古賀侗庵の紹介と海防臆測について

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1.古賀侗庵の生い立ち 

 古賀侗庵(1788~1847)の父古賀精里は「寛政の三博士」と呼ばれた朱子学者で佐賀藩士から幕府昌平黌の儒者(教授)に抜擢されました。侗庵は父の在任中の22歳で儒者見習となり、父の死後30歳で儒者に就任しています。また彼の長男の古賀謹一郎も昌平黌儒者となっています。昌平黌儒者は当時の知の頂点ともいうべき地位で世襲ではありません。これに三代続けて就くというのは空前絶後のことでした。ちなみに侗庵の兄穀堂は名君と言われる佐賀藩鍋島直正(閑叟)の教育係や藩校弘道館教授を務め、佐賀藩改革を主導しました。古賀家からは優れた人材が続出したのでした。

 

2.侗庵の学問領域

 侗庵は朱子学者でしたが極めて好奇心旺盛な人で、その学問領域は朱子学に止まらず、老荘、法家などの中国古代諸子百家はもちろん、朱子学に批判的な陽明学や経世致用学、考証学、事功学派などの領域にも及んでいます。変わったところでは河童の研究までしており、その博覧強記ぶりは群を抜いていました。さらに大槻玄沢渡辺崋山などの蘭学者とも親交があり、彼らから外国の地理、歴史をはじめ最近の西欧諸国の学問・技術の発展ぶり、侵略・植民地獲得活動の情報も得ています。

 

3.侗庵の海防論

 彼の生まれた18世紀後半はヨーロッパで産業革命フランス革命が勃発するなど世界史の大きな転換時期でした。日本はまだペリー来航前でしたが、近海にロシア船やイギリス船が出没するようになり、1806年から翌年にかけてはロシア軍艦が樺太や択捉を攻撃した露宼事件が、1808年にはイギリス船が長崎に侵入したフェートン号事件が起き、幕府に衝撃を与えました。こうした中で彼は早くから海外情勢の把握に努め、1838~40年に代表作「海防臆測」(全56章)を完成させています。その内容を略記すれば下記の通りです。

  • イギリス、ロシアを始めとして西欧諸国は武器や戦艦に優れ、積極的に海外侵略を行っており、南北アメリカ大陸、インド、アフリカ、東南アジアなど世界の殆どが植民地化されてしまっている。日本にも危機が迫っているし、海外事情に無関心で海防をおろそかにしている中国も危い。
  • 今、日本が西欧諸国と海戦になったら、艦船、銃砲の差は埋めがたく、どんな知将、勇将がいようとも百戦百敗するだろう。艦船、銃砲など西洋の先進的軍事技術導入による海防が急務である。
  • 艦船の訓練のためには実際に海外へ航海することが必要である。そしてそこで貿易を行えば富国の助けにもなる。
  • 防衛力が不十分な現状で、いつまでも開国や貿易の要求をを拒絶し続けることは、かえって外国に戦争への口実を与えることになり危険である。
  • 現在行っているような外国船への無条件の打払いや排斥は道理を欠いた行為であり、かえって外国からの軽蔑と反発を招く。 

4.侗庵の世界観・思想と政治への影響

 さらに別の著書では彼は公平な世界観を示します。朱子学では中国を文化や徳に優れた世界の中心=中華と考え、周辺の国を文化レベルの劣るケダモノ=夷狄と見る世界観を有しますが、侗庵はこうした傲慢な華夷差別を批判し、人間は誰しも万物の霊長であるし、国の優劣は政治や文化の優劣によるもので固定的なものではないと主張します。この批判は水戸学に典型的な、日本を神国と見て西洋をケダモノの国として排斥しようとする偏狭な尊王攘夷思想への批判につながるものでした。

 こうしてみると侗庵の思想は、海外情勢および日本の危機的状況への正確な認識、中国の危機への予言、西洋技術導入による海防の必要性、むやみな外国排斥の危険性、積極的開国論、貿易による富国論、さらには公平な世界観など、極めて開明的、合理的なものでした。アヘン戦争やペリー来航以前にこのような思想を有する日本人がいたことに驚くばかりです。彼のこうした思想は昌平黌での教育を通じて幕府の役人層の中に一定の積極開国派を形成し、ペリー来航後の開国につながっていきます。

 

5.このブログについて

 ただし残念なことに侗庵の著作は「海防臆測」を除けば大半が印刷物として出版されていませんし、海防臆測にしても読み下し文や現代語訳はありません。著作の原本や写本は残ってはいますが多くが手書きの難解な漢文であるため日本史の研究者であってもその解読には多大の労力を要します。このため彼のことは一般にはほとんど知られておらず、研究者も少ないのが現状です。このブログでは侗庵の著作を順次紹介していく予定です。

 まず初めに海防臆測から紹介していきますが、原文は国立国会図書館デジタルコレクション(請求番号209-34 日高誠実編)に基づきます。

 なお原文の漢文には返り点や一二点が付されていますが、適切と考えられないところもあるため、小生の作成した読み下し文は必ずしも全部はこれに従っていないことを最初におことわりしておきます。

 読み下し文の表記は文語表現にしています。漢語の読みがなは、音読みの場合は発音に従ったカタカナ表記、訓読みの場合は文語のひらがな表記としています。また各章のタイトルは小生の付けたものです。

 小生は漢文の専門家でも何でもありませんので、読み下し文や解釈に誤りがあったり、もっと良い解釈、表現があるかもしれません。お気づきの方は遠慮なくご指摘下されば幸いです。