)たず、再征し亦(また)(に)げば、忿兵(フンペイ)(しきり)に發(おこ)り、師老(つか)れ財匱(とぼ)しく國之(これ)が爲(ため)に疲耗(ヒコウ)するに至らん。或いは秦政、胡(えびす)を事(こと)とし謫徒(タクト)を擧(あ)げ邊(ほとり)を戍(まも)り兆庶(チョウショ)疾苦(シック)して陳呉の難作(おこ)り、隨の高麗を滅(メツ)せんと欲し海内(カイダイ)の衆(おほく)を傾け再び遼に渡りて區宇(クウ)繹騒(エキソウ)、群盗蜂午(ボウゴ)起るが如し。知るべからず、此の事勢(ジセイ)の極めて憂慮すべき者なるを。

星羅(セイラ)(星のようにつらなること) ・單闕(タンケツ)(少なくて不足している) ・無饜(ムエン) (飽くことのない) ・輕師(軽装の軍隊) ・掩襲(エンシュウ)(敵の不意を襲うこと) ・竊據(セッキョ) (不法に占拠すること) ・奏捷(ソウショウ)(勝利の報告を天子に奏聞すること)・(にぐ)(逃げる、敗れる) ・忿兵(フンペイ)(憤り騒ぐ軍隊) (軍隊)・疲耗(ヒコウ)(窮乏)・秦政(秦の始皇帝) ・謫徒(タクト)(罪人)・擧ぐ(登用する 用いる)・(ほとり)(国境)・兆庶(チョウショ)(民衆) ・疾苦(シック)(悩み苦しむこと) ・陳呉の難陳勝呉広の乱 秦末期の農民反乱、秦の滅亡につながった) ・海内(カイダイ)(国内) ・區宇(クウ)(天下) ・繹騒(エキソウ)(絶え間なく騒がしいこと) ・蜂午(ボウゴ)(蜂起 雑踏) ・事勢(ジセイ)(事のなりゆき)

 

(現代語訳)

 わが国は海国である。それゆえ属する島が海中に星のように連なる。しかしその守兵は皆不足しており、船や銃は備わっておらず、外国がもし欲を出して軽装の軍隊で一つか二つの島を奇襲したなら果たしてよく守って失わずにいられるだろうか。彼はすでに小島を不法占拠しわが国に迫っている。もしこの小島を捨てて争わなければ、わが国に属する村を失うことになる。しかしぼんやりと悩むこともなく下に命令することもしていない。もしこれを取り戻そうとしても、船舶は堅牢でなく海戦にも不慣れだ。こんなことでどうして勝利の報告を上げることができようか。

 あるいは一度遠征して勝てず、再び遠征してまた逃げ帰れば兵の騒乱が頻発し、軍の疲弊、財政逼迫により国が窮乏するに至るだろう。それは秦の始皇帝が異民族を問題視し罪人を使って国境を守った結果人民が苦しんで陳勝呉広の乱が起きたことや、隋が高麗を滅ぼそうとして国内の多くの人を動員して二度も遼河を渡り遠征した結果天下の争乱や群盗の蜂起が起きたことと同じだ。こうした事の成り行きが憂慮すべきことであるのを誰も知らない。

 

其十二(イギリスの隆盛は艦船と銃砲による)

諳厄利亞在歐邏巴西北海中、特眇乎一島耳、原分諳厄利亞喜百利亞思可齊亜三國、邇年諳厄利亞呑二國、寝強盛、然即混合三國、且小於本邦、又在北極出地五十餘度、寒沍凛慄、人物艱於蕃庶、而兵力之鋭、所當無摧碎、以漸呑噬五大洲、伊斯把尼亞波爾杜瓦爾所有之地、大半爲其所一ㇾ陥、和蘭占據之國、亦多見奪、聞近者克榜葛刺、又殆取印度三分之一、其勢赫濯不抗、國於两間者、満清之外、俄羅斯稱最盛、諳厄利亞幾與之抗、威風且出乎其上、無ㇾ他船艦牢而炮銃精故也、船銃之裨乎海防此、邦人安可之度外而泊然莫之間耶、

 

(読み下し文)

諳厄利亞(アンゲリア)歐邏巴(ヨーロッパ)西北海中に在り、特(ただ)(ビョウ)なる一島のみ。原(もと)は諳厄利亞、喜百利亞(ヒベルニア)、思可齊亜(スカッシア)三國に分る。邇年(ジネン)諳厄利亞二國を呑み、寝て強盛たり。然れば即ち三國を混合す。且(これ)本邦より小にして又北極出地五十餘度に在り、寒沍(カンゴ)凛慄(リンリツ)、人物(ひともの)蕃庶(バンショ)に艱(かた)し。而(しか)して兵力の鋭(エイ)なること當る所摧碎(サイサイ)せざる無し。以て漸く五大洲を呑噬(ドンゼイ)す。伊斯把尼亞(イスパニア)、波爾杜瓦爾(ポルトガル)有する所の地、大半其の陥れる所と爲る。和蘭(オランダ)占據の國、亦多く奪ふを見る。聞くならく近くは榜葛刺(ベンガル)に克(か)ち、又殆ど印度三分の一を取る。其の勢ひ赫濯(カクタク)(あた)るべからず。两間に於ける國は、満清の外、俄羅斯(オロシャ)最盛と稱す。諳厄利亞(アンゲリア)(ほとん)ど之(これ)と抗(あた)る。威風且(まさ)に其の上に出んか。船艦牢にして炮銃精なること他に無き故(ゆゑ)なり。船銃の海防を裨(たす)くこと此(ここ)に至る。邦人安(いづく)んぞ度外に之(これ)を抛(なげう)ち、而して泊然(ハクゼン)(この)問ひ莫(な)きを可(よし)とするや。

諳厄利亞(アンゲリア)(イギリス) ・(ビョウ)(細かく小さい) ・喜百利亞(ヒベルニア)(アイルランド)・思可齊亜(スカッシア)(スコットランド) ・邇年(ジネン)(近年)・北極出地(古代中国の天文学で観測地の位置を示す概念で、現在の北緯に等しい)・寒沍(カンゴ)(厳しい寒さ) ・凛慄(リンリツ)(寒さがしみるさま) ・蕃庶(バンショ)(増えること) ・(エイ)(強く優れていること) ・摧碎(サイサイ) (打ち壊す) ・呑噬(ドンゼイ)(侵略) ・赫濯(カクタク)(盛大で) ・两間(世界) ・抗(あた)る( 張り合う 対抗する) ・(堅固) ・(強い) ・此に至る(これほどまでなる) ・泊然(ハクゼン)(あっさりと 淡々として) 

 

(現代語訳)

 イギリスはヨーロッパの西北海中にある小さな島にすぎない。もとはイングランドアイルランドスコットランドの三国に分かれていて、近年イングランドが二国を併合して強盛となり、三国が混合した。

 この国はわが国よりも小さく、北緯五十数度に在り厳しい寒さで人や作物が繁殖するのはは難しい。しかし兵力は強く優れており当たるところすべてを打ち壊す。これにより次第に世界を侵略していった。スペインやポルトガルが所有していた土地の大半を陥落させ、オランダの占領地も多くを奪った。聞くところでは最近はベンガルに勝ち、また殆どインドの三分の一を取ったという。その勢いは盛んで止められない。世界の中の国では清の他にはロシアが最も盛んであると言われるが、イギリスはほとんどこれに匹敵する。威厳のあることではロシアより上かもしれない。船艦の堅固なことや銃砲の精巧なことが他にないほどだからである。

 船や銃が海防ではこれほどまでに役立つのである。日本人はどうしてこれについて考えもせず、しかも淡々として問うこともしないのを良しとしているのか。

 

 

其十三(西洋の長所を取り入れようとしなかったトルコは衰退した) 

都兒格宇内至彊國也、其始起亜細亜之那多里亜、眇乎一小夷、兵威日張、所呑滅八十國、遂入歐邏巴、滅尼勒西亞、殺其主而代之、降於近代、則屢挫於俄羅斯、蹙國不尟、小韃靼悉而葛旋熱阿而入亜等地、大都爲俄羅斯所一ㇾ奪、兵力迥不乎曩時也、據西洋史、古者都兒格人一可西洋四、以其拳法之妙與刀劔之銛利也、今則西洋之一可都兒格之四、以其精究火器之用也、若云則是参稽彼此而論、今也太西兵一千、頓呈八千人之用、國之盛強爲何如也、都兒格與俄羅斯熱爾瑪尼亜等國、隣比力争累百載、而不彼之長以自強、其不時務之要甚矣、

 

(読み下し文)

都兒格(トルコ)、宇内(ウダイ)に至て彊國(きょうこく)なり。其の始めは亜細亜の那多里亜(ナタリア)に起くる眇(ビョウ)たる一小夷なり。兵威日に張り、呑滅(ドンメツ)する所八十國。遂に歐邏巴(ヨーロッパ)に入り尼勒西亞(ペルシア)を滅(ほろぼ)し、其の主を殺して之(これ)に代る。近代に降(くだ)り、則ち屢(しばしば)俄羅斯(オロシャ)に挫(くじ)かれ、國を蹙(せば)めること尟(すくな)からず。小韃靼(ショウダッタン)、悉而葛旋(シルカセン)熱阿而入亜(ジョージア)等の地、大都(タイト)俄羅斯(オロシャ)の奪ふ所と爲る。兵力迥(はるか)に曩時(ノウジ)に及ばざるなり。西洋史に據(よ)らば古くは都兒格(トルコ)人一、西洋四に敵(あた)る。其の拳法の妙と刀劔の銛利(センリ)とを以てなり。今則ち西洋の一、都兒格(トルコ)の四に抗(あた)るべし。其の火器の用の精究(セイキュウ)を以てなり。云ふ所の若(ごと)く則ち是れ彼此(かれこれ)を参稽(サンケイ)しての論なり。今や太西の兵一千、頓(たちまち)八千人の用を呈(しめ)す。國の盛強何如(いかん)と爲すや。都兒格(トルコ)と俄羅斯(オロシャ)熱爾瑪尼亜(ゲルマニア)等の國と、隣比(リンピ)力争(リキソウ)百載(ヒャクサイ)を累(かさ)ぬ。而(しか)して彼の長を取り、以て自強(ジキョウ)するを知らず。其れ時務の要(かなめ)に達せざること甚しきかな。

宇内(ウダイ)(世界) ・亜細亜之那多里亜(アジアのナタリア アナトリア半島のことか?) ・(ビョウ)(小さい) ・小韃靼クリミア半島のことか?)・呑滅(ドンメツ)(亡ぼす) ・悉而葛旋(シルカセン) (コーカサス山脈の北西部) ・大都(タイト)(あらまし すべて)・曩時(ノウジ)(むかし) ・銛利(センリ)(鋭いこと) ・精究(セイキュウ)(精密に究明すること) ・(にわかに、たちまち ただちに)・参稽(サンケイ)(照らし合わせて考える) ・熱爾瑪尼亜(ゲルマニア)(現在のドイツ、オランダ、ポーランドチェコスロバキアデンマーク等の国)・隣比(リンピ)(隣近所) ・百載(ヒャクサイ)(百年) ・自強(ジキョウ)(自ら努め励むこと 自ら強くすること)・時務(時代の急務) 

 

(現代語訳)

 トルコは世界一の強国だった。その始まりはアナトリア半島の小さな国だった。軍事力を日々増強し、滅亡させた国は80に及んだ。ついにヨーロッパに入りペルシャを滅ぼし、その王を殺してこれに代わった。

 近代に入るとしばしばロシアに負けて国土を縮小することが少なからずあった。クリミア半島コーカサス山脈の北西部、ジョージア等の地はすべてロシアが奪った。兵力ははるかに昔に及ばない。

 西洋史によると、古くはトルコ兵一人は西洋兵の四人に匹敵した。これは拳法の巧みなことと刀剣の鋭いことによるものである。今は西洋兵の一人がトルコ兵の四人に匹敵する。これは火器の精密な研究によるものである。このように西洋史が言っているのはトルコと西洋を比較しての論である。今や西洋の兵一千はたちまち八千人分の働きを示す。

 国家の盛強についていかに考えるべきだろうか。トルコはロシア、ゲルマニア等の国々と百年間争いを繰り返してきた。しかしトルコは彼らの長所を取り入れ自ら努め励むことを知らなかった。時代の急務を全く理解していなかったということだ。

 

其十四(大船製造禁止令について)

寛永而前、本邦賈舶往天竺安南台灣等國互市、陵軼風濤數百千里而無患、爾時船艦製造之堅牢可想、嗣後官病不良之民乗斯船、輕往泰西所據海島、以學祅教也、嚴設之禁、破壊大船小、帆檣不一竿、使之不上ㇾ巨海、以遏絶病原、於之、不惟大艦遭打壤、造船之制、亦佚而不傳、或曰、船制之變、不獨禁人趣祅教也、室町之季、群雄虎争、區宇劻勷、諸州逋逃之輩、失其依皈、因航海、刧掠外國、以飽己欲、明韓及爪哇安南呂宋暹羅諸國、咸蒙其毒、於是遣使來、懇請禁海寇、慶元撥亂甞一禁絶、寛永中天艸殲賊之後、罪人放竄流徒者無數、亦復頗抄掠海南諸國苦之、再來請遏止、幕朝惻然哀之、遂禁人之海外、改船制令狭陋外夷云、二説不同、要之隳毀巨船、實發于不一ㇾ己、而遂併失從來製船之法、可惜、雖然當時船艦雖能抵外國、猶未ㇾ爲甚完牢、在于今防海之大用、當法泰西、制作極其堅緻、不徒復慶元之舊制而已也、

 

(読み下し文)

寛永而前、本邦賈舶(コハク)天竺、安南、台灣等の國へ往(い)き互市(ゴシ)す。風濤を陵軼(リョウイツ)すること數百千里にして患(わずら)ひ無し。爾(その)時船艦製造の堅牢を想ふべし。嗣後官、不良の民斯の船に乗り、泰西の據る所の海島へ輕(かるがる)しく往き、以て祅教を學ぶに病(なや)むや、嚴しく之(この)禁を設け、大船を破壊し小と令(せし)め、帆檣(ハンショウ)一竿を過ぐるを得ず。之(これ)に巨海を陵(しの)ぐを堪へざらしめ、以て病原を遏絶(アツゼツ)す。之(ここ)に於て惟(ただ)大艦打壤(ダカイ)に遭(あ)ふのみならず、造船の制(つくり)、亦佚(イツ)して傳(つた)はらず。或(あるひと)曰く、船制の變、獨(ただ)人の祅教に趣(おもむ)くを禁ずるのみならざるなり。室町の季(すゑ)、群雄虎争、區宇(クウ)劻勷(キョウジョウ)、諸州逋逃(ホトウ)の輩(やから)、其の依皈(イキ)を失ひ、因(よっ)て海を航(わた)る。外國を刧掠(キョウリャク)し以て己の欲を飽(あ)く。明韓及び爪哇(ジャワ)、安南、呂宋(ルソン)、暹羅(シャム)諸國、咸(みな)其の毒を蒙(かうむ)る。是(ここ)に於て遣使(ケンシ)來りて海寇(カイコウ)の禁を懇請(コンセイ)す。慶元撥亂(ハツラン)し、甞(こころみ)に一(ひとたび)禁絶す。寛永中天艸(あまくさ)の賊を殲(ほろぼ)すの後、罪人放竄(ホウザン)(ル)(ズ)者無數、亦復(またふたたび)(すこぶ)る海南を抄掠(ショウリョウ)す。諸國之(これ)に苦しみ、再び遏止(アツシ)を來請す。幕朝惻然(ソクゼン)(これ)を哀(あはれ)み、遂に人の海外に之(ゆ)くを禁じ、船制を改め狭陋(キョウロウ)にして外夷に往くべからざらしむと云ふ。二説同じからず。之(これ)を要するに、巨船を隳毀(キキ)するは、實に已(や)むを得ざるに發するも、遂(つひ)に併(あは)せて從來製船の法(てだて)も失ふ。惜しむべし。然りと雖(いへど)も、當時船艦能(よ)く外國に抵(いた)ると雖(いへど)も、猶(なほ)未だ甚(はなはだ)完牢(カンロウ)爲(た)らず。今に在りて防海の大用を資(たす)けんと欲さば、當(まさ)に泰西に取法(シュホウ)し、制作其の堅緻(ケンチ)を極(きは)むべし。徒(いたづら)に慶元の舊制に復(かへ)すのみを可(よし)とせざるなり。

 

賈舶(コハク)(商船) ・互市(ゴシ)(貿易) ・陵軼(リョウイツ)(しのぎ越えてゆく) ・帆檣(ハンショウ)(帆柱) ・遏絶(アツゼツ)(根絶) ・打壤(ダカイ)(うちこわし) ・區宇(クウ)(天下) ・劻勷(キョウジョウ)(慌てふためいている) ・逋逃(ホトウ)(罪を犯し逃走している) ・依皈(イキ)(頼りにするところ)・刧掠(キョウリャク)(略奪) ・飽く(満足させる)・慶元(慶長と元和 江戸時代初期) ・撥亂(ハツラン)(乱を治める) ・放竄(ホウザン)(追放) ・(ル)(島流し) ・(ズ)(懲役刑) ・抄掠(ショウリョウ)(略奪) ・遏止(アツシ)(防止) ・幕朝(幕府と朝廷) ・惻然(ソクゼン)(気の毒に思って)・狭陋(キョウロウ)(狭くて汚い 狭くて貧弱)・隳毀(キキ)(取り壊すこと)・完牢(カンロウ)(欠点がなく堅固) ・取法(シュホウ)(模範として取り入れる) ・堅緻(ケンチ)(頑丈で精密なこと) 

 

(現代語訳)

 寛永以前(寛永16年 1639年の鎖国令以前)わが国の商船はインド、ベトナム、台湾等の国へ行き貿易をしていた。波風を越えること数百里であったが、航海に問題はなかった。その時の船の堅牢さを思うべし。以後幕府は、不良の民がこの船に乗り西洋諸国の占拠する島へ軽々しく行きキリスト教を学ぶことについて悩むことになると、厳しく禁教令を設け、大船を破壊し小船に変えさせ、帆柱は1本以内とし、大海を航海することができないようにして、これによりキリスト教の病原を根絶した。ここで大艦打ちこわしの目に遭ったのみならず、造船の方法も散逸して伝わらなくなった。

 ある人が言うには、大船建造の禁止はキリスト教禁止のためだけではない。室町時代の終り頃、群雄が争い天下が乱れているとき、罪を犯して諸国を逃げ回っている輩が行き場を失い海を渡り外国で掠奪をはたらきおのれの欲を満足させるようになった。明や韓国およびジャワ、ベトナム、ルソン、シャムの諸国は皆その被害を被った。そのためわが国に使いを出して海賊の禁止を懇願した。慶長、元和の江戸時代初期になり戦乱が収まり、試みに一度海賊を禁止した。寛永年間に天草の乱を平定した後、罪人で追放、島流し、懲役刑になった者が多数出て、また海外で略奪行為をかなり行うようになった。諸国はこれに苦しみ再び海賊禁止を懇願してきた。幕府と朝廷はこれを気の毒に思い、ついに海外渡航を禁止し、船の構造を改め、狭くて貧弱にして海外に行けないようにしたとのことである。

 この二つの説は同じではないが、要するに大船を取り壊したのは実にやむを得ない理由からであった。しかしこれにより従来の造船の手段・方法をも失ってしまった。これは惜しいことだった。

 しかし当時の船は外国に行っていたけれどその構造は完全で堅固であったわけではない。今の海防に役立てようとするなら、西洋諸国の手法を取り入れ頑丈で精密なものを目指さなければならない。いたずらに慶長・元和の頃の旧制度に復するだけでよいわけではない。

 

其十五(家康公の定めた大船建造禁止令を変えることこそその願いに合致する。制度は行き詰まれば変えるべし)

祖宗定制、狭小船舶、令海赴外夷、今乃改使牢且鉅、似祖宗之旨参差、此臣子所以憚沮不上ㇾ敢也、然祖宗之意、在止人往海外邪教、固亦爲政之要、迄于今、則夷虜狼呑之心日熾、眈眈垂涎、其於海防之方、宣漏舟之急、斯其猷爲與祖宗同、而意則脗合、祖宗上願、在鴻基遺緒、今改造船舶、諳練水戦、海防無闕、以固我疆圉、實祖宗在天之霊所欣慰也、在上者當明曉衆、以執祖制之故、然後従事焉、可也、明太祖折辱於我懐良親王、大怒、絶本邦、不與通、著之祖訓、然永楽以還、復與交通、嘉靖中本邦逋臣寇ㇾ明、明兵百戦百挫、向使我邦玉帛來往、諳熟我情形、豈至斯之狼狽哉、秖恨祖制之未上ㇾ盡也、本邦之制、諸矦無ㇾ子則國除、子又非十七歳而上、不封、今則年雖至幼、冒稱十七、其人無子、許他人子上ㇾ嗣、故諸侯無復以子絶者、洵爲至仁之擧、明則直變祖制、本邦則陰革成法、夫物窮則變、變則通、制宗之制、果於人情事體窒阻、安得硜然墨守乎、顧今日改造船舶、當万里怒涛坰途、使易易可上ㇾ外國、而禁異教之法、則不嚴、但絶異教、邦人之所長、海寇之患、未甞経意、而其禍尤可畏、故不彼而専論一ㇾ此也、

 

(読み下し文)

祖宗(ソソウ)(おきて)を定め、船舶狭小とし、海を越え外夷へ赴(おもむ)くべからざらしむ。今乃(すなは)ち改め、牢(ロウ)かつ鉅(キョ)とせしめば、祖宗の旨と参差(シンシ)するに似たり。此れ臣子(シンシ)憚沮(タンショ)し敢てせざる所以(ゆゑん)なり。然れども祖宗(ソソウ)の意、人海外に往き邪教を習ふを遏止(アッシ)するに在り。固(もと)より亦(また)(まつりごと)を敷くの要(かなめ)爲り。今に迄(いた)り、則ち夷虜(イリョ)狼呑(ロウドン)の心、日に熾(さかん)にして、眈眈(タンタン)(よだれ)を垂る。其の海防の方(てだて)に於て、宣しく漏舟を塞(ふさ)ぐの急の如くすべし。斯(ここ)に其の猷爲(ユウイ)、祖宗と同じからずして、意則ち脗合(フンゴウ)す。祖宗の上願(ジョウガン)、鴻基(コウキ)を鞏(かた)め、遺緒(イショ)を隆(たか)むるに在り。今船舶を改造し、水戦に諳練(アンレン)し、海防に闕(か)くるところ無く、以て我が疆圉(キョウギョ)を固めば、實に祖宗在天の霊の欣慰(キンイ)と為す所なり。上に在る者、當(まさ)に明らかに衆に曉(つ)げ、泥執を得ざるを以って祖制の故とすべし。然る後、事に従ふこそ可也。明の太祖、我が懐良親王に折辱(セツジョク)され大いに怒る。本邦を絶ち通を与えず、之を祖訓に著(あらは)す。然るに永楽以還(イカン)、復(ま)た交通を與(あた)ふ。嘉靖中本邦逋臣(ホシン)明を寇(あだ)し、明兵百戦百挫。向使(もし)我邦と玉帛來往(ギョクハクライオウ)し、我情形を諳熟(アンジュク)せば、豈(あに)(か)くの如くの狼狽に至らんかな。秖(まさ)に祖制を變ずることの未だ盡さざるを恨むなり。本邦の制、諸矦に子無くば則ち國除き、子又十七歳より上にあらざれば、封を襲ふを得ず。今則ち年至て幼なしと雖(いへど)も十七を冒稱(ボウショウ)し、其の人子無くとも他人の子を以って嗣(シ)と爲すを許す。故に諸侯、復(ま)た子無きを以って絶ゆる者無し。洵(まこと)に至仁の擧爲り。明則ち直ちに祖制を變じ、本邦則ち陰(ひそか)に成法を革(あらた)む。夫れ物窮(きはま)れば則ち變じ、變ずれば則ち通ず。宗(あとつぎ)を制(さだ)むるの制(おきて)、果(はた)して人情事體に於いて窒阻(チッソ)有らば、安(いづ)くんぞ硜然(コウゼン)墨守を得んや。顧(おもふ)に今日船舶を改造せば、當(まさ)に万里怒涛を視、坰途(ケイト)を履(ふ)むが如く易易(イイ)外國に到るべからしむべし。而して異教を禁ずるの法、則ち嚴しからざるべからず。但(ただ)し異教を絶つこと、邦人の長ずる所なり。海寇の患(わずら)ひ、未だ甞て意に経せざれば其の禍(わざはひ)(もっとも)(おそ)るべし。故(ゆゑ)に彼を舎(すてお)き、専ら此れを論ぜざるを得ざるなり。

祖宗(ソソウ)(君主の始祖 家康公) ・(ロウ)(堅固) ・(キョ)(大きい) ・参差(シンシ)(食い違うこと) ・臣子(シンシ)(臣下) ・憚沮(タンショ)(はばかる、嫌がる) ・遏止(アッシ)(防止) ・夷虜(イリョ)(外国)・狼呑(ロウドン)(狼のように貪る) ・眈眈(タンタン)(目を光らせ狙いを定めて) ・漏舟 (穴の開いた舟) ・猷爲(ユウイ)(行おうとすること)・脗合(フンゴウ)(上下の唇のようにぴたりと合う) ・上願(ジョウガン)(第一の願い) ・鴻基(コウキ)(王者の大事業の土台)・遺緒(イショ)(先人が残した事業)・諳練(アンレン)(習熟) ・疆圉(キョウギョ)(国境の近く、辺境) ・欣慰(キンイ)(安心) ・泥執(泥のような執着)・懐良(かねよし)親王南北朝時代、九州を支配した南朝方の親王。明の太祖から「日本国王」として倭寇の鎮圧を命ずる国書を受け取るが、懐良は使者を殺害、勾留するなどして命令を拒絶した。)折辱(セツジョク)(辱める)・以還イカン)(以後)・逋臣(ホシン)(逃亡した臣下) ・寇(あだ)す(攻撃する) ・玉帛來往(ギョクハクライオウ)(贈り物と訪問のやりとり) ・諳熟(アンジュク) (十分に理解すること) ・(領国) ・襲ふ(相続する) ・冒稱(ボウショウ)(詐称)・(シ)(跡継ぎ)・(跡継ぎ) ・事體(事情)・窒阻(チッソ)(障害)・硜然(コウゼン)(叩くとコツコツと音がするぐらい頭の固い小人物のように) ・坰途(ケイト)(遠い道) ・易易(イイ)(やすやすと) ・経意(ケイイ) (心にとめる 留意)

 

(現代語訳)

 家康公が制度を定め船舶を狭小にして海外へ行けないようにした。今もし制度を改め、船舶を堅牢かつ巨大にしたなら家康公の考えと食い違うように思える。このため臣下はこれを嫌がりあえてこうしたことはしていない。しかし家康公の意図は人々が海外に行ってキリスト教を習うのを禁止することにあり、これはもちろん政治の要点であった。

 現在では外国が侵略の心を日々燃えさからせ、目を光らせ涎を垂らしている。海防は舟にあいた穴をを塞ぐのと同じように至急行わなければならない。大船建造は、その行なおうとすることは家康公とは異なるが、その真意は上下の脣がぴたりと合うように一致するのだ。家康公の第一の願いは国家建設の大事業の基礎を固め、先人の残した事業を発展させることにある。今もし船舶を改造して海戦に習熟させ海防のすきが無いように国境の警備を固めれば、家康公の霊を安心させることになるだろう。上に在る者たちは昔の制度に何が何でも固執しないことこそが祖先の定めた制度の趣旨であることを皆に明確に説明すべきである。そうした後に仕事に携わるのがよい。

 明の太祖朱元璋はわが国の懐良親王から屈辱を受け大いに怒り国交を断絶し、これを先祖の教えとして残した。しかし永楽帝以後は国交を復活させた。嘉靖帝(在位1521~1566)の時代にわが国の逃亡した武士が明を攻撃し、明兵は百戦百敗だった。もしわが国と贈り物や訪問のやりとりをして、わが国の情勢をよく理解していたならばこのように狼狽することもなかっただろう。まさに祖先の定めた制度をしっかり変革しなかったのが残念なことだった。

 わが国の制度では、大名に子供がいなければ国が取り潰しになり、また子供が十七歳以上でなければ領国を相続できないことになっている。しかし今はもし子供が幼くても十七歳を詐称したり、その人に子供がなくても他人の子を跡継ぎとすることを許している。このため今では大名に子供がいなくてもそのために御家が断絶することはない。まことに思いやりのある政策である。

 明では直接に制度を変革し、わが国ではひそかに成文法を改めている。そもそも物事は行き詰まれば変わり、変われば通じるのである。跡継ぎを定める掟がもし人情や事情において障害になるのであれば、どうして頭の固い小人物のようにこれを墨守することができようか。

 思うに今日船舶を改造すればやすやすと外国に到達できるようになるだろう。しかしキリスト教禁止令は厳格である必要がある。但しキリスト教の禁圧は日本人の得意とするところであり、一方外国による侵略は未だ曾て経験したこともないことなのでその禍はとりわけ恐れなければならない。そのため禁教のことは捨ておいて専ら海防のことを論ぜざるを得ない。

 

其十六(キリスト教よりも武力の脅威を恐れよ)

西洋之取人國一、厥術匪一端、有祅教、致人崇信、然後唾手取之者、有船銃之巧、竭攻撃之力、多殺傷敵兵、而殄滅之、有先惑祅教、使衆心渙散不一、而後以兵勢芟夷者、爲祅教所一ㇾ誑而服降、及惑於祅教之餘、立被殲剽、皆其俗之佁儗、不皁白者、泰西是術、後来難復見一ㇾ效、故近歳大都誣敵罪、責敵負約、然後大興師徒以薙獮之、今我邦於虜、知異教誘民之害、而不銃砲舟艦力攻之禍、其蔽蒙甚矣、今有綠林盗、糺其黨、或甘言誘令皈乎已、或白刃迫脇令亂、人徒誘於甘言是懼、而不其有白刃威制之術、一旦勢力見脇、膽悸神飛、翻然從之、可醜甚也、嗟嗟獨洞悉祅教之害、而不其有窮兵力征之害、其亦脇乎白刃而甘心從賊之類也夫、

 

(読み下し文)

西洋の人國を取る厥(その)術一端にあらず。祅教を扇(あふ)り、人を崇信に致し、然(しか)る後唾手(ダシュ)し之(これ)を取る者有り。船銃の巧(コウ)を逞(たくま)しくし、攻撃の力を竭(つく)し、多くの敵兵を殺傷して之(これ)を殄滅(テンメツ)する者有り。先(ま)ず祅教を以って惑(まどは)し衆心を渙散不一(カンサンフイツ)にせしめ、而後(ジゴ)兵勢を以って芟夷(サンイ)する者有り。祅教の誑(たぶらか)す所と爲りて服降(フクコウ)し、及び祅教に惑ふの餘り、立(たちどころ)に殲剽(センヒョウ)せらる。皆(みな)其の俗(ならはし)の佁儗(ナギ)にして、皁白(ソウハク)を判ぜざる者なり。泰西是(この)術、後来復(ま)た效(コウ)を見難し。故(ゆゑ)に近歳(キンサイ)大都(タイト)、敵に罪を誣(し)ひ、敵の負約(フヤク)を責む。然る後、大ひに師徒(シト)を興(おこ)し、以て之(これ)を薙獮(テイセン)す。今、我が邦虜(えびす)の異教に民を誘ふの害を防ぐを知れども、銃砲舟艦力攻の禍(わざはひ)に備(そな)ふるを知らず。其の蔽蒙(ヘイモウ)甚しきかな。今、綠林盗有り、其の黨(ともがら)を糺(あつめ)んと欲するに、或(あるい)は甘言(カンゲン)(おのれ)に帰せしむを誘ひ、或(あるい)は白刃迫脇(ハクキョウ)し亂に從はしむ。人徒(ただ)甘言に誘はるるのみを是(これ)(おそ)る。而して其の白刃威制の術有るを察せず。一旦勢力の脇(おびやか)すを見れば、膽悸神飛(タンキシンピ)翻然(ホンゼン)(これ)に從ふ。醜(は)づべきこと甚しきなり。嗟嗟(ああ)、獨(ただ)祅教の害のみを洞悉(トウシツ)して其の窮兵力征(キュウヘイリキセイ)の害有るを覚へず。其れ亦(また)白刃に脇(おびやか)されて甘心(カンシン)賊に從ふの類(たぐひ)なるかな。

 

唾手(ダシュ)(手に唾をつけて勇んで事を行うこと) ・(コウ)(腕前) ・逞(たくま)しくす(あからさまに出す 発揮する)・殄滅(テンメツ)(滅亡させる) ・渙散不一(カンサンフイツ)(ばらばらで不揃い) ・芟夷(サンイ)(反乱を平定すること) ・服降(フクコウ)(降伏) ・殲剽(センヒョウ)(亡ぼし略奪する)・(ならわし、風潮、文化)・佁儗(ナギ)(ぐずぐずとためらっていること) ・皁白(ソウハク)(黒か白か、善か悪か) ・後来(将来) ・(コウ)(効果) ・近歳(キンサイ)(近年) ・大都(タイト)(おおむね、すべて) ・誣(し)ひ(無いことを有ることにして) ・負約(フヤク)(約束違反)・師徒(シト)(軍隊)  ・薙獮(テイセン)(全滅) ・蔽蒙(ヘイモウ)(愚昧)・綠林盗(盗賊)・迫脇(ハクキョウ)(威力で脅迫すること) ・膽悸神飛(タンキシンピ)(胆がドキドキし、たましいが飛ぶように恐れおののいて) ・翻然(ホンゼン)(心をがらりと変えて) ・洞悉(トウシツ)(知り尽くすこと) ・窮兵力征(キュウヘイリキセイ)(兵力を尽くしての武力征伐)・甘心(カンシン)(自ら進んで) 

 

(現代語訳)

 西洋人が国を取る手段は一つではない。キリスト教を煽って人を信仰させその後に勇んでこれを取ることがある。船や銃炮にモノを言わせ、全力で攻撃して多くの敵兵を殺傷しこれを滅亡させることもある。まずキリスト教を使って民衆の心をばらばらにしその後兵力で反乱を平定することもある。キリスト教にたぶらかされて降伏したり、キリスト教に惑う余り立ちどころに滅ぼされ掠奪されるのだ。これらの人々の風潮や文化は皆ぐずぐずとためらって善悪の判断ができないというものだ。

 西洋のこの方法は将来も有効とは限らない。このため近年はおおむね敵に無実の罪を着せ、敵の約束違反を責め、その後に大いに軍隊を派遣してこれを全滅させる。

 現在わが国は外国によるキリスト教勧誘の害悪を防ぐことを知っているが、銃砲や戦艦による力攻めの災いに備えることを知らず、その愚かしさは甚だしい。

 盗賊が仲間を集めようとするとき、ある者は甘い言葉で自分に帰属するよう誘い、ある者は白刃で脅迫し反逆に従わせようとする。人はただ甘い言葉に誘われるだけのことでもこれをおそれる。しかし彼らには白刃で脅迫するという手段もあることに気づいていない。一旦盗賊の勢力が脅すのを見ればドキドキして魂が飛ぶように恐れおののいて、ころりとこれに従うだろう。恥ずべきこと甚だしい。

 ああ、ただキリスト教の害はよく知っているのに、兵力を尽くしての武力征伐の害を知らない。それはまた白刃に脅かされて自ら進んで賊に従うのと似たようなものなのだ。

 

其十七(秀吉の朝鮮出兵は無駄だった。この時海南諸島やカムチャッカを取っていれば西欧の勢いを挫いていたが今となっては手遅れ)

豊太閤壬辰之役、蹂朝鮮八道、摧明滔天之援師、斬馘百万級、使本邦威稜震乎殊俗、足曠古盛擧也、顧識者於是猶抱涯之憾、何也、斯時百戦之餘、梟将林立、猛士如虎如熊、所撃莫摧破、可以衡行寰宇、而海南爪哇呂宋臺灣等國、未盡爲泰西所據、即據焉、土人叛服参半、虜守備又未嚴整、以吾君臣之英武将卒之虓闞、果能詳晰時勢、諳海外動静、更造舶艦、多貯火器、亡豊太閤不上ㇾ親赴、又不必煩前田利家上杉景勝等赫赫大諸矦、但令加藤喜明藤堂高虎輩、督卒舟師數万、出渠不虞、可以無血刃遺鏃而取海南諸國、是扼亜細亜利未亜二大洲之咽喉、而逆挫歐邏巴勃興之鋒也、若乃柬察加之地、則爾時泰西未東北盡境有此大國、又未偵探之人、須北州諸矦蝦夷續續往綏懐其民、可以不寸兵而撫定、是搏亜細亜之背、而壓亜墨利加之胸也、進可以蠶食五大洲、退猶爲五大洲所讋伏、豈不偉歟、豈不盛歟、如之何、當日君臣、英猷有餘、而智慮未周浹、於外國事、茫如暗模然、是以前後七載、勞兵無用之地、徒多喪壮士、疲困國力、而吾封域不恢廣、又未疊於區宇、可慨也、今也業已失好機會、別無他策、當大設砲銃舟艦、嚴沿海備、以固守金甌間或進経略泰西不争之地耳、世有大志之士、乃欲盡取海南諸國及柬察加以張國威、立論不爲雄偉、然彼備禦今既周密、非易易平殄、幸得平殄、彼失有之國、烏敢怗然雌伏乎、必將捲土重来以争一ㇾ之、予恐兵連怨結、永醸無窮之患、未其可也、

 

(読み下し文)

豊太閤壬辰(ジンシン)の役、朝鮮八道を蹂躙し、明の滔天(トウテン)の援師を摧(くだ)き、斬馘(ザンカク)百万級。本邦威稜(イリョウ)を殊俗(シュゾク)に震(ふる)はしむること曠古(コウコ)の盛擧(セイキョ)と稱(ショウ)するに足るなり。顧(かへっ)て識者是に於て猶(なほ)無涯の憾(うらみ)を抱くは何ぞや。この時百戦の餘り、梟将(キュウショウ)林立し猛士虎の如く熊の如く、撃つ所摧破(サイハ)せざるものなく、以て寰宇(カンウ)に衡行(コウコウ)すべし。而して海南、爪哇(ジャワ)、呂宋(ルソン)、臺灣等の國、未だ盡(ことごと)く泰西の據(よ)る所と爲(な)らず。即ち焉(ここ)に據(よ)れば、土人叛服参半(サンパン)にして、虜(えびす)の守備又未だ嚴整(ゲンセイ)ならず。吾が君臣の英武(エイブ)将卒(ショウソツ)の虓闞(コウカン)を以て、果して能(よ)く時勢を詳晰(ショウセキ)にし、海外動静を諳(そらん)じ、更に舶艦を造り、多くの火器を貯(たくは)はば、亡論(ムロン)豊太閤親赴に勞(つと)めず、又必ずしも前田利家上杉景勝等、赫赫(カクカク)たる大諸矦を煩(わづらは)さず、但(ただ)、加藤喜明、藤堂高虎の輩(ともがら)に、舟師數万を督卒(トクソツ)し、不虞(フグ)出渠(シュッキョ)せしめ、以て血刃(ケツジン)遺鏃(イゾク)無くして海南諸國を取るべし。是れ、亜細亜、利未亜(リビア)二大洲の咽喉(インコウ)を扼(おさ)へて、歐邏巴(ヨーロッパ)勃興の鋒(ホウ)を逆に挫くものなり。若乃(さてまた)、柬察加(カムチャッカ)の地、則ち爾(その)時泰西未だ東北盡境(ジンキョウ)に此の大國有るを知らず又未だ偵探の人来ざれば、須(すべから)く北州諸矦に命じ蝦夷人を遣(つかは)し續續(ゾクゾク)(ゆ)きて其の民を綏懐(スイカイ)すべし。以て寸兵を勞せずして撫定(ブテイ)すべし。是れ亜細亜の背を搏(う)ちて、亜墨利加(アメリカ)の胸を圧するなり。進んでは以て五大洲を蠶食(サンショク)すべし。退(しりぞき)ても猶(な)ほ五大洲を讋伏(ショウフク)する所と爲す。豈(あに)偉ならずや、豈(あに)盛ならずや、如之何(これいかん)。當日君臣、英猷(エイユウ)餘り有れど智慮(チリョ)外國の事に於て未だ周浹(しゅうしょう)せず茫(ボウ)たること暗模(アンモ)の如く然り。是以(これゆゑ)前後七載(サイ)、兵無用の地に勞(つと)め、徒(いたづら)に多く壮士を喪(うしな)ふ。國力疲困して、吾が封域(フウイキ)恢廣(カイコウ)を加へず、又未だ區宇(クウ)を震疊(シンジョウ)するに至らず。慨(なげ)くべきなり。今也(いまや)業已(すでに)好機會を失ひ、別に他策無し。當(まさ)に大ひに砲銃舟艦を設け、沿海備へを嚴しくし、以て金甌(キンオウ)を固守し、間(しばらく)或は進んで泰西争はざるの地を経略(ケイリャク)するのみ。世に大志の士有りて、乃(も)し盡(ことごと)く海南諸國及び柬察加(カムチャッカ)を取り、以て國威を張らんと欲さば、立論雄偉(ユウイ)たらずとは爲さず。然るに彼の備禦(ビギョ)今既に周密(シュウミツ)にして、易易(イイ)平殄(ヘイテン)すべからず。幸(さいはひ)に平殄(ヘイテン)を得るも、彼の有する所の國を失へば、烏(いづくん)ぞ敢(あへ)て怗然(チョウゼン)雌伏するか。必ず將(まさ)に捲土重来(ケンドチョウライ)以て之(これ)を争ふべし。予、恐らくは兵(いくさ)(つらな)り怨結(エンケツ)し、永く無窮の患(うれひ)を醸(かも)さんことを。未だ其の可(よし)とするを見ざるなり。

 

壬辰の役豊臣秀吉朝鮮出兵 文禄慶長の役(1592~98年)・滔天(トウテン)(天までみなぎるほど勢いが強いこと)・援師(援軍)・斬馘(ザンカク)(斬首)・威稜(イリョウ)(天子の威光) ・殊俗(シュゾク) (外国) ・曠古(コウコ)(昔から例がない、未曽有の) ・盛擧(セイキョ)(壮挙)・無涯(はてしない) ・(うらみ)(残念な気持ち)・梟将(キュウショウ)(猛将) ・摧破(サイハ)(くだき破ること) ・寰宇(カンウ)(世界) ・衡行(コウコウ)(思うままにふるまう 横行)・土人(原住民)・叛服(逆らう者と服従する者) ・参半(サンパン)(半々) ・嚴整(ゲンセイ)(きちんと整っている)・英武(エイブ)(武勇に優れていること)・将卒(ショウソツ)(将軍と兵士) ・虓闞(コウカン)(勇猛)・詳晰(ショウセキ)(くわしく明らかにすること) ・亡論(ムロン)(無論、勿論)・親赴(親征) ・舟師(海軍) ・督卒(トクソツ)(監督して率いる) ・不虞(フグ)(不意に) ・出渠(シュッキョ)(出陣) ・血刃遺鏃(ケツジンイゾク) (刃を血に染めたり鏃を失くしたりすること)・咽喉(インコウ)(喉元)・(ホウ)(鋭い勢い) ・盡境(ジンキョウ)(さいはて) ・綏懐(イカイ)(懐柔) ・撫定(ブテイ)(安んじ静めること) ・蠶食(サンショク)(蚕が桑の葉を食べるように他国を併呑すること) ・讋伏(ショウフク)(おそれひれ伏す) ・英猷(エイユウ)(優れたはかりごと) ・智慮(チリョ)(知恵の優れた考え) ・周浹(しゅうしょう)(広く行き渡ること) ・(ボウ)(ぼんやりしてはっきりしないこと) ・暗模(アンモ)(暗中模索) ・疲困(疲れ果てること) ・封域(フウイキ)(領土) ・恢廣(カイコウ)(広げて大きくすること) ・區宇(クウ)(世界) ・震疊(シンジョウ)(震え恐れる) ・金甌(キンオウ)(黄金の瓶、領土のこと) ・経略(ケイリャク)(四方の国を攻め従えること) ・周密(シュウミツ)(行き届いていること) ・易易(イイ)(やすやすと) ・平殄(ヘイテン)(平らげ亡ぼす) ・怗然(チョウゼン)(落ち着いて静かに) ・怨結(エンケツ)(怨みが解けないこと) 

 

(現代語訳)

 太閤秀吉公の文禄慶長の役朝鮮八道を蹂躙し、明の大援軍を打ち砕き、斬首は百万に上った。わが国の威光を外国に示し未曽有の壮挙と言える。しかし反対に識者がこれについてとても残念な気持ちになるのは何故だろうか。

 この時百戦余りで猛将、猛士が大活躍し、この勢いをもってすれば世界中で思うままに振る舞うことさえできただろう。しかも海南、ジャワ、ルソン、台湾等の国は未だ西洋諸国が占拠していなかった。ここを拠点とすれば、原住民は服従する者と逆らう者が半々で外国の守備は未だきちんと整っていないので、わが国の武勇と勇猛に加え、情勢の詳細な分析と熟知、更に多くの艦船と火器があれば、大した犠牲も無く海南諸国を取ることができただろう。それには無論太閤秀吉公の親征は必要なく、や前田利家上杉景勝などの大大名を煩わす必要も無い。ただ加藤嘉明藤堂高虎らに海軍数万を率いさせて出陣させるだけで十分だっただろう。これによりアジア、アフリカ二大洲の喉元をおさえ、ヨーロッパ勃興の勢いを逆に挫くことになっただろう。

 さてまたカムチャッカの地については、その時西洋諸国はまだ東北のさいはてにこのような大国があることを知らず、また探検の人も来ていないので、必ず東北諸大名に命じ蝦夷人を派遣して次々に往かせてそこの民を懐柔すべきであった。そうすれば少しの兵も使わずに平定することができただろう。これはアジアの背中を打ってアメリカ大陸の胸を圧迫することを意味する。ここからさらに進めれば五大洲をつぎつぎ侵略することもできただろう。退いてもなお五大洲をおそれひれ伏させることができただろう。なんと偉大で盛大なことではないか。

 ところがどうだろう。昔の君主も家臣も優れた考えを多く有していたが、外国のことに関しては知識がまだ広まっておらず、暗中模索しているかのようにぼんやりしていた。このため前後7年間も兵を無用の地で働かせ無駄に多くの勇士を失った。国力は疲弊しわが国の領土が拡大することもなかった。また世界を恐れさせるにも至らなかった。嘆くべき事だ。

 今やすでに絶好の機会を失い、他に策も無い。艦船や銃砲を設けて沿岸警備を厳重にして領土を固守し、しばらくはあるいは西洋諸国が争わない地を進んで攻め従えるだけかもしれない。

 世の中に大きな志を持った者がいて、もし海南諸島およびカムチャッカをすべて取りこれにより国威を示そうとしているとすれば、その考えは悪いとは思わない。しかし先方の守りは今既に行き届いていて簡単に征服することなどできない。もし幸いにも征服できたとしても、先方は所有する国を失なえばなんで敢えておとなしくしていようか。必ず勢いを盛り返して取り返そうとするだろう。私が恐れるのは戦争が連続し怨みが解けず長く際限のない苦しみの状態を作りだしてしまうことだ。そんなことを良しとする人は未だに見たことがない。

 

其十八(ロシアはカムチャッカを領有し滿洲へ進出しているが、これに対する日本と清の対策は不十分)

柬察加括亜細亜之盡境、而與亜墨利加隣接、據守此地、自然有制八紘之勢、實東北之衝要、英雄必争之區也、此地在本邦北陲、與蝦夷千島連、而距俄羅斯新舊都遼焉數千萬里、本我屬夷耳、吾不地形、不遠畧、被彼先著一ㇾ鞭、百年前已奪柬察加之、呑噬抵宇留不、隠然有舐糠及米之漸、向使我邦蚤従事於北徼、則柬察加可一鏃而下、得人之勢而不肯爲、以馴致制於人之弱、洵可ㇾ惜已、顧成事不説、既往不咎、今將奈之何、只當百倍奮勵之心、用之于守上ㇾ邊、嚴備固砦堡、使敵無寡可一ㇾ乗耳、先是俄羅斯侵黒竜江北境、築城雅克薩、漸逼滿洲、清聖祖興師撃破之、立碑以表分界黒竜江北海尚遐、然近海地竺寒層氷不棲、其通馬車商旅之地、不江北數百里、且爾時俄羅斯攘地始至此、未黒竜江東尺寸、聖祖英主威武方揚、所嚮無敵、俄羅斯有邊之罪、慙惶兼深、果使聖祖聲羅叉罪、窮其兵力、畧地極北海而止、西面立界碑、以許俄羅斯和、則迤東極柬察加、指麾而定矣、乃征討甫克、遽以和藏事、一媾之後、不ㇾ可復加以干戈、北境孔道、縦其東西馳奔而弗問、竟使虜兼并東北諸夷、其地包清東西界之外、噫亦危矣、本邦及清之於俄羅斯胥乖経綸之宜、失乗之機會、可歎惜哉、

 

(読み下し文)

柬察加(カムチャッカ)亜細亜(アジア)の盡境(ジンキョウ)に括(いた)り、亜墨利加(アメリカ)と隣接す。此(こ)の地に據(よ)って守らば、自然八紘を威制するの勢(いきほ)ひ有らん。實に東北の衝要(ショウヨウ)にして、英雄必ず争ふの區(ところ)なり。此の地本邦北陲(ホクスイ)に在り、蝦夷千島と連(つらな)りて俄羅斯(オロシャ)新舊都を距(へだ)つこと遼(はるか)に數千萬里。本(もと)は我が屬夷(ゾクイ)なり。吾れ地形に晰(あきらか)ならず、遠畧(エンリャク)に務(つと)むるを知らず。彼に先に著鞭(チャクベン)せらる。百年前已(すで)に柬察加を奪ひ、之(これ)に據(よ)り呑噬(ドンゼイ)し宇留不(ウルップ)に抵(いた)る。隠然(インゼン)舐糠及米(シコウキュウマイ)の漸(きざし)有り。向使(もし)我邦蚤(つと)に北徼(ホクキョウ)に従事せば、則ち柬察加(カムチャッカ)、一鏃(イチゾク)も費(つひや)さずして下すべし。人を制するの勢を得て爲すを肯(がへん)ぜず、以て人に制せらるの弱きに馴致(じゅんち)す。洵(まことに)惜しむべきのみ。顧(かへりみ)て成事(セイジ)を説かず、既往を咎(とがめ)ず。今將(まさ)に之を奈何(いか)んせん。只當(ただまさ)に百倍奮勵(フンレイ)の心を以て之(これ)を守邊(シュヘン)に用(もち)ふべし。嚴(きび)しく備(そな)へ、砦堡(サイホ)を固(かた)め、敵に寡(カ)に乗ずべからざらしむのみ。是(これ)より先、俄羅斯(オロシャ)黒竜江北境を侵擾(シンジョウ)し、雅克薩(ヤクサ)を築城し、漸(やうや)く滿洲に逼(せま)る。清の聖祖師(シ)を興(おこ)し之(これ)を撃破し、碑を立て以て分界(ブンカイ)を表(あらは)す。黒竜江、北海を距(へだ)て尚(なほ)(とほ)し。然(しか)るに近海地、竺寒(ジクカン)層氷、棲(す)むべからず。其れ馬車商旅通るの地にて、江北數百里を過ぎず。且(まさ)に爾(その)時俄羅斯(オロシャ)、地を攘(はら)ひ始めて此(ここ)に至らんとす。未だ黒竜江東、尺寸(シャクスン)も有すること能はず。聖祖英主、威武方(まさ)に揚(あが)り、嚮(む)かふ所敵無し。俄羅斯(オロシャ)、邊(ほとり)を盗むの罪有り、慙惶(ザンコウ)(かね)て深し。果して聖祖羅叉(ロシア)の罪を聲(つ)げ使(し)む。其(そ)の兵力窮(きはま)り、地を畧すること、北海に極(きはま)りて止(や)む。西面に界碑を立て、以て俄羅斯(オロシャ)に和を許す。則ち迤東(イトウ)柬察加に極(きはま)ること、指麾(シキ)して定む。乃(すなは)ち征討甫(はじめ)て克(か)ち、遽(にはか)に和を以て事を藏(をさ)む。一媾の後、復(ま)た加ふるに干戈(カンカ)を以てすべからず。北境孔道(コウドウ)(たと)ひ其の東西馳奔(チホン)すれども問はず。竟(つひ)に使(も)し虜(えびす)、東北諸夷を兼并(ケンペイ)せしめば、其の地、清の東西界(さかひ)の外を包まん。噫亦(ああまた)(あやう)きかな。本邦及び清の俄羅斯(オロシャ)に於けるや、胥(とも)に経綸(ケイリン)の宜(よろし)きに乖(そむ)き、乗ずべきの機會を失ふ。歎惜(タンセキ)に勝(た)ふべきかな。

 

盡境(ジンキョウ)(さいはて) ・據守(キョシュ)(たてこもって守ること) ・自然(おのづから) ・(世界) ・威制(おどし抑えること) ・衝要(ショウヨウ)(守りのかなめ) ・北陲(ホクスイ)(北の辺境) ・新舊都 (モスクワとペテルスブルグ ロシアの新旧の都)・遠畧(エンリャク)(遠大な計画) ・著鞭(チャクベン)(着手すること) ・呑噬(ドンゼイ)(他国を侵略し領土を奪うこと) ・隠然(インゼン)(こっそりと) ・舐糠及米(シコウキュウマイ)(糠を舐めて米に及ぶ。糠を舐め尽くせば必ず米を食うに至る、次第次第に害が及ぶたとえ)・蚤(つと)に(早くから) ・北徼(ホクキョウ)(北の境界) ・一鏃(イチゾク)も費(つひや)さずして(少しの軍事支出も無く) ・馴致(じゅんち)(慣れさせること 慣れること)・顧(かへりみ)て成事(セイジ)を説かず、既往を咎(とがめ)ず(過去のことを後でどうのこうの言っても無益であるし、済んでしまったことを咎めても仕方がない)・守邊(シュヘン)(辺境の守り) ・砦堡(サイホ)(防塞) ・(カ)(少人数であること) ・黒竜江(アムール川)・侵擾(シンジョウ)(侵し乱すこと) ・雅克薩(ヤクサ)(アルバジン、黒竜江北岸のロシアの要塞) ・清の聖祖(康熙帝) ・師(シ)を興(おこ)し(軍隊を出し) ・竺寒(ジクカン)(厳寒) ・層氷(厚い氷) ・尺寸(シャクスン)(わずかな広さ) ・英主(優れた君主) ・威武(権威と武力) ・(ほとり)(国境) ・慙惶(ザンコウ)(恥じ恐れること) 聲罪(罪を世間に公表する)・迤東(イトウ)(これより東) ・指麾(シキ)(指揮) ・干戈(カンカ)(武力) ・孔道(コウドウ)(大道) ・馳奔(チホン)(駆け走ること) ・兼并(ケンペイ)(併合) ・経綸(ケイリン)の宜(よろし)き (適切な国家経営) ・歎惜(タンセキ)(歎き惜しむこと)

 

(現代語訳)

 カムチャッカはアジアの最果てにまで達しており、アメリカと隣接している。この地を拠点として守ればおのずから世界を威圧する勢いを有することになるだろう。実に東北の要衝で英雄が必ず取ろうと争う所である。この地はわが国の北の果てにあり、千島列島と連なって、ロシアの新旧の都、モスクワ、ペテルスブルグからは数千里離れている。

 もともとわが国の異民族のみがいた。我々は地形に詳しくなく、遠大な計画のために努力することも知らず、ロシアに先に手を付けられた。ロシアは百年前にすでにカムチャッカを奪い、ここを拠点として他国を侵略しウルップに至った。密かにじりじりと侵略するきざしが見える。もしわが国が早くから北の辺境に関わっていればカムチャッカは少しの犠牲もなく支配できていただろう。

 人を支配する力がありながらそれをせず、人に支配されることに慣れてしまう。まことに残念なことだ。過去の事を後でどうのこうの言っても無益だし、済んでしまったことを咎めても仕方がない。今まさにこれをどうするかだ。百倍奮い立ち、励む心をもって辺境の守備に用いるべきだ。厳しく備えて防塁を固め、敵から少人数であることにつけ込まれないようにするのだ。

 これより以前にロシアは黒竜江アムール川)の北部に進出しアルバジン城を築城し次第に滿洲に迫ってきた。清の康熙帝は軍隊を出してこれを撃破し碑を立てて国境を示した。黒竜江は北の海をへだててロシアからなお遠い。しかしロシアの近くの海は寒さが厳しく氷も厚く住めるところではない。黒竜江は馬車や行商が通る地で揚子江から数百里にすぎない。まさにその時ロシアは土地を開拓しここに来ようとしたが、黒竜江の東はわずかな土地すら有することはできなかった。康熙帝は優れた君主であり権威と武力を発揮し向かう所敵無しであった。ロシアは国境を侵害しておりこれを恐れ恥じることはかねてから深かった。ついに康熙帝はロシアの罪を世間に公表し、ロシアの兵力は窮乏し侵略は北の海で止まった。西面に国境の石碑を立ててそれでロシアに講和を許した。すなわちこれより東のロシアの領土はカムチャッカのみとすることを定めた。そこで清は征討にやっと勝ち、和議を結ぶことで事をおさめた。和議の後は再び武力を行使することはできなくなった。しかし北の国境の道はたとえその東西を走りまわっても問題にしないことになった。もしロシアが東北の諸民族を併合していったらその土地は清の東西の国境の外を包囲することになる。ああまた危いことだ。

 わが国と清はロシアに対する関係では共に適切な対策をしているとは言えず、乗ずべき機会も失っている。嘆かわしいことだ。

 

其十九(西洋の侵略はキリスト教ではなく西洋の風土・気質に基づく。儒学者が空理空論に溺れ武を忘れているのは大きな過ち)

泰西俗専以鬨闘呑噬務、世因以爲泰西教旨固自若此、然観其祅教之祖、甞爲世俗道、遵信者頗衆、既而爲暴人嫉、相與潜殺之、蓋亦一庸夫耳、彼之短智、七尺之躯、且不自保、豈有才畧足以経一ㇾ國、其呑併之術、亦未必祅教之所一ㇾ導也、泰西之大肆呑噬、纔昉於三百載前、伊斯把尼亜波爾杜瓦爾二國之先、有英豪之主出、専務遠征、攻亜墨利加亜細亜、大蠶食其地、嗣後泰西諸國、咸倣傚之、加之祅西風土寒冱、人情沈毅鷙忍、求力酬其所一ㇾ志已、未就、厥子厥孫、継而成之、如地富一ㇾ國、實性之所酷好、於是乎、呑併之擧、竟爲泰西風習邇者遂盡奪四大洲之地、獨餘亜細亜、而此洲又已侵削其邊隅島嶼、赫赫乎有括四海之勢、洵可畏、然非於祅祖之教也、吾孔聖之道、固亦有威奮武之教、乃學焉者、或泥空理而闊於物情、或専攻藝文、而不於武、以致聖教所被之國苶然不一ㇾ競、實末學之過也、泰西谿壑之欲、狼虎之心、常饞然思人國、固可悪、然吾不死力奇謀以挫其兇鋒、非夫也、尚何問其教之正與不正耶、但宣聖之道、藹然慈仁長厚、以己推一ㇾ人爲主、尚武之訓、自蘊乎其中、而不窺測、本邦中古有武道者、盛行乎世、可以振士気民俗、異日有聡哲出類之士出、必主孔聖之道而参、以本邦武道、斯爲善之教、以施於修内攘一ㇾ外、洵爲大裨、不予得存而睹此盛事乎否也、

 

(読み下し文)

泰西の俗(ならはし)専ら鬨闘(ゴウトウ)呑噬(ドンゼイ)を以て務(つとめ)と爲す。世、因(よっ)て以為(おもへらく)泰西の教旨固(もと)より自(おのづ)から此(かく)の若(ごと)しと。然(しか)れども其(そ)の祅教の祖を観るに、甞(かつ)て世俗の爲(ため)に道を説き、遵(したが)ふ信者頗(すこぶ)る衆(おほ)し。既にして暴人の嫉(ねた)む所と為り、相與(あいとも)に潜(ひそ)み之(これ)を殺す。蓋(けだ)し亦(また)一庸夫(ヨウフ)たるのみ。彼の短智(タンチ)、七尺の躯(からだ)、且(まさ)に自(みづか)ら保(たも)たざらん。豈(あに)才畧(サイリャク)國を経(をさ)むるを以てするに足るもの有りや。其の呑併(ドンペイ)の術、亦(また)未だ必ずしも祅教の導く所にあらざるなり。泰西の大ひに呑噬(ドンゼイ)を(ほしいまま)にするは三百載前より纔(わづ)かに昉(はじま)るなり。伊斯把尼亜(イスパニア)、波爾杜瓦爾(ポルトガル)二國之(これ)先ず、英豪(エイゴウ)の主(あるじ)出ること有りて、専ら遠征に務め、亜墨利加(アメリカ)亜細亜(アジア)洲を攻め、大ひに其の地を蠶食(サンショク)す。嗣後(シゴ)泰西諸國、咸(みな)(これ)を倣傚(ホウコウ)す。之(これ)に加ふるに、祅西の風土寒冱(カンゴ)、人情沈毅(チンキ)鷙忍(シニン)にして、力(つと)めて其の志(こころざ)す所を酬(かな)ふるを求むのみ。未だ就(な)すを克(よく)せざるも、厥(その)子厥(その)孫、継(つぎ)て之を成す。地を攘(はら)ひ國を富ますが如きは、實性(ジッショウ)酷好(コクコウ)する所なり。是(ここ)に於て呑併(ドンペイ)の擧(キョ)、竟(つひ)に泰西の風習と爲り、邇(ちかく)は遂に盡(ことごと)く四大洲の地を奪ふ。獨(ひと)亜細亜(アジア)洲のみ餘(あま)りて、此(こ)の洲又已(すで)に其の邊隅島嶼(ヘングウトウショ)を侵削(シンサク)す。赫赫(カクカク)たること、四海嚢括(ノウカツ)の勢い有り。洵(まこと)に畏(おそ)るべし。然(しか)れども祅祖の教へに本づくにはあらざるなり。吾が孔聖の道、固(もと)より亦(また)威を振り武を奮ふの教へ有れども、乃(すなは)ち焉(これ)を學ぶ者、或は空理に泥(なず)みて、物情に闊(うと)く、或は専ら藝文を攻めて武を閑(なら)はざれば、以て聖教の被(およ)ぶ所の國、苶然(デツゼン)として競(きそ)はざるに致(いた)る。實に末學(マツガク)の過(あやまち)なり。泰西の谿壑(ケイガク)の欲、狼虎(ロウコ)の心、常に饞然(サンゼン)と人國を奪はんと欲するを思ふは、固(もと)より悪(にく)むべし。然れども吾の死力を効(いた)し、奇謀に出れば、以て其の兇鋒を挫(くじ)く能(あた)はざること、夫(それ)非ざるなり。尚(なほ)何ぞ其の教への正と不正とを問ふや。但(ただ)宣聖(センセイ)の道、藹然(アイゼン)慈仁(ジジン)長厚(チョウコウ)、己(をのれ)を謙(ゆず)り人を推すを以て主(もと)と爲す。尚武の訓(をしへ)、自(おのづ)から其の中に蘊(かく)りて窺測(キソク)(やす)からず。本邦中古に武道者有り、世に盛行し、以て士気を振ひ民俗を強くすべし。異日(イジツ)聡哲(ソウテツ)出類(シュツルイ)の士出ること有らば、必ず孔聖の道を主(まも)りて参るべし。本邦武道を以て、斯(かか)る善を盡(つく)すの教へと爲し、以て内を修め外を攘(はら)ふを施(ほどこ)さば、洵(まこと)に大いに裨(たすけ)と爲る。予存(いきながらへ)て此の盛事を睹(み)ることを得るや否やを知らざるなり。

 

鬨闘(ゴウトウ)(戦闘) ・呑噬(ドンゼイ)(侵略) ・庸夫(ヨウフ)(普通の男) ・短智(タンチ)(浅い考え 浅知恵)・才畧(サイリャク)(知恵とはかりごと)・呑併(ドンペイ)(他国をのみこむこと)・英豪(エイゴウ)(すぐれた)・蠶食(サンショク)(蚕が桑の葉をたべるように侵略すること)・嗣後(シゴ)(以後) ・倣傚(ホウコウ)(まねること) ・寒冱(カンゴ)(凍るほど寒いこと)・沈毅(チンキ)(冷静) ・鷙忍(シニン)(猛々しくむごたらしいこと) ・地を攘(はら)ふ(土地を開拓する) ・實性(ジッショウ)(生まれつき)・酷好(コクコウ)(甚だ好むこと) ・邊隅島嶼(ヘングウトウショ)(周辺の島々) ・侵削(シンサク)(侵略) ・赫赫(カクカク)(目覚ましいこと) ・嚢括(ノウカツ)(すべてを包み込むこと) ・空理 (現実と懸け離れた役に立たない理論) ・泥(なず)む(まみれる とらわれる) ・物情(世の中の様子や人々の心) ・藝文(学問と芸術) ・攻む(研究する) ・苶然(デツゼン)(ぐったり疲れて) ・末學(マツガク)(未熟な学者) ・谿壑(ケイガク)の欲(深い谷に水が絶えないようにつきることのない欲 ・饞然(サンゼン)と(むさぼるように) ・宣聖(センセイ)(孔子) ・藹然(アイゼン)(気持ちが穏やかなこと) ・慈仁(ジジン)(情け深いこと) ・長厚(チョウコウ)(人情に厚いこと) ・窺測(キソク)(うかがい知ること) ・士気(武士の気風) ・民俗(民のならわし) ・聡哲出類の士(抜きんでて聡明な人) 

 

(現代語訳)

 西洋の習慣では専ら戦闘や侵略が義務と考えられている。このため世間の人が思うのは西洋の宗教の教えがもともとそのようなものだということである。しかしキリスト教の教祖を見てみると、かつては世俗のために道を説き、従う信者も非常に多かったが、やがて乱暴者が妬むようになり、お互いに潜伏してこれを殺した。おそらくは平凡な男にすぎないのだろう。彼の浅知恵と七尺の体とでは自らを守ることすらできなかったのに、なんで国を治めるに足るような知恵やはかりごとがあるものか。

 西洋の他国侵略の術は必ずしもキリスト教に導かれたものではない。西洋が大いに侵略をほしいままにするのはやっと三百年前から始まる。スペイン、ポルトガルの二国にまず優れた君主が出て、専ら遠征につとめ、アメリカ、アジアを攻めて大いにその地を侵略した。以後ヨーロッパ諸国はみなこれにならった。これに加えてヨーロッパの風土は凍るほど寒く、人の気質は冷静で猛々しく、むごく、努力してその志をかなえることを求める。それができなかった場合はその子、その孫が引き継いで成し遂げる。土地を開拓して国を豊かにするといったことは生まれつき非常に好むことである。そのため他国を併合することはついに西洋の風習となり、近年では四大洲の地をことごとく奪った。ただアジア洲だけが残っているがすでにその周辺の島々を侵略している。四つの海をすべて包み込むほどの勢いがあって、目覚ましいばかりだ。まことに恐るべきことだが、しかしこれはキリスト教の教えに基づいているのではない。

 我が孔子の道にも威力や武力を発揮する教えがあるが、これを学ぶ者はあるいは現実と懸け離れた空理空論にとらわれて実際の世の中の様子や人々の心に疎く、あるいは専ら学問と芸術の研究ばかりで武について習おうとしない。このため儒教の影響の及ぶ国はぐったり疲れて争わないようになっている。実に未熟な学者のあやまちである。

 西洋は次々起こる強い欲望と狼や虎のような心を持って、常に貪るように他国を奪おうと思っており、これは当然憎むべき事である。しかし我々が死力を尽くし奇抜な計略を実行すれば、その狂暴な刃先をへし折ることができないなどということはありえない。それなのになぜ孔子の教えが正しいか正しくないかを問うのか。

 孔子の道は気持ちを穏やかに、仁愛や人情に厚く、自分はへり下り他人を立てることを根本としている。武をたっとぶ教えはその中に包み隠されていてうかがい知ることが容易ではない。わが国の中世には武道者がいて、世の中で盛んに武士の気風を発揮し民のならわしを強くすることができた。将来抜きんでて聡明な人が出てくれば必ず孔子の道を尊ぶだろう。そしてわが国の武道を善を尽くす教えと考えて、国内を治め外敵を斥けることを行えばまことに大いに助けとなるだろう。私がそれまで生きながらえてこれを見ることができるかどうかはわからないが。

 

其二十(近代の城郭では壮麗な櫓や高殿は火砲の標的となるだけ。火攻めに強い構造にすべき)

本邦従少海寇、故立國以海寇必無、而定之制者居多、如城堡、往往瀕海爲之、楼堞之輪奐、塁壁之嵬峩、臨滄海而雄聳、用供観美則可耳、迄目今敵専用巨炮大舶之日、則秪爲彼質的、危不言也、顧王公定都、以漕運通利商旅輻輳緊要、明清不江左關中而都北京、國勢富強、俄羅斯去莫斯可烏而都伯多琭蒲爾古、國勢益振、本邦諸矦亦多都城於海濱、而開富庶之基、故卜都當近海之地臨江之域、但不海而営焉、其可也、又本邦築城之制、敵楼譙門之屬過多、近代大煩諸火器盛行、則此等之設、反供焚焼之資、當革成法、別創渾堅完密之制、以防火攻、邇者有無名氏三銃用法論、辨此弊頗詳確、可以参看、顧築城國之大典、當出於在上者之獨斷、非下人所得而議、且其爲費不貲即天下之富、亦非易易興一ㇾ工、但常存斯意、他日板築之次、以漸改作、斯可於病國殃一ㇾ民矣、

 

(読み下し文)

本邦海寇少なきに従(よ)り故(もと)より國を立て、以て海寇必ず無き所と爲して、之(この)(つくり)を定むる者多きに居る。城堡(ジョウホ)を築くが如きは往往海に瀕(ヒン)して之(これ)を爲す。楼堞(ロウチョウ)の輪奐(リンカン)、塁壁(ルイヘキ)の嵬峩(ガイガ)嶻(サツガツ)、滄海(ソウカイ)に臨みて雄しく聳え、用ゐるに観美(カンビ)に供するを則ち可とするのみ。目今(モッコン)敵、専ら巨炮大舶を用ゐるの日に迄(いた)りて則ち秪(ただ)彼の質的(シツテキ)と爲るのみ。危きこと言ふべくもあらざるなり。顧(かへりみ)て、王公(オウコウ)都を定め、漕運通利(ソウウンツウリ)商旅輻輳(ショウリョフクソウ)を以て緊要(キンヨウ)と爲す。明清、江左(コウサ)關中(カンチュウ)に居らずして北京に都(みやこ)し國勢富強なり。俄羅斯(オロシャ)、莫斯可烏(モスクワ)を去りて伯多琭蒲爾古(ペテルブルグ)に都(みやこ)し國勢益(ますます)(ふる)ふ。本邦諸矦、亦(また)都城(トジョウ)を海濱(カイヒン)に築き、富庶(フショ)の基(もとゐ)を開く者多し。故に都を卜(ボク)するに當(まさ)に近海の地、臨江の域に於(な)さんとす。但(ただ)し海に枕(のぞ)みて営(つく)らざるか、其れ可(よしとする)なり。又、本邦築城の制(つくり)敵楼(テキロウ)譙門(ショウモン)の屬(たぐひ)多きに過ぐ。近代、大熕(ダイコウ)諸火器盛行す。則ち此等の設(まうけ)、反(かへっ)て焚焼(フンショウ)の資(たすけ)に供す。當(まさ)に成法(セイホウ)を痛革(ツウカク)し、別(とりわけ)渾堅(コンケン)完密(カンミツ)の制(つくり)を創(はじ)め、以て火攻を防ぐべし。邇(ちかく)は、三銃用法論を著(あらは)し、此(この)弊を辨ずること頗(すこぶ)る詳確(ショウカク)なる無名の氏※1有り。以て参看(サンカン)すべし。顧(かへりみ)て、築城は國の大典なり。當(まさ)に上に在る者の獨斷に出るべくして、下人の得て議(はか)る所にあらず。且(かつ)其の費(つひえ)を爲さんとせば、貲(はか)られず。即ち天下の富、亦(また)易易(イイ)工を興(おこ)すべきに非ず。但し常に斯(この)意存(あ)れば、他日板築(ハンチク)の次(ついで)に、漸(やうや)く以て改作せん。斯(これ)國を病(なや)ませ、民に殃(わざはひ)するに至らざるべきなり。

 

多きに居る(おほきにをる)大部分を占める ・楼堞(ロウチョウ) 物見やぐらと城上のひめがき ・輪奐(リンカン) 建築物の壮大美麗なこと ・塁壁(ルイヘキ) とりでの壁、城壁 ・嵬峩(ガイガ) 高く聳え立つこと ・嶻(サツガツ) 山のように高いこと ・滄海(ソウカイ) 大うなばら ・観美(カンビ) 表面をかざること 外見だけの美 ・目今(モッコン) 現在 ・質的(シツテキ) 弓のまと、標的 ・漕運通利(ソウウンツウリ) 水上輸送がうまくゆくこと ・商旅輻輳(ショウリョフクソウ) 商人と旅人が四方八方から集まること ・緊要(キンヨウ) 重要 ・江左(コウサ) 長江下流南岸の地 ・關中(カンチュウ) 現在の陝西省。秦の都咸陽や隨・唐の都長安があった ・都(みやこ)す 首都を建設する ・都城(トジョウ) 城郭をめぐらした都市 ・富庶(フショ) 国が富み人民が多いこと ・都を卜(ボク)する 都の地を選び決める ・敵楼(テキロウ) 城のやぐら ・譙門(ショウモン) 城門の上に建てた高殿 ・大熕(ダイコウ) 大砲 ・設(まうけ) 設備  ・成法(セイホウ) 定められたおきて 成文法 ・痛革(ツウカク)きびしくあらためること ・渾堅(コンケン) 包括的でしっかりしていること ・完密(カンミツ) 緻密で手抜かりがないこと・詳確(ショウカク) 詳しく確かなこと 参看(サンカン) 参照 ・大典 重要な行事  ・不貲(はかられず)数えきれないほど多額である ・易易(イイ) やすやすと ・他日 将来のいつか ・板築(ハンチク) 土木工事 ・(ついで) 機会 

※1 無名の氏 江戸後期の経世家佐藤信淵[1769―1850] のこと。

 

(現代語訳)

 わが国は海からの侵略が少なかったことから、もともと国を立てるときに海からの侵略はあるはずがないと考えてこの構造を定めた者が大部分を占める。城や砦を築くような場合はともすれば海に面してこれを行ない、物見やぐらやひめがきは壮大美麗であり、城壁は山のように高く大海原に向かって雄々しく聳え立っている。しかしこれは外見を飾るのに役立っているに過ぎない。

 現在では敵は大砲や巨艦を使っているのに、こうした城壁は彼らの標的になるだけだ。危いことは言うまでもない。顧みれば、王や諸侯は都を定めるのに水上輸送や商業、交通を重用と考えた。明や清は江左や關中ではなく北京を都として国勢は盛んであった。ロシアはモスクワを去ってペテルスブルグを都にして国勢はますます盛んになった。わが国の大名は城や町を海浜に築いて繁栄の基礎とした者が多い。都の地を定めるには海や河に近いところにすべきであろう。ただし海に臨んで造らないのがよい。

 わが国の城郭の構造はやぐらや高殿の類が多すぎる。近代では大砲や火器が盛んになっているのに、これらの設備はかえって火攻めを促進することになっている。これまでの制度を厳しく改め、しっかりした緻密で手抜かりのない構造にして火攻めを防ぐべきだ。近年「三銃用法論」でこの弊害を詳しく書いた無名の氏がいるので、参照されたい。

 考えてみれば築城は国の重大事で、上にある人の独断にかかっており、下人が決められることではない。またそのための出費は極めて多額なのでやすやすと着工できるものではない。ただし常にこうした意識があれば将来の土木工事の機会に次第に改造していくことになるだろう。こうすれば国を悩ませ民に災いするようなことには至らないだろう。

 

其二十一(日本人の外国への無知振りは全くひどい)

今日上自大吏、下至猥賤小臣、其於外國情形、類昧然不辨識、此非必自安於黭陋、亦以朝廷甞拒絶北夷與通、故宿習錮蔽至此也、惟其外國之地理政體彊弱治忽、未甞夢睹、是以亡庸妄人發無稽之論、雖二ㇾ爲今代杰俊、其謀國謀師、動失其當、不或也已、文化丙寅丁卯、羅刹之寇北陲也、人情頗洶洶焉、有所ㇾ識一士人、亦自洞曉物情、語人曰、吾聞俄羅斯來寇、以我絶互市肯予上ㇾ米也、其言云、吾不敢有于求、苟得米二万苞上ㇾ惠、則上従将軍下洎大夫士、得以果腹、不然咸顑頷而死矣、聴者確信不疑、良堪一囅、伊人以本邦泰西、謂亦皆有大将軍、代帝者國、視邦人専食米以活、謂外夷亦非此不啗、陋謬乃至此、耶律徳光謂晋臣曰、中國事、我皆知之、吾國事、汝曹不知也、明馬世奇論北虜曰、彼之情形、在我如濃霧、而我之情形、在彼如列炬、今邦人昧於虜情、殆如徳光世奇所一ㇾ誚、欲區畫之無乖刺得乎

 

(読み下し文)

今日、上は大吏より、下は猥賤(ワイセン)の小臣に至るまで、其の外國情形に於て、類(みな)昧然(マイゼン)辨識(ベンシキ)すること能(あた)はず。此(これ)必ずしも自(おのづ)から黭陋(アンロウ)に安(やすん)ずるにあらず、亦(また)朝廷甞(かつ)て北夷を拒絶し通(かよひ)を與(あた)へざるを以てなり。故(ゆゑ)に宿習(シュクシュウ)錮蔽(コヘイ)(ここ)に至るなり。惟(ただ)其の外國の地理、政體、彊弱(キョウジャク)、治忽(チコツ)、未だ甞(かつ)て夢に睹(み)ず。是以(これゆゑ)庸妄人(ヨウモウジン)の無稽(ムケイ)の論を發(おこ)すは亡論(ムロン)のこと、今代(コンダイ)の杰俊(ケッシュン)爲りと號(ゴウ)する者と雖(いへど)も、其の國を謀(はか)り師(シ)を謀(はか)るに、動(やや)もすれば其(その)(トウ)を失するに不或(フワク)なるのみ。文化丙寅丁卯、羅刹(ラセツ)の北陲(ホクスイ)に寇(あだ)するや人情頗(すこぶ)る洶洶(キョウキョウ)なり。識(し)る所有る一士人、亦(また)(みづか)ら物情(ブツジョウ)を洞曉(ドウギョウ)し人に語りて曰く、「吾、俄羅斯(オロシャ)來寇(ライコウ)を聞く。我、互市(ゴシ)を絶ち、米を予(あた)ふるを肯(がへん)ぜざるを以てするや、其の言に云はく、『吾敢て求むるに過ぐること有らず。苟(いやしく)も米二万苞(ヒョウ)を以て惠まるるを得ば、則ち上は将軍従(よ)り、下は大夫士に洎(およ)ぶまで、以て果腹(カフク)を得べし。然(しか)らざれば咸(みな)顑頷(カンガン)にて死すべし』」と。聴者確信して疑はず。良(まこと)に一囅(イッテン)に堪(た)ふ。伊人(このひと)本邦を以て泰西を律す。謂(いは)く「亦(また)皆大将軍を有し、帝者に代り國を治む」と。邦人専ら米を食ひ以て活(い)くるを視(み)れば、謂(いは)く「外夷亦此れに非ざれば啗(くら)はず」と。陋謬(ロウビュウ)(すなは)ち此(ここ)に至る。耶律徳光(ヤリツトクコウ)晋臣に謂(い)ひて曰く、「中國の事、我皆之(これ)を知る。吾國の事、汝曹(なんじともがら)知らざるなり」と。明の馬世奇北虜を論じて曰く、「彼の情形、我に在りては濃霧の如し、而(しか)して我の情形、彼に在りては列炬(レッキョ)の如し」と。今邦人、虜情(リョジョウ)に昧(くら)く、殆(ほとん)ど徳光、世奇の誚(せめ)る所の如し。區畫(クカク)の乖刺(カイラツ)無きを欲すれど得るや。

猥賤(ワイセン)の小臣(身分の低い家臣) ・情形(事情) ・昧然(マイゼン)(暗い) ・黭陋(アンロウ) (不明で賤しい状態) ・通(かよ)ひを與(あた)へず(行き来を許さない) ・宿習(シュクシュウ)(前世からの風習 因襲)錮蔽(コヘイ)(悪い癖) ・彊弱(キョウジャク)(強弱) ・治忽(チコツ)(治まっているか乱れているか) ・庸妄人(ヨウモウジン)(愚人) ・亡論(ムロン)(無論、勿論)・無稽(ムケイ)(根拠の無いでたらめな ・今代(コンダイ)(現代) ・杰俊(ケッシュン)(傑出して優れた人物) ・國を謀(はか)り師(シ)を謀(はか)る(その国や軍隊を考える) ・動(やや)もすれば(とかく) ・不或(フワク)(疑っていない) ・文化丙寅丁卯(文化三年・四年 1806~7年 この年露寇事件が発生した。これは長崎に通商を求めて来航したレザノフに対し幕府が冷淡に拒絶したことへの報復として、レザノフが部下に命じて北方の日本の拠点を攻撃させた事件。文化三年には樺太を、四年には択捉島を攻撃した。圧倒的な火力の前に日本側は全面撤退し、指揮官であった戸田又太夫が責任をとり自害した。これにより国内は騒然となった)・羅刹(ラセツ) (ロシアのこと) ・北陲(ホクスイ)(北の国境) ・寇(あだ)する(侵犯する) ・洶洶(キョウキョウ)(騒然としている) ・物情(ブツジョウ)(世間の様子) ・洞曉(ドウギョウ)(見通すこと) ・果腹(カフク)を得る (満腹になる) ・顑頷(カンガン)(飢えて顔が黄色くなること) ・一囅(イッテン)(大笑い) ・堪(た)ふ (値する) ・陋謬(ロウビュウ)(見識が狭く認識が誤っていること) ・耶律徳光(ヤリツトクコウ)(遼の第二代皇帝) ・明の馬世奇(明末期の政治家) ・北虜(北方の異民族) ・列炬(レッキョ)(列をなすかがり火) ・虜情(リョジョウ)(敵の情勢) ・乖刺(カイラツ)(そむきもとること そむきせめること) 

 

(現代語訳)

 今日、上は高官より下は身分の低い家臣に至るまで皆外国の事情に暗くよく認識していない。これは自然にこんな状態になったのではなく、幕府がかつてロシアを拒絶し往来を許さなかったためである。これにより因習や悪癖がここまでに至ってしまった。外国の地理、政体、強弱、治まっているのか乱れているのか、未だ曾て夢にすら見たことがない。このため愚人が根拠の無いでたらめを言い出すのは勿論のこと、自分で現代の傑物であると豪語している人ですら、その国や軍隊を考えるのにとかく誤りがちであるのに、ただそれを疑っていないだけだ。

 文化三~四年にロシアが北の国境を侵犯すると世情は騒然となった。知識のある人が事情を見通して人に言うには「私はロシアの襲来を聞いた。我々がロシアに貿易も米を与えることも断ったので、彼らはこう言った『私たちは決して過大な要求をしているのではありません。もし米二万苞を恵んでもらえば上は将軍から下は家臣に及ぶまで満腹にすることができます。そうでなければ皆飢えて顔が黄色くなって死んでしまうでしょう』」と。聞いている人もこれを固く信じて疑わなかった。全く大笑いだ。この人は日本を基準として西洋のことを考えている。だからこんなことを言う「どこの国にも皆大将軍がいて、帝に代わって国を治めている」と。日本人が米を食べて生活しているのを見てまたこんなことを言う「外国人もまた米以外は食べない」と。見識の狭さや認識の誤りがこれほどまでに至っている。

 遼の第二代皇帝の耶律徳光は晋の家臣にこんなことを言った「中国のことは我々遼の人間は皆知っている。遼のことはお前たち中国人は知らないだろう」。明末期の政治家である馬世奇は北方の異民族を論じてこんなことを言った「先方の情勢は当方から見れば濃霧のようにぼんやりしてわからない。しかし当方の情勢は先方から見れば列をなすかがり火のように明瞭である」。今の日本人は敵の情勢に暗く、ほとんど耶律徳光や馬世奇が批判した当時の中国と同じようなものである。

 

其二十二(ペルー、メキシコは驕りでは国を滅ぼした。中国の驕りは大きな欠点で日本もその悪影響を免れていない)

人之過悪、莫驕、士庶人驕則不腰領、大夫驕則喪ㇾ位隕ㇾ禄、天子諸矦驕則國家臲不寧、世未甞有驕而不禍者、而在有土之君、其害爲更烈、自矜己國之富庶昌熾、任情肆意、専圖娯適、自是已所一ㇾ爲不小悛改、不復思上ㇾ他邦之長、於是乎奢傲日長而不制、諐尤月積而不少悟、固其宜也、如孛露墨是可、緜地数千里、帯甲百万、稱爲彊大靡一ㇾ比、惟其自以爲他邦莫能逮、縦恣怠佚、不復以政化武備上ㇾ意、竟爲泰西所呑滅、覆轍可懼也、支那亦爲宇内最大之邦、然其驕矜亶是大疵、観於其痛斥外國、不歯爲一ㇾ人、評本邦政俗、極其矯誣、而灼然矣、本邦風習之懿、万万度支那、惟中古以還、與支那交通、故驕之一失、未少爲一ㇾ汗染、不痛悛也、

 

(読み下し文)

人の過悪(カアク)、驕りより大なるは莫(な)し。士庶人(シショジン)驕れば、則ち腰領(ヨウリョウ)を保たず。大夫驕れば、則ち位を喪(うしな)ひ禄を隕(おと)す。天子諸矦驕れば、則ち國家臲卼(ゲツゴツ)として寧(やす)からず。世に未だ甞て驕りて禍(わざはひ)を招かざる者有らず。而(しこう)して有土の君在れば其(その)害更に烈(はげし)く爲る。自(みづか)ら己の國の富庶昌熾(フショショウシ)を矜(ほこ)り、情に任せ意を肆(ほしいまま)にし、専ら娯適(ゴテキ)を圖り、自(みづか)ら己の爲す所を是(ゼ)とし少しも悛改(シュンカイ)せず、復(ま)た他邦の長(チョウ)を採るを思はず。是(ここ)に於て奢傲(シャゴウ)日に長じて制(おさ)ふること能(あた)はず。諐尤(ケンケン)月に積りて少しも悟らず。固(もと)より其(それ)(むべ)なり。孛露(ペルー)、墨是可(メキシコ)の如し、緜地(メンチ)数千里、帯甲(タイコウ)百万、彊大(キョウダイ)にして比ぶるもの靡(な)き爲りと稱す。惟(ただ)其(それ)自(みづか)ら以て他邦能(よ)く逮(およ)ばざると爲すのみ。縦恣(ジョウシ)怠佚(タイイツ)として、復(ま)た政化(セイカ)武備(ブビ)を以て意と爲さず。竟(つひ)に泰西の呑滅(ドンメツ)する所と爲る。覆轍(フクテツ)(おそ)るべきなり。支那(また)宇内(ウダイ)最大の邦爲り。然(しか)るに其(その)驕矜(キョウキョウ)(まこと)に是(これ)大疵(ダイシ)なり。其(その)外國を痛斥(ツウセキ)し、人と爲りを歯(シ)せず、本邦政俗を評するに其(その)矯誣(キョウブ)を極むるを観(み)れば、灼然(シャクゼン)たり。本邦風習の懿(イ)、万万(バンバン)支那に度越(ドエツ)す。惟(おも)ふに中古以還(イカン)支那と交通す。故(ゆゑ)に驕りの一失、未だ少なくとも汙染(オセン)する所と爲るを免れず。痛悛(ツウシュン)せざるべからざるなり。

過悪(カアク)(あやまち) ・士庶人(シショジン)(武士と庶民) ・腰領(ヨウリョウ)を保つ(腰と首を保つ、腰斬、斬首の刑を免れ命を保つこと) ・大夫(官位を有する者) ・臲卼(ゲツゴツ)(危ういこと) ・有土の君(国土を持つ君主) ・富庶昌熾(フショショウシ)(国が富み人口も多く栄えていること) ・娯適(ゴテキ)(楽しみ満足すること) ・悛改(シュンカイ)(過ちを悔い改めること) ・長(チョウ) (優れた点) ・奢傲(シャゴウ)(おごり) ・日(ひ)に長(チョウ)じて(毎日のように大きくなり) ・諐尤(ケンケン)(あやまち、つみ、とが) ・月に積りて(毎月のように積り) ・宜(むべ)(もっともなこと) ・緜地(メンチ)(長く続いた土地) ・帯甲(タイコウ)(よろいを着た兵士) ・縦恣(ジョウシ)(勝手気まま) ・怠佚(タイイツ)(怠惰でのんびりしている) ・政化(セイカ)(政治と教化) ・覆轍(フクテツ) (わだちを踏む、先人の失敗を繰り返すこと) ・宇内(世界) ・驕矜(キョウキョウ)(おごり) ・大疵(ダイシ)(大きな欠点) ・痛斥(ツウセキ)(強く排斥すること) ・歯(シ)す(評価する) ・矯誣(キョウブ)(事実を捻じ曲げること) ・灼然(シャクゼン)(明らか) ・(イ)(うるわしいこと) ・万万(バンバン)(十分に) ・度越(ドエツ)(まさる 優越する)  ・中古以還(イカン)(中世以来)・一失(わずかな失敗) ・汙染(オセン)(よごれる) ・痛悛(ツウシュン)(厳しく悔い改めること)

 

(現代語訳)

 人のあやまちのうち驕りより大きいものはない。武士や庶民の驕りは命を保てない。官位を有する者の驕りは位や俸禄を失う。天子や大名の驕りは国家を危うくする。世の中で未だかつて驕ってわざわいを招かなかった者はいない。そしてそれが領土を持つ君主であればその害は更にはげしくなる。自分の国の繁栄を誇り、感情に任せて好き勝手にし、ただ楽しみ満足することだけをしようとして自分の行いを少しも悔い改めず、また他国の長所を採用することも思わない。こうして驕りが毎日のように大きくなりおさえることができなくなる。あやまちが毎月のように積っても少しも気づかない。それは当然なことである。

 ペルーやメキシコなどの国は長く続いた土地が数千里あり、武装兵士が百万人あり、強大で比べるものがないと自称していた。ただそれは自分で他国がかなわないだろうと考えていただけのことだった。勝手気ままでのんびりして、政治や教化、軍備について意にかけず、ついに西洋に滅ぼされることになった。先人の失敗を教訓として繰り返さないことが重要である。

 中国は世界最大の国だがその驕りがまことに大きな欠点である。外国を強く排斥し、その人となりを評価しないし、わが国の政治や風俗を評価するのに事実を極めて捻じ曲げているのを見てもそれは明らかである。わが国の風習はうるわしく、十分に中国にまさっている。思うに中世以降中国を交流してきたため、わずかでも中国の驕りの悪影響を免れていない。厳しく悔い改めなければならない。

 

其二十三(蘭学者は西洋を崇拝する余り民心を委縮させ、兵学者は士気を鼓舞するが外国事情を全く知らない。両者の長所を取り短所は捨てたい)

今之張蘭学者、専推崇泰西國勢之強、兵鋒之勇鋭、戦艦火器之精巧、而務卑視己邦、以爲迥在下風、則世之兵家者流、又謔之曰、軍之勝敗、全決乎気、我嚴吾武備、毅然自守以待敵、方可其勝、今徒擧虜人之長、令人心朒然退縮、未戦而敗兆現矣、之二者胥有見、而鈞流於偏焉、夫蘭学者邦俗勇鷙之風以圖自強、而徒侈言泰西之盛、以挫屈士気、固爲失策、若乃兵家者流、絶不外國情形、欲直以威武、必多逆施倒行以僨事者、皆未國之宜也、洞敵之長、察敵之短、知悉敵之狡謀、嚴我防備、無少滲漏、上下一志、不絲髪孱怯之心、則庶乎其可

 

(読み下し文)

今の蘭学を張主する者、専ら泰西の國勢の強きこと、兵鋒の勇鋭(ユウエイ)なること、戦艦火器の精巧なることを推崇(スイスウ)し、務(つと)めて己の邦を卑視(ヒシ)し、以て迥(はるか)下風に在りと爲す。則ち世の兵家者流、又之(これ)を謔咲(ギャクショウ)して曰く「軍の勝敗、全て気より決す。我、吾(わが)武備を嚴(いま)しめ、毅然(キゼン)として自守(ジシュ)し以て敵を待ち、方(まさ)に其(その)(かち)を望むべし。今、徒(いたづら)に虜人の長を擧(あ)げば、人心を朒然(ジクゼン)退縮(タイシュク)せしむべし。未だ戦はずして敗るる兆(きざし)現はるるなり」と。之(この)二者胥(みな)見る所有り。而(しか)して偏(かたよ)るに於て鈞(ひと)しき流れなり。夫れ蘭学者、邦俗勇鷙(ユウシ)の風を鼓(コ)して以って自強を圖(はか)るを思はず。而(しか)して徒(いたづら)に泰西の盛(さかん)なるを侈言(シゲン)し、以て士気を挫屈(ザクツ)す。固(もと)より失策爲り。若乃(もしすははち)兵家者流、絶へて外國情形を諳(そらん)ぜず、直ちに威武(イブ)を以て之(これ)を讋伏(ショウフク)せんと欲し、必ず逆施倒行(ギャクシトウコウ)し以て事を僨(やぶ)る者多し。皆未だ國を謀(はか)るの宜(よろしき)を得ざるなり。敵の長を洞(みとほ)し、敵の短を察し、悉(ことごと)く敵の狡謀(コウボウ)を知り、我が防備を嚴しくし少しの滲漏(シンロウ)も無く、上下一志、絲髪孱怯(シハツサンキョウ)の心を萌(きざ)さず。則ち其の可(よきこと)を庶(こひねが)ふ。

張主(主張) ・勇鋭(ユウエイ)(勇ましく強い) ・推崇(スイスウ)(あがめる 尊敬する) ・兵家者流 (兵法家の学派) ・謔咲(ギャクショウ)(ふざけ笑う) ・虜人の長(外国人の優れた点) 擧(あ)ぐ(ほめる) ・朒然(ジクゼン)(縮こまって) ・退縮(タイシュク)(畏縮) ・邦俗勇鷙(ユウシ)の風(我が国の勇ましく荒々しい気風) ・鼓(コ)す(鼓舞する) ・自強(自ら努め励むこと) ・侈言(シゲン)(大言壮語) ・挫屈(ザクツ)(挫いて勢いをなくす) 。固(もと)より(もちろん) ・若乃(もしすははち)(ところで、一方) ・諳(そらん)ず(十分に理解する) ・威武(イブ)(権威と武力) ・讋伏(ショウフク)(服従させる) ・逆施倒行(ギャクシトウコウ)(道理にかなった正当の手段をとらないで、ことをなすこと。横紙やぶり)・事を僨(やぶ)る(失敗する) ・國を謀(はか)る(国の政治を考える) ・宜(よろしき)を得(適切である) ・狡謀(コウボウ)(ずるい計略) ・滲漏(シンロウ)(もれ) ・絲髪孱怯(シハツサンキョウ)の心 (わずかなことにもびくびく怯える心) ・(よきこと)(美点 長所)

 

(現代語訳)

今の蘭学を主張する者は専ら西洋の国勢の強いこと、軍の勇ましく強いこと、戦艦や火器の精巧であることをあがめ、自分の国を卑下し西洋にはるかに劣ると考えている。そこで世の兵法家の学派はこれを笑って言うには「軍の勝敗はすべて気によって決まる。我々は武備を整え毅然として自分の力で守り敵を待ち受ければ勝利をのぞむことができる。むやみに外国人の長所をほめれば人心を委縮させ、戦う前から敗れる兆候が現れてしまう」と。

 この二者はそれぞれ見るべき所はある。しかし共に偏っていることでは同じである。蘭学者はわが国の勇ましく荒々しい気風を鼓舞して自ら勉め励むようにすることを考えず、やたらに西洋の盛んなことを言い立てて士気を挫いてしまう。これはもちろん失策である。一方で兵法家の学派は全く外国の事情を理解せず、直ちに権威と武力でこれを服従させようとし、必ず道理にかなった正当の手段をとらずに失敗する者が多い。どちらも国の政治の適切な方法を考えているとは言い難い。

 敵の長所を見通し、敵の短所を見つけ、敵の狡猾な計略を知り尽くし、わが国の防備を厳重にして少しの漏れも無くして、上下志を一つにして、わずかなことにも怯えるような心がなくなる。つまり両者の長所をこいねがうものである。

 

其二四(外交交渉・艦船新造も重要だが、寛永以前の勇敢な気風こそが国防の基本)

寛永中長崎縣令末次平蔵所遣商舶、爲明蘭所侮辱、悉掠其貨、平蔵憤甚、募濱田彌兵衛兄弟臺灣、陽恭順喎蘭頭目驟發不意、以白刃之、殺傷其従卒、質其愛子而皈、伊須把尼亜甞殺本邦海賈、槍奪資財、大猷大君聞之震怒、潜命島原矦往討、于時関西諸侯大發舟師、囲虜舶、就中島原候冐死力攻、従卒数百、爲敵大煩所一ㇾ打、血肉韲粉舞空中而不少惴、勇威益厲、遂屠其舶、爾時士風猛於虎貔、即斯二擧、洸洸烈烈、足以暢皇家之威而寒夷賊之心膽、此所謂折衝乎樽俎者、良可欽尚也、今更造船艦、講肆水戦、固爲至要務、而振作士気、使寛永而前之勇鷙、又爲之基本、不忽也、

 

(読み下し文)

寛永中、長崎縣令末次平蔵遣(つかは)す所の商舶、明(ミン)(ラン)の侮辱し悉(ことごと)く其(その)貨を掠(かす)む所と爲る。平蔵の憤(いきどほ)り甚(はななだ)しく、濱田彌兵衛兄弟を募(つの)り臺灣(タイワン)に往き、恭順を陽(いつは)り喎(よこしま)なる蘭の頭目に謁(まみ)え驟(にはか)に發(うご)き、不意に白刃(ハクジン)を以て之(これ)を刧(おびやか)し、其(その)従卒を殺傷し、其(その)愛子を質として皈(かへ)る。伊須把尼亜(イスパニア)甞て本邦海賈(カイコ)を殺し、資財を槍奪(ソウダツ)す。大猷大君之(これ)を聞き震怒(シンド)し、潜(ひそ)かに島原矦に往討(オウトウ)を命ず。時に関西諸侯大ひに舟師を發(つかは)し、虜舶(リョハク)を囲む。就中(なかんずく)島原候死を冐(をか)し力攻(リキコウ)し、従卒数百敵を大熕(ダイコウ)の打つ所と爲し、血肉韲粉(セイフン)し空中に舞ひても、少しも惴(うれへおそれ)ず。勇威(ユウイ)(ますます)(はげし)く、遂(つひ)に其(その)(おほぶね)を屠(ほふ)る。爾時(このとき)士風虎貔(コヒ)より猛(たけ)し。即ち斯(この)二擧、洸洸(コウコウ)烈烈(レツレツ)以て皇家の威を暢(の)べて夷賊(イゾク)の心膽(シンタン)を寒からしむるに足る。此の所謂(いはゆる)樽俎折衝(ソンソセッショウ)は、良(まこと)に欽尚(キンショウ)すべきなり。今、船艦を更造し、水戦を講肆(コウシ)するは固(もと)より至(いたっ)て要務(ヨウム)爲り。而(しか)して士気を振作(シンサク)し、寛永より前の勇鷙(ユウシ)に返さしむ。又之(これ)を基本と爲し、忽(ゆるが)せにすべからざるなり。

末次平蔵 [?―1630] 江戸前期の長崎代官、朱印船貿易家。博多 の豪商末次氏の一族で、名は政直。父興善  は1571年(元亀2)長崎開港後同地に移り、私費を投じて興善町を開き、貿易により富をなした。その子平蔵政直も貿易に従事し、幕府から朱印状を得て、商船を呂宋 (ルソン) 、暹羅 (シャム) 、台湾、交趾 (コーチ) 、東京 (トンキン) など各地に派遣した。その船を末次船と称し、1634四年(寛永11)交趾から帰航した同船の絵馬が長崎の清水寺に献納されている。平蔵は1619年(元和5)長崎代官村山等安 (とうあん) と争い、その私曲を幕府に訴えてこれにかわって代官に任ぜられ、市政や貿易上に大きな力を振るった。その後彼の朱印船が台湾に渡り、オランダ側よりしばしば妨害を受けたため、1628年(寛永5)彼の持ち船の船長浜田弥兵衛 (やひょうえ) らは、台湾長官ヌイツにより抑留されたが、逆にこれを制圧、ヌイツに迫り和して長崎に戻った。平蔵の上申と工作により、幕府はオランダ人の貿易を差し止めた。この紛争は1630年5月平蔵の病死と1632年ヌイツの日本引き渡しにより解決した。その子平蔵茂房 (しげふさ) はむしろオランダ人との貿易に積極的に参加している。のち1676年(延宝4)正月、孫の平蔵茂朝 (しげとも) のとき召使いのカンボジア密貿易が発覚、一族すべて処罰された。(日本大百科全書

 

長崎縣令(長崎代官) ・明(ミン)蘭(ラン)(中国、オランダ) ・海賈(カイコ)(海上で活動する商人) ・槍奪(ソウダツ)(奪う、掠奪する)・大猷大君徳川家光) ・震怒(シンド)(激しく怒ること) ・往討(オウトウ)(出向いて討伐すること)・舟師(海軍) ・虜舶(リョハク)(敵の大型船) ・大熕(タイコウ)(大砲) ・韲粉(セイフン)(粉みじんになる) ・虎貔(コヒ)(虎やヒョウ) ・二擧(二つの行動) ・洸洸(コウコウ)(勇ましく) ・烈烈(レツレツ)(激しく)・樽俎折衝(ソンソセッショウ)(宴会のなごやかな談笑のうちに交渉を有利に進めること) ・欽尚(キンショウ)(尊ぶ) ・更造(造り直す) ・講肆(コウシ)(講習) ・要務(ヨウム)(重要な任務)・振作(シンサク)(ふるいたたせる) ・勇鷙(ユウシ)(勇ましく猛々しいこと) 

 

(現代語訳)

 寛永年間に長崎代官の末次平蔵が派遣した商船が中国、オランダから侮辱され、ことごとくその貨物を奪い取られた。平蔵は非常に憤り、濱田彌兵衛兄弟と共に台湾に往き、おとなしく従うとみせかけて邪悪なオランダの長官に会うと、にわかに動き不意に白刃でこれをおびやかし、その家来を殺傷し、その子供を人質として帰国した。

 スペインはかつて海上で活動するわが国の商人を殺し財産を掠奪した。家光公はこれを聞き激怒し、ひそかに島原侯に討伐を命じた。この時関西の諸大名は大々的に海軍を出し、敵の大型船を囲んだ。とりわけ島原侯は死をかえりみず力攻めし、これに従う兵士数百人は敵を大砲で打ち、血や肉が粉微塵になって空中に舞っても少しも恐れず、ますます勇ましく激しく戦い遂にその船を撃沈した。この時の武士の気風は虎やヒョウよりも猛々しかった。

 この2つの事件は勇ましく、皇室の権威を広め外国人の肝を冷やすのに十分なものであった。宴会のなごやかな談笑のうちに交渉を有利に進めることはまことに尊ぶべき事であり、また船艦を新造し海戦の訓練を行うことももちろん重要である。しかし武士の勇気を奮い立たせ寛永年間以前の勇ましく猛々しい気風に返ることこそが基本でありおろそかにすべきではない。

 

其二十五(外国船出没の都度あわてて出兵しているようでは国が疲弊する)

今瀕海之地、有西舶揚颿而過、則遽爾惶擾、發兵警備、隣近諸侯、急出援師以奔赴、未鋒鏑、而卒徒之勞、餽運之費、國己不其困矣、夫沿海兵備極單弱、海寇奄至、其諰諰兇懼也宜、然忽忙遣軍餽糧、既不事、而先自疲憊、計之綦拙者也、兵之爲物、無定形、聚散勝敗、決於俄頃、勢阻地不便、則咫尺相救、矧近者數里、遠者十里、或數十里乎、故自古良將務勞敵之佚者、使之困于奔命、龐涓解邯鄲之圍、疾馳従齊師、大爲孫臏所一ㇾ敗、曹操荊州之威、星夜奔騖、南攻江東、遂致烏林之衂、皆犯此失也、今當整海防、盛設火器利兵、以警不虞、武備周匝之後、自當静以待敵、應變制上ㇾ宜、列矦及守土之吏、各愼守統轄之地、不必虜至而駭遽奔命、万一聞虜圍堡寨之報、當電赴薙獮、務要使國至于疲耗、此禦狄之要道也、

 

(読み下し文)

今、瀕海(ヒンカイ)の地に西舶(サイハク)の颿(ハン)を揚げて過ぐるもの有れば、則ち、遽爾(キョジ)惶擾(コウジョウ)し、兵を發(つかは)し警備し、隣近諸侯急ぎ援師(エンシ)を出し以て奔赴(ホンプ)せば、未だ鋒鏑(ホウテキ)に接するに及ばざるに、卒徒(ソツト)の勞(つかれ)、餽運(キウン)の費(つひえ)、國已(すで)に其の困(とぼし)きに堪へざるなり。夫(そ)れ沿海の兵備極めて單弱(タンジャク)にして海寇(カイコウ)奄至(エンジ)せば、其の諰諰兇懼(シシキョウク)するや宜(むべ)なり。。然(しか)るに忽忙(コツボウ)軍を遣(つか)はし糧を餽(おく)れど既に事に及ばざるに、先ず自(みづか)ら疲憊(ヒハイ)するは計(はかりごと)の綦(きはめ)て拙(つたな)き者なり。兵の物を爲すに定形無く、聚散(シュウサン)勝敗、俄頃(ガケイ)に決す。勢阻(セイソ)の地、不便なれば則ち咫尺(シセキ)なれど相救ふこと能はず。矧(いはん)や近くは數里、遠くは十里、或(あるひ)は數十里をや。故に古(いにしへ)より良將務(つとめ)て敵の佚者(イッシャ)を勞(いたは)り、之(その)奔命(ホンメイ)に困(くるし)むを使ふ。龐涓(ホウケン)邯鄲(カンタン)の圍(かこみ)を解き、疾馳(しつち)し齊師(セイシ)を従(お)ひ、大いに孫臏(ソンピン)に敗る所と爲る。曹操荊州を平(たひ)らぐの威に乗じ、星夜奔騖(ホンブ)し、南に江東を攻め、遂に烏林(ウリン)の衂(ジク)に致る。皆此の失(あやまち)を犯すなり。今當(まさ)に海防を修整(シュウセイ)し、火器利兵(リヘイ)を盛設(セイセツ)し、以て不虞(フグ)に警(そな)ふべし。武備周匝(シュウソウ)の後、自(おのづ)から當(まさ)に静かに以て敵を待ち、變に應じ宜しく制すべし。列矦及び守土の吏(リ)、各(おのおの)(つつし)み統轄の地を守り、必ずしも虜(てき)至りて駭遽(ガイキョ)奔命(ホンメイ)せず。万一虜(てき)、堡寨(ホウサイ)を圍(かこ)むの報を聞かば、當(まさ)に電赴(デンプ)薙獮(テイセン)すべし。務(つと)めて國を疲耗(ヒコウ)に至らしめざるを要す。此れ狄(テキ)を禦(ふせ)ぐの要道なり。

 

(もし) ・瀕海(ヒンカイ)(臨海) ・西舶(サイハク)(西洋の大型船) ・(ハン)(帆) ・遽爾(キョジ)(にわかに) ・惶擾(コウジョウ)(おそれさわぐこと)・援師(エンシ)(援軍) ・奔赴(ホンプ)(急ぎ赴くこと)・鋒鏑(ホウテキ)(武器) ・卒徒(ソツト)(兵卒) ・餽運(キウン)(食物の運搬) ・單弱(タンジャク)(孤立して弱い) ・奄至(エンジ)(急に来ること) ・諰諰兇懼(シシキョウク)(おそれおののくこと) ・忽忙(コツボウ)(にわかに) ・疲憊(ヒハイ)(疲れ果てること) ・俄頃(ガケイ)(短時間) ・勢阻(セイソ)(地勢の険しいこと) 咫尺(シセキ)(わずかな距離) ・佚者(イツシャ)(逃亡者) ・命(ホンメイ)(主君の命をうけて奔走すること) ・龐涓(ホウケン)(戦国戦国時代の魏の将軍) ・邯鄲(カンタン)(趙の首都) ・疾馳(しつち)(疾走)齊師(セイシ)(斉軍) ・従(お)ふ(追撃する) ・孫臏(ソンピン)(斉の軍師) ・奔騖(ホンブ)(疾走すること) ・烏林(ウリン)の衂(ジク)赤壁・烏林の戦いでの敗戦) ・利兵(リヘイ)(鋭利な武器) ・不虞(フグ)(思いがけない出来事) ・周匝(シュウソウ)(周到 すみずみまでゆきわたっていること) ・駭遽(ガイキョ)(おどろきあわてる)・堡寨(ホウサイ)(砦) ・電赴(デンプ)(急行すること) ・薙獮(テイセン)(討伐) ・疲耗(ヒコウ)(窮乏) 

 

(現代語訳)

 もし臨海の地に西洋の大型船が帆をあげて通り過ぎるたびに、あわてておそれ騒ぎ兵を出して警備し、近隣の諸大名が急いで援軍を出して急行するようなことになれば、未だ交戦もしていないのに兵士は疲れ、食料運搬の費用がかさんで国はその負担に耐えられなくなるだろう。現在の沿岸の警備は極めて孤立して弱いので急に海賊が来れば恐れおののくのは無理もない。しかしあわただしく軍を派遣し食料を運搬して、交戦する前からすでに自分で疲れ果てるのは、戦術としてはきわめて拙いものである。戦争には定形は無く勝敗は短時間に決する。地勢の険しい地は不便なのでわずかな距離であっても救援ができない。ましてや近くは数里離れた所、遠くは十里、数十里も離れたところではなおさらである。

 これゆえ昔から優れた将は努めて敵の逃亡者をいたわり、主君の命令を受けて奔走して苦しんでいる者を使う。魏の将軍龐涓は邯鄲の包囲を解いて斉軍を追撃したが、長距離の無理な行軍で兵士は疲弊し、斉の軍師孫臏に大敗した(注1)曹操荊州を平定した勢いに乗じて日夜疾走して南下し江東を攻めたが、軍は疫病により疲弊しており、遂に赤壁・烏林の戦いでの敗戦に至ってしまった(注2)。皆この失敗の犯すのだ。

 今はまさに海防を整備し火器や武器を増設して不慮の事態に備えるべきだ。武備が整った後は静かに敵を待ち、異変に応じて適宜に制圧すべきだ。諸侯や防衛担当の官吏は各々慎重に担当地域を守り、敵が来ても必ずしもあわてて奔走しないことだ。万一砦を囲んだとの報告が聞いたなら、その時は急行し討伐すべきだ。努めて国を疲弊させないことが重要だ。これは敵を防ぐ要点である。

 

(注1) 魏が趙の都邯鄲を攻めたので趙は同盟国の斉の救援を求めた。斉王は田忌と孫臏に軍を率いさせ救援に向かわせた。孫臏は魏の精鋭部隊が趙を攻め、魏本国には弱小老兵が残っているだけだと気づき、邯鄲には向かわず、魏の都大梁を攻めた。この攻撃により食料の輸送を止められた魏軍の将龐涓は邯鄲の包囲を解き大梁に急行し、桂陵で潜伏していた斉軍と決戦となった。魏軍は長期の国外戦に加え長距離の急速行軍による疲弊から大敗し龐涓は捕虜となった。(桂陵の戦い)

(注2)河北を平定した曹操は大軍を率いて南下し孫権劉備連合軍と対決するが、疫病により疲弊していた曹操軍は赤壁、烏林の戦いで大敗し敗走した。

 

其二十六(今日の民衆はキリスト教に誑かされない、西洋諸国も侵略はキリスト教ではなく武力を使う)

室町之將季、薄海雲擾、殺人如乱麻、世絶不名教倫理之爲一ㇾ重、故永禄中一向宗之乱、灼灼三河巨室名閥、甘心去君而従賊、可慨也、後来寛永年間、干戈雖戢、而大道未甚明、故愚氓猶翕然遵邪教、遂馴致島原之乱、今日士気、較寛永、夐爾不逮、而其忠君報国之忱、不但倍蓰之、今日藉令一向之徒、甘言重賄、百方誑誘、数千萬麾下士、吾保其必無一人幡然従賊者、即祅教輩巧於惑一ㇾ人、施於今日之民、則知其必阻閡不一ㇾ行也、近代泰西呑噬隣邦、大都以兵、不教、蓋國俗之極蠢愚者、已爲彼所一ㇾ并、其存者智思闢、兵備嚴、非異教熒惑而取也、然則今日欲泰西之患、其緩急後先之序、亦可以一覧而瞭如矣、

 

(読み下し文)

室町の將(まさ)に季(すゑ)ならんとするに、薄海雲擾(ハクカイウンジョウ)人を殺すこと乱麻の如し。世、絶へて名教倫理の重きを爲すを知らず。故(ゆゑ)に永禄中、一向宗の乱、灼灼(シャクシャク)たる三河の巨室名閥、甘心(カンシン)君を去りて賊に従ふ。慨(なげ)くべきなり。後来(ホウライ)寛永年間、干戈(カンカ)戢(をさ)むと雖(いへど)も、大道未だ甚(はなは)だ明らかならず。故(ゆゑ)に愚氓(グモウ)猶ほ翕然(キュウゼン)邪教を遵信(ジュンシン)し遂に島原の乱に馴致(ジュンチ)す。今日士気、之(これ)寛永前と較ぶるに、夐(はるか)に逮(およ)ばず。而(しか)して其(その)忠君報国の忱(まこと)、但(ただ)(これ)の倍蓰(バイシ)のみならず。今日藉令(たとひ)一向の徒、甘言重賄(ジュウワイ)にて百方を誑誘(キョウユウ)すとも、数千萬麾下(キカ)士、吾(われ)其の必ず一人も幡然(ハンゼン)賊に従ふ者無きを保たん。即ち祅教の輩(やから)人を惑はすの巧(たく)みを今日の民に施さば、則ち其(それ)を必ず阻(はば)み閡(とざ)し、行なふを得ざるを知るなり。近代、泰西隣邦を呑噬(ドンゼイ)するに、大都(タイト)兵を以てし、教を以てせず。蓋(けだ)し國俗(コクゾク)(これ)極めて蠢愚(シュング)なれば、已(すで)に彼の并(あは)す所と爲らん。其(その)(たも)つ者は、智思(チシ)を闢(ひら)き、兵備嚴しく、異教を以て熒惑(ケイワク)して取るべきに非ざるなり。然(しか)らば則ち今日泰西の患(わづら)ひを防(ふせ)がんと欲さば、其の緩急後先の序(ついで)、亦以て一覧して瞭如(リョウジョ)たるべし。

 

薄海雲擾(ハクカイウンジョウ)(天下が雲のように乱れ) ・名教儒教) ・灼灼(シャクシャク)たる(輝かしい) ・巨室(先祖代々主君に仕えてきた権力有る家柄) ・名閥(名門) ・甘心(カンシン)(心のままに) ・後来(コウライ)(その後) ・干戈(カンカ)(戦乱) ・愚氓(グモウ)(愚民) ・翕然(キュウゼン)(そろって) ・ 遵信(ジュンシン)(従い信じる) 馴致(ジュンチ)(自然にそうなる) ・(まこと)(まごころ、誠意) ・倍蓰(バイシ)(数倍) ・重賄(ジュウワイ)(多くの賄賂) ・誑誘(キョウユウ)(たぶらかすこと) ・幡然(ハンゼン)(あっさりと) ・大都(たいと)(すべて) ・國俗(コクゾク)(一国の風俗・習慣) ・蠢愚(シュング)(おろか) ・并(あは)す(併呑する) ・智思(チシ)(知恵) ・熒惑(ケイワク)(惑わすこと) ・瞭如(リョウジョ)(明確)

 

(現代語訳)

 室町時代の末期には天下が雲のように乱れ、人を殺すことも乱れた麻を切るように簡単に行われた。世の中は儒教倫理の重要なことを知らなかった。このため永禄年間の一向一揆では輝かしい三河の名門の家柄の家臣が心のままに家康公のもとを去って賊に従った。嘆かわしいことである。その後、寛永年間には戦乱は止んだとはいえ未だに秩序が確立しておらず、愚民はなおそろってキリスト教を信じ遂に島原の乱に至った。

 今日の武士の気風を寛永前と比べるとはるかに劣る。しかし逆に忠君報国のまごころは数倍どころではない。今日ではたとえ一向宗徒が甘い言葉や賄賂で様々に人々をたぶらかしても、私の思うには一人も賊に従うことはないだろう。だからキリスト教の連中はたくみに勧誘したところで今日の民は必ずそれを拒否するので、布教は不可能であることを知ることになるだろう。

 近代では西洋諸国は隣国を侵略するのにすべて兵力で行い、宗教では行っていない。それはおそらく一国の風俗・習慣が極めて愚かなものであれば既に西洋に併呑されているはずで、独立を保っていればそれは知恵があり軍備が厳しくキリスト教で人を惑わして取れるような国ではないということである。だから今日西洋諸国からの侵略を防ごうと思うなら、その対策の優先順序は一見して明らかである。

 

其二十七(煩わしい法令・儀礼は改め、防衛問題に集中すべし)

吾観本邦立政之體、百餘年来、儀節絛例、類多繁密、百司群吏、如斯之夥、而役役於期會賬簿、智思困精神憊、無復餘力経紀他事、可歎、此不獨升平悠久之醸一ㇾ弊、別自有由兆焉、本邦自古絶不外夷天正慶長之際、甞稍交通、無幾痛禁絶、至鎖国之称、是以政法禮文、大率自局於我一國、不慮及一ㇾ遠、如遐方諸夷之事、概抛之度外、固其宜也、今也外寇之防禦、邇在目前、務莫乎此、智士思其籌、勇夫圖其力、上之人當痛祛縟文、無牽制、使智勇之士得各逞其所一ㇾ長焉、夫治國尚易簡、法網之煩、儀文之密、本非哲王所一ㇾ取、然絶無外懼、猶可以因循度一ㇾ年、如今日有禦寇大事、則不滌除也、

 

(読み下し文)

吾、本邦立政の體を観(み)るに、百餘年来、儀節(ギセツ)條例(ジョウレイ)の類(たぐひ)、繁密(ハンミツ)なるもの多し。百司群吏(ヒャウシグンリ)、斯(か)くの如く之(これ)(おほ)けれど、期會賬簿に役役(エキエキ)として、智思(チシ)(くるし)み、精神憊(つか)る。復(ま)た餘力にて他事を経紀(ケイキ)することも無し。歎くべし。此れ獨(た)だ升平悠久(ショウヘイユウキュウ)(これ)弊を醸(かも)すのみならず、別(とりわけ)(みづか)ら兆(はじまり)の所由(ショユウ)有り。本邦古(いにしへ)より絶へて外夷に接せず。天正慶長の際、甞て稍(やや)交通し、幾(いくばく)も無く痛く禁絶し鎖国の称(とな)へ有るに至る。是以(これゆゑ)政法禮文、大率(おほむね)(おのづ)から我一國に局(かぎ)り、慮(おもんぱかり)遠くに及ぼすこと能(あた)はず。遐方(カホウ)を撫(み)る、諸夷(ショイ)を馭(ギョ)すの事の如し概(おほむ)ね之(これ)を度外に抛(なげう)つ。固(もと)より其れ宜(むべ)なり。今や外寇の防禦、邇(ちか)く目前に在り、務(つと)めは此れより急なるは莫(な)し。智士、其の籌(はかりごと)を運ぶを思ひ、勇夫、其の力を效(き)かすことを圖(はか)る。上の人當(まさ)に痛く縟文(ジョクブン)を祛(はら)ひ、牽制する所無く智勇の士に各(おのおの)其の長とする所を逞(たくま)しく得せしむべし。夫れ國を治むるに易簡(イカン)を尚(たっと)ぶ。法網の煩(ハン)、儀文の密(ミツ)、本(もと)より哲王の取る所に非ず。然れば絶へて外懼(ガイク)無くば猶(なほ)因循(インジュン)を以て年を度(わた)るを可(よし)とすれども、今日の如く禦寇(ギョコウ)の大事有れば則ち滌除(テキジョ)に力(つと)めざるを得ざるなり。

儀節(ギセツ)(礼儀) ・條例(ジョウレイ)(箇条書きにした法令・規則) ・繁密(ハンミツ)(細かく煩わしい)・百司群吏(ヒャウシグンリ)(多くの役人) ・期會賬簿(会計帳簿) ・役役(エキエキ)(苦心している) ・智思(チシ)(考え、思考、知恵) ・困(くるし)む(行き詰まる) ・経紀(ケイキ)(運営) ・升平悠久(ショウヘイユウキュウ)(平和な世の中が長く続いたこと) ・弊を醸(かも)す(弊害を発生させる) ・所由(ショユウ)(理由、根拠) ・政法禮文(政治、法律、制度、学問) ・遐方(カホウ)(遠方の国)  ・諸夷(ショイ)(諸外国) ・縟文(ジョクブン)(繁文縟礼 こまごまして煩わしい規則や礼儀作法)    ・法網(法律の網) ・儀文(儀式の作法) ・外懼(ガイク)(外国に対するおそれ) ・因循(インジュン)(昔からの習慣にしたがって改めないこと) ・禦寇(ギョコウ)(敵の侵入を防ぐこと)・滌除(テキジョ)(洗い除くこと) 

 

(現代語訳)

 わが国の政治の有様を見ると、百数年以来礼儀や法令、規則のたぐいで細かく煩わしいものが多い。役人もこのように多いけれど会計帳簿に苦心している。思考は行き詰まり精神は疲れ果てている。もう余力で他の事を運営することもできない。嘆かわしいことだ。このような弊害はただ平和な世の中が長く続いたことによるだけではなく、特にそれ自体に始まりの理由がある。わが国は古来外国と接してこなかった。天正・慶長の頃はやや外交があったが、やがて全く禁止して鎖国を称えるようになった。このため当然政治、法律、制度、学問、おおむねわが国一国に限られ、遠方のことを考えることができなくなった。遠方の国を見たり諸外国を支配するといったことはほとんど考慮の外に投げ捨てた。これは無理もないことである。

 今や外敵の防禦の必要は目前に迫っており、これほど急を要することはない。知恵のある者は計画を実現することを考え、勇者はその力を生かそうとする。上にある者は細かく煩わしい規則や作法を廃止し、知恵や勇気のある者が支障なくその得意とする所を発揮できるようにすべきだ。国の政治は簡明なことが重要で、法律の網の煩わしいことや儀式の作法が細かいことは本来賢明な王の採るところではない。だから外国からの侵略のおそれが全くないのであればなお昔からの習慣に従ってやり方を改めないでもよいだろうが、今日は外国への防禦という重要問題があるのだからこうしたことを洗い除くことに努めざるを得ない。

 

其二十八(財政再建すれば艦船銃砲製造は可能)

今日度支告匱之時、而忽唱大艦巨炮之説、固吏司之所圜視而駭也、雖然以天下之綦大、而財用常苦継、此必有由而非偶爾也、軍國之費出、過多無節歟、後宮之奉、或踰越古制歟、海内財貨、偏萃於商賈僧徒歟、物價任其騰踊、而莫之抑歟、上下衣被食飲室屋之制、流於侈麗歟、凡此數事有一、皆足以傷財虐一ㇾ民、而有司掌利権者、昧入爲出之道、實爲病根、是國家之匱於財、實區畫失宜之所致也、襲今之陋習、無今之弊、借令不大艦巨炮、而累數十年、財之乏匱、滋甚耳、夫大艦巨銃、今日至要之器、非此不以捍一ㇾ國、以天下之力、而窘於乏一ㇾ財、不國家必需之器、殆所謂國非其國者也、今處枢要者、苦於艦銃之費、國力不一ㇾ供、穆乎深思、愾然發憤、知下國家浪費不省、不以自強、又不上以具海防之器、省軍國之費、減後宮用度、禁商賈僧徒大貯一ㇾ金、遏百物之價踊貴者、衣食屋宅、皆有常制、使上下咸不之者疾用之者舒之意、則綱維粛整、百度悉擧、國何憂富、其於制艦銃、何難之有、是一轉念之際、而内修之本、外攘之備、粲然並擧、可勖哉、昔周宣承汾王走亡之餘、又遭亢旱之禍、黎民靡孑遺、衛文立於狄人冞入懿公敗死之後、國力困乏、兵車纔三十乗、而二君厲志圖治、痛剔蠹弊、竟致治效彰灼儲畜有一ㇾ餘、近代諸侯國計乏絶、加以水旱相仍、極難於措畫、而奮然釐正、無幾資儲衍裕、庶政丕新者匪一、顧人主勵精如何耳、天下寧有爲之時耶、今大國之君、與幕府姻者多患貧、詢諸有司、則曰、公主費用、國難供、夫公主服飾贈遺、其費固不尟、然一歳所需、類不萬餘金、以堂堂雄藩、而僅僅萬餘金、奚至於病一ㇾ國乎、彼苟不積弊、雖幕府、結一ㇾ婚、而烏免乎貧、若其痛加綜理整頓、國可以立富、何憂一公主之難供給、此亦改造大炮巨鑑之類也、故併論之、

 

(読み下し文)

(まさ)に今日度支(タクシ)(とぼし)きを告ぐべき時にして、忽(たちま)ち大艦巨炮を造るの説を唱へば、固(もと)より吏司(リシ)の圜視(カンシ)して駭(おどろ)く所なり。然(しか)りと雖(いへども)天下之(これ)(きは)めて大なるを以て、財用(ザイヨウ)常に継ぎ難きに苦しむ。此れ必ず所由(ショユウ)有りて、偶(たまたま)にあらざるなり。軍國の費出、過多にして節無きか。後宮の奉(まかなひ)、或(あるい)は古制を踰越(ユエツ)するか。海内(カイダイ)の財貨、偏(ひとへ)に商賈(ショウコ)僧徒に萃(あつま)るか。物價(ブッカ)其の騰踊(トウヨウ)に任せて之(これ)を抑(おさ)ふる莫(な)きか。上下衣被(イヒ)食飲室屋の制(さだめ)、侈麗(シレイ)に流るるか。凡(およ)そ此の數事の一つ有らば、皆以て財を傷つけ民を虐(しへた)ぐるに足る。而(しか)して有司利権を掌(つかさ)どる者、入るを量(はか)り出るを爲すの道に昧(くら)く、實(ジツ)に病根(びょうこん)爲り。是れ國家の財に匱(とぼ)しく、實に區畫(クカク)の宜(よろ)しきを失ふの致す所なり。今の陋習を襲ひ今の弊を革(あらた)めざれば、借令(たとひ)大艦巨炮を造らざれども、數十年を累(かさぬ)れば、財の乏匱(ボウキ)、滋(ますます)(はなはだ)しかるのみ。夫れ大艦巨銃、今日至要(シヨウ)の器にして、此れ非ざれば以て國を捍(ふせ)ぐべからず。天下の力を以てしても財の乏しきに窘(くる)しみ、國家必需の器を造ること能(あた)はざれば、殆(ほとん)ど所謂(いはゆる)國にして其れ國に非ざる者なり。今、枢要(スウヨウ)を處(ショ)する者、艦銃の費(つひえ)に國力供せざるに苦しみ、穆(まこと)に深く思ひ、愾然(ガイゼン)(いきどほり)を發(おこ)す。國家浪費を省(はぶ)かざれば以て自強(ジキョウ)すべからざるを、又以て海防の器を具(そな)ふべからざるを知る。軍國の費(つひえ)を省(はぶ)き、後宮の用度を減節し、商賈(ショウコ)僧徒大ひに金を貯(た)むるを禁じ、百物の價(あたひ)踊貴(ヨウキ)するを遏(とど)むれば、衣食屋宅、皆常制(ジョウセイ)有らん。使(もし)上下咸(みな)、之(これ)を爲す者(こと)、疾く之(これ)を用(もち)ふる者(こと)、之を舒(の)ばす意を失はざらしめば、則ち綱維(コウイ)粛整(シュクセイ)百度(ヒャクド)(ことごと)く擧(あが)るべし。國何ぞ富まざるを憂ふ。其の艦銃を改制するに於いて何の難(かた)きこと之(これ)有らん。是れ一轉して之を念(おも)ふ際、内は修めの本(もと)、外は攘(はら)ひの備(そなへ)、粲然(サンゼン)並擧(ヘイキョ)(つとめ)めざるを可(よし)とするや。昔、周の宣、汾王走亡の餘(あまり)を承(う)く。又亢旱(コウカン)の禍(わざはひ)に遭(あ)ふ。黎民(レイミン)孑遺(ケツイ)を靡(つく)す。衛文狄人(テキジン)(ますます)入り懿公(イコウ)敗死の後に立つ。國力困乏(コンボウ)し、兵車纔(わずか)に三十乗。而(しか)して二君志(こころざし)を厲(はげま)し治むるを圖(はか)り、蠹弊(トヘイ)を痛剔(ツウテキ)す。竟(つひ)に治效(チコウ)灼(ショウシャク)にして、儲畜(チョチク)餘り有るに致る。近代諸侯國計(コッケイ)乏絶(ボウゼツ)、加ふるに水旱(スイカン)相仍(あいよ)るを以て、極めて措畫(ソカク)に難(かた)し。而(しか)して奮然(フンゼン)釐正(リセイ)せば、幾(いくばく)も無く、資儲(シチョ)衍裕(エンユウ)たらん。庶政(ショセイ)(おほい)に新らたなるは一に匪(あら)ず。顧(かへりみ)れば人主(ジンシュ)の勵精(レイセイ)如何(いかん)のみ。天下寧(いづくん)ぞ爲すべからざるの時有るや。今大國の君、幕府と姻を連(つら)ぬる者多くは貧(ヒン)を患(わづら)ふ。諸有司に詢(と)へば則ち曰く「公主の費用、國供(そな)ふべきこと難(かた)し」と。夫れ公主服飾の贈遺、其の費(つひえ)(もと)より尟(すくな)しと爲(な)さず。然(しか)れば一歳需(もとむ)る所なれば、類(おほむね)萬餘金を散ずるに過ぎず。堂堂たる雄藩を以て、僅僅(キンキン)萬餘金にて奚(いず)くんぞ國病(やまひ)に至らんか。彼苟(いや)しくも積弊を祛(はら)ふ能はざれば、幕府と婚を結ばざると雖(いへど)も、烏(いず)くんぞ貧を免れんや。若し其れ痛く綜理整頓を加ふれば、國以て立ち、富むべし。何ぞ一公主の供給し難きを憂ふや。此れ亦大炮巨鑑改造の類(たぐひ)なり。故に併せて之を論ず。

 

度支(タクシ)(国家の支出を担当する役所) ・吏司(リシ)(役人) ・圜視(カンシ)(目を丸くする) ・財用(ザイヨウ)(財貨の運用) ・所由(ショユウ)(理由) ・軍国(軍事と国政)・海内(カイダイ)(天下) ・商賈(ショウコ)(商人) ・騰踊(トウヨウ)(上がること) ・衣被(イヒ)(衣服) ・侈麗(シレイ)(贅沢で美しいこと) ・利権(財政をつかさどる官) ・區畫(クカク)の宜(よろ)しき(適切な財政規律) ・襲ふ(踏襲する) ・乏匱(ボウキ)(とぼしいこと) ・枢要(スウヨウ)(重要な事柄) ・國力(コクリョク)(国の財力) ・愾然(ガイゼン)(嘆息して) ・自強(ジキョウ)(自ら努め励むこと) ・踊貴(ヨウキ)(急騰すること) ・常制(ジョウセイ)(一定のきまり) ・舒(の)ばす(広げる) ・綱維(コウイ)(国家の法令、おきて) ・粛整(シュクセイ)(ととのうこと) ・百度(ヒャクド)悉(ことごと)く擧(あが)る(緒制度が善く行われる) ・粲然(サンゼン)(明瞭に) ・(ヘイキョ)(こぞって、みな) ・周の宣(宣王、周王朝の中興の祖) ・汾王(宣王の父、政権を奪われ出奔し死亡) ・亢旱(コウカン)(ひでり) ・黎民(レイミン)(人民) ・孑遺(ケツイ)(わずかに残っているもの) ・衛文(衛の文公) ・懿公(イコウ)(衛の王 文公の兄) ・蠹弊(トヘイ)(国をむしばむ悪習) ・痛剔(ツウテキ)(厳しく取り除く) ・治效(チコウ)(治療の効果) ・彰灼(ショウシャク)(明らか) ・儲畜(チョチク)(たくわえ) ・國計(コッケイ)(国家財政) ・乏絶(ボウゼツ)(不足がち) ・水旱(スイカン)(水害とひでり) ・措畫(ソカク)(対処) ・奮然(フンゼン)(心を奮い立たせて) ・釐正(リセイ)(改め正す) ・資儲(シチョ)(財産)  ・衍裕(エンユウ)(豊か) ・庶政(ショセイ)丕(おほい)に新(あらた)なり(様々な政事の面目が一新される) ・人主(ジンシュ)(君主) ・勵精(レイセイ)(心を励まして努めること) ・姻を連(つら)ぬる(婚姻により親戚となる) ・諸有司(諸役人) ・公主(諸侯の娘) ・僅僅(キンキン)(わずか)     ・綜理整頓(全体を管理しきちんと整えること) 

 

(現代語訳)

 まさに今は国家の支出を担当する役所が財政が窮乏していることを告げるべき時なのに、突然大鑑巨砲を造るべきとの説を唱えれば、当然役人は目を丸くして驚く。しかしながら天下は極めて大きいため、財政は常に維持し難いことに苦しんでいる。これには必ず理由があって偶然ではない。軍事と国政の支出が過多で節度がないか、後宮の出費が昔の制度を越えてるか、天下の財貨が商人や僧に偏在しているか、物価が上昇するにまかせてこれを抑制していないか、上の身分の者も下の身分の者も衣服、飲食、家屋が贅沢に流れているか、これらのうち一つでもあれば財政を傷つけ民を苦しめるに足る。 しかし財政をつかさどる役人は収入を計算して支出する方法に習熟しておらず、これが病根になっている。このため国家が貧しく適切な財政規律を失うに至っている。

 今の古い習慣を踏襲して弊害を改めなければ、たとえ大鑑や巨砲を造らなくても数十年たてば財政の乏しいことはますますひどくなるだけだ。大鑑や巨砲は現在必ず必要な道具であり、これが無ければ国を守ることができない。天下の力を使っても財政の乏しさに苦しんで国家に必要な道具を作ることができないのでは、殆どいわゆる国にして国に非ざるものだ。今重要事項を切り盛りする者は艦船や銃砲の費用に国の財力が使えないことに苦しみ、まことに深く思い嘆息して憤り、国家の浪費をなくさなければ自ら勉め励むことも、海防の道具を備えることもできないことを知っている。軍事や国政の費用を節約し、後宮の物品を減らし、商人や僧が大いに金を貯めるのを禁止し、物価の急騰を抑制すれば、衣食や家屋に一定の規律ができてくるだろう。もし上も下も皆こうしたことを行い、早急に用い、広げる意識を失わなければ、規律が整い諸制度がことごとく善く行われるようになるだろう。何で国が富まないなどと憂うことがあろうか。艦船や銃砲を作り変えることに何の困難があろうか。逆に考えれば、内政の根本と防衛の準備と両方とも明らかに努力しないなどということで良いのか。

 昔周の宣王は父の汾王が出奔して死亡した後を継いだが、日照りの災害にあい、人民はわずかに残ったものを食べ尽くしてしまった。衛の文公は敵が侵入して文公の兄の懿公が敗死した後即位したが、国力は疲弊し兵車はわずか三十しかなかった。しかし二君とも志をはげまして国を治め、国をむしばむ悪習を取り除いた。ついに治療の効果は明らかになり蓄えが余りあるようになった。

 近ごろは諸大名の財政は不足がちで、加えて水害と日照りもあり極めて対処が難しい。しかし心を奮い立たせて改革すれば、まもなく財政は豊かになるだろう。様々なまつりごとの面目が一新されるのは一回だけのことではないのだ。顧みれば君主が心を励まして努めるかどうかだけだ。天下に何でそれができない時があろうか。現在大藩の藩主でも幕府と婚姻により親戚となった者の多くは貧乏を患っている。諸役人に尋ねると次のように言う「大名の娘の費用を出すことが難しい」と。大名の娘の衣服や装身具を贈ることやその費用はもともと少なくはないが、それが必要とされるのは一年間でおおむね萬余金に過ぎない。堂々たる雄藩であるのに何でわずか萬余金の支出で国が病に至るのか。もし長年の弊害を除去することができないのであれば、幕府と婚姻を結ばなくても、何で貧しくなるのを免れることができようか。もし厳しく全体を管理しきちんと整えれば国は立ち直り、豊かになるだろう。何で大名の娘に費用を出し難いことで憂えるのか。これまた大砲や巨艦を造るのと同じ話なのでこれを併論した。

 

其二十九(ロシア人捕虜は大切に扱い情報収集、対外宣伝に利用すべし)

俄羅斯獲本邦人、往往愛育寵待、予之妻、賚之金帛、使楽而忘一ㇾ皈、時時就問本邦政化風尚、故於本邦事綦詳、邦人則偶獲俄羅斯人、視如贅疣然、惟恐亟遣還其國、是以彼之情形、無自而悉也、邦人所以至一ㇾ此者、其故有二、恐異教之徒煽惑愚氓也、恐飲啗供奉之費頗不一ㇾ貲也、夫治天下者、於緊切不已之事、固不當下憚其多一ㇾ費而不上爲、既不全利、當其利多害少者而行上ㇾ之、禁遏異教、本邦人之所長、縦畜一二俄羅斯人、可其不一ㇾ蔓延、一二俄羅斯人之養、爲費幾何、治天下、寧可此等小費而致其乏國事乎、果欲察俄羅斯動静、策莫乎此、嚮者奈佐某以計生禽俄羅斯卒八人、洵爲奇勳、未幾而送還、可惜、後来若有虜獲、當懇懇勤卹、賜米粟金帛室屋、又妻有罪婦女、令之楽而安于玆土、然後使之詳説俄羅斯風習地理、又使蝦夷明告俄羅斯、以留而愛撫、未始行一ㇾ戮、實俊偉正大之擧、而其於海防、必多裨補也、

 

(読み下し文)

俄羅斯(オロシャ)本邦人を獲(とら)へ、往往にして愛育寵待(チョウタイ)し、之(これ)に妻を予(あた)へ、之に金帛(キンパク)を賚(たま)ひ、楽しみて皈(かへ)るを忘れしむ。時時本邦政化(セイカ)風尚(フウショウ)に就(つひ)て問ふ。故に本邦の事に於て綦(きは)めて詳(くは)し。邦人則ち偶(たまたま)俄羅斯人(オロシャジン)を獲(とら)へ、視(み)ること贅疣(セイユウ)の如し。惟(ただ)(すみや)かに其の國に遣還(ケンカン)を得ざるを恐るるのみ。是以(これゆゑ)彼の情形(ジョウケイ)、自(よっ)て悉(つく)すこと無きなり。邦人此(ここ)に至る所以(ゆゑん)は其故(それゆゑ)二つ有り。異教の徒の愚氓(グボウ)を煽惑(センワク)するを恐るるなり。飲啗供奉(インタンキョウホウ)の費(つひえ)(すこぶる)不貲(フシ)なるを恐るるなり。夫れ天下を治むる者、緊切(キンセツ)已むを容(い)れざるの事に於て、固(もと)より當(まさ)に其の費(つひえ)多きを憚(はばか)りて爲さざるべからず。既に全利を得ざれば、當(まさ)に其の利多く害少なき者を擇(えら)びて之(これ)を行ふべし。異教を禁遏(キンアツ)するは、本邦人の長とする所にて、縦(たと)ひ一二俄羅斯人(オロシャジン)を畜(やしな)ふとも、其の蔓延能(あた)はざるを保つべし。一二俄羅斯人(オロシャジン)(これ)を養ひ、費(つひえ)を爲すこと幾何(いくばく)ぞ。天下を治むるに寧(いづ)くんぞ此等(これら)小費を厭(いと)ひて其の國事の乏しきに致すべけんや。果して俄羅斯(オロシャ)の動静を洞察せんと欲さば、此(これ)を策(むちう)つは良からざるなり。嚮者(キョウシャ)奈佐某計(はかりごと)を以て俄羅斯卒(オロシャソツ)八人を生禽(セイキン)す。洵(まこと)に奇勳(キクン)爲り、未だ幾(いくばく)もせずして送還す。惜しむべし。後来(コウライ)(も)し虜獲(リョカク)有らば、當(まさ)に懇懇(コンコン)(つと)めて卹(あはれ)み、米粟金帛室屋(ベイゾクキンパクシツオク)を賜(たま)ひ、又有罪婦女を以て妻(めあは)せ、之(これ)を楽しませ玆(この)(つち)に安(やす)んじせしむべし。然(しか)る後、之に俄羅斯(オロシャ)風習地理を詳説せしむ。又蝦夷をして俄羅斯(オロシャ)に留(とど)めて愛撫するを以て明らかに告げしめ、未だ始めより戮(リク)を行はざらば、實(まこと)に俊偉正大(シュンイセイダイ)の擧(ふるまひ)なり。而(しか)して其れ海防に於いて必ず裨補(ヒホ)する所多かるなり。

 

愛育寵待(チョウタイ)(目をかけてかわいがること) ・金帛(キンパク)(金銭と衣服) ・政化(セイカ)(政治と文化) ・風尚(フウショウ)(人々の好み) ・贅疣(セイユウ)(こぶといぼ、無用な物のたとえ) ・遣還(ケンカン)(送り返すこと) ・情形(ジョウケイ)(有様、状態) ・悉(つ)くす(知り尽くす) ・愚氓(グボウ)(愚かな民) ・煽惑(センワク)(おだてて惑わすこと) ・飲啗供奉(インタンキョウホウ)(飲み物食べ物を供給して不自由の無いようにすること) ・不貲(フシ)(多くて数えきれない) ・緊切(キンセツ)(差し迫って重要) ・國事(国家の政治) ・嚮者(キョウシャ)(以前に) ・奈佐某奈佐政辰(なさまさとき)のこと。ロシアのゴロウニンを国後で捕えた)・俄羅斯卒(オロシャソツ)(ロシア兵) ・生禽(セイキン)(いけどり) ・奇勳(キクン)(珍しい手柄) ・後来(コウライ)(今後) ・懇懇(コンコン)(親切に) ・米粟金帛室屋(ベイゾクキンパクシツオク)(食料、金銭、衣服、住居) ・蝦夷(えびす)(外国人) ・愛撫(いつくしみいたわる) ・戮(リク)(殺害) ・俊偉正大(シュンイセイダイ)(賢明で正しく堂々としている) ・裨補(ヒホ)(助け補うこと)

 

(現代語訳)

 ロシアは日本人を捕え、往々にして目をかけてかわいがり、これに妻や金銭、衣服も与え楽しませて帰るのを忘れさせる。時々わが国の政治、文化、人々の好みについて質問する。このためわが国のことについてとても詳しい。日本人がたまたまロシア人を捕えると、コブやイボのような無用の物と見なして、ただすみやかにその国に送還できないことを恐れるだけだ。このためロシアの様子をこれにより知ることが無い。

 日本人がこうなってしまう理由は二つある。キリスト教徒が愚民を誘惑するのを恐れることと、飲み物や食べ物を与えて不自由のないようにすることの費用が多額になるのを恐れることだ。天下を治める者が緊急重要でやむを得ない事項に対して費用が多いからといって行わないなどということはあってはならない。すべてが利益ばかりではないのであれば、利が多く害の少ないことを選んで行うべきだ。キリスト教を禁圧するのは日本人の得意なところで、たとえ一人や二人のロシア人を養ってもキリスト教が蔓延しないようにすることはできる。一人や二人のロシア人を養う費用などいかほどのものか。天下を治めるのに何でこの程度の少額の出費を嫌って国の政治を不全にしてよいものか。

 もしロシアの動静を洞察したいのであれば捕虜をむち打つのは良くない。以前に奈佐という人が計略でロシア兵8人を生け捕りにした。まことに珍しい手柄であった。ただまもなく送還してしまった。惜しいことだった。今後もし捕虜をとらえることがあれば親切にあわれみをかけ、食糧、金銭、衣服、住居を与え、また罪を犯した婦女と結婚させ楽しませ、この土地に安住させるべきだ。そうしてロシアの風習や地理を詳しく説明させる。また外国人に日本に留まって大切にされていることをロシアに報告させ、初めから殺すようなことをしなければ、実に賢明で正しく堂々とした振る舞いだ。そうしたことは海防の助けになることが必ず多いだろう。

 

其三十(海防の本と末)

飭海防以制外寇之道、有本有末、本不擧則末不張、末者上所論改造舶銃肄水戦之屬是也、本者何也、上以仁明極、下以敬忠職、播孝弟之訓、以美民風、崇勇鷙之俗、以振士気、省後宮之費、沙汰不急之官、以饒國用、輕四時之貢献、減宮浚河之資助、以蘇息諸矦之類是也、方今上有明辟、下多碩輔良臣、所謂本者咸其所洞知而見於行、何煩吾儕嘖嘖、但隆平二百餘祀、人情有萎靡之失、不廢墜之弊、不審察也、

 

(読み下し文)

海防を整飭(セイチョク)し以て外寇(ガイコウ)を制するの道に、本(もと)有りて末(すゑ)有り。本擧がらざれば則ち末張らず。末は上に論ずる所の舶銃の改造、水戦の習肄(シュウイ)の屬(たぐひ)(これ)なり。本は何ぞや。上は仁明(ジンメイ)を以て極を建て、下は敬忠を以て職を盡(つく)す。孝弟(コウテイ)の訓(をしへ)を播(し)き、以て民風を美(よ)くす。勇鷙(ユウシ)の俗(ならはし)を崇(あが)め、以て士気を振(ふる)ふ。後宮の費(つひえ)を省(はぶ)き、不急の官を沙汰し、以て國用を饒(ゆたか)にす。四時の貢献を輕んじ、宮を築き河を浚(さら)ふの資助(シジョ)を減らし、以て諸矦を蘇息(ソソク)すの類(たぐひ)(これ)なり。方今(ホウコン)上に明辟(メイヘキ)有り、下に碩輔良臣(セキホリョウシン)多からば、所謂(いはゆる)本は咸(みな)其れ洞知(トウチ)する所にて行ひに見(あらは)れ、何ぞ吾儕(わがセイ)嘖嘖(サクサク)たるに煩(わづら)ふか。但(た)だ隆平(リュウヘイ)二百餘祀、人情萎靡(イビ)(あやまち)有り、法紀(ホウキ)廢墜(ハイツイ)の弊(ヘイ)無しとせず。審察(シンサツ)せざるべからざるなり。

整飭(セイチョク)(整えること) ・外寇(ガイコウ)(外国の侵略) ・習肄(シュウイ)(練習) ・仁明(ジンメイ)(思いやりと賢明さ) ・敬忠(主君を敬い忠義を尽くすこと) ・孝弟(コウテイ)(父母によくつくし兄によく従うこと) ・民風(民の気風) ・勇鷙(ユウシ)(勇敢) ・沙汰(善と悪をより分けること) ・國用(国家の費用) ・資助(シジョ)(経済的な援助) ・蘇息(ソソク)(休ませること) ・方今(ホウコン)(現在) ・明辟(メイヘキ)(明君) ・碩輔良臣(セキホリョウシン)(賢い大臣と良い家臣) ・洞知(トウチ)(熟知) ・吾儕(わがセイ)(われら) ・嘖嘖(サクサク)(やかましく言い争うさま) ・隆平(リュウヘイ)(太平) ・萎靡(イビ)(衰え元気がなくなること) ・法紀(ホウキ)(法やおきて)・廢墜(ハイツイ)(廃れ落ちること) ・審察(シンサツ)(よく考えること)

 

(現代語訳)

 海防を整備し外国からの侵略を防ぐ方法に本と末がある。本があってはじめて末があり、本がよく行われなければ末も盛んにならない。末とはこれまで論じてきた艦船や銃砲の改造、海戦の練習などのことである。本とは何か。上は仁愛と賢明さで正しい基準を打ち立て、下は主君への敬意と忠義で職を尽くす。父母によく尽くし兄に善く従うという教えを広めこれにより民の気風を美しくする。勇敢な気風を尊重しこれにより武士の戦意を盛んにする。後宮の費用を節減し不要な役職を選別することで国の財政を豊かにする。日常の仕事を軽減し建築や土木工事への経済的支援を減らすことで諸大名を休ませるといったことがこれにあたる。現在上に明君がいて下に賢明な大臣や良い家臣が多ければ、いわゆる「本」はそれらの人が熟知していて行動に表れるものであるのに、なぜわれらがやかましく言い争うことに苦しむのか。ただ天下泰平が二百年続き人の気持ちに元気がなくなるという失敗があり、法やおきてが廃れ落ちてゆくという弊害も無しとしない。よく考える必要がある。