2024-01-01から1年間の記事一覧

侗庵新論

侗庵新論は海防臆測と並ぶ侗庵の代表作です。1825年~1844年(37才~56才)の20年間に渡って書いた著作で、本編160篇、追記31篇の合計191篇という膨大なものです。テーマも多岐にわたっています。従って海防臆測や壺範新論のように一度に全篇を投稿するので…

壼範新論

壼範新論は1815年、侗庵27才の時の論文です。壼とは女性、範とは手本とか模範という意味ですので、壼範新論とは新しい女性の道徳論といった意味になります。従来の儒教の女性道徳論に異論を述べたもので、本論十篇と追記六項目から成ります。本論の目次を現…

兵家者流 兵家とは兵学を説く学者のことで、江戸時代には山鹿流や甲州流などの兵学の学派がありました。ただ平和な時代が続き兵学者自身に実戦経験が無く、その内容は倫理的、精神的なものに傾き、実用性からは程遠いものになっていきました。例えば山鹿流兵…

殷鑒論 

殷鑒論は1814年、侗庵27才頃の論文です。殷鑒とは教訓とすべき他人の失敗の事例というような意味で、「他山の石」とか「人の振り見て我が振り直せ」と同じような意味です。元々の意味は中国古代殷王朝の人たちが前代の夏王朝が政治の失敗で滅びたことを鑑(…

腐儒論

腐儒論は侗庵36才の時の論文です。腐儒とは役立たずの儒者といった意味で、侗庵の論文には盛んにでてきます。それだけ海外の情勢に無関心で現在の重要問題を考えようとしない儒者に我慢ならなかったということでしょう。本論文では儒者だけでなく兵学者や役…

窮理説

窮理説は侗庵の思想を知る上で重要な論文です。ここで予め「窮理」について解説します。朱子学ではあらゆる物や事にその存在原理・存在根拠があると考えられており、これを「理」といいます。理を追究していくことを「窮理」といいます。 ここで動植物や物質…

海防臆測 後編(31~56)

其三十一(外国事情に暗く無関心な為政者にはせめて毎日世界地図を見せて教育すべし) (漢文) (読み下し文) (語釈) (現代語訳) 其三十二(病気を直視するように西洋も直視しなければ対策の立てようもないが、現状は余りにも無関心だ) (漢文) (読…

海防臆測 前編(1~30)

古賀侗庵の紹介と彼の著作(漢文)の読み下し文と現代語訳

古賀侗庵の紹介と海防臆測について

1.古賀侗庵の生い立ち 古賀侗庵(1788~1847)の父古賀精里は「寛政の三博士」と呼ばれた朱子学者で佐賀藩士から幕府昌平黌の儒者(教授)に抜擢されました。侗庵は父の在任中の22歳で儒者見習となり、父の死後30歳で儒者に就任しています。また彼の長男の…